プロローグⅢ:影山敬和

 西暦2022年11月8日火曜日


 20時30分


 夕食を食べ終え、課題のレポートも書き終えたところで、はたと気付く。


 そういえば今日は皆既月食がある日だった。


 せっかくなのでと外に出てみる。


 見事に紅い月がそこにあった。


 皆既月食はかなり珍しい現象らしいが、その割には結構この眼で見てきたような気がする。いや、3回を多いと考えるかは人それぞれなのだが。それでも個人的には3回は多い方だと思う。


 スマホで写真を何枚か撮る。やはり小さいしぼやけている。もう何年も昔に買ったものなので天体観測には向いていないのだろう。


 とはいえ、自分のスマホが天体撮影に不向きなことはよく知っていたので、そこまで気落ちすることはなかった。そもそもどうしても撮りたかったわけでもない。もしこれがUFOや宇宙人だったら別だったが。


 何となしにネットサーフィンをしていると、実は月食と同時に天王星食が起こっているらしい。


 なんでも月と付近の惑星が同時に食を起こすのは442年振りのことだそうだ。1580年に土星食……確か戦国時代だったはずだ。



 さらにいうなら、月による天王星食は4、5000年前の記録を見ても一度も起きたことがないのだとか。


 今手元に一眼レフカメラがあれば現在進行形で発生しているレアイベントを写真に収めることができたのだろうか。


 まぁこれまでの傾向からするに確実に明日の朝刊でその瞬間を捉えた写真が掲載されるはずなのでそれを見ればいいだろう。少し楽しみだ。


 じゃあそろそろ中に入るか。



 ズキリ


 ん?何か胸に痛みが……



 ズキリ ズキリ ズキリ


 ドクン ドクン ドクン


「ゴハアッ⁉︎」


 何だ?心臓……いや、一気に全身に痛みが……


 体が今にも爆発しそうだ。



 ギリギリギリ


「ぐっぅ……」


 頭が今にも割れそうになる。まるで体内で風船が膨らんでいるかのようだ。


「ゴホッ、ゴホッ」


 息が苦しくなり、思わず咳き込む。


 咄嗟に左手で口元を覆うと、ぬるりと嫌な感触がした。


「……えっ?」


 真っ暗でよく見えないとはいえ、嫌でも理解できる。理解してしまった。


 血を吐いたことへの衝撃で思考が一瞬停止したが即座に全身の痛みで引き戻される。


 死ぬのか?


 俺はこのまま彼女なしの童貞のまま死ぬのか?


 ふざけんな!


 必死にスマホで救急車呼ぼうとするがうまく指が動かない。


 意識が徐々に遠のいていく。


 いつの間にか、のたうち回ることもやめて仰向けになっていた。


 月が視界に入る。


 何故だろう。先程よりも妖しく輝いて見えた。


 紅から眼を離せない。


 無意識に月へと手を伸ばし



 彼はそこで意識を手放した。




 気を失った彼には知りようがないことだが、彼が横たわっている地面が突如波打ち始め、黒く染まっていく。そして左足から順に底なし沼に引き込まれるかのように沈み込み、そのままズブズブと音を立てて姿を消していく。


 地面も元の色に戻り、何事もなかったかのように静寂が場を支配する。


 否、静寂だけではない。


 視線を上に向けると、紅の月が見る者を陶酔させるような妖しい魅力を解き放っていた。

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