2話 正反対のバカップル

 昴ヶ咲高校の生徒が放課後に遊ぶ場所と言えば、最寄り駅付近にある『コミガヤデパート』だ。

 その駅から三駅ほど行けばショッピングモールがあり、休日に遊ぶならそちらが人気だが、今日は単なる放課後デートなのでコミガヤデパートで十分だろう。


「ねえねえ、どこ行くどこ行く?」

 楽しそうにたすくの右腕に抱き着く亜久里。

 彼女の大きな胸がもにゅんと当たって、赤面して視線を逸らす。


「どこか行きたいところはあるか? デパートだし大した選択肢はないけど」

「少し行くとカラオケあるからそこにしない? ゲーセンもあったかも」

「ダメだ。制服を着てそういう施設に出入りするのは高校生として好ましくない」

「えー、校則違反?」


「いや、校則では禁止されてないけど、一般常識的に」

「出た。丞の大好きなジョーシキ。気にし過ぎじゃない? 皆やってるって」

「皆やってようがダメなものはダメだ。カラオケは今度休日に行こう。何か買いたい物とかないか?」


「うーん、服とか? うち、できれば服はデパートより普通にお店で買いたい派なんだけど……丞はなんかないの? あるならそっち買おうよ」

「俺か。……そういえば文房具がいくつか切れそうだった気がするな」

「オッケー、服にしよっか。デートのときまで勉強のこと考えるとかマジ絶望だから」


 そうして訪れたデパート内部の洋服店は、たちまち亜久里のファッションショー会場となった。

 次から次へと試着を繰り返してはポーズを取って丞に感想を求めた。

 丞はファッションにはからきし疎いが、亜久里が選ぶ服は確かにどれも似合っているように見えた。

 どんな服でも完璧に着こなせるのは、やはり亜久里のルックスが可愛いからだな、……などと内心で惚気けながら、丞は素直に亜久里を褒め続けた。


 そんな丞の態度にすっかり気をよくした亜久里は、今度は丞の服も見立てると騒ぎ出した。

 俺はいいと遠慮する丞を無視して強引に試着室に放り込むと、続けて洋服をポイポイと手渡してきた。

 渋々試着して見せる度に、亜久里の黄色い歓声が洋服店に木霊した。


「キャー! めっちゃ似合うんですけどマジエモ過ぎ! やっぱ丞は黒しか勝たん!」

「……なんか、派手じゃないかこれ?」

「派手でいいじゃん! てか普段が地味過ぎ。丞は服とか興味ないの?」

「興味……っていう程はないな。組み合わせでいうと……これと、これと……こんなのとか?」


 無地のチノパンに、無地のインナーに、無地のジャケットを手に取る。

 ペシンとジト目の亜久里に背中を叩かれる。


「サラリーマンかよ。高校生でそんなん着てたら三倍の速度で老けるよ」

「どんな魔法の服だよ。逆に君のチョイスはギラギラし過ぎだ」


 黒の生地にギラついた金の刺繍が入っているズボンや、細長いピンクの明朝体で『SAKURA』と書かれた謎のシャツは、控えめに言っても丞の趣味ではない。

 こんなところでも二人の趣味趣向は正反対か、と苦笑する丞。


「ねえこれも着てみてよ!」

「いいけど……また黒か」

「いいじゃん黒。うち黒い服着てる男子好きなんだよねー。丞は好きな色とかあんの?」

「服の色なら……そうだな、やっぱり青かな」

? ――――ああ、警官の制服ってこと?」


 子供の頃から父の背中を見て育ってきた丞にとっては、警察官の制服はずっと憧れていた服装と言っても過言ではない。

 それが原因かは定かではないが、逆に亜久里が好きだという黒い服への印象はあまり良くはない。

 悪者を連想するからだろうか。これはさすがに偏見が過ぎるので公言はしないが。


「青なら――これとかどう?」

 亜久里が手渡したのは、シンプルな――亜久里が選んだ中では――青のジャケットだった。

 着てみると、先程まで試着していた服との相性も良く、丞も割と気に入るコーディネートに仕上がった。やはりこれくらいシンプルで無難な方が丞は好きだ。

 亜久里に見せると、ほーう、と顎に手を当てて頷いた。


「……青も良きだなあ」

「黒しか勝たんとか言ってなかったか?」

「てか、それよかさあ――――てりゃ!」

「――おふっ! な、なにすんだ!」


 急に丞の体をツンツンと人差し指でつつく亜久里。

 腹筋から胸部、脇腹と前面をつつき、たまに指の腹で撫でたりする。

 長く整えられた爪が腹筋をカリカリと滑るたびに変な声が出そうになる。


「お、おい亜久里! こんな場所でなんのつもりだ!?」

「――丞ってさ、結構鍛えてるよね。身体ガッチリしてるくない?」

「き、鍛えてるけど……いやつつくなって!」


 警察官を目指す丞にとって、身体を鍛えるのは自然なことだ。中学生の頃から習慣的に続けている。

 一見すると細身に見える丞も、同年代の男子生徒と比べると全身の筋肉が隆起しているのが分かる。


「友達からさあ、結構言われるんだよね。袖上君って見た目によらず何気にスタイルいいよねって」

「……女子でもそういう話するんだな。……つつくな」

「全然するし。でさあ、うちそういうの、かな~り優越感ビンビンなんだよね。この気持ちわかる?」

「分からないでもないけど……」

「え、なに。うちが褒められたりしても丞は嬉しくないの?」


 不機嫌そうに唇を尖らせる亜久里に、「そういうわけじゃないけど……」と言いながら、丞の視線は亜久里の肢体に向けられる。

 恋人の色眼鏡を外して見ても、亜久里は女子高生離れしたかなり豊満な肉体をしている。

 全体的に細身なのに出るところは出ていて、堅物の丞すらよくドキリとする程だ。


 同じ学校の男子生徒達もそれは同じで、彼らにとっても亜久里は魅力的な容姿に映るらしい。

 そんな彼らが亜久里の容姿を褒めるときというのは、「エロい」とか「デカい」とか、酷い時だともっと下世話な話題で盛り上がっている者もいる。

 さすがに丞の前ではしないが、それでも噂が丞にも聞こえてくる程なのだ。


 そんな時に丞の胸に浮かぶのは、亜久里の言う優越感とは程遠い、焦燥感だ。

 要するに亜久里はモテる。魅力的な容姿に、多くの友人に好かれる人柄を持っている。

 だから怖くなる。亜久里の魅力を知っている人が多くいるという事実そのものが。


 ――というような話を、できるだけ要点をはしょって、男としてあまり女々しく見られないような言い回しで伝えたところ、亜久里にはバッチリと伝わってしまったようだった。


「――うぅぇえへへへえ~」

 凄まじくねっちょりとした笑い声。

 顔の筋肉が残らずふにゃふにゃになってしまったかのような顔でニタァ……と笑う亜久里。


「妬いてんじゃん。お餅焼いちゃってんじゃん」

「……別に、妬いてる、というか……」

「いや妬いてんじゃん。うちが他の男子にエロい目で見られてあわあわしちゃってんじゃん。――ちょ、マジかわいくない!? 尊みエグいんですけど!? ちょっと店員さーん、うちの彼ピがうちのこと好き過ぎなんですけ――もががっ!」

「バカなことで店員に迷惑かけるなバカ!」




 結局亜久里は散々試着を楽しんだあと、数点を購入して上機嫌のまま店を後にした。


「アイス食べない?」

「食べない。下校時の買い食いは学生として好ましくない」

「服を買うのはいいわけ? なんか丞の基準って結構曖昧じゃない?」

「俺が服を買ったわけじゃないからな。買い食いも、他人がしているのを注意したりはしない」


 校則違反ではないからだ。

 これは丞があくまで心がけとして行っているに過ぎない。


「だから亜久里が自分の分を買うのは止めないよ」

「なにそれ。ほんと丞って堅物っていうか不器用っていうか……じゃあ買ってくるね」


 亜久里がアイス屋に歩いていくのを、丞は近くのベンチに腰掛けながら見送った。

 すると丞のスマホに通知。見ると、SNSアプリからだった。


>『愛♡アグリーさんが写真をアップしました』


 『愛♡アグリー』というのは、亜久里が運営しているMeTubeチャンネルと、Twitterで使用している名義だ。

 丞はSNSを利用する際も発信はほぼせず、情報収集用のツールとしか考えていなかった。もし亜久里が発信者として活動していなければ日に一度もアプリを開かないかもしれない。

 今となってはアプリからの通知は、ほぼ亜久里が何かを発信した際に確認する用と化していた。見ると、つい先程の試着室の写真がアップされていた。


>彼ピと放課後デート! 服めっちゃ褒められて爆アゲ中! 今日のコーデは彼ピイチオシのコレでケッテー!


 絵文字や顔文字もふんだんに盛り込まれた投稿。

 さっき買った服を試着室で着て自撮りしていたようだ。

 そういえば店員と何かを話していた気がするが、あれは撮影許可だったのだろうか。あとで一応確認しておこうと丞は心に留めておく。

 投稿からまだ数分しか経っていないのに、早速フォロワーからのメッセージが寄せられている。


『今日もカワイイ!』『彼氏さんのセンス◎』『アグリー! アグリー!』『放課後デート羨ましい! 私も早く彼氏を作ってアグリーさんみたいな青春送りたいです!』


 画面を更新する度に新着コメントが増えていく。

「相変わらず凄い人気だな……おお、また増えてる」


 フォロワー数の数字を見ると、二万八千人を超えていた。

 確かMeTubeチャンネルもそれくらいだと言っていたような気がする。

 ネット配信活動を続けて約一年程度でここまで駆け上がったのは素直に感心する。

 丞はこの手の文化には正直疎い方だが、それでも陰ながら亜久里の活動を応援するファンの一人だった。


「あ、それさっきの奴じゃん。もう見てくれたの?」

 アイス屋から戻ってきた亜久里が、丞のスマホを覗き込んで言った。


「ああ。今通知が着て――え、二つ?」

 両手に一つずつアイスカップを持って戻ってきた亜久里を見て戸惑う丞。


「そんなに食べるのか?」

「いやあ~、それがさあ~、注文ミスっちゃってさあ~」

 白々しく語尾を伸ばして笑う亜久里。


「一個多く頼んじゃった。食べきれないから、丞食べてよ」

「……亜久里」

 差し出された抹茶アイスを見ながらしばし沈黙する。


 抹茶系の菓子は丞の好物だ。

 逆に亜久里は抹茶が苦手だと言っていたから、こんな注文ミスはありえない。まず間違いなく意図的に丞の分も買ってきたのだろう。

 その気遣いは、純粋に嬉しい。亜久里の優しさを感じ、彼女を思う気持ちが強くなっていくのを実感できた。

 ……だがこのアイスを受け取るべきか、丞は逡巡した。


「自分で買い食いするのは駄目でも、これならオッケーっしょ?」

「……そう、かな」

「注文ミスしちゃった彼女を助けるためじゃん? むしろ人助け的な?」

「……そう、だな」


 もともと放課後の買い食いは、別に校則違反ではないのだ。一般常識的に、風紀委員がそういうことをするのはあまりよろしくないだろう、と丞が勝手に心掛けているだけ。

 ここで断るのはむしろ亜久里に失礼かもしれない。一人で食べきれないアイスを代わりに食べてあげることまで自制するなんて、なんだかバカバカしい話じゃないだろうか?

 そうして亜久里の持つカップを手に取ろうとして、


 ――丞。お前は正しく生きなさい。

 ――人の言葉に踊らされ、信念を折ってはいけない。


 手が止まる。思い起こされるのは父の言葉。父と交わした約束。

 ちょっとくらい構わない。バレやしない。むしろ誰かのためになるとも言える。

 ――だから君は少しだけ目を瞑ってくれればいいんだ、袖上君。

 ……そんな上司の言葉に従った自分を後悔し続けた、父の言葉。


「……亜久里、やっ――」

「――やっぱやーめた」


 そう言って亜久里は差し出していた抹茶アイスを引っ込めた。

 突然のことに面食らう丞。亜久里はなんだかイタズラを叱られた子供のような顔を浮かべ、


「丞が困るならいいや。二個ともうちが食べる。でも、うちが太っても嫌いになるとかナシだからね?」


 そう言って笑う亜久里。

 たった数秒の僅かな時間……それだけで、亜久里は丞の心中を素早く察してくれたのだ。

 その心遣いに暖かいものを感じ、丞も優しい笑みを返した。


「――ありがとう、亜久里。大丈夫、その大きさのカップアイスなら三○○キロカロリーもないと思うよ。体重が一キロ増加するためには約七千キロカロリー必要と言われてるから、」

「いやそこは『太っても可愛いよ』くらい言えし!」




 デパートを出て帰る道すがらも、二人は和やかな空気に包まれていた。

 陽が落ちてやや暗くなってきたが、まだ帰りたくないという亜久里に従い、近くの公園のベンチに座って談笑していた。


「亜久里、今週末とかまた遊ばないか? 今日しっかり回れなかった分」

「行く行く! 絶対行くでしょそりゃ。映画とか見たくない?」

「映画か。いいけど、今なにやってたっけ?」

「分かんない。てか丞はどんなの好きなの? うちはやっぱ恋愛ものとかアニメとかかな」

「どっちも観ないな……俺はミステリやサスペンスものだな」

「うわそれうちが無理な奴じゃん。頭使うやつ観ると寝ちゃうんだよねー」


「「……」」

 しばしの沈黙。ベンチで隣に座る恋人をじっと見つめる両者。


「……ねえ、あれ見て。猫」

 公園の砂場にいる野良猫を指差して、どこか試すような目つきで笑う亜久里。


「犬と猫どっちが好き?」

「そうだな……君は?」

「うちはねえ――あ、じゃあせーので言おうよ。……せーの! ――猫!」

「犬」


 にゃー、と猫が砂場から二人を見て鳴いた。

 じとーっと目を合わせる二人。いつかの……あるいはいつもの昼休みの再来を思わせる気配に公園の空気が張り詰め……


「――――ぷっ。あはははは!」


 心底楽しそうに亜久里が笑った。それにつられて丞も笑う。


「うちらってほんと」

「ああ、いつだって正反対だな」

「またレスバになると思った?」

「さあ。それは君次第だな」

「はあ!? 丞次第でしょ!?」


 そしてまた笑う二人。

 そう、なにもかも正反対な二人には、それでも彼らを結ぶ共通点がある。

 ――それは、互いを好き合っているということ。

 服も。アイスも。映画も。動物も。何もかも好みが違っても、互いに寄り添うことはできる。


「服とかアイスとか、自分用だから好みとか関係ないしね」

「味噌汁とご飯だって、別に各々で好きに食べればいいよな」

「映画は家で一緒に見ればなんだって楽しいよね」


 言いながら、亜久里は丞の肩にコツンと頭を寄せる。

 直接感じる亜久里の体温と、ほのかに感じる香水の香り。

 人気のない静かな公園で、沈みゆく夕日を見ながらそっと寄り添う二人。


「ねえ、もし結婚したらさ、子供は何人くらい欲しい?」

「おいおい、気が早くないか?」

「いいじゃん別に。ちなみにうちはね、二人くらい? 最初は女の子で、次が男の子! これは絶対譲れないから!」

「譲れないって言われても、それは神頼みするしかないな。俺は……そうだな、四人くらいいた方がいいんじゃないか? 今の日本って少子化だし」


「ちょ、こんなときまでそんな基準で考えるとかマジ? じゃあ間を取って三人でどう?」

「いいんじゃないか? ならマイホームも買って、犬と猫どっちも飼おう」

「なにそれ最高じゃん! マジ上がる! あ、新婚旅行は絶対ハワイ! これ絶対マストなんで!」

「はは、その前に神社で結婚式を挙げないとな」


 そう、正反対でも寄り添うことができる。そんな二人を繋ぐ共通点。

 それは互いに好き合っていること。

 そして――。



「――――は? 結婚式は教会式に決まってるっしょ?」



 ――どちらも、自分の意見を曲げ難いということ。

 放課後デートの最後に、やはりレスバの火蓋は切って落とされた。


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