第9話


 未だに頭の整理が追い付かない。

 朝奈が余命宣告? 私たち別れよう? 何も分からない。何も理解したくない。


 これまでも、これからもずっと一緒だと思っていた。

 余命宣告なんてドラマの中だけの出来事で、オレたち何かには関係のない話のはずだった。


 朝奈の顔を見る。

 いつもの笑顔はどこに隠れたのか、酷く悲しい、辛そうな表情だった。

 ベットの布団を強く強く握りしめ、必死に涙を堪えていた。

 それでも視線を俺から反らさず、真っ直ぐに、こちらだけを捉えていた。


「何で......何でわたしなの......」


「朝奈......」


「なんで私が死ななきゃ行けないの? これからだったのに! ゆうくんと一緒に大学に行って、ゆうくんと一緒に遊んで、ゆうくんと色んな所に行きたかったのになんで!? 」


 彼女が拳をベットに叩きつける。

 感情のダムが決壊した。

 彼女の言葉が、涙が止めどなく溢れだしてくる。


「なんでわたしなの! わたし悪いことした? なんでわたしだけが不幸にならないといけないの! なんで! なんで!」


「朝奈......俺は......」


 心が痛い。

 頭の整理も出来ていない。

 何と声を掛ければ良いか分からない。

 それでも何か言わなくては。

 何か言葉を口に出せ。

 そうしなければ、彼女が遠くに行ってしまう。

 だから俺は......


「それでもオレは朝奈と一緒に──」


「嫌だ!!」


 彼女の顔はぐしゃぐしゃだった。

 その目は悲しみと怒りと戸惑いを宿していた。

 彼女の求める言葉を引き出せない。

 彼女の気持ちを分かってはやれない。

 俺は自分が酷く小さな存在に感じた。


「辛い、辛いんだよ......ゆうくんを見ると。楽しかった日の事を思い出して、自分にはもうそんな日が来ないって感じちゃって、ゆうくんを嫌いになりそうになって──」


 細い細い糸のような、触れてしまえば切れてしまうような声だった。


「辛いんだよ......」


 熱い液体が頬を伝う感覚が分かった。

 視界がどんどん朧気になる。

 俺はどうすれば良いんだ。

 彼女と一緒にいちゃダメなのか?

 現に彼女を苦しめてしまっている。

 どうすればいい?

 どうすれば......


「出てって......」


 震えていた。


「もう姿を見せないで......出てって!」


 否定だった。

 彼女からの完璧な拒絶。

 俺はどうしたら良いか分からなくて、何をすれば良いのか分からなくて逃げ出した。

 きっと今彼女から離れてはいけない。

 そんな事も分からなくて、ただただ彼女と距離を取る事しか出来なかったんだ。


 ****


「出てって......」


 彼を傷つける言葉だったのだろう。

 彼はわたしの事を想っているはずなのに。


「もう姿を見せないで......出てって!」


 彼が病室から出ていってしまった。

 悲しそうに、自分を責めるような表情をして。


「あっ......」


 自然と私の手が伸びた。まるで彼の姿を追うように。


「行かないで......」


 立ち上がって、ふらふらとした足を引きずって。


「行っちゃやだ。わたしを置いて行かないで......」


 噛み殺したような声だった。

 自分から彼を遠ざけたのに、心の奥底ではどうしようもないくらいに彼を求めていた。

 求めてはいけない。

 そんな事分かっているはずなのに。


「ゆうくん......」


 病室のドアノブに手をかける。

 ひんやりとした冷たさがわたしの熱を奪った。


「っ......!」


 力が抜け床に崩れ落ちる。

 そこから動きはしなかった。

 行ってはいけないと分かっていたから。

 これで最後にしないといけなかったから。


 彼の温もりを求めるように、彼の座っていた椅子を見た。

 その近くにはお土産のチーズケーキが置かれている。


 彼との初めてのデートの思い出がそこにあった。

 不器用だけど、真っ直ぐで、優しくて、大好きな人。


「さようなら......ゆうくん」


 きっとこれで良かった。

 これが正解だった。

 彼にはこれからの人生がある。

 そんな彼の人生を死に逝く私が縛ってはいけない。

 そんな資格はない。

 そう分かっているはずなのに......


「痛いよ......」


 心はどうしようもなく痛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る