第32話 老夫婦

 わざわざゲームをやめた理由は飯と入浴だ。ボイルは音声認識の自動調理AIに今日のオススメを聞き、それを頼む。次にログイン時間をセットし、料理の合間に入浴を済ませる。


 今回は手っ取り早くAIに頼ったが、ボイル自身はあまり好きではない。人の手で作ったものは、やはりぬくもりがある。たとえ、味がAIより劣っていても、心までも満たしてくれるのは手作りだ。


「よし。時間に余裕があるな」


 所要時間四〇分。食後の休憩を取りたいところだが、それはゲーム内で。


「どんな人たちか今から楽しみだな」


 ボイルは再びログインする。大抵の人はボイルのように数度のログインとログアウトを繰り返す。フルダイブや自動AIシステムが普及した今でも食事に入浴、排せつなど多岐に渡りロボットでは賄えないものがある。それは人が本能で生きる生物である証でもある。


「おはよう」

「カタカタ」


 ディノスの寝息を聞きながら二人は挨拶を交わす。どうやらアークは骨煎餅を食べていたようだ。


「作ったかいがある」

「カタカタ!!」

「素材はある。今日も作って渡すな」

「カタ!!」


 話し合いの場所はエリナが借りるアトリエ内だ。ボイルは話が済んだ後、自ら借りて生産に励むようだ。


「行ってくるな」

「カタ」


 アークに見送られボイルは部屋を出る。オベールのロビーは相変わらず沢山のテイムモンスターとテイム主、錬金術師が見受けられる。街路には案の定、プレイヤーたちで賑わっていた。ウサギやウルフといった獣系のテイムモンスターも見受けられる。


「もふもふもいいよな。いやでもウルフか……」


 ボイルは次のテイムモンスターを迷っていた。馬もいいが愛嬌があるモンスターも捨てがたいし、水生のモンスターもほしい。テイム枠が一二枠と決まっていなければ、こんなに迷うこともないだろう。だがその制限もスパイスのように楽しさを膨らます。


「まあ、これも楽しみの一つだな」


 デート前日に何を着ていくか迷う。そんな楽しみかただ。ギルドに着いたボイルはアトリエに続く扉に向かう。幸い誰も並んでいなかった。前と同じくエリナを呼び出す。


「はーい! あっ! お待ちしていました。さあ、中にどうぞ」

「お邪魔する」


 先客はおらず二人だけだ。


「ご夫婦はまだですので、ゆっくりしてください」


 ボイルはエリナに言われるまま椅子に座り、お茶をいただく。


「これ美味いな」

「はい住人の店舗でみつけました」

「籠りっきりかと思っていたが、街並みも楽しんでいるな」

「鉄鉱石のお陰でアトリエに入り浸っていましたが、今はゲームの雰囲気を楽しむためにも、散歩はちゃんとしています」


 鉄鉱石のときには声色と目力を強めボイルを見る。


「悪い悪い。そういう意味ではない」

「じゃーどういう意味ですかー」

「はははっ」

「笑って誤魔化されました」


 友達らしいやり取りに、二人は一緒に笑う。


「せっかくだ。夫婦が来る前に取引いいか?」

「いいですよー。売り物はなんですかー?」


 トレード画面の申請と許可を出し合う。


「鉄鉱石が五九七個。石材は一四二個だ」

「……売値は前と同じでいいですか?」

「もちろんだとも」

「あのー、なぜ私ですか? 他の人ならもっと高く買い取ってくれますよ。それこそ、この後お会いするご夫婦も」


 そこには少し警戒の色がある。下心で親切にして、後で見返りを求める男も誠に遺憾ながら結構いる。


「実は金属防具の依頼をしたくてな。それのデザインに気を使ってほしい」

「デザインですか?」

「アークが装備する防具になるのだが、イメージが聖氷の騎士だ。それに合うデザインを頼む」


 エリナは少し考えてから印象を伝える。


「ファンタジー系や中世の鎧とかからインスピレーションを得られますから、できなくはないですが大変ですね」

「無茶ぶりするからな。そのお詫びだ」


 ボイルはどこか照れくさそうだ。


「本当にそれだけですかー? だってこれこそご夫婦に依頼するのが適切ですよ」


 ボイルはエリナのジト目に根負けし素直に言う。


「ハヤトも含めて、せっかく仲良くなれたんだ。これからも仲良くしたいと思うのは普通だろ」


 そこには純粋に、ゲーム仲間に向ける好意だけがあった。女性はそういう感情に敏感だ。


「そう真っすぐに言われると照れちゃいますね」

「エリナが聞きたいって言ったからだろ」

「意地悪です」

「大人っていうものは総じて意地が悪い」

「もういいです! 取引しますよー!」


 合わせて大体五一三万Sの儲けだ。今回は一括での支払いだ。ボイルは視界の中に電卓を表示し、ぱっと計算する。


「計算間違えていませんか? 確認してくださいね」

「大丈夫。確かに頂戴した」

「毎度ありがとうございました!」


 気持ちがいい取引はこれで終わり。二人は雑談をしながら夫婦が来るのを待った。そして部屋に呼び鈴の音が鳴る。


「あ! 来たみたいです。出迎えてきます。はーい! 今開けまーす!」


 最後のほうは扉に向かい声をかけていた。


「こんばんは。中へどうぞ」

「エリナちゃん、こんばんは。今回のお話ありがとうね」

「まだ何も決まっていませんよー」


 女性二人の会話を男性が窘める。


「アネモネ。エリナが言っているように、まだ話すらしていないぞ」

「こういうのは女同士の社交辞令の一つなのよ」

「そうですよー。こんにちはーとかと同じ挨拶ですよ。ストックさんは気にしないでください」

「うんーむ」

「さあ、中に入って商談しましょ!」

「お邪魔するわね」

「失礼する」


 そこでボイルは初めて二人の姿を見た。二人とも初老で、どこともなく品がある。髪も真っ白ではなく、アイボリーやベージュに近い色合いだ。言葉とは裏腹に、女性が男性を見上げる眼差しには慈しみが感じ取れる。エリナの先導で二人はボイルと同席する。


「こちらが、部屋着を欲しがっているボイルさんです。で、こちらのご夫婦の女性がアネモネさんで、男性がストックさんです」

「始めましてアネモネです。エリナちゃんから、今でもオシャレな服作りたいですかと聞かれたときは、当たり前よって返したの。そうしたらそのあとすぐに、欲しがっている人がいるってお話でしょ! おばあちゃん嬉しくて嬉しくて!」


 おばちゃん特有のマシンガントークにボイルは相槌しか打てない。


「儂はストックという。将来家を建てるときは、儂に発注してくれ」

「そのときは頼む」


 ボイルは同職ならではの特有の雰囲気を感じ取り、調子を取り戻す。


「さっそく本題に入りたいがいいか?」

「私のことは気にしないで始めてください」


 エリナに断りを入れ取引に入る。


「俺が持っているアイテムで、衣服に適しているのはバフの革だ。あとはウールに羽毛がある」

「ウールと羽毛は売り物で見たことはあっても、扱ったことはないね。革は一、二回だけね」

「本当に部屋着が欲しいのか。今だとウルフやファンゴ、ホースの革で制作する防具が基本だぞ。部屋着などの服はインナー扱いだからな」

「それはいいことを聞いた。いつまでも農民服というのも、ゲームを楽しむのに味気ないだろ」


 ボイルはストックに不敵に笑う。


「ロールプレイングの一環か」

「その通りだ」


 お互いに今回の商談の背景をある程度知った。ここからはデザイナーとの話し合いになる。

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