第4幕第7話 メリエルの説諭

女皇歴1188年9月20日

トレド要塞 要塞内剣皇執務室


 ディーンとライザー、鉄舟、アローラはバスラン要塞に居るトリエルとアリアス、アルマスに居るトゥール、メリエルと三カ所を電話で繋いで会談していた。

 迎撃戦での大勝により龍虫の活動は激減し、時間的な猶予ゆうよが生じた。

 ライザーはこの機会にミロアで発生した事態について確認しておく必要があると感じていた。

 オラトリエスのミュイエ・ルジェンテから聞き出した内容は既にビルビット・ミラー少佐を通じて女皇アリョーネへの報告は済んでいたし、ワルトマ・ドライデン枢機卿すうきけいにも話は伝わっていた。

 近く枢機卿すうきけいはミロアに向かう段取りとなっている。

 念のため女皇メリエルと護衛役のトリエルにも、法皇ナファドには極秘でミロアに向かってもらおうと考えたのだ。

 軍事では門外漢の自分は黙っているが、既に内容はディーンに相談している。

「なるほど、剣皇陛下は今後の機動戦を想定して即応機動戦力をトレドに回すべきだとお考えなのですね?」

 じっと熟考しているトゥールの言葉にディーンは答える。

「司令官であるトゥールと指揮官のアリアス、そして機動部隊をトレドに回し機動迎撃戦を展開して冬まで持ちこたえる。その間に西ゼダ農村部での収穫作業を終える。逆にバスランにベルグ・ダーイン隊と剣皇騎士団を回して、機体改修とカル・ハーンへの本格機種転換訓練をするということだ」

 ディーンの中期的作戦計画に軍師アリアス・レンセンは即応した。

「カロリファル公爵と俺、ジェラールがそちらにおもむくのは賛成だ。俺にはトレド近郊での実戦経験がないので地理の詳細把握と防御シフトの構築準備もあわせて行わないと。セダン大佐、ベルレーヌ大佐、ティリンス教官少佐にはこちらに残って頂き、銅騎士団の練度強化とポルト・ムンザ隊の強化訓練をあわせて行う。フリカッセ隊はかなり即応戦力として期待出来ますし、新型装甲により損壊数そんかいすうが少なかった。機動戦は俺とジェラールが指揮を担当します」

 アリアスとジェラールのコンビはもともとネームレスとして龍虫の機動戦について精通している。

 更に要塞司令官としてトゥールがトレド要塞に控えて退却指示と増援投入指示を出せば味方の被害は抑えられる。

 それに今後は相手が《金色の乙女》になりそうだと予期されていた。

 《金色の乙女》とネームレスコマンダーたちの戦線参戦により、龍虫の攻撃パターンが変化する。

「交替でバスランにおもむいたボクはルイスと交替する。ルイスはフリカッセ隊の指揮官として、前線指揮をメインにした戦い方に慣れておく必要があると判断しましたし、ボクは新たな天技である鵯越ひよどりごえを念のため習得可能者に授ける。そうすれば退避用機動列車と併用して緊急退避もスムーズになる筈です」

 剣皇ディーンの言葉に一同は賛成したがトリエルだけはポツンと取り残された格好になった。 

「俺は?」

 トリエルのとぼけた言い方に一同が苦笑する。

「テリーおじさんはメリエルと共にミロアに行って貰います。迎撃戦で無茶させてしまったマリアン女史にはアルマスで長めの休暇とナファドの監視を。マリアン女史と交代でエリーシャさんをパルムに帰してドライデン枢機卿すうきけいのお迎えに。レーヌで合流してミロアに向かってください」

 ディーンの説明にトリエルは納得した。

「なるほど、ディーンもトゥールもミロアには不案内だからか」

 アリョーネ女皇の外交交渉役としてトリエルは各国におもむいているので、エウロペアの各都市はある程度なら地理を知り、協力先を確保していた。

 ミロアには初代外交官であるダイモス・エクセイル侯爵以来、ゼダの世襲せしゅう外交官永住大使館があり、現在はゲラルト・マクファーレン伯爵大使が家族と生活していた。

 マクファーレン大使とドライデン枢機卿すうきけいとはかつてはゼダの外務省で部下と上司だった関係だった事もあり個人的に懇意こんいにしてもいた。

「わかった旅支度をしておくことにするよ」

 トリエルも了承して大まかな計画は成り立った。

「テリーおじさんも最前線を離れて少し休養してくださいね。さすがにルーマーの刺客しかくがミロアに数多く入り込んでいるとも思えませんが、おじさんの“無手”はこういうときに一番役に立つ。ボクもトゥールもいきなり丸腰では戦えない」

 治安の行き届いたミロアでは貴人であろうと入国時に武器は取り上げられる。

 つまりエルミタージュとルーマーもまた狙撃銃などを正面から持ち込むことは出来ない。

 剣皇騎士団もミロアに真戦騎士はほとんど残っていないが、因子の低い警備兵たちはミロアの重要施設を巡回警備している。

 法皇国内第二の都市トリスタにあり、ケイロニウス・ハーライト大尉やリシャール・ルジェンテの居た剣皇騎士訓練施設は別だが法皇国内にノートスとミローダもほぼないに等しい。 

「ドライデン枢機卿すうきけいのパルムからの出発に際しては、護衛として腕の立つ剣皇騎士をハルファから一人回すことになっています。それとテオも護衛と世話係としてメリエルに同行させようかと」

 トリエルはゼダ国内のハルファに居る剣皇騎士は一人しかいねぇじゃねえかとあわてる。

「それって“狂犬”かい。それにテオは家族との別れを済ませておくってことか」  

 一同の間にやや重い空気が流れる。

 本当なら参加騎士たち全員に家族との別れを済ませておいてやりたい。

 テオこと剣皇準騎士セオドリック・ノルンの事はディーンも鉄舟も半ばあきらめていた。

 せめて両親とは今生こんじょうの別れを済ませておいてやりたい。

 真戦騎士であるテオの父イブラヒム・ノルン少佐は剣皇騎士団警護隊長として大聖堂の警護担当だ。


女皇歴1188年9月29日

ゼダ レーヌ


 メリエル、トリエル、テオの3名はレーヌでワルトマ・ドライデン枢機卿すうきけいとその護衛役となった“狂犬”ことマイオドール・ウルベイン中佐や先行してパルムに戻っていたエリーシャ・ハランと合流した

 ターミナルのあるレーヌ駅からミロア駅へは1日で到達する。

 もともと家族も同然というエリーシャ・ハランと女皇メリエルはパルムに居るパトリック・リーナについての近況を話し込んでいた。

 横領罪容疑が誤報と判明したことでパトリックはベルシティ銀行本店での業務を再開していたが、名の知られた人物を標的とする悪質な事件が増えつつあるため、用心深く振る舞っているという。

「いよう、“狂犬”。ミロアへの里帰りはどれぐらいぶりになるんだ?」

 エリーシャとメリエルの会話を横目にしたトリエルの問いかけに久しぶりに神殿騎士団の隊服に袖を通したマイオドール・ウルベイン中佐は頭をいた。

 剣皇騎士団改称後は初のことになる。

「かれこれ5年、6年だかそんくらい経ってますね」

 マイオが傭兵騎士団エルミタージュへの潜入任務の報告にファンフリート大佐を訪ねてからも大分経っていた。

「それでアパラシア・ダーインへの機種転換訓練はどうよ?」

(それを聞くかよ。相変わらず性格悪いなトリエル大佐は)

 マイオたち黒騎士隊は絶賛苦戦中だった。

 答えるかわりにジトっとにらむ。

 アパラシア・ダーインはまだロールアウト前で黒騎士たちを乗せるに至っていない。

 かわりに複座型のタイアロット・アルビオレやリンツ・タイアロットで訓練していたがかんばしくはない。

 マイオドールは本気の戦いに際しては白鉢巻きを愛用していたが、今は白鉢巻きでなく包帯を頭に巻いていた。

「飛行型への機種転換にゃ苦戦してるみてぇだな」

(見りゃわかるだろっ。ロイドのあねさんとエドじい、メディーナのチャラ助にこってりしぼられてるとこだっての)

 陸戦兵器から航空型への乗り換えは容易ではなく、遊撃騎士団の連中だって一日の長がある程度だった。

 その実、いまだ基礎中の基礎であるバランス訓練していてマイオの包帯も訓練時に落下負傷したことによる。

 曲芸師じゃあるまいし、いきなり綱渡り訓練や脱出装置による緊急降下訓練などさせられマイオも部下たちもあちこち負傷していた。

 黒騎士隊の顔でもあるアリオン・フェレメイフだけは要領よくこなしていたが、訓練内容には不満たらたらで、ベルゲン・ロイドやメディーナ・ルフトーには面と向かって言えない分だけ、副隊長のマイオに毒舌を炸裂させている。

 マイオはのアリオンの癖の強さには辟易へきえきしていた。

「それよりフリオのヤツは元気にやってますかな?」

 トリエルは先の迎撃戦でもポルト・ムンザハイでして大暴れしたのだと話して聞かせた。

 フリオニールの新型機の呼称は紫苑のつけたポルト・ムンザハイ♂型では呼びづらいのでライザーが「ペガサス」の愛称を与えた。

 フリオの近況にマイオは相好そうごうを崩し、満足げな表情を浮かべた。

「アイツならアルビオレでも平気で乗りこなすと察しちゃいましたけれど、飛空戦艦を7隻も落としたとか聞くとさすがに穏やかにゃなれませんな」

 皮肉めいた言い回しの中に、ホッとしている様子をにじませる。  

 傭兵騎士団内から《ナイトイーター》にされていたフリオを助けてやって欲しいと懇願こんがんしたのはマイオだったが、龍虫のスコアどころか飛空戦艦までもと聞くとアイツも並ではないとすっかり感心してしまう。

(ミロアでの任務が終わってハルファに戻ったらアリオンにも教えてやるとすっか。そんな話を聞いたなら、ぶーたれているアイツも目の色を変えるだろう)

 その一方で、ディーンの切り札確保にはまだ相当時間が掛かるとトリエル大佐はため息をついていた。


 レーヌからの支線に揺られる車中でメリエル、トリエルとワルトマ・ドライデン枢機卿とはせわしなく話をしていた。

「メルヒン、ナカリアの国家要人暗殺は眉唾まゆつばだという気がしなくもないのです。あるいは煙幕として喧伝けんでんすることで身辺の安全を担保たんぽするためなのだとも」

 ドライデン枢機卿すうきけいの言葉にメリエルは表情を曇らせた。

 トリエルはゼダならそうした情報戦を仕掛けることが良くあると話していた。

 しかし、メリエルはライザーからルーマー教団の「国殺し」についても聞かされているので、楽観視するのも危険かも知れないと慎重になっていた。

「そうであって欲しいと考えますわ。今回のミロア訪問に関しては法皇猊下ほうおうげいかにもフィーゴ大佐やベルレーヌ大佐にも秘密にしています。王太子たちになにかあったと広まればベリア騎士たちの動揺は計り知れない。そして既にエリーシャから聞いているとは思いますが、ナファド猊下げいかは皆が怪しいと申しておりますわ」

 この半年におけるナファドの動静はパルムでやきもきしていたドライデンが一番苛立いちばんいらだっていた。

 計画通りに運ばなければ戦争遂行計画が破綻はたんしかねないというのに、なぜこうも計画から外れた行動ばかりしているのだと。

「サマリア・エンリケ先代法皇と直接話をさせて頂くことさえ出来れば実態把握は出来ますし、気象兵器使用許可の経緯いきさつなどもうかがえるでしょう」

 トリエルはについて忘れないようドライデンに伝えた。

「ライザー文字は枢機卿閣下もご存じですよね?」

「もちろんです。念のため日報を裏返しましたが、それらしきものはなかった。私宛のメッセージでなかったというだけのことですし、今後はアルマス支局発の報道は注視するよう心掛けます」

 ドライデンの側でも把握していたことにトリエルは安堵あんどした上で、パルムのナノ粒子汚染についても伝える。

「それですか。実は飲料水はパルム大聖堂では地下深くから井戸を引いておりまして周辺地域へは其処から供給しているのです.。ベリアにあるアベラポルト地下大聖堂と同様にパルム大聖堂も汚染対策は備えているということです。食料品と大気汚染対策としては布製マスクの着用を密かに進めていますのと、食料品は正直なところ物価高騰ぶっかこうとうで入手が厳しくなっていますな。教団各施設での貧困者への食事提供は実施回数を減らさざるを得なくなっています」

 メリエルはライザーが進めている食糧自給計画と農村部との取引計画についても語った。

「やはりライザーの考えではの意図はこちらの足許を揺るがす物流作戦なのだという読みなのですな。C.C.からの情報でも敵の計画はパルムの物流を押さえて不平不満を露呈ろていさせ、我々を疲弊ひへいさせるものだろうという事です。既にリチャード・アイゼン大尉らが対策案を練っているそうです」   

 メリエルはアルマスで集積している兵站へいたん物資を女皇宮殿と大聖堂、軍施設に優先的に回すと伝えた。

 まだ軌道に乗ってこそいないが、アラン・モナースたち「モナース商会」の進めるレジスタリアンと農村部の備蓄分の交換入手は順調になりさえすれば兵站へいたん問題がかなり改善するし、余剰よじょう分を売りさばいて現金化するのと同時に、重要施設に運び入れ、食糧事情の悪化後は“配給食”として女皇宮殿、大聖堂、軍施設で配給を実施すればパルム市内で餓死者がししゃを出さない方法となる。

 それもすべて主宰しゅさいライザーの発案だ。 

「あのライザーがなんの目処めども立てずに“夜逃げ”する筈がないとは考えていましたが。なるほど不自由で身動きの難しい中央から消えて、戦場となっている僻地へきちで行動の自由を得て中央を守るつもりなのですな」

 

女皇歴1188年9月30日

ミロア法皇国 法都ミロア


 メリエル、ドライデン一行は法都ミロアに入った。

 まずは宿舎とするマクファーレン大使の執務するゼダ大使館に入る。

「ドライデン閣下、ご無沙汰ぶさたいたしております」

 ゲラルトとワルトマは抱き合って再会を喜んだ。

「ゲラルト、急に大勢で押しかけて済まない。家族たちは息災そくさいかね?」

 ゲラルト・マクファーレン伯爵の表情が曇る。

「はい。なにしろミロアも不穏で不気味な情勢です。家族たちにも用心するよう常々言い聞かせています」

 言いさしてからゲラルトはワルトマ・ドライデンの耳元でささやいた。

「実はゼダ大使館では半年前からある方を保護しています。まずはその方にお会いして頂きたいです」

 ドライデンは目で合図した。

「わかった。聡明そうめいな貴公のことだ。相当な要人と判断する」

 大使館職員たちにドライデン枢機卿やメリエルたちの荷物を割り当てられた部屋に運び込ませる作業を命じ、ゲラルト・マクファーレン伯爵はメリエル一行を大使館奥にある一室へと案内した。

「“猊下げいか”。私です」

 ささやくような小さな言葉を聞き取れた者たちは戦慄せんりつした。

「まさか・・・」

 ワルトマが硬直する様を見てゲラルトは少しうつむいた。

 内鍵を解除する音のあと、部屋に居た人物を見てメリエルたちは驚愕きょうがくした。

 その場に居た一同を代表しワルトマ・ドライデンが声を掛ける。

、どういうことなんだ?」

 部屋の中に剣皇騎士二人をひかえさせた法皇ナファド・エルレインが立っていた。

 容姿も面差しも現在アルマスに居るナファドとほぼ見分けがつかない。

 ただし、人徳を感じさせ威厳いげんに満ちた姿は確かに法皇と呼ばれるだけの崇高すうこうさを放っている。

 しかし、憔悴しょうすいしていてやつれた印象にも見える。

「先代法皇猊下、大変申し訳ない。こちらでも抜き差しならぬ事態となっていたのです」 

 ナファドの言葉にワルトマ・ドライデンはナファドを駆け寄って抱きすくめた。

「どうしてこんなことに」

 ナファドは力なく苦笑した。

「やられました。特記6号発動のためウェルリから一時帰還しましたが、に先手を打たれて私は姿を隠すことになりました」

 呆気にとられたメリエルは当然の疑問をぶつけた。

「それでは私の戴冠たいかん式を行ったあのナファド様は一体・・・」

 本物のナファド・エルレインはおごそかに告げた。

「エウロペア女皇陛下、は法皇行に際して生き別れていた我が息子で剣皇騎士のラーフラ・カスピアンです。籠絡ろうらくされたと見せかけ、龍虫戦争計画を修正し、私の代行役となっている。絶対防衛戦線にいる貴方がたに“怪しい”と思わせるのも私が息子に授けた計画の一端であり、本物の私はこうしてこそこそ隠れていた。しかし、そうでもしなければ危なかったし、快く協力してくださったマクファーレン伯には筆舌に尽くしがたいまでにお世話になっております」

 あのナファドは若作りなのではなく実際に若かったのだ。

 徳がないというのも、まだ年若く司祭としても未熟なるがゆえであった。

 ミシェル・ファンフリート大佐にも見分けがつくわけがない。

 親子ゆえに顔立ちや容貌ようぼうは極めて似ていた。

 いや、違うと“メル”は感じた。

(メロウ、多分はじめから鉄舟さんは知っていた。おそらくはディーンにいさんも)

 鉄舟ことミシェル・ファンフリート・エルレインには最初から分かっていた。

 中原最高頭脳は息子ラーフラを父ナファドだと思わせる計画を知り、幹部たちにも内密にしていたのだろう。

 もしラーフラが裏切っているならば同行の機会も多かったどこかでメリエル襲撃を手引きしている。

 そんなことは一度も起きていなかった。

 むしろ、同行するメリエルを剣皇騎士として警護していたのだろう。

 ディーンは気づいた上で戴冠たいかん式以降はラーフラにもメリエルを守らせていた。

「そういうことだったのか・・・」

 ワルトマとトリエルは唖然あぜんとし、トリエルは気を取り直してたたみかけた。

「トレドでの気象兵器使用とベリア難民たちの鏖殺おうさつ。あんたは息子を利用して随分なことをやらせているじゃねぇか」

 ナファドは小さく十字を切って毅然きぜんと応じた。

「私の側でもゼダを全面的に信じられませんでした。第一回幹部会議にアランハスきょうとパトリシアきょうを加えなかったのも、あの二人の口から“彼女”に内容が伝わるのを恐れていたのです。そして、剣皇陛下をも疑った。彼だって祖母に嘘を教えると思えない。ゼダ先皇メロウィンとその意向をむ者たち。彼等こそ戦線の結束を乱しかねない爆弾です」

 法皇の言葉にトリエルは憤然ふんぜんと言い放った。

「それは違うっ!俺たちはアリョーネ姉さんの意向を尊重してはいるが、先代メロウィン陛下には敬意しかないっ。ホテルシンクレアに居るあの婆さんが母さんでメリエルの後ろ盾だと薄々は気づいていたが、はなっからアラウネ姉さんの方針とはズレていた。戦場で命をすアラウネ姉さんと俺たちは、戦場よりはるかに厄介なパルムに居るアリョーネ姉さんと連動してきた。たとえ、母さんが裏切っていたとしても、俺たちは俺たちの先達たちが命をして作り上げた計画で戦うと決めている」

 ナファド・エルレインは柔らかく微笑した。

「シェンバッハきょう、それで良いのです。アリョーネ陛下が捨て身のゼダで新興の大国ルーシアと戦う覚悟は私も感じていましたし、先代法皇ワルトマ枢機卿すうきけいも13人委員会に加えて同志として計画を練ってきた。ミシェルは私の真意を知っています。だからこそ、私たちも罪を背負う。ベリア難民たちに対して冷淡に振る舞い、気象兵器で殺しもする。彼等にも“生贄いけにえ”となってもらう。ただ無駄に死にたくなければ“それぞれ武器を手にして戦え”という総力戦を被害者顔で傍観ぼうかんしていて欲しくなかった。ライザー殿の着任以来、彼等が変わりつつあることはラーフラからの報告で知っています。けれども、私たちは残忍なに対しては無力です。現に私はナカリア王太子やメルヒン王家の人々をトリスタに避難させようとしてとの交戦に及び、法皇としてあるまじき事に傭兵騎士たちと手の者たちをあやめた。それでも彼等を救うことは出来ずに、ラーフラを利用することを思い立った。既に後戻りが許されるところにない。返り血に染まったカナリアイエローのショールこそが私本来の難しい立場を示し、司祭騎士として私も一人の戦士として戦う。開祖イスルギ以来ファーバは戦うことにおくしてはならないと定められてきました。私も戦うが、いのちの捨て場所はこのミロアであってはならない」

 トリエルは振り上げた拳を落としてうなだれた。

 ワルトマ・ドライデンはナファドをまっすぐに見据えた。

「つまり、そなたは我らを待っていたのだな?」

 ナファドは曇りなき眼差しでドライデンを見た。

「はい。サマリア・エンリケ先代法皇の奪還を果たさねばファーバは戦えない。大聖堂高位司祭として年老いたサマリア猊下げいか雌伏しふくしておられる。反撃の好機を待ち、心得違いたちに目に物を言わせるためにじっと耐えてこられた。我々も戦場に入ります。サマリア猊下げいかはミロアを捨てアベラポルトに向かう。私は法皇として絶対防衛戦線に入る。ラーフラは引き続き公的法皇としてフェリオ各領を説いて回る。仮初めの法都の役割とはファーバの中枢ちゅうすう此処ここなのだとに誤認させる役なのです。その実、バルム大聖堂、トレド地下聖堂、アベラポルト地下大聖堂こそがファーバの中枢ちゅうすう

 全員が顔を伏せて言葉を失う中で、それに気づいたのはマイオドール・ウルベインだった。

「おやっ?女皇陛下はどこに消えたんだ」

 エリーシャ・ハランとセオドリック・ノルンの姿も消えていた。


 巡礼者か観光客のようにメリエルはゼダ大使館を抜け出してミロアの往来おうらいを歩いていた。

 ミロアの街は狭い。

 剣皇ファーンや剣聖エドナが再建したものの、シェスタ市内の一部を改修しただけの法都ミロアはこぢんまりとしていた。

 ミロア大聖堂前には大勢の人だかりが出来ていた。

(法皇ナファドの秘密はあれでいいわね?)

 精神の中でのメルのささやきに観測者メロウは(ええ)と答えた。

(あのナファド様がおかしいと思っていたのは物腰や落ち着きが私たちの世代と大差ないことだった。トリエルよりも年かさのナファド猊下げいかに私たちと同世代の子が居ても不思議ではない。裏切り者にしてはラーフラは誠実で真面目だった。これからはもっと信用していい)

 観測者メロウにも人物鑑定眼が養われていた。

 メルは少しだけ安堵あんどし、観測者メロウがなにをしようとしているのか確認した。

(エリーシャとテオを連れて抜け出してきたのはどういうつもりなの?)

 その答えだというばかりにメリエルは人々の前に立った。

「どうされたというのです?」

 人だかりの中にいた青年が代表するかのように言った。

「私たちはあざむかれているのかも知れないのです」

 すぐにエリーシャとテオの表情が曇る。

 法都ミロアの中枢にまでルーマーのカルト思想が蔓延まんえんしているのではないかと考えたのだ。

「誰にあざむかれているというのです?」

 メリエルは柔らかく問いかけた。

「それより貴方のその華美かびな服装はなんなのです?ここは法都の中心である大聖堂前広場ですよ」

 メリエルは特別に華美かびな服装をしていたわけではなく、場所柄をわきまえて地味だが清楚せいそに見えるようエルシニエ大学生の証である藍色あいいろのベレー帽に、白いサマードレスを着て、カーディガンを羽織はおっていただけだ。

 確かにくたびれた僧服姿の人々や袖のほつれた尼僧服姿の人々と比較するとやや富裕な姿ではあった。

「サマリア・エンリケ様に拝謁はいえつするのに失礼があってはならないからと、このようないでたちをしていますが」というとメリエルは騎士能力を使った。

「これなら如何いかがですか?」

 メリエルは一瞬にして古びた尼僧服姿になっていた。

 人々の中から驚きの声があがる。

「単に騎士能力の一つで見た目を少しだけ変えましたが、元の服装と見た目を少しだけ変えたに過ぎませんわ。でも中身や本質を変えたわけではありません。そんなに気になりましたか?」

 メリエルは柔らかく微笑み一同を見回した。

「貴方は騎士様でしたか」

 それに対してもメリエルは微笑びしょうした。

「そうであるともそうでないとも言えます。私は騎士たちを従えて西ゼダでの戦いに参じていますが、私が目立ってしまうと私を守る人々が命を張ることになってしまうからです。いのちとしては特に彼等と変わりはありませんが」

 エリーシャとテオの表情が沈痛に変わる。

 メリエルは今度は軽装の甲冑かっちゅう姿になってみせた。

「役割が違います。私は戦いに参じた人々の代表者としてエウロペア女皇と呼ばれ、彼等のこころをまとめ、精神的支柱となって戦いを続けるために戦っています。騎士能力者ではありますが、私が最前線に立つことを望まない方がおりますので戦線にいる間は後方に待機しております。私が死ねば替わりがかつぎ出される。だから簡単には死なないという私の決意は、自分の役割を投げ出して誰かに肩代わりさせたくないという意思表示でもあるのです」

 人々のざわめきが一段と大きくなっていた。

「それではあなたがエウロペア女皇メリエルさま?」

 最初に声を掛けた青年がわななくように言うとメリエルは尼僧服姿に戻り、またも柔らかく微笑ほほえんだ。

「ええ、そして一番私を最前線に立たせたがらないのは、剣皇ディーン・フェルイズ・スターム陛下です。友人だからとか個人の感情ではなく、私が私として居続けなければなにかが壊れてしまう。それはあの方とて同じ事です。私はエウロペア女皇という大それた名前を僭称せんしょうしている小娘ですが、エウロペア大陸諸国からせ参じた騎士たちをまとめ、ベリアで国を亡くした人々と西ゼダに住む人々を護るという使命があって、味方として戦う人々のこころを守る私自身の戦いをしています。少しでも多くの戦士たちを集めるために率先そっせんして大陸を駆け回り、ことわりを説き協力者たちをつのっている。それだけの事です」

 メリエルに向かい思わず祈りを捧げる人々も出てきた。

 しかし、その一方でにらむようにメリエルにとがった視線を向ける人々も居た。

「貴方はそう言われるが、その戦いとやらに正義はあるのですか?」

 メリエルはフッとわらった。

 邪悪な本性を垣間見せたともとれる。

「なにをもって正義というかはそれぞれの解釈によるでしょう。しかし、絶対防衛戦線と呼ばれる私たちの居る最前線。その向こうにあるのは中央であるゼダ皇都パルムやこのミロアです。其処そこが侵入すれば数え切れない大勢が犠牲になる。そうしない為に私たちは日々命をしているのです。既にベリア諸国は機能不全におちいりました。戦争が日常となり、私たちの当たり前の生活は奪われた。その上でいのちまでも奪われようとしている。正義のあるなしに関係なく、私たちは皆と共に生き残る為の戦いをしている。憎しみがある敵との戦いを主導しているのでなく、彼等もまた生き残りたいという願いを抱いている。願いと願いのぶつかり合いです。其処そこに正義や大義はあってないようなものですが、正論を主張し現実から目を背けたところで何一つ状況は変わりません」

 メリエルに敵意を抱いた人々が前に進み出てきた。

「それはメロウが勝手に決めて、メロウが宿命として私たちに課したものでしょう。そんなものに私たちが付き合わせられるなんて不条理ではないですか」

 メリエルは不敵ともとれる挑発的な視線を一同に向けた。

 背後でエリーシャとテオとが身構えている。

「真理探究の都に在る方たちとは思えぬ妄言もうげんですね。この世の中は不条理に満ちあふれている。なにかを殺さなければ私たちは生きられないし、常にやり場のない怒りは在る。思うようには生きられないし、思う通りになる事の方が少ない。それでも生きたいと願うのはとても自然なことであり、なにかを食して空腹を満たし、誰かにって生きている。子供に親が必要なのは当然のことですし、子供たちが居なければ私たちがいずれ死ぬとき誰が後を引き継ぐというのです?」

 言いながら国内に武器が入ることよりも厄介なのは思想が入り込むことだとメリエルは感じていた。

 敬虔けいけんなファーバの信徒たちだからこそ、あざむかれていることにいきどおりを感じ、ルーマー教団に汚染されていた。

「神を認めぬ異端者は即刻排除しろっ!」

 誰かの発した言葉にメリエルはわらった。

「神ですか。それに異端ですか。言葉に対して実力排除という暴力で応じる。考え方や姿形の違いに対して暴力を用いる。暴力で否定したところで、更なる暴力に屈服させられる。それが野蛮やばんだとは考えぬのですか?言葉には言葉で、思想には思想で、同質のもの同士を戦い合わせなければその先にある真理は見えてこない。神の存在証明をするよりも簡単な事は、自らが神だと信じる者に少しずつ近づくことです。そうして貴方たちは更なる深淵と真理に近づき、人を変える者となりえます」

 安易にと口にしたその者に無言の圧力が加えられる。

 ファーバは自分たちをしばらない。

 司祭や僧侶たちが禁じるのは人として最低限守らなければならない戒律かいりつだった。

 「神の名をみだりに口にするな」「休息をおろそかにするな」「みだりに性交するな」「殺すな」「盗むな」「父母をうやまえ」「人をおとしいれる嘘をつくな」「他人の伴侶はんりょを寝取るな」「他人の財産を狙うな」の9つと最初の一つ目の改変である「創造者はメロウであり崇拝すうはい先達せんだつである偉大なる人々をうやまえ」だった。

 それがわずかに変えられたこのセカイにおける改訂かいてい版の「モーゼの十戒じゅっかい」だ。

 その意味で男こそが戒律かいりつに反した異端だった。

 本来なら「殺すな」に反しているメリエルにもその男ばかり責められない。

 殺さなければ生きられない。

 食料としての家畜や魚類、植物たちと脅威としての龍虫と

 ミロアに在る者たちはさとい。

 真理探究の都で真理探究する過程で、キリスト教やイスラム教という本来の考え方が曲げられた事に気づいたのだろう。

 だが、イエス・キリストや預言者ムハンマドを愚弄ぐろうするつもりも、否定するつもりもメロウにはない。

 その真意にかなうと信じて彼等の説こうとしていた考え方を吸収させたファーバを浸透しんとうさせてきたのだ。

 偶像崇拝ぐうぞうすうはいの否定。

 最大の偶像ぐうぞうとは唯一無二という創造神。

 創造者はいても創造神の居ないセカイ。

 メリエルの言葉を最初から聞いていた者たちは自分たちの誤解に気づいた。

「確かに。存在証明が難しい存在より、実際に過去に何かを成した人をうやまえという考え方はかなっている。ファーバをおこされたイスルギ様やその教えを継承してきた法皇様たち」

「神に少しずつ近づくことが冒涜ぼうとくでなく、真理探究の旅路。法皇様たちはそうされてきたという事なのか?あるいは俺たち自身も」

「生きる上で避けて通れない“殺すな”に反している。だけど、父と母あって生まれる私たちはなにも殺さずに生きてはいけない。それが?だとしたなら矛盾している。父と母を敬えというのは私たちもいずれは父や母になれという意味で、生きることが罪なら、なぜ私たちは産まれたんだろう」

「しかし、女神さまたちはどうして存在するのだろう」

 年若い女性の口から出た“女神”という呼称を聞いたメリエルは静かに説いた。

「彼女たちは便宜上べんぎじょう、女神と呼ばれているだけの人。祈り子として我々を導き我々のいとなみを見守る存在。そのこころは私たちとさして変わらない。だからこそ、私たちを愛し守ろうとしてきた。“当事者”として私たちを導いてきたのが法皇様たちならば、見守る事に専念されてきた“女神”たちは人のこころで人を愛し導いてきた。理解が及ばない存在なんかじゃない。だから、私たちのまごころにはこたえてくれる」

 メリエルの言葉に「そうか、そうなのか」「確かにその通りなのかも知れない」「祈りをささげずにはいられない私たちの想いとは彼女たちへのうやまいの心だ」

 毒気を抜かれたようになった人々にルーマー教団の者たちは歯がみした。

 すぐ手の届くところにメリエルが居るのに手出しが出来ない。

 メリエルはたたみかけた。

「異端なんてない。誰かが信じていることは誰かにとっての真実。けれど、それが唯一無二の真理ではというだけ。私たちが“まだ神ではない”というのは、簡単には否定出来ない私たちの原理原則という真理に対して、その存在を自覚して共に在るか、残酷であるが故に否定してあらがうかという選択の場に辿たどり着いていないという事なのですよ。そして私たちが真理をも超えるものを目にしたとき、それを“奇跡”という。それは確かに在り、神だけが奇跡を起こせるんじゃない。奇跡は往々おうおうにして人が起こすものなのです。さぁ、サマリア・エンリケ様にわせて」

 人々はこれもまたメリエルの見せた“奇跡”なのかも知れないと考えていた。

 ことわりと言葉と想いの力で道なき道を作ってみせた。

 ミロア大聖堂に続く道をふさいでいた人々はルーマーの教えを胸にサマリア・エンリケを論破しようとしていたのだ。

 そんな彼等を押しとどめようとしていたのが槍を構えた剣皇騎士たちだった。

 その代表者が動揺を隠せずにその少年に気づくと、槍を取り落として駆け寄り抱きすくめた。

「セオドリック、セオドリックじゃないか」

 無言で微笑するセオドリックにイブラヒム・ノルン少佐はひざをついて力一杯に息子を抱いた。

 メリエルは表情を曇らせつつ、親子の再会を見つめていた。

「真理の残酷ざんこくなる仕打ち。それがこの子から言葉を奪いました。私たちの戦いの真実。それが名前ある人として産まれてきたテオから言葉を奪ったのです。イブラヒムさま、剣皇陛下と鉄舟さまが、私たちが付いていながら申し訳ないとびていました。せめて愛する息子の今の姿を見せてあげることが貴方の忠節に対するせめてもの配慮・・・」

 いつもなら「父上っ」と元気な声で駆け寄るセオドリックが、一言も語らずただ微笑することの違和感を悟ったイブラヒムの表情が曇る。

 メリエルを見上げたその目には戸惑いと僅かな絶望感がただよっていた。

「貴方の息子セオドリック。テオと皆に親しまれるこの少年は仲間の死にいきどおりと怒りを抱き暴走しかけたといいます。剣皇騎士たちも既に多くが亡くなっている。本当なら彼等の“遺族”たちにも私はびたい。真理との戦いで。あるいは悪意との戦いで。一人また一人といのちの灯火ともしびが消えていく。大聖堂の警護を任されていなかったなら、イブラヒム殿だってあるいは」

 イブラヒム・ノルンは顔を上げ、その乙女が誰なのか分かった上で毅然きぜんと向き直った。

「エウロペア女皇メリエル様。騎士の本懐ほんかいを理解した息子が騎士の本懐ほんかいに目覚めようとしてこうなってしまったのでしょう。私たちはそれを恨んだりはしません」

 父とメリエルのやりとりを聞いていたテオはメリエルに思念信号波を送った。

 メリエルはそれを受け止めた上で更に沈痛な面持ちを浮かべた。

「パフティアルきょう、ユベールきょう、ダランスきょう、その名にご記憶は?」

 イブラヒム・ノルン少佐は並べられた名前に刮目かつもくしていた。

 メリエルに力無く答える。

「皆、私の同輩たちです・・・」

 メリエルは沈痛な面持ちで僅かに唇をんだ。

との戦いで亡くなりました。願わくばご遺族の方々にお伝えくださいとテオが申しております」

 テオはこくんと小さくうなづいた。

 イブラヒムは「はっ」と気づいてテオの顔を見た。

「セオドリック、お前は彼等の死で・・・。特にカーマイン・ユベールはお前にとって・・・」

 “義父ちちとなる筈だった人”だと思念信号波で知り、メリエルは言葉に詰まった。

 親友同士が子供たちを将来にはめあわせようと約束していたのだ。

 その先をイブラヒムに伝えるべきかメリエルは迷う。

 “カティには僕のことは忘れて幸せになってね”と。

 更には“その幸せを守るため、僕は命をす”と。

 メリエルは逡巡しゅんじゅんした後にイブラヒムに語った。

「カティさんという方に幸せになって欲しい。その幸せのために自分は命をすとテオは、テオは・・・」

 泣き崩れたメリエルにテオは優しく微笑みかけた。

(メリエル様、ありがとうございます。これで僕も迷うことなく戦えます)

 メリエルとイブラヒムの一連のやりとりを聞いていた人々が蒼白そうはくとなっていた。

「メリエル様の戦いとは我らの剣皇騎士たちも参加し、死闘しているのか?」

「ゼダの内戦に武力介入しているのではないのか?」

「失礼なことを言ってしまった。彼等のところに戦いの正義はある・・・」

 涙を目にめたメリエルは顔を上げて群衆の中に存在を隠しているルーマーたちをにらみ付けた。

「ファーバを冒涜ぼうとくし、聡明そうめいなミロアの人々を迷わせている貴方たちはなに?上位種かのように思索と探究を続ける敬虔けいけんな人々に対して“あざむいて申し訳ない”とは少しも思わないの?私たちの戦いはテオのように純粋な子さえも壊してしまう。その末路に想うところがあっても職責に従順たろうというイブラヒム様は愛息に対しても、同輩たちのように黙って殺されるよりはマシだと自制しているっ!それでも仲間を想い、家族を想い、その未来を作るために愛する人々を守ると決めて戦っている。少しは同情しなさいよっ!自分たちが正しいと信じているなら堂々となさいよっ!やましい事がある癖にファーバを信じるエウロペアネームドを扇動せんどうしてそんなに面白い!?それぞれマークはしたわ。ナノ・ブレードでいますぐ首をねてやりたい。ディーンは裏切りの西風騎士たちの首を率先そっせんしてねたわっ!痛快だったっ!裏切り者には裏切り者に相応ふさわしき死を。ルーシア成立の悲劇やルーマーへの躊躇ちゅうちょからディーンは貴方たちにさえ同情し、とは思っていても手控えているっ!偽りの女皇国が貴方たちを生んでしまったとやんでいるっ!それに甘えてミロアを乱す貴方たちを私は許さないっ!死ねば少しは後悔するのっ!だったら殺すわ」

 エウロペア女皇メリエルの激情にルーマーたちは恐れおののいた。

 メリエルのナノ・ブレードでなく、ミロアの人々に「ふざけるな!れ者」と断罪される事さえ予期してルーマー教団から送り込まれた彼等は身をすくめた。

 外の騒ぎを聞きつけ、杖をつきつつ現れた老人に一斉に祈りが捧げられる。

「およしなさい、エウロペア女皇陛下っ!ファーン様やエドナ様の築き上げたこのミロアを血でけがしたところでなにも変わらない。だからこそ、私は隠れ人々のまごころに期待した。きっといつか気づいてくれる。荒廃したシェスタをミロアに変えたあの方たちの想いを理解してくれる。そう想うからこそ自制できた。忠臣イブラヒムに想うところがあるからこそ、その息子テオの身に起きた悲劇もつぶさに理解しました。私をあがめ、敬意をあらわにしてきた剣皇騎士たちの最期さいごについても、私は想うところが大きい。だが、それでもミロアの法皇の一人として一個人の感情を排除せねばならなかった。それが大役を担う身なのです。アリョーネ陛下とて、カール大帝とて、悔しさを抱えて敢然かんぜんと前を見据えておられる。目と鼻の先にあるというのにナファドが雌伏しふくを余儀なくされた事情とて分かる。激情に身をゆだね、やり場のない怒りをあらわにしてなんになります?庶民たちはせいぜい己の立場と思索とで私たちの至らなさを責める。しかし、そんなものに惑わされてはならないっ!他者の悲劇が悔しくて泣く貴方は心優しい。しかし、エウロペア女皇としては未熟。大国元首として貴方はもっと多くの悲劇を目にしても毅然きぜんとして、常に次を見つめる冷静さを保たねばならないのです」

 たまりかねて登壇したサマリア・エンリケにメリエルはうやうやしくひざをついた。

 その叱責しっせきについてだって己の未熟を呪った。

「サマリア・エンリケ様、見苦しいところをお見せしてしまいました。お迎えにあがりました」

 サマリア・エンリケの答えは明瞭だった。

ことわりと言葉で道なきところに道を生んだ貴方は実に優秀であらせられる。しかし、エウロペア女皇としての未熟は、ルーマーを信じる者たちもまたエウロペアの民なのだということです。エウロペアより生じたルーシアもまたエウロペア。蹂躙じゅうりんを許したベリアもまたエウロペア。私たちはエウロペアの未来をゆだねられたなのです。剣皇陛下たちは自制して戦っておられるのも、誤解と回り道をしている彼等にだって誇り高きエウロペアの民となる可能性はあるのだと。墨染めの法衣を血でけがすナファドとミシェルもよくよく考え抜いた上で《墨染めの双剣聖》として戦場に立っている。貴方やアリョーネ陛下とて同じこと。ならば法難ほうなんい、流浪の中に身を置き、ファーン様、エドナ様らとミロアをおこした我が祖ラウダに託された因子の力で私もまた戦場におもむきます。誰かが死者をいたみ、祈りを捧げ、無念に散った人々の魂を慰めなければ、彷徨さまよえる怨念がセカイをおおい、エウロペアはエウロペアでなくなります」 

 メリエルの目からどっと涙があふれ出た。

 メロウがファーバをファーバにしていて良かったのだ。

 女犯にょぽんの禁など設けなかったから、最後になった“流浪の法皇”ラウダ・エンリケの子孫としてサマリア・エンリケが生まれ出ていた。

 騎士でないサマリアは現人神あらひとがみと言っていい高潔さと真理の知覚をしていた。

 真理を恨まず、人を憎まず、なんじの敵を愛するイエス思想の体現者。

(この方もまたするだけの徳を備えている。それでもまだ足掻あがく我々の道標みちしるべとして、の一人として人としての生を全うされようとしている)

 知のライザーに対し、徳のサマリア。

 この人と人徳を比べてしまうのはナファド、ミシェル、ラーフラにはこくな話だった。

 サマリアを論破しようとしていた人たちが膝をついて熱心に祈りを捧げている。

 ルーマー教団の者たちが言葉を失い呆然となっている。

 この人は陣営を問わず、此処ここにいる全員にとって大切な人だった。

「メリエル陛下、私はアベラポルトに向かいます。アベラポルトこそがファーバとルーマーに共通した聖地。異なる二つの種族たち、そして福音の人々にとって融和ゆうわの象徴となる地」

(聖地エルサレム・・・。そのことにも気づいていたんだ)

 メロウのゆがめたエウロペア地図に取り込まれていたエルサレム。

 しかし、現在は暗黒大陸ネームレスたちの支配域のど真ん中だ。

「さぁ、最後のワルキューレの眷属けんぞくたるブリュンヒルデ。女神ウェルリッヒと共に来るのです。私のミロアでの役目は終わりました。ミロアの人々にを示す。さすれば、敬虔けいけんな人々も私がのでなくのだと理解しましょう」

 「えっ」と言ったメリエルは公都ベルヌのある方角を見た。

 真っ白な巨竜がベルヌの方角から猛スピードで飛来していた。

「メリエル様、貴方の説諭せつゆはまだまだ未熟です。こころを揺らさず、憎しみをあらわにせず、人と対話するその力。ご自分でおっしゃっていた事をもう一度思い返しなさい。その中には既にある」

(メロウ、自分の中にあるに一歩でも近づくことが、人を変える者になるという意味だよ)

(私がに?かりそめの女神にもなれないのわたしが?)

 戸惑うメリエルにサマリアは皺深しわぶか柔和にゅうわな顔でそっと微笑んだ。

「このセカイの他の当事者たちと共に歩みなさい。半分に割った本来の名を取り戻す努力をなさい。そうすれば貴方の作り出したナノ・マシンたちが応えてくれる筈です。皮肉な話です。貴方の真の対と貴方はとてもよく似ている。名前と共に取り戻すべきは正に“名の呪い”そのものです」

 白亜の巨竜がミロアをおおうようにしている間にサマリア・エンリケの姿は忽然こつぜんと消えていた。

 遠く西に飛び去ったブリュンヒルデを見つめつつメリエルは呆然としていた。

つながりを示す捨てた名の半分である“リンク”を取り戻す?“メロウリンク”として「名の呪い」と対峙たいじしろ?けれどもメロウリンクは絶望の象徴・・・)

 自律型戦術人造頭脳であるTypeメロウリンク。

 真の世界でおぞまきし人の業が作り出したとしての自分と対峙たいじする?

 真の対?

 それはフィンツの名もからだも捨てた誰かなのか?

 それともスレイ・シェリフィスの名を捨てたアリアス・レンセンなのか?

(フィンツじゃないよ。あの人が今更になって名を取り戻してもほとんど意味がない。の名に呪われているのはディーンにいさん。だけど、にいさんはだと思ったことはおそらく一度もない。むしろ、スレイね。貴方がアリアスをと呼び続ける理由もやがては分かるわ。それは貴方のと自分を見失わないでというなのだもの)

 静かにささやきかけたメルは遠からずその機会が訪れるだろうと察した。

 《命名権者》のくれた愛するこの子の本当の名。

 愛する人と似たその名で「自分を愛しなさい」というたちの願い。


統一歴1512年4月15日


 ティルト・リムストンはナコト写本と真の書の解析調査に続いたファイサル・オクシオン法皇との話を終え、パルムに戻る電車に揺られていた。

 既に解析調査は大詰めに差し掛かっている。

(「名の呪い」か。“黒髪の冥王”も“嘆きの聖女”も“砦の男”も名の呪いなら、“スレイ・シェリフィス”も名の呪いだよな・・・)

 女皇戦争の顛末てんまつを知り、東方戦争の終焉しゅうえんを知り、6月革命の真相を知り、知りすぎてしまった自分を怖いと思うようになっていた。

 メリエルの正体も知った。

 その死の真相も。

っ、こらっ。電車の中を駆け回ったりしないの」

 見知らぬ親娘の他愛のない会話にティルトはドキっとしていた。

 不思議の国と鏡のセカイを旅したアリス・・・。

(いや、本当に旅をしていたのはだったか。凪の季節を除いて大軍師アリアス・レンセンはベリアまで拡大した絶対防衛戦線を動けなかった。しかし、希望の堕天使だてんしと共に過去と未来を旅し続けた。フレアール・エンデの搭乗者だったアリアス。その意味するところを知ることなかったメリエル・・・。そして二人に起きた悲劇である対の決戦。決戦地フォートセバーンも今はもうない)

 だが対の決戦の持っていた意味がセカイの在り方を変えた。

 人々の恐怖と絶望の魔獣だった“白痴はくちの悪魔”が姿を変えたからだ。

 白痴はくちの悪魔は白痴はくちの悪魔ではなかった。

 騎士王アーサーのマストアイテムである聖剣エクスカリバー。

 それは文字通りのであり、なにかを倒すために用意されたのでなく、全てを切りひらくために用意されていた。

 真に恐るべきは認知の罠・・・。

「もぅ、お手洗いが混んでて散々待たされたわよっ。もう少しで漏らしちゃうところだったわ」

 向かいの席に戻ろうというエリザベートのにもティルトは過剰に反応していた。

 知った秘密は

 真実の物語について概要は語れても、あるいは知ってはならなかった秘密はディーン・エクセイルと同様に墓場まで持って行かなければならない。

 一番恐ろしいのは真実の物語とはであることだった。

「ベス、ボクの父さんの死因について話したっけ?」

 なぜかおびえるように言うティルトにエリザベートは怪訝けげんな顔をした。

「お父様は病死されたんじゃないの?」

 ティルトはふぅと息を吐いた。

「違うよ。父さんは狙撃されたんだ。銃弾が心臓近くに命中し、それで生死の境を彷徨さまようことになったんだ。なぜかは分かっている。けれど、実は母さんや姉さんにも秘密にしていた。義兄にいさんには知られたくなかったからさ。知れば折角の将来が台無しになってしまう。なにしろ父さんの正体はベリアのスパイだったからさ」

 エリザベートは口許に手をやったまま絶句した。

「それで察して欲しい。ボクは士官学校にんじゃなくて、んだ。スパイが潜入先でを作ることはよくある事らしい。だから、ボクら家族はあくまで父さんにだまされていたと思って貰う必要があったんだよ」

 エリザベートは声をひそめた。

「誰に?」

 ティルトは車窓に視線をやって口許をゆがめた。

「ゼダ内務省の秘密警察にさ」

 エリザベートは再び絶句していた。

 ゼダ共和国には隠密機動や調査室の流れをむ秘密警察がある。

 その程度ならゼダの国民みんなが知っていた。

「だから、ボクは父さんの世襲せしゅうスパイと疑われることを恐れた。士官学校を出て軍の士官になっていればいよいよ疑いの目は向く。けれど、エルシニエで大学生をやって、学問で身を立てて史学者への道を進めばスパイの疑いは晴れる。秘密警察は父さんの事務所を家宅捜索していた。古美術商というのはスパイとしては格好の隠れみのだったんだ。商品の買い付けで国内外に出入りする。けれど、ファイサル法皇猊下ほうおうげいかはご存じだったよ。父さんの経歴や素性と血統に至るまでね」

 ミロアから電車に乗る間、ティルトが僅かに青ざめていたことにはエリザベートもとっくに気づいていた。

 しかし、それはティルトがナコト写本からとんでもない事実を掘り起こしたせいだと信じていた。

「だけど、それならなぜ、あなたの調査はとどこうりなく進展していったの?」

 ティルトは僅かにだが、エリザベートに恨みがましい視線を向けた。

「エクセイルに関わる人々から指名されての調査だったからさ。それに調べていたのは200年前の話であり、国王陛下からの推薦状が与えられたのも、ボクの調査と父さんの仕事とが無関係なのだと思われていた。けれど違う。父さんはエクセイルとラファールを調べていたんだ。だから、叔母さんがラファールに嫁いでいる母さんに接近したんだ。父さんはお金に関しては頑固でゆずらない人だった。でもそれって金銭的なつながりがあれば秘密警察の疑いの目はラファールを継承したウィルコットおじさんに向いてしまう」

 エリザベートは毅然きぜんとそこで終わらせるべきだと判断した。

 それ以上の言葉をティルトに話させてはいけない。

「それでティルト、あなたは自分の父親についてどう結論づけたの?今も愛しているの?それとも恨んでいるの?」

 ティルトの視線は泳ぎ続け、考えあぐねた末にポツリと告げた。

「父さんをいまでも愛している。おそらくはベリアの愛国者だったから危険なスパイを買って出た。その理由もはっきりしている。そういう父さんの子であるボクだって真実の物語と無関係なんかじゃなかったとファイサル猊下げいかから告げられた。父さんが剣皇ファーンに固執こしつしたのだって、ミロア成立に関して想うところがあったせいだ」

 エリザベートはティルトを突然抱きすくめた。

 その耳元でささやくように言う。

「だったら別にいいじゃない。あなたは私の。だけど、陰謀に関与したりとか国を転覆てんぷくさせるためだとかじゃなかった。お父さんの持っていた能力があなたに受け継がれて、想定外の物語が明らかになった。確かにそれは全て開示されたら国がひっくり返ることになる。けれどそうしないと決めている」

 確かにそうだとティルトは思った。

「ありがとう、ベス。君を離したくない。君を失いたくない。父さんのルーツだってゼダにあった。ボクのゼダへの愛国心は調査を続けていよいよ深くなっていった。偽りと裏切りの女皇国の真実。涙が出そうだよ」

 その日、ティルトは自分の素性を思い悩むのをやめた。


 約20年後にティルト・L・エクセイル史学教授はリーベルト賞を受賞する。

 平和賞として与えられたが史学部門での初の受賞という快挙だった。

 受賞研究は「ミロア法皇国成立史とファーバ教団の変遷へんせん」という内容であり、ファーン・スターム、エドナ・ラルシュ、ラウダ・エンリケ法皇らがボルニアに法皇国をおこしたが、それは戦乱の時代にピリオドを打ち、エウロペア再生のためにゼダ女皇国を説き伏せて実現したのだとした。

 真史にまつわる「ボルニア戦役」には一切触れず、ゼダはあくまで話し合いに応じ、ゼダ交渉団代表のダイモス・エクセイル侯爵が女皇サーシャと女皇マライアとの連絡役として交渉をすすめ、フェリオの選王侯ライザー・ウェルリフォート侯爵が提示した内容を吟味ぎんみしたのだとした。

 難しい交渉は長期化し、その間にサーシャとライザー、エドナはこの世を去った。 

 つまり、エルザとファーンの戦いもなく、禁門騎士団と剣皇騎士団の対決もなかったのだとした。

 この新たなは十字軍戦争と大戦について当時研究していたダイモス・エクセイルが交渉にたずさわる多忙から書き漏らし、謎が憶測を呼んで正確な記録が残っていなかったのだとした。

 あるいはゼダ、フェリオという大国間の極秘案件である事から交渉記録を敢えて残さなかった。

 そうした形で具体的な偉業が分からなかった辺境王ファーンや剣聖エドナがティルトのにより救われた。

 ゼダも後にゼダ共和国に合流した法皇国市民たちも、世界各国のファーバ教徒たちがティルトの唱えた成立史を信じて支持したのだ。

 ケヴィンの指摘通り、既に記された歴史は書き換えるのが困難だ。

 しかし、在る筈でを新たに書き加える事は難しくても出来るとティルトは証明した。

 「ボルニア戦役」などなかったとする半分は嘘だが、もう半分は紛れもない真実に他ならない。

 ゼダ女皇サーシャ、ゼダ女皇マライア、ラウダ法皇、ダイモス侯爵、ライザー侯爵、そして剣皇ファーンと光の剣聖エドナは平和と繁栄とが、戦いに傷ついたエウロペアにもたらされることを願っていた。

 ミロア法皇国は人々の平和への願いが作り上げた。

 残滓ざんしというにはあまりにも崇高すうこうな法都ミロアは現在も残った。

 皮肉にしてそれはスパイとしてティルトの父親が調べていた事実とも符合ふごうしたのだった。

 リーベルト賞の受賞でティルト・L・エクセイル教授の名は全世界に広まった。

 そのことがティルトとエリザベートの息子アーサーの戦いを可能にすることになった。

 やがてはティルトの一人息子であるアーサーもリーベルト平和賞を受賞することになる。  

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