3話 『結婚式は神前式か教会式か』

「え? いや、神前式だろどう考えても」

「「…………」」


 ――ファイッ!

 バッ! と同時にベンチから立ち上がる二人。

 にゃー! と猫が驚いて砂場から走り去っていった。


「何言ってんのマジで!? 教会! ウエディングドレス! 神父様の前で愛の誓いで教会の鐘ゴーン! 花びらバッサァーの中を歩いて両脇からおめでとー! 結婚式ってこれっしょ!」

「いや待て待て落ち着け亜久里! 冷静に考えてみろ! だって君は――」

「冷 静 だ か ら ! うち今めっちゃ冷静だから!」

「どこがだよ!」


 寄り添う? 相手の意見を尊重する?

 なにそれ、と言わんばかりの剣幕で詰め寄る亜久里。


「これは絶対妥協とか無理! 人生で一回なんだから! アイスとか犬猫と話違うから!」

「それはもちろん分かってるけど……いや俺はてっきり亜久里の方こそ神前式を望んでるものだとばかり……」

「はあ!? なんで!? 教会でウエディングドレスは全世界十億人の女子高生の夢なんですけど!? てかなんでたすくこそ神前式なんかやりたいわけ?」

「いや、だって……」


 丞はむしろ亜久里のこの反応の方こそ意外だと言うような表情で、


「――君、神社の娘だろ?」

 それがこの口論……レスバを最もややこしくさせている点だった。


 そう、この今風ギャルを突き進む花盛りの女子高生、乾亜久里は――実は由緒正しき『大篠鳥(おおしのとり)神社』の一人娘なのだ。

 年末年始は巫女服を着て境内で手伝いをしている、歴とした巫女だ。

 お守りなども亜久里が作って販売している。

 ちなみに今日の昼に音姫美弥子に見せたあのお守りも、亜久里のお手製だ。ただしプライベート用なので非売品だが。


 亜久里がSNSで数万人ものフォロワーを抱えるほどの人気を博したのも、もちろん彼女自身の努力と能力による部分も大きいが、一時期『現役女子高生ギャル巫女YouTuber』というトンチンカンな肩書がプチバズりを起こしたからだ。

 それを承知の丞は、当然亜久里は神社での神前式……なんなら実家の神社を使っての式を望んでいるものとばかり思っていた。


「うちの実家とか関係なくない? 結婚はうちらの問題じゃん」

「いやそれは違う。結婚は両家族全員の問題だ」

「いやでも一番大事なのはうちらじゃん! うちらの気持ちじゃん!」


 亜久里の展開する感情論の厄介な点は、割と一理あると思わせるところだ。


「てかうちはともかくとしてさ、丞はなんで神前式がいいわけ? なんでそこ拘りあんの?」

「俺は……正直言うとそこまで拘りはないな。どっちでもいいと言えばいいけど……」

「はあ!? じゃあ終わりじゃん! エンド! 教会式で決定でしょ」

「でも俺、君のご両親に『よろしく』みたいなこと言われたぞ」


「……」

 ガーン、と口をあんぐりと開いて絶句する亜久里。


「ありえな。なにあの二人許せんのだが。もう境内の掃除絶対サボるし」

 それは知らん、と腕を組む。


 実際、丞と亜久里は互いの親とも既に面識があるし、交際していることも報告済みの仲だ。

 特に丞は亜久里の両親とは初対面の際にちょっとした騒動もあり、それ以来かなり気にかけてもらっている。

 生真面目な神社の家の夫婦から突然変異的に誕生したギャル娘が、見るからに真面目そうな将来警察官を目指している優等生を捕まえたと大層喜んでいた。


 以前夕飯をご馳走になった際に、「式を挙げるなら是非うちでお願いね?」と言われたことがある。冗談半分っぽく取り繕っていたが、目は笑っていなかった。

 少なくとも亜久里の両親は神前式での結婚式を望んでいるのは間違いなく、可能であれば大篠鳥神社で、と考えているようだ。


「やっぱ親は関係ない! うちらの問題! うちらの意見が一番大事!」

「ちなみに、お二人はなんて?」

「……これから説得するし」


 そう言う亜久里の口調から、丞は乾家におけるこの件の状況を即座に看破する。

「つまり、お二人は教会式に賛成はしてないんだな?」


 もし賛成しているならここで言うはず。亜久里は強い手札を初手で切ってくるタイプだ。

 どの程度の本腰の入れ具合かは定かではないが、乾家でこの話題は既に出たのだろう。

 その時に亜久里は賛同されなかった。もし話自体していないなら「まだだけど二人は絶対認めてくれるに決まってる」という返答をしただろう。

 亜久里はよくそういう論調を用いる。


「なら一度ちゃんと話し合ってからの方がいいんじゃないか?」

「じゃあ丞も一緒に説得してよ! 丞も教会式の方がいいってさっき言ってたじゃん!」

「言ってないよいきなり捏造するな。拘りはないって言っただけだ。どちらかと言えば俺は神前式の方が和風な感じで好きだ」

「なんで!? 神前式ってめっちゃ地味だよ?」


「神社の娘がとんでもないこと言ってるな。ああいうのは地味とかじゃなくて、神聖というか清廉というか、とにかく格式高いものだろ。というか君は今まで神前式の結婚式を何組も見届けてきたんじゃないのか?」

「当たり前じゃん。何回式の手伝いさせられたと思ってんの?」

「ならそういうのを見てきて、むしろ憧れたりしないものなのか?」

「見飽きた!」

「嘘だろ……」


「あとさあ、なんか式の裏側っていうか、舞台裏みたいなのも結構知っちゃってるから自分がやるとなんか楽しめなさそうじゃない?」

「そういうものか?」

「絶対そうだって。遊園地とかもさ、アルバイトで裏方仕事やっちゃってたら、いざ自分が客として来たら絶対楽しめないよ多分」

「絶対なのか多分なのかどっちだよ。むしろ俺はそういうの楽しめそうだけどな。ああこの仕掛けってこうなってるんだよな、とか。今裏でこういう作業してる人がいるからここがこう動いてるんだよな、とか」


「いやそれがマジ萎えるんだって! 夢壊れるんだって! 純粋に楽しめてないじゃん。絶対そういう人多いと思うよ」

「だから『絶対』なのか『思う』なのかどっちだよ」

「じゃあ皆に聞いてみるわ。それでいいでしょ?」


 そう言うと亜久里はスマホを操作し始める。

 その操作が終わったらしいタイミングで丞のスマホにも通知が来る。

 見ると、亜久里がTwitterでアンケートを取っていた。


>【急募!】皆はテーマパークの舞台裏をアルバイトとかで知ってると、純粋に楽しめなくなったりしない?皆の意見聞かせて!できれば急ぎで!

ちなみにうちは楽しめなくなる派です。

●あんまり楽しめなくなりそう。

●知ってる方が絶対楽しい。


「――おいこれなんか誘導入ってないか!?」

 丞が亜久里に詰め寄る。


「最後の『ちなみにうちは楽しめなくなる派です』ってなんだよこれいらないだろ!」

「なにが? 事実じゃん」

「君のフォロワーにアンケート取るのにこんな一文が入ってたらそっちに誘導されるだろ!」

「別にそんなの分かんないじゃん。うちのフォロワーは公平だから誘導とかされないし。うちはうちのフォロワー信じてるし」


「そういう問題じゃないだろ。あとアンケートの内容も! YESの方は『あんまり』とか、楽しめなく『なりそう』とかマイルドな表現で間口を広げてるくせに、NOの方は『絶対楽しい』ってメチャクチャ条件厳しくしてるじゃないか! 明らかに誘導だろこれ!」

「誘導とかしてないし勝手に決めつけるのやめてくれる? 丞が大好きなデータを取ってあげてんじゃん。これで結果出たら文句言わせないから」


「こんな恣意的なデータ使えるか! ――あ、ほら見ろ。早速出たぞ。『僕もアグアグと一緒にテーマパーク行きたいよー。アンケはアグアグと同じ方に入れておいたよ♡』――おいこいつメチャクチャ馬鹿だぞ。絶対アンケートの内容読んでないだろ」

「あ、丞も今『絶対』って使った! それ丞の感想ですよね? そういうデータあるんですか?」

「データはないけどこの『絶対』はかなり自信あるやつだ」


 やいのやいのと騒ぎながら睨み合う二人。

 先程までの和気あいあいとした雰囲気は日没と共に姿を消し、今は暗闇の中で激しく火花を散らす二人の姿しかなかった。



「やっぱり俺は一般常識的に考えて、神社の娘が親の反対を振り切って教会式で式を挙げるっていうのはどうしても違和感が残る」

「なんで丞っていっつもそうなの? 一般常識とかルールとか規則とかさ、丞自身の気持ちはないわけ?」

「……っ」


 亜久里は無自覚だろうが、その言葉は丞のかなり痛いところを突いていた。

 それを取り繕うように、丞も語気を荒げる。


「逆に君は自分の意見だけで話し過ぎだ。絶対『なんで実家の神社で式をしなかったの?』って訊かれるぞ。なんて答えるんだ」

「『教会式の方でやりたかったから』でいいじゃん。それで答えになってるじゃん。なに? 神社に生まれた子供は神社でしか結婚式しちゃいけない法律でもあんの? 丞が大好きな規則にはそう書いてあんの?」


「……君はさっき、花びらが舞ってる中を歩いて、両脇からおめでとうと祝福されたいと言っていたな?」

「それがなに? 女の子なら誰でも憧れるじゃん」

「その中にご両親が入ってなくてもか?」


 ピクッ、と亜久里の体が震える。

 唇がきゅっと結ばれ、輪郭が少し歪む。


「それは……祝福してくれるに決まってるじゃん。うちのパパとママなんだもん」

「でもまだ賛成はしてもらえてないんだろ?」

「……」


 そこは亜久里の感情論では覆しがたい部分だったのか、ここで初めて亜久里のマシンガントークが止まる。

 亜久里が小さく呻き声を漏らしている間に、丞が続ける。


「いいか、俺は別に教会式を否定してるわけじゃない。君が強く望むなら、もちろんそれを叶えてあげたいって思ってる。でも……せめてご両親はちゃんと説得しよう。それでこそ、二人も心から俺達を祝福してくれるはずだ」

「……じゃあ二人を説得出来たら教会でオケなわけ?」

「そうだな。そうなれば俺も憂いなく君の意見を尊重できる」

「……丞も手伝ってくれる?」

「ああ、もちろん。だからこの話は一旦ここまでにしないか? まだ時間はたくさんあるんだからさ」

「……分かった」


 その言葉を境に、レスバの熱は急速に冷却されていった。

 味噌汁ご飯のように互いの好みを押し付け合うだけのレスバは平行線のままドローになることが多いが、こういう妥協点を模索していくようなレスバは最後に平和的な決着を見ることもしばしば。

 一段落ついた気配に二人とも疲れたような、それでいて安堵したような息を吐いた。

 その時、二人のスマホに同時に通知が来た。


「あ、アンケートの結果出たみたい。――――え?」

 丞も確認すると、結果は次のようになっていた。


●あんまり楽しめなくなりそう。 37%

●知ってる方が絶対楽しい。 63%


「――はあああああああ!? なんでえええええ!?」

 亜久里が絶叫すると、近くでにゃー! と猫が逃げていく声が聞こえてきた。


「ウソウソウソ! 絶対逆張りしてる! 絶対うちの逆張り!」

「全然自分のフォロワー信じてないじゃないか」

「なんなのこれマジで萎えるんだけど! ありえな! マジありえな!」


「コメントも来てるな。…………なるほど。『知り合いの話ですが、テーマパークでアルバイトする人はもともとそのテーマパークが好きなことが多いから嫌いになりにくいそうです』。あとは、『楽しみ方の種類が変わるだけ』、とか」

「うぐっ……!」


 内心で確かにと思ってしまい言葉に詰まる亜久里。

 中にはもちろん、亜久里と全く同じ理由で賛同する声もいくつもあったが、少なくとも今回亜久里が行ったアンケートはこのような結果となった。


「ほらな? 自分の意見だけじゃなくて、いろんな意見を集めたデータを見るのも大切だろ?」

「……っ! ……っ!」


 ビキビキッ、と亜久里の額に青筋が走る。

 さっきは『こんな恣意的なデータ使えるか!』と言っていた丞も、いざ自分に有利な結果が出ればくるりと掌を返した。


「データはこう言ってるわけだし、案外神前式もやってみれば気に入るんじゃないか?」

 ブチン、と亜久里の何かが切れる音がした。


「――ンガアアアアアア! うっざああああああい!」


 ダンダンダン! と右足で公園の地面を何度も踏みつける。

 怒りと悔しさで顔を真っ赤にしながら、亜久里は半泣きで丞を睨みつけた。


「もう知らない! 帰る!」

「お、おい亜久里!」


 引き留める丞にも耳を貸さず、亜久里は早足に公園を出て行った。


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