第4幕第7話 メリエルの説諭
女皇歴1188年9月20日
トレド要塞 要塞内剣皇執務室
ディーンとライザー、鉄舟、アローラはバスラン要塞に居るトリエルとアリアス、アルマスに居るトゥール、メリエルと三カ所を電話で繋いで会談していた。
迎撃戦での大勝により龍虫の活動は激減し、時間的な
ライザーはこの機会にミロアで発生した事態について確認しておく必要があると感じていた。
オラトリエスのミュイエ・ルジェンテ
近く
念のため女皇メリエルと護衛役のトリエルにも、法皇ナファドには極秘でミロアに向かって
軍事では門外漢の自分は黙っているが、既に内容はディーンに相談している。
「なるほど、剣皇陛下は今後の機動戦を想定して即応機動戦力をトレドに回すべきだとお考えなのですね?」
じっと熟考しているトゥールの言葉にディーンは答える。
「司令官であるトゥールと指揮官のアリアス、そして機動部隊をトレドに回し機動迎撃戦を展開して冬まで持ちこたえる。その間に西ゼダ農村部での収穫作業を終える。逆にバスランにベルグ・ダーイン隊と剣皇騎士団を回して、機体改修とカル・ハーンへの本格機種転換訓練をするということだ」
ディーンの中期的作戦計画に軍師アリアス・レンセンは即応した。
「カロリファル公爵と俺、ジェラールがそちらに
アリアスとジェラールのコンビはもともとネームレスとして龍虫の機動戦について精通している。
更に要塞司令官としてトゥールがトレド要塞に控えて退却指示と増援投入指示を出せば味方の被害は抑えられる。
それに今後は相手が《金色の乙女》になりそうだと予期されていた。
《金色の乙女》とネームレスコマンダーたちの戦線参戦により、龍虫の攻撃パターンが変化する。
「交替でバスランに
剣皇ディーンの言葉に一同は賛成したがトリエルだけはポツンと取り残された格好になった。
「俺は?」
トリエルのとぼけた言い方に一同が苦笑する。
「テリーおじさんはメリエルと共にミロアに行って貰います。迎撃戦で無茶させてしまったマリアン女史にはアルマスで長めの休暇とナファドの監視を。マリアン女史と交代でエリーシャさんをパルムに帰してドライデン
ディーンの説明にトリエルは納得した。
「なるほど、ディーンもトゥールもミロアには不案内だからか」
アリョーネ女皇の外交交渉役としてトリエルは各国に
ミロアには初代外交官であるダイモス・エクセイル侯爵以来、ゼダの
マクファーレン大使とドライデン
「わかった旅支度をしておくことにするよ」
トリエルも了承して大まかな計画は成り立った。
「テリーおじさんも最前線を離れて少し休養してくださいね。さすがにルーマーの
治安の行き届いたミロアでは貴人であろうと入国時に武器は取り上げられる。
つまりエルミタージュとルーマーもまた狙撃銃などを正面から持ち込むことは出来ない。
剣皇騎士団もミロアに真戦騎士は
法皇国内第二の都市トリスタにあり、ケイロニウス・ハーライト大尉やリシャール・ルジェンテの居た剣皇騎士訓練施設は別だが法皇国内にノートスとミローダもほぼないに等しい。
「ドライデン
トリエルはゼダ国内のハルファに居る剣皇騎士は一人しかいねぇじゃねえかと
「それって“狂犬”かい。それにテオは家族との別れを済ませておくってことか」
一同の間にやや重い空気が流れる。
本当なら参加騎士たち全員に家族との別れを済ませておいてやりたい。
テオこと剣皇準騎士セオドリック・ノルンの事はディーンも鉄舟も半ば
せめて両親とは
真戦騎士であるテオの父イブラヒム・ノルン少佐は剣皇騎士団警護隊長として大聖堂の警護担当だ。
女皇歴1188年9月29日
ゼダ レーヌ
メリエル、トリエル、テオの3名はレーヌでワルトマ・ドライデン
ターミナルのあるレーヌ駅からミロア駅へは1日で到達する。
もともと家族も同然というエリーシャ・ハランと女皇メリエルはパルムに居るパトリック・リーナについての近況を話し込んでいた。
横領罪容疑が誤報と判明したことでパトリックはベルシティ銀行本店での業務を再開していたが、名の知られた人物を標的とする悪質な事件が増えつつあるため、用心深く振る舞っているという。
「いよう、“狂犬”。ミロアへの里帰りはどれぐらいぶりになるんだ?」
エリーシャとメリエルの会話を横目にしたトリエルの問いかけに久しぶりに神殿騎士団の隊服に袖を通したマイオドール・ウルベイン中佐は頭を
剣皇騎士団改称後は初のことになる。
「かれこれ5年、6年だかそんくらい経ってますね」
マイオが傭兵騎士団エルミタージュへの潜入任務の報告にファンフリート大佐を訪ねてからも大分経っていた。
「それでアパラシア・ダーインへの機種転換訓練はどうよ?」
(それを聞くかよ。相変わらず性格悪いなトリエル大佐は)
マイオたち黒騎士隊は絶賛苦戦中だった。
答えるかわりにジトっと
アパラシア・ダーインはまだロールアウト前で黒騎士たちを乗せるに至っていない。
かわりに複座型のタイアロット・アルビオレやリンツ・タイアロットで訓練していたが
マイオドールは本気の戦いに際しては白鉢巻きを愛用していたが、今は白鉢巻きでなく包帯を頭に巻いていた。
「飛行型への機種転換にゃ苦戦してるみてぇだな」
(見りゃわかるだろっ。ロイドの
陸戦兵器から航空型への乗り換えは容易ではなく、遊撃騎士団の連中だって一日の長がある程度だった。
その実、いまだ基礎中の基礎であるバランス訓練していてマイオの包帯も訓練時に落下負傷したことによる。
曲芸師じゃあるまいし、いきなり綱渡り訓練や脱出装置による緊急降下訓練などさせられマイオも部下たちもあちこち負傷していた。
黒騎士隊の顔でもあるアリオン・フェレメイフだけは要領よくこなしていたが、訓練内容には不満たらたらで、ベルゲン・ロイドやメディーナ・ルフトーには面と向かって言えない分だけ、副隊長のマイオに毒舌を炸裂させている。
マイオはこっちのアリオンの癖の強さには
「それよりフリオのヤツは元気にやってますかな?」
トリエルは先の迎撃戦でもポルト・ムンザハイで空戦して大暴れしたのだと話して聞かせた。
フリオニールの新型機の呼称は紫苑のつけたポルト・ムンザハイ♂型では呼びづらいのでライザーが「ペガサス」の愛称を与えた。
フリオの近況にマイオは
「アイツならアルビオレでも平気で乗り
皮肉めいた言い回しの中に、ホッとしている様子を
傭兵騎士団内から《ナイトイーター》にされていたフリオを助けてやって欲しいと
(ミロアでの任務が終わってハルファに戻ったらアリオンにも教えてやるとすっか。そんな話を聞いたなら、ぶーたれているアイツも目の色を変えるだろう)
その一方で、ディーンの切り札確保にはまだ相当時間が掛かるとトリエル大佐はため息をついていた。
レーヌからの支線に揺られる車中でメリエル、トリエルとワルトマ・ドライデン枢機卿とはせわしなく話をしていた。
「メルヒン、ナカリアの国家要人暗殺は
ドライデン
トリエルはゼダならそうした情報戦を仕掛けることが良くあると話していた。
しかし、メリエルはライザーからルーマー教団の「国殺し」についても聞かされているので、楽観視するのも危険かも知れないと慎重になっていた。
「そうであって欲しいと考えますわ。今回のミロア訪問に関しては
この半年におけるナファドの動静はパルムでやきもきしていたドライデンが
計画通りに運ばなければ戦争遂行計画が
「サマリア・エンリケ先代法皇と直接話をさせて頂くことさえ出来れば実態把握は出来ますし、気象兵器使用許可の
トリエルは例の件について忘れないようドライデンに伝えた。
「ライザー文字は枢機卿閣下もご存じですよね?」
「もちろんです。念のため日報を裏返しましたが、それらしきものはなかった。私宛のメッセージでなかったというだけのことですし、今後はアルマス支局発の報道は注視するよう心掛けます」
ドライデンの側でも把握していたことにトリエルは
「それですか。実は飲料水はパルム大聖堂では地下深くから井戸を引いておりまして周辺地域へは其処から供給しているのです.。ベリアにあるアベラポルト地下大聖堂と同様にパルム大聖堂も汚染対策は備えているということです。食料品と大気汚染対策としては布製マスクの着用を密かに進めていますのと、食料品は正直なところ
メリエルはライザーが進めている食糧自給計画と農村部との取引計画についても語った。
「やはりライザーの考えでは敵の意図はこちらの足許を揺るがす物流作戦なのだという読みなのですな。C.C.からの情報でも敵の計画はパルムの物流を押さえて不平不満を
メリエルはアルマスで集積している
まだ軌道に乗ってこそいないが、アラン・モナースたち「モナース商会」の進めるレジスタリアンと農村部の備蓄分の交換入手は順調になりさえすれば
それもすべて
「あのライザーがなんの
女皇歴1188年9月30日
ミロア法皇国 法都ミロア
メリエル、ドライデン一行は法都ミロアに入った。
まずは宿舎とするマクファーレン大使の執務するゼダ大使館に入る。
「ドライデン閣下、ご
ゲラルトとワルトマは抱き合って再会を喜んだ。
「ゲラルト、急に大勢で押しかけて済まない。家族たちは
ゲラルト・マクファーレン伯爵の表情が曇る。
「はい。なにしろミロアも不穏で不気味な情勢です。家族たちにも用心するよう常々言い聞かせています」
言いさしてからゲラルトはワルトマ・ドライデンの耳元で
「実はゼダ大使館では半年前からある方を保護しています。まずはその方にお会いして頂きたいです」
ドライデンは目で合図した。
「わかった。
大使館職員たちにドライデン枢機卿やメリエルたちの荷物を割り当てられた部屋に運び込ませる作業を命じ、ゲラルト・マクファーレン伯爵はメリエル一行を大使館奥にある一室へと案内した。
「“
「まさか・・・」
ワルトマが硬直する様を見てゲラルトは少し
内鍵を解除する音のあと、部屋に居た人物を見てメリエルたちは
その場に居た一同を代表しワルトマ・ドライデンが声を掛ける。
「ナファド、どういうことなんだ?」
部屋の中に剣皇騎士二人を
容姿も面差しも現在アルマスに居るナファドとほぼ見分けがつかない。
ただし、人徳を感じさせ
しかし、
「先代法皇猊下、大変申し訳ない。こちらでも抜き差しならぬ事態となっていたのです」
ナファドの言葉にワルトマ・ドライデンはナファドを駆け寄って抱きすくめた。
「どうしてこんなことに」
ナファドは力なく苦笑した。
「やられました。特記6号発動のためウェルリから一時帰還しましたが、敵に先手を打たれて私は姿を隠すことになりました」
呆気にとられたメリエルは当然の疑問をぶつけた。
「それでは私の
本物のナファド・エルレインは
「エウロペア女皇陛下、あれは法皇行に際して生き別れていた我が息子で剣皇騎士のラーフラ・カスピアンです。敵に
あのナファドは若作りなのではなく実際に若かったのだ。
徳がないというのも、まだ年若く司祭としても未熟なるが
ミシェル・ファンフリート大佐にも見分けがつくわけがない。
親子ゆえに顔立ちや
いや、違うと“メル”は感じた。
(メロウ、多分はじめから鉄舟さんは知っていた。おそらくはディーンにいさんも)
鉄舟ことミシェル・ファンフリート・エルレインには最初から分かっていた。
中原最高頭脳は息子ラーフラを父ナファドだと思わせる計画を知り、幹部たちにも内密にしていたのだろう。
もしラーフラが裏切っているならば同行の機会も多かったどこかでメリエル襲撃を手引きしている。
そんなことは一度も起きていなかった。
むしろ、同行するメリエルを剣皇騎士として警護していたのだろう。
ディーンは気づいた上で
「そういうことだったのか・・・」
ワルトマとトリエルは
「トレドでの気象兵器使用とベリア難民たちの
ナファドは小さく十字を切って
「私の側でもゼダを全面的に信じられませんでした。第一回幹部会議にアランハス
法皇の言葉にトリエルは
「それは違うっ!俺たちはアリョーネ姉さんの意向を尊重してはいるが、先代メロウィン陛下には敬意しかないっ。ホテルシンクレアに居るあの婆さんが母さんでメリエルの後ろ盾だと薄々は気づいていたが、はなっからアラウネ姉さんの方針とはズレていた。戦場で命を
ナファド・エルレインは柔らかく微笑した。
「シェンバッハ
トリエルは振り上げた拳を落としてうなだれた。
ワルトマ・ドライデンはナファドをまっすぐに見据えた。
「つまり、そなたは我らを待っていたのだな?」
ナファドは曇りなき眼差しでドライデンを見た。
「はい。サマリア・エンリケ先代法皇の奪還を果たさねばファーバは戦えない。大聖堂高位司祭として年老いたサマリア
全員が顔を伏せて言葉を失う中で、それに気づいたのはマイオドール・ウルベインだった。
「おやっ?女皇陛下はどこに消えたんだ」
エリーシャ・ハランとセオドリック・ノルンの姿も消えていた。
巡礼者か観光客のようにメリエルはゼダ大使館を抜け出してミロアの
ミロアの街は狭い。
剣皇ファーンや剣聖エドナが再建したものの、シェスタ市内の一部を改修しただけの法都ミロアはこぢんまりとしていた。
ミロア大聖堂前には大勢の人だかりが出来ていた。
(法皇ナファドの秘密はあれでいいわね?)
精神の中でのメルの
(あのナファド様がおかしいと思っていたのは物腰や落ち着きが私たちの世代と大差ないことだった。トリエルよりも年かさのナファド
観測者メロウにも人物鑑定眼が養われていた。
メルは少しだけ
(エリーシャとテオを連れて抜け出してきたのはどういうつもりなの?)
その答えだというばかりにメリエルは人々の前に立った。
「どうされたというのです?」
人だかりの中にいた青年が代表するかのように言った。
「私たちは
すぐにエリーシャとテオの表情が曇る。
法都ミロアの中枢にまでルーマーのカルト思想が
「誰に
メリエルは柔らかく問いかけた。
「それより貴方のその
メリエルは特別に
確かにくたびれた僧服姿の人々や袖のほつれた尼僧服姿の人々と比較するとやや富裕な姿ではあった。
「サマリア・エンリケ様に
「これなら
メリエルは一瞬にして古びた尼僧服姿になっていた。
人々の中から驚きの声があがる。
「単に騎士能力の一つで見た目を少しだけ変えましたが、元の服装と見た目を少しだけ変えたに過ぎませんわ。でも中身や本質を変えたわけではありません。そんなに気になりましたか?」
メリエルは柔らかく微笑み一同を見回した。
「貴方は騎士様でしたか」
それに対してもメリエルは
「そうであるともそうでないとも言えます。私は騎士たちを従えて西ゼダでの戦いに参じていますが、私が目立ってしまうと私を守る人々が命を張ることになってしまうからです。いのちとしては特に彼等と変わりはありませんが」
エリーシャとテオの表情が沈痛に変わる。
メリエルは今度は軽装の
「役割が違います。私は戦いに参じた人々の代表者としてエウロペア女皇と呼ばれ、彼等のこころを
人々のざわめきが一段と大きくなっていた。
「それではあなたがエウロペア女皇メリエルさま?」
最初に声を掛けた青年がわななくように言うとメリエルは尼僧服姿に戻り、またも柔らかく
「ええ、そして一番私を最前線に立たせたがらないのは、剣皇ディーン・フェルイズ・スターム陛下です。友人だからとか個人の感情ではなく、私が私として居続けなければなにかが壊れてしまう。それはあの方とて同じ事です。私はエウロペア女皇という大それた名前を
メリエルに向かい思わず祈りを捧げる人々も出てきた。
しかし、その一方で
「貴方はそう言われるが、その戦いとやらに正義はあるのですか?」
メリエルはフッと
邪悪な本性を垣間見せたともとれる。
「なにをもって正義というかはそれぞれの解釈によるでしょう。しかし、絶対防衛戦線と呼ばれる私たちの居る最前線。その向こうにあるのは中央であるゼダ皇都パルムやこのミロアです。
メリエルに敵意を抱いた人々が前に進み出てきた。
「それはメロウが勝手に決めて、メロウが宿命として私たちに課したものでしょう。そんなものに私たちが付き合わせられるなんて不条理ではないですか」
メリエルは不敵ともとれる挑発的な視線を一同に向けた。
背後でエリーシャとテオとが身構えている。
「真理探究の都に在る方たちとは思えぬ
言いながら国内に武器が入ることよりも厄介なのは思想が入り込むことだとメリエルは感じていた。
「神を認めぬ異端者は即刻排除しろっ!」
誰かの発した言葉にメリエルは
「神ですか。それに異端ですか。言葉に対して実力排除という暴力で応じる。考え方や姿形の違いに対して暴力を用いる。暴力で否定したところで、更なる暴力に屈服させられる。それが
安易に神や異端者と口にしたその者に無言の圧力が加えられる。
ファーバは自分たちを
司祭や僧侶たちが禁じるのは人として最低限守らなければならない
「神の名をみだりに口にするな」「休息を
それが
その意味で神の名をみだりに口にした男こそが
本来なら「殺すな」に反しているメリエルにもその男ばかり責められない。
殺さなければ生きられない。
食料としての家畜や魚類、植物たちと脅威としての龍虫と敵。
ミロアに在る者たちは
真理探究の都で真理探究する過程で、キリスト教やイスラム教という本来の考え方が曲げられた事に気づいたのだろう。
だが、イエス・キリストや預言者ムハンマドを
その真意に
最大の
創造者はいても創造神の居ないセカイ。
メリエルの言葉を最初から聞いていた者たちは自分たちの誤解に気づいた。
「確かに。存在証明が難しい存在より、実際に過去に何かを成した人を
「神に少しずつ近づくことが
「生きる上で避けて通れない“殺すな”に反している。だけど、父と母あって生まれる私たちはなにも殺さずに生きてはいけない。それが原罪?だとしたなら矛盾している。父と母を敬えというのは私たちもいずれは父や母になれという意味で、生きることが罪なら、なぜ私たちは産まれたんだろう」
「しかし、女神さまたちはどうして存在するのだろう」
年若い女性の口から出た“女神”という呼称を聞いたメリエルは静かに説いた。
「彼女たちは
メリエルの言葉に「そうか、そうなのか」「確かにその通りなのかも知れない」「祈りを
毒気を抜かれたようになった人々にルーマー教団の者たちは歯がみした。
すぐ手の届くところにメリエルが居るのに手出しが出来ない。
メリエルは
「異端なんてない。誰かが信じていることは誰かにとっての真実。けれど、それが唯一無二の真理ではないというだけ。私たちが“まだ神ではない”というのは、簡単には否定出来ない私たちの原理原則という真理に対して、その存在を自覚して共に在るか、残酷であるが故に否定して
人々はこれもまたメリエルの見せた“奇跡”なのかも知れないと考えていた。
ミロア大聖堂に続く道を
そんな彼等を押しとどめようとしていたのが槍を構えた剣皇騎士たちだった。
その代表者が動揺を隠せずにその少年に気づくと、槍を取り落として駆け寄り抱きすくめた。
「セオドリック、セオドリックじゃないか」
無言で微笑するセオドリックにイブラヒム・ノルン少佐は
メリエルは表情を曇らせつつ、親子の再会を見つめていた。
「真理の
いつもなら「父上っ」と元気な声で駆け寄るセオドリックが、一言も語らずただ微笑することの違和感を悟ったイブラヒムの表情が曇る。
メリエルを見上げたその目には戸惑いと僅かな絶望感が
「貴方の息子セオドリック。テオと皆に親しまれるこの少年は仲間の死に
イブラヒム・ノルンは顔を上げ、その乙女が誰なのか分かった上で
「エウロペア女皇メリエル様。騎士の
父とメリエルのやりとりを聞いていたテオはメリエルに思念信号波を送った。
メリエルはそれを受け止めた上で更に沈痛な面持ちを浮かべた。
「パフティアル
イブラヒム・ノルン少佐は並べられた名前に
メリエルに力無く答える。
「皆、私の同輩たちです・・・」
メリエルは沈痛な面持ちで僅かに唇を
「敵との戦いで亡くなりました。願わくばご遺族の方々にお伝えくださいとテオが申しております」
テオはこくんと小さく
イブラヒムは「はっ」と気づいてテオの顔を見た。
「セオドリック、お前は彼等の死で・・・。特にカーマイン・ユベールはお前にとって・・・」
“
親友同士が子供たちを将来には
その先をイブラヒムに伝えるべきかメリエルは迷う。
“カティには僕のことは忘れて幸せになってね”と。
更には“その幸せを守るため、僕は命を
メリエルは
「カティさんという方に幸せになって欲しい。その幸せのために自分は命を
泣き崩れたメリエルにテオは優しく微笑みかけた。
(メリエル様、ありがとうございます。これで僕も迷うことなく戦えます)
メリエルとイブラヒムの一連のやりとりを聞いていた人々が
「メリエル様の戦いとは我らの剣皇騎士たちも参加し、死闘しているのか?」
「ゼダの内戦に武力介入しているのではないのか?」
「失礼なことを言ってしまった。彼等の
涙を目に
「ファーバを
エウロペア女皇メリエルの激情にルーマーたちは恐れ
メリエルのナノ・ブレードでなく、ミロアの人々に「ふざけるな!
外の騒ぎを聞きつけ、杖をつきつつ現れた老人に一斉に祈りが捧げられる。
「およしなさい、エウロペア女皇陛下っ!ファーン様やエドナ様の築き上げたこのミロアを血で
その
「サマリア・エンリケ様、見苦しいところをお見せしてしまいました。お迎えにあがりました」
サマリア・エンリケの答えは明瞭だった。
「
メリエルの目からどっと涙が
メロウがファーバをファーバにしていて良かったのだ。
騎士でないサマリアは
真理を恨まず、人を憎まず、
(この方もまた解脱するだけの徳を備えている。それでもまだ
知のライザーに対し、徳のサマリア。
この人と人徳を比べてしまうのはナファド、ミシェル、ラーフラには
サマリアを論破しようとしていた人たちが膝をついて熱心に祈りを捧げている。
ルーマー教団の者たちが言葉を失い呆然となっている。
この人は陣営を問わず、
「メリエル陛下、私はアベラポルトに向かいます。アベラポルトこそがファーバとルーマーに共通した聖地。異なる二つの種族たち、そして福音の人々にとって
(聖地エルサレム・・・。そのことにも気づいていたんだ)
メロウの
しかし、現在は暗黒大陸ネームレスたちの支配域のど真ん中だ。
「さぁ、最後のワルキューレの
「えっ」と言ったメリエルは公都ベルヌのある方角を見た。
真っ白な巨竜がベルヌの方角から猛スピードで飛来していた。
「メリエル様、貴方の
(メロウ、自分の中にある神に一歩でも近づくことが、人を変える者になるという意味だよ)
(私が神に?かりそめの女神にもなれない人形のわたしが?)
戸惑うメリエルにサマリアは
「このセカイの他の当事者たちと共に歩みなさい。半分に割った本来の名を取り戻す努力をなさい。そうすれば貴方の作り出したナノ・マシンたちが応えてくれる筈です。皮肉な話です。貴方の真の対と貴方はとてもよく似ている。名前と共に取り戻すべきは正に“名の呪い”そのものです」
白亜の巨竜がミロアを
遠く西に飛び去ったブリュンヒルデを見つめつつメリエルは呆然としていた。
(
自律型戦術人造頭脳であるTypeメロウリンク。
真の世界でおぞまきし人の業が作り出した兵器としての自分と
真の対?
それはフィンツの名も
それともスレイ・シェリフィスの名を捨てたアリアス・レンセンなのか?
(フィンツじゃないよ。あの人が今更になって名を取り戻しても
静かに
《命名権者》のくれた愛するこの子の本当の名。
愛する人と似たその名で「自分を愛しなさい」という両親たちの願い。
統一歴1512年4月15日
ティルト・リムストンはナコト写本と真の書の解析調査に続いたファイサル・オクシオン法皇との話を終え、パルムに戻る電車に揺られていた。
既に解析調査は大詰めに差し掛かっている。
(「名の呪い」か。“黒髪の冥王”も“嘆きの聖女”も“砦の男”も名の呪いなら、“スレイ・シェリフィス”も名の呪いだよな・・・)
女皇戦争の
メリエルの正体も知った。
その死の真相も。
「アリスっ、こらっ。電車の中を駆け回ったりしないの」
見知らぬ親娘の他愛のない会話にティルトはドキっとしていた。
不思議の国と鏡のセカイを旅したアリス・・・。
(いや、本当に旅をしていたのはアリアスだったか。凪の季節を除いて大軍師アリアス・レンセン大佐はベリアまで拡大した絶対防衛戦線を動けなかった。しかし、希望の
だが対の決戦の持っていた意味がセカイの在り方を変えた。
人々の恐怖と絶望の魔獣だった“
騎士王アーサーのマストアイテムである聖剣エクスカリバー。
それは文字通りの聖剣であり、なにかを倒すために用意されたのでなく、全てを切り
真に恐るべきは認知の罠・・・。
「もぅ、お手洗いが混んでて散々待たされたわよっ。もう少しで漏らしちゃうところだったわ」
向かいの席に戻ろうというエリザベートの漏らしちゃうにもティルトは過剰に反応していた。
知った秘密は漏らせない。
真実の物語について概要は語れても、あるいは知ってはならなかった秘密はディーン・エクセイルと同様に墓場まで持って行かなければならない。
一番恐ろしいのは真実の物語とは未完であることだった。
「ベス、ボクの父さんの死因について話したっけ?」
なぜか
「お父様は病死されたんじゃないの?」
ティルトはふぅと息を吐いた。
「違うよ。父さんは狙撃されたんだ。銃弾が心臓近くに命中し、それで生死の境を
エリザベートは口許に手をやったまま絶句した。
「それで察して欲しい。ボクは士官学校に戻らなかったんじゃなくて、戻れなかったんだ。スパイが潜入先で偽装家族を作ることはよくある事らしい。だから、ボクら家族はあくまで父さんに
エリザベートは声を
「誰に?」
ティルトは車窓に視線をやって口許を
「ゼダ内務省の秘密警察にさ」
エリザベートは再び絶句していた。
ゼダ共和国には隠密機動や調査室の流れを
その程度ならゼダの国民みんなが知っていた。
「だから、ボクは父さんの
ミロアから電車に乗る間、ティルトが僅かに青ざめていたことにはエリザベートもとっくに気づいていた。
しかし、それはティルトがナコト写本からとんでもない事実を掘り起こしたせいだと信じていた。
「だけど、それならなぜ、あなたの調査は
ティルトは僅かにだが、エリザベートに恨みがましい視線を向けた。
「エクセイルに関わる人々から指名されての調査だったからさ。それに調べていたのは200年前の話であり、国王陛下からの推薦状が与えられたのも、ボクの調査と父さんの仕事とが無関係なのだと思われていた。けれど違う。父さんはエクセイルとラファールを調べていたんだ。だから、叔母さんがラファールに嫁いでいる母さんに接近したんだ。父さんはお金に関しては頑固で
エリザベートは
それ以上の言葉をティルトに話させてはいけない。
「それでティルト、あなたは自分の父親についてどう結論づけたの?今も愛しているの?それとも恨んでいるの?」
ティルトの視線は泳ぎ続け、考えあぐねた末にポツリと告げた。
「父さんをいまでも愛している。おそらくはベリアの愛国者だったから危険なスパイを買って出た。その理由もはっきりしている。そういう父さんの子であるボクだって真実の物語と無関係なんかじゃなかったとファイサル
エリザベートはティルトを突然抱きすくめた。
その耳元で
「だったら別にいいじゃない。あなたは私の共犯者。だけど、陰謀に関与したりとか国を
確かにそうだとティルトは思った。
「ありがとう、ベス。君を離したくない。君を失いたくない。父さんのルーツだってゼダにあった。ボクのゼダへの愛国心は調査を続けていよいよ深くなっていった。偽りと裏切りの女皇国の真実。涙が出そうだよ」
その日、ティルトは自分の素性を思い悩むのをやめた。
約20年後にティルト・L・エクセイル史学教授はリーベルト賞を受賞する。
平和賞として与えられたが史学部門での初の受賞という快挙だった。
受賞研究は「ミロア法皇国成立史とファーバ教団の
真史に
難しい交渉は長期化し、その間にサーシャとライザー、エドナはこの世を去った。
つまり、エルザとファーンの戦いもなく、禁門騎士団と剣皇騎士団の対決もなかったのだとした。
この新たな儀典史は十字軍戦争と大戦について当時研究していたダイモス・エクセイルが交渉に
あるいはゼダ、フェリオという大国間の極秘案件である事から交渉記録を敢えて残さなかった。
そうした形で具体的な偉業が分からなかった辺境王ファーンや剣聖エドナがティルトの嘘により救われた。
ゼダも後にゼダ共和国に合流した法皇国市民たちも、世界各国のファーバ教徒たちがティルトの唱えた成立史を信じて支持したのだ。
ケヴィンの指摘通り、既に記された歴史は書き換えるのが困難だ。
しかし、在る筈でないものを新たに書き加える事は難しくても出来るとティルトは証明した。
「ボルニア戦役」などなかったとする半分は嘘だが、もう半分は紛れもない真実に他ならない。
ゼダ女皇サーシャ、ゼダ女皇マライア、ラウダ法皇、ダイモス侯爵、ライザー侯爵、そして剣皇ファーンと光の剣聖エドナは平和と繁栄とが、戦いに傷ついたエウロペアに
ミロア法皇国は人々の平和への願いが作り上げた。
皮肉にしてそれはスパイとしてティルトの父親が調べていた事実とも
リーベルト賞の受賞でティルト・L・エクセイル教授の名は全世界に広まった。
そのことがティルトとエリザベートの息子アーサーの戦いを可能にすることになった。
やがてはティルトの一人息子であるアーサーもリーベルト平和賞を受賞することになる。
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