第4幕第4話 パルムドールの光と闇

女皇歴1188年9月7日20時15分

皇都パルム ポンパドゥール


 ヴァスイム・セベップはこの1ヶ月というもの驚かされっぱなしだったが、こればかりは驚愕きょうがくし、同行する破天の巫女セリーナ・ラシールの真意を敢えて確かめた。

「お嬢、これはまたどういった趣向だというのです?」

 「お嬢」というセリーナの本当の父親がアリョーネとオードリーたちに使う呼称をヴァスイムはセリーナに対して普段から使うように指示されていた。

 エドナ杯の開催されたマルガの街もそれは華やかな都市だったが皇都パルムは桁外けたはずれだった。

 フェリオからの列車で中央駅に降り立つやいきなりタクシーで高級デパートへと連れて行かれ、上から下まで今まで着たことのない高級紳士服を着せられたヴァスイム・セベッブは驚き呆れるのを通り越していた。

 更に広大な表通りの高級レストランの個室に破天の巫女をエスコートさせられて正直なところ面食らっていた。

「まっ、最後の晩餐ばんさんだとでも思って頂戴ちょうだい。あれを」

 セリーナの視線の先にある張り紙には9月20日で店は無期限で休業するとあった。

「どうしたわけなのです?」

 セリーナは不敵に微笑んでみせた。

の意向なのでしょうね。このポンパドゥールはパルムに遷都せんとされた200年ほど前から続く老舗しにせのレストランよ。もともとハルファで懇意こんいにしていた店をエクセリオン女皇陛下がせがんで招き寄せた。大方、また従業員とその家族とを引き連れてハルファに引っ込むのでしょうね」

 伝統と格式を守るためにはそれなりに工夫と先見の明が必要なのだった。

 北海沿岸のパルムに店を移したことで、各種海鮮料理もメニューに加えたポンパドゥールだったが、このところの物価高で食材の調達が困難になっていた。

 その上で店のオーナーである女子爵の指示でハルファへ店ごと移住しようということになったのだ。

「最後の晩餐ばんさんとはそうした意味でしたか」

 ヴァスイムはこれから任務と行動がより困難を極めるから、それこそ本当に最後の晩餐ばんさんのつもりでセリーナはパルムの馴染なじみの店に連れてきたのであろう。

 ワインボトルを納めた籐篭とうかごうやうやしく移動式のトレーに乗せてきた若い従業員の男が二人を確認して艶然えんぜんと微笑む。

 だが、ヴァスイムは思わず席を立ち愛用の短剣を懐から抜いていた。

 若い従業員の男もアイスピックを片手に応戦の構えを見せる。

「遅かったわね、ナダル」

「義姉さん。マサカこんなところに堂々と来るとは思わなかったよ」

 ナダル・ラシールは変装を解いて女皇正騎士の白い隊服姿になっていた。

 普段から着慣れている黒装束とはまた違った趣向に今度はセリーナが艶然えんぜんと微笑む。

「隠密機動のナダル・ラシールか?」

 ヴァスイムの誰何すいかに対し、ナダル・ラシールはしれっと応じた。

「“女皇正騎士の”と言って欲しかったね、ヴァスイム・セベップ。こんな良い店を血で汚すのは忍びない。正式隊服姿なのは場所柄とこれからここに来る客をわきまえてのことだ」   

「おばばの指示ね?もう一人ヴァスイムの嫌いな隠密機動が来るわよ。そしてとびきり腕の立つ女皇正騎士もね。貴人のエスコートとしては当然でなくて?」

 なに食わぬ顔で席につくナダルは身のこなしが優雅でさえあった。

 ヴァスイムは慄然りつぜんとしていた。

「お嬢の良い人が義弟のナダル・ラシール少佐だとは聞いていましたが」

 ナダルはくっくと笑った。

っていうその呼び方っていいね。小太り中年男の伯爵を思い出すよ。あの方が去られたのでパルムドールは地獄にまっしぐらだ。この店もあと2週間足らずでたたんで出て行く」というとナダルはヴァスイムを改めて値踏みするように視線でめ回した。

「案外似合っているじゃないのさ。ただ物腰にもう少し落ち着きと優雅さがあるといいのだけれどね」

 ヴァスイムは自分に流れる血の意味を思い知った。

「レイス・レオハートの係累けいるいか・・・。俺の魂はその先代たるボストーク・ヴェローム大公の子だというし、今の俺にも少しはその血が流れている。《砦の男》の語った通りだという訳か」

 ヴァスイムの言葉にナダルは好印象を抱いていた。

義姉ねえさんの雇われ騎士としてはそれ位でなくてはね。これから会わせようという人は本来もっと洗練された紳士でないといけない。いつもなら天井裏でネズミの真似事をしている僕でもこの通り女皇正騎士として列席を許された」

 ヴァスイムは唖然あぜんとなった。

「まさか・・・」

 ヴァスイムの脳裏に浮かんでいたその名はけたたましい一団の到来により打ち消された。

 観劇帰りといった体裁の三人連れの淑女しゅくじょたちが寸評をせわしなく口にしつつ、ドレスで正装して連れ立って入室してきたのだ。

 ヴァスイムは呆然自身となって彼女たちを見た。

「あらいい男じゃない。少しワイルドだけれど、その鋭い視線がとてもセクシーだわね。セリーナ、うちの子から乗り換えるつもりかしら?」

 デュイエ・ラシールはその息子と同様にヴァスイムの上から下までをめ回した。

(隠密機動のデュイエ・ラシールか。潜入中の同胞たちが至極しごくあっさりと殺される筈だ。息子と同様に殺気を完全に消している)

「意外と堂に入ってるじゃない。この夏のマルガでの評判は新聞で拝見しましたわ。貴方のお仲間の粗相そそうで私はこれでも忙しいのよ。お陰でお酒は控え目。この後はラファール少将のご自宅にお伺いする予定よ。貴方に加えてラシール三人衆がそろい踏みしているのだから宮殿までの警護役は必要ないわね」

 マグワイア・デュランはヴァスイムには少しの興味も関心もないと言いたげだった。

 ナノ粒子対策問題で文字通り奔走ほんそうしていて少し疲れている様子にも見える。

(女皇騎士団騎士長マグワイア・デュラン少佐か。インテリのようだけれど、鋭い牙を隠しためすライオン。レオハートの名は彼女の方にこそ相応ふさわしいな)

 最後の一人にヴァスイムの視線は注がれたが注ぎ続けられなかった。

 思わず平伏し、その場に片膝をついて最敬礼していた。

 ヴァスイムにとってはその人生で最初の機会だった。

「およしなさい。折角、皆がこうしてオバサン三人を演じているのにそんな姿を誰かに見られたならすっかり台無しです。それになかなか良い見立てをしているわね。エドナ杯での貴方の勇姿をこの目で確認出来なくて残念だったわ」

(ゼダ女皇アリョーネ・メイダス。まさか本人とこうして対面する機会があるだなんて。それにしても俺を初めて見た?ではマルガ競技場の観覧席に居た女皇はだったのか?)

 平伏をたしなめられたヴァスイムは屹立きつりつして頭を垂れた。

「貴方たちが跋扈ばっこするうるわしの都に居るのも容易ではないわ。大好きな騎士手合いも、楽しみにしていたエドナ杯の観戦もお預けにされた。エレナはよく戦いましたか?」

 雷に打たれたようになりながらヴァスイムは腹の奥から声をしぼり出していた。

「エレナ姫はその敗戦と引き替えに私に可能性を見せてくれました。フィン・フォーマルハウトとの戦いは正に水入りで水を差されましたが、エレナ姫の勇敢で才能のあふれる戦いぶりには朋友ほうゆうケイロニウスと共に感心して見守らせて頂きました」

 アリョーネはその言葉にすっかり満足している様子だった。

「騎士として意義のある戦いをしたのであればそれは上々。これは褒美ほうびの品です。エウロペア聖騎士としての戦いに必要であれば躊躇ためらいなく抜きなさい」

 アリョーネにかわりナダルが豪華な箱をワイントレーの下段から取り出した。

躊躇ためらいなく抜け?ひょっとするとこれは・・・)

 ナダルに目配せして箱を開け、中に納められていたそれを確認したヴァスイムは思わず身震いした。

 見たことのないもんの入った見事な造りの短剣。

 ヴァスイムが懐に忍ばせたそれが貧相ひんそうに見えるほどの逸品いっぴんであり、実戦で使うことを前提として華美ではない。

 超一流の刀工の打った銘品めいひんであり、売ればこのパルムの屋敷が一軒買える程の品だった。

「本来、貴方なら私の騎士に迎えたいところですわ。しかし、それはあくまでも褒美ほうびの品です。私はエウロペア聖騎士に忠誠を求める程に傲慢ごうまんでもない。そしてそれを用いて誰をいせとも言いません。私とハニバル、エドラス陛下、剣皇カール大帝陛下からのささやかな贈り物です。パルム大聖堂に在る先代の法皇猊下ほうおうげいかの祝福も与えられたエウロペア聖騎士の身分証がわり。それを目にしたならば我が息のかかった騎士団に在る者ならば誰もがその意味を理解致します」

 そのときはじめてヴァスイムは自身に与えられたエウロペア聖騎士の意味を思い知った。

 ゼダ女皇のみならず、ヴェローム公王、フェリオ連邦王、ミロア剣皇、そしてファーバ法皇からの期待と信任。

 ケイロニウスに与えられた剣聖どころの話ではない。

 その証こそがその短剣が持つ意味だった。

「私のような血に汚れた傭兵騎士風情ようへいきしふぜいには勿体ない」

 ヴァスイムの目を一筋の涙がこぼれ落ちた。

 こんな感動はあのとき以来味わったことがない。

 それは6年前にやはり貴人との密会の場であった。

「エウロペアホーリーオーダー。今在るエウロペア諸国の王たちとその治世のもとで暮らす人々の信任と期待。亡霊騎士とさげすまれても貴方は誇り高きエウロペアでもまれな騎士であるというなによりの証です。その身は大陸を背負い、エウロペアネームドの、あるいはエウロペアネームレスの未来の為に行動せよというものです。我が後輩たる祈り子エカテリーナも貴方にはそのような立派な騎士となって欲しいと願うでしょう。気負うことなく励みなさい。既にリンツ工房に依頼してありますので、いずれ貴方の愛機の胸にも同じもんが刻まれます」

 《砦の男》ライザーがヴァスイムをエウロペア聖騎士に指名した事にはそれほど重大な意味があった。

 ヴァスイムの行動支援のために大陸で名だたる全てが協力を惜しまない。

 目の前の女皇の全権代理人たる紋章騎士を軽く凌駕りょうがするその身に重すぎる使命を与えられた事にヴァスイムの全身の細胞がき立った。

「破天の巫女の雇われ騎士というのは皮肉とブラフです。むしろ、私が貴方の影であり、ナダルがそうであるようにその身をして国を護る私たちよりも、エウロペアの調停者である貴方の使命は重い。獅子心の矜恃きょうじとハイブリッドとしての矜恃きょうじ。産まれてきたその意味を改めて問い直し、信任者たちからのを感じなさい。女神たちとファーバ法皇の祝福を受けたヴァスイム・“レオンハルト”。《命名権者》からの最後の贈り物である尊き名。キエーフ防衛に命を賭した騎士たちと祈り子たちの想いの結晶こそが貴方が貴方であるという意味です」

 セリーナ・ラシールからの言葉がヴァスイムの背中をそっと押すようにした。

 エウロペアネームドの矜恃きょうじをその全身に感じて祖国ルーシアの未来をも見据えたヴァスイムは毅然きぜんと身構えた。

「さ、食事に致しましょう。ナダル、ワインを。エウロペア聖騎士の前途に祝福のあらんことを願って乾杯致しましょう」

 アリョーネの命令にナダルが列席者全員にワインを注いで回り、その間にヴァスイムはアリョーネとセリーナの言葉の意味を改めて問い直した。

(女神?我が魂の母エカテリーナ・エルミタージュ、覚醒騎士たる俺の誕生の見届けだったミュイエ・ルジェンテたるウェルリッヒ・ミューゼまでは分かる)

(そしてオリンピア・パルマスとマーガレット・アテナイです。私ももとは女神オリンピアと呼ばれた祈り子。ただし、このことは貴方の胸の内にだけ留めておきなさい)

 ヴァスイムにだけ届く微弱な思念信号波にヴァスイムは思わずアリョーネを凝視ぎょうししていた。

 ゼダ女皇かつ読心の巫女たるアリョーネが女神オリンピア・パルマス?

 思わず平伏したのはアリョーネが大国ゼダ女皇だからだけでなかった。

 ヴァスイムの未来認知にあったティリンス・アウグスト・ブランとの邂逅かいこうと密使としての彼女をアリョーネに引き合わせることの意味。

(責任重大だな。今ここで面通しされたことも証を授けられたこともそうした事態への伏線だったか。そして、アリョーネ陛下の言われていた我が息のかかった騎士団とは、ゼダ女皇騎士団、ゼダ国家騎士団、外郭がいかく支援部隊エルミタージュ、女官騎士団スカートナイツ、ゼダ近衛騎士団か。そしてルートブリッツ、フェリオ遊撃騎士団、剣皇騎士団。かつての同胞たちやルーマー騎士団と戦うためなら彼らを動かすことさえ出来るのか俺は)

 800年前にあったキエーフ防衛戦での絶望の中から未来への希望として産まれたヴァスイムは、エウロペアのあらゆる国家とその国家あるいは要人たちに忠誠を捧げる各騎士団を意のままに動かせる絶対権力を持ったということだった。        

 剣皇とほぼ同義だが騎士団なき騎士王という意味では、剣皇と違い替わりの居ない孤独な戦いを余儀なくされる。    

 その実、「騎士殺しの悪魔」だが、エウロペア聖騎士で最下級の少尉として絶対防衛戦線に潜入したフィン・フォーマルハウトは身分など示す必要がなく、女神マーガレット・アテナイの化身ただ一人を護るためにつかわされた。

 前途を祝して成された乾杯も、その後の豪華で食べたことのない食事もヴァスイムはその口にしながらも味はほとんど覚えていなかった。

 その美味な味を覚えていたならかえってこの先苦労することになる。

 泥をすすり、ひとかけらの食事にもありつけないひもじさに耐えてエウロペアをおおうエルミタージュやルーマーの悪意と戦うことになるヴァスイムには、セリーナが最後の晩餐ばんさんだと称したこの食事を本当に最後の晩餐ばんさんにしない為の覚悟と決意こそが求められていたのだ。

 

女皇歴1188年9月7日22時35分

女皇宮殿前


 アリョーネを女皇宮殿に送り届けた際に近衛隊の警護する通用門と隠し通路を教えられたヴァスイムはしっかりと脳裏に刻みつけた。

 パルムに潜入しているエルミタージュセルたちもその存在も位置も特定出来ていないゼダの最高機密。

 例の短剣をそっと示すだけでヴァスイムは厳重な警備網をくぐり抜けられるのだ。

 女皇陛下を宮殿に送り届けるとナダルとデュイエは闇に消えた。

 再びセリーナと二人きりになり、ヴァスイムは慣れない事の連続による疲労感をにじませていた。

「まだ半分よ。パルムドールの光は見せたわ。そして、次はパルムドールの闇」

「お嬢、パルムドールの闇とは?」

 セリーナ・ラシールは鋭く目を光らせた。

「行ってみれば分かるわ。エルミタージュハイブリッドたちがこのパルムに何処まで深く入り込み、ルーマー教団に鞍替くらがえしたパルム市民たちに深く浸透しんとうしているか。基本的にあたしは叔母様を失った天ノ御柱オリンピアから良く思われてはいないの。破天の巫女というのはセカイの原理原則や真理と敵対するという宿命なのだし、私だけが影響をまぬがれる。正気を失った人々の中でただ一人正気を保つのも容易ではない。ケイロニウスから聞いていたでしょう?貴方の精神耐性は正に女神エカテリーナの加護によるもの。天技も含めたまやかしが一切通じない。だからこそ、その使命を知ったエウロペア聖騎士としての貴方は私と同質であるし、エカテリーナの加護があるだけはるかにマシな存在なのです」

 セリーナはタクシーを拾ってパルム南区へと向かった。

 華やかな色町である歓楽街を抜け、貧民街奥に入ったところで停車させる。

「私の言葉の意味はこの先を進めばおのずと分かります。ミセで逢いましょうヴァスイム・レオンハルト」

 惑いの回廊が仕掛けられた通りの手前でセリーナはタクシーを停車させた。

 先を行くセリーナの姿が消えたとき、ヴァスイムは本能的に危機を察知した。

(なにかある。しかしなんだかは分からない。お嬢はミセで逢おうとだけ告げた。だとしたら踏み込むだけだ)

 ヴァスイムは通りに踏み出した途端に「惑いの回廊の裁き」を受けるかに思えた。

 しかし、なんの障害もなく、気づけばただ一軒のバーの店先に立っていただけだった。

(まやかしが通じないとはこういうことか)

 かつて惑いの回廊を抜けた者たちと違い、ヴァスイム・セベップは難なく辿り着いた。

 ミセのドアを開いて中に入ると数人の男たちが深刻な顔で話し込んでいた。

 闖入者ちんにゅうしゃであるヴァスイムに一斉に視線が注がれる。

(あきらかに騎士が二人と軍関係者が数人。だとすると、短剣の出番か)

 ヴァスイムはアリョーネから授かった短剣を早速試した。

 さやから短剣を半分だけ抜いてもんを示す。

 短剣に刻まれたもんを見るなり明らかに様子が一変していた。

「エウロペア聖騎士ヴァスイム・セベップか?」

「容姿が新聞報道された通りだ。エドナ杯から消えた謎めいた騎士・・・」 

 ゼダ国軍大尉の階級章をつけた若者が一人進み出て握手を求めてきた。

 利発そうな印象の青年。

「ようこそ、ミセへ。私はリチャード・アイゼン大尉。ゼダ国家騎士団参謀部付きの大尉です」

 リチャード・アイゼンは屈託くったくなく微笑んで右手を差し出していた。

「ゼダ国家騎士団トゥドゥール・カロリファル副総帥の懐刀ふところがたなと呼ばれた男。オラトリエス電撃攻略作戦の立案者であり、ゼダ東征の作戦指揮官。それ程の大物だというなら他の顔ぶれもまた」

 ヴァスイムは差し出されたリチャードの手を取った上で他の顔ぶれを見回した。

「俺は《C.C.》。ここに集う同志たちのまとめ役であり・・・」

 エーベルの自己紹介が済まないうちにヴァスイムはその男を鋭く注視した。

「エーベル・クライン。俺たち傭兵騎士団エルミタージュから試作輸送艦ブラムド・リンクを強奪したという作戦では先陣を切り、ダガーの二刀流でブレインズの先代ドゥヴァを殺った凄腕すごうでの騎士。《百識》はブラムドの利用価値が分からない女皇騎士団から奪還し、自分たちの輸送艦として運用すると称していたそうだが、強襲揚陸艦きょうしゅうようりくかん一隻を犠牲にしてまで手に入れた戦果をと言う筈がない。だが、ブレインズは《百識》とアリョーネ女皇の遺恨いこんを信じた。潜入中のノーリ総司令への信任がそうさせた。実際はそうじゃなかった。光学迷彩稼働艦であり、《ナイトイーター》支援艦で隠密性能に優れたブラムドを拿捕だほされたことで、エルミタージュブレインズは万一を考えた。しかし旗艦バルバロッサの建造により試作艦を与えたところで大勢に影響がないとみなした」

 C.C.とリチャードは刮目かつもくしてヴァスイムの言葉を全て聞き届けた。

「バルバロッサか。おそらくはロード・ストーンやブリュンヒルデと同規模あるいは上回る巨艦。ルーシアは強力個体化したヒュージノーズの捕獲に成功し、飛空戦艦に作り替えていたということか?」

 ヴァスイムは視線を落として静かに首を横に振った。

「俺たち人間兵器がそうであるように、捕獲したのではなくヒュージノーズの強力個体化への脱皮直前の個体を麻酔薬漬けにしていたのです。そうして純血種たるネームレスたちをも愚弄ぐろうし、所詮は道具は道具なのだと示した。それがルーシアという国家のやり方であり、氷のような冷徹さと冷酷さを共生大国内に示していた。逆らおうとする者はほとんどいません。逆らえばどうなるかはよく知っている。国是こくぜとしてエウロペア打倒を掲げるということは、そうした蛮行ばんこうさえ必要な措置そちだと居直る態度にこそあった。俺が裏切りになんの後悔も抱いていないのはそうした行為が正しいとは到底思えなかったからです。復讐を国是こくぜとし、復讐のためにいかなる蛮行ばんこうも正当化する。エウロペア諸国とは違いすぎ、導かれ帰って来た俺は祖国との違いに言葉を失うばかりです。貴方がたを苦しめ、いたぶることこそが全体としての方針。では、望み通りになった先になにがあるというのです?エウロペアに見捨てられた悲劇を遺恨だと言い続けている限り、彼等には他になにもない。見捨てられた上で、凍土を開拓し、其処に国を作ったことこそ自らの誇りだと思わない限り、ルーシアの民と国にも輝かしい未来はない。俺が芯からエウロペア聖騎士となった今、彼等にも誇りと共に輝く未来が必要なのだと考えています」

 エーベル・クラインは黙り込んだヴァスイムに掛けるべき言葉を慎重に探した。

「おそらくはフィンツ・スタームはルーシアをも許さない。国家存続の為に国民たちに犠牲を強い、誇り高き騎士たちをシステムとしてのハイブリッドとして誕生させたことも道具としたことも、いずれはメロウに裁かれると考えている。俺たちの繁栄だって考え方の違いに過ぎない。俺の家系は荒廃地と化した祖国ファルツから逃れるようにフェリオに流れ着き、そして更にゼダに流れ着いた。だから“ノース・ナガレ”を偽名として荒廃地を産む戦いには疑問を感じている。それでもアリョーネ陛下はそうした摂理をわきまえ、ゼダ全土もまた以前のこのパルムと同様の荒廃地と化すかも知れないという暗澹あんたんたる未来を見据え、それを回避するために戦っている。そのために必要なのはルーシアの同胞たちに摂理を説き、調停者として動けるお前だった。フェリオがキエーフを見捨てた過去を忘れたと思っているのなら、それは間違いだ。結局、逃れて来た難民たちを満身創痍まんしんそういで受け入れたのは同情や悔恨かいこんなんかじゃない。真理との戦いに他ならず、連邦構成国のアストリアで死闘することも覚悟していた。おごれる者など心得違いしかいない。そして今まさにパルムドールに闇が忍び寄っている」

 軍警察のダリル・メイとマリス・ローランドもうなづき交わした上で語った。

「クライン少佐とリチャード大尉をリーダーとして、私たちも家族を守るという大義で戦いに身を投じました。そして、怪しいというから純真な青年にさえ疑いの目を向けて監視対象としている。その事にどれほどこころの痛みを感じているか。数少ない味方と共に怪しいと判断した全てを怪しいとにらむしかなく、あるいは疑心暗鬼かも知れないと承知しながら、それでも忍び寄る闇は無視出来ないから心を鬼にし、分かった情報は共有しています。だからこそ独断専行することさえはばかられる」

 ウィリー・ヒューズ大尉はリチャードを預けられた意味について語った。

「国家騎士団宮殿支部はあるいは最後の砦となるかも知れない。そして、俺も其処に居続けることは出来ないのかも知れない。だが、俺は愛する女房とその腹に居る子供の親としてカロリファル副総帥がリチャードを託した意味を考え、そして今は彼等と行動することが俺の正義だと考えている。俺の正義なんてルーシアの遺恨と比べたならちっぽけかも知れないし、パルムを護りたいという俺の希望なんて吹けば飛ぶ程にささやかな希望かも知れない。だが、ディーンはそうは言わなかった。俺たちの関係をとがめずに、責任もって2年稼ぐと断じてから西に去ったという。まごころと共に生きるとはそうした事であって、いずれお前もまた父親になるとき、愛する我が子に誓うだろうさ。お前たちの生きていけるセカイを残すことこそ、騎士として出来る最善なのだとね。出来ることであれば、俺の代で俺が終わらせたい」

 ウィリー・ヒューズの語る“騎士の本懐ほんかい”にヴァスイムは震えるような感動を覚えた。

(貴方は覚醒騎士ですね。扉が開いているから俺にもよく分かる。そうか《鉄壁の剣聖》。貴方はエドナと剣皇ディーンにきたえられた。なんの為にかは貴方の語る言葉のすべてがそう告げている。朋友ほうゆうケイロニウスと同じ臭いがするけれど、貴方にはケイロニウス・ハーライトにあった血統的な下地したぢすらない。それでも護ると決めたものは護ってみせるという矜恃きょうじは確かにフィン・フォーマルハウトと同じだ。まがい物だとそしられることすら、貴方は恐れてなどいない・・・)

 ゼダの国家騎士ウィリー・ヒューズに共感したヴァスイムはその手を取っておし抱くようにして泣いた。

「俺は一人じゃなかった。エウロペア聖騎士として生きろと言われ、一人で過酷な戦場に投げ入れられたように感じていたけれど、俺には沢山の同志たちが居るのだ。そうした同志たちが俺自身の未来をも示してくれている。“迷うな、こころを揺らすな”という剣皇ディーンの言葉さえ貴方を通じて伝わる。俺の代で俺が終わらせる。愛する母エカテリーナの真意の体現者として俺もまた貴方のようにちっぽけな正義に身をゆだねて戦うと誓います」

 ヴァスイムの慟哭どうこくにその場に居た全員が驚いた。

 ウィリー・ヒューズはヴァスイムの肩を抱き、ヴァスイム・レオンハルトの孤独と重責を思って励ますようにした。

「そうだ。それでいいんだ。期待されたこと全てが完璧にこなせる程に俺たちには突出した能力なんてない。けれど、その想いの全てを乗せて天技を放ってみせろ。その先に必ず俺たちのちっぽけな正義に対する答えが用意されている。神様なんて居ない。だが、俺たちが俺たちで在り続ける限り、一人ぼっちになんてならない。家族や恋人を想って戦うなんて当たり前のことで、それがお前の背を押すことになっても、障害だとか迷いだとかにはならない。出来ることをやり尽くした上で負けようが死のうが、それは俺たちの想いが未来をつむげるほどには強くなかったというだけだ。そしてその想いは誰かが必ず引き継いで答えに辿たどり着いてみせるさ。同志を、仲間を信じろ。最後に残されるのは信じるその想いだけかも知れない」

 力及ばぬ者の矜恃きょうじと覚悟とを示されたヴァスイムは模範とすべきはこの人なのだと見極めた。

 《鉄壁》とは抜かれることを前提としても、いかなる敵をもいのち尽きる瞬間まで止めてみせるという覚悟だった。

 その背に愛する者と愛する国を背負い、敵に痛打を与えられずとも意志の強さという力で踏みとどまる。

 仲間は見捨てたりはしないと信じ、与えられた自身の戦場を簡単に投げ出さない。

 その力は悪意抱く誰かを、あなどった誰かを驚愕きょうがくさせるのだ。

 誠実であることが最大の武器であり、あるいはシールドオブイージスの力でいのちを燃やし尽くす。

「この人が《アイギスの聖なる盾》で魂が砕け散るほど簡単な人なら、《命名権者》が鉄壁の名を与えないわ。それこそあなどる誰かは“やられた”と痛感し、ほぞをんで悔しがる。そして偏見へんけんに自分の曇った目を疑うようになる。ヒューズ大尉、奥さんは元気かしら?」

 すっと現れたセリーナ・ラシール一流の皮肉にウィリー・ヒューズはおどけた。

「ウチのやつは元気も元気さ。元気がないと大事な子供を産めないとのたまってるよ。むしろ“産休”で少将の側を離れるのが何日なんだとか計算しては溜め息をついてる。少将も呆れてる。メイとローランドに不在の折は報告をあげろと命じたのに、女房が産休なんでこの二人も困っている。替わりに義父おやじが口説いた受付嬢が副官代行とかってね。いつもならミセの紅一点だが、今夜はマギー女史の出向いた少将の自宅だ」

 セリーナはニヤっと笑ってヴァスイムの背を叩いた。

「この人もアンタが心配するような人じゃない。トゥールとエドナ、にいさんが見込んだある種の天才なのよ。それこそトリケロス・ダーインでも与えてみなさいな。其処を禁門きんもんとして護り切るゼダ騎士でも突出した人。伊達に《鉄壁の剣聖》だとか言われてないわよ。たった一人でもトレド要塞を護り切る程の天才騎士。そしてその力を伝播でんぱさせて《鉄壁隊》として《砦の男》をむせび泣かせる超級戦力なんだから」

 ヴァスイムは驚愕きょうがくしていた。

 滅多に人をめたりしないセリーナが其処まで言うからには、ウィリー・ヒューズ大尉とて並どころではない。

 セリーナはヴァスイムに向き直った。

「アンタだって自分を過小評価し過ぎよ。あのアリョーネ陛下に“私の騎士になって欲しい”と言わせたのだって、白や雷帝、紅蓮ぐれんとエドナだけよ。アンタは“研鑽けんさんすれば全ての天技が扱える”と言った《砦の男》の見立て。それだって最高級の賛辞であって、C.C.ですら其処まで高く評価はされていないわよ」

 セリーナの評価にエーベルは絶句し、リチャード・アイゼンは哄笑こうしょうした。

「それなら、私でもアリアスでも特級戦力としてシモン大佐やマイオ中佐、アリオン大尉と同格かそれ以上に扱いますね」

 セリーナは流石さすがに分かってるじゃないとリチャードに同意する。

「自覚がないだけでコイツも化け物。エレナの与えたヒントだけで《陽炎》の応用をするし、“騎士殺しの悪魔”さえ倒す方法を編み出すわ。ヴァスイム・レオンハルトの自己申告なんて真に受けない方がいい。エウロペアの亡霊騎士として目覚めたコイツは懐の短剣で全てを動かし、あたしからスチールした隠密機動の技で全てをあざむき、《電光石火の剣聖》や《光の王子》と連動して大国フェリオとルーシアとを救ってみせる。でなきゃ、なんでこのあたしが大枚たいまいはたいて雇ってるんだって話なのよ」

 セリーナの言葉にダリルとマリスは唖然あぜんとした。

 気を取り直したC.C.は不敵に笑って告げた。

「覚醒騎士や剣聖はゴロゴロいるし、紋章騎士も俺の知る限り二人居る。剣皇もディーンで5人目。しかし、エウロペア聖騎士は歴史をひも解いてもわずかしかいない」

 C.C.はそう言うがヴァスイムにしたら、今現在は自分とフィンの二人居るじゃないかと思う。

「超レアものなのよ。だからこそ全てを動かせる絶対権力をゆだねられた。大戦当時に居たなら剣聖エリンから特選隊に抜擢ばってきされているわよ。レイスさえ超える逸材いつざい。あーあ、パルムドールの闇を貴方たちから教えさせるつもりだったのに、それさえ光に変える程なのだもの。なんだかやってられないわよ」

 何処となく彼女の父である《砦の男》を彷彿ほうふつとさせるセリーナの嘆き節にリチャードたちは笑い転げていた。

 ヴァスイムだけがきょとんとしている。

 C.C.はリーダーらしくまとめてみせた。

「笑えない状況で笑ってこそ、勝ち目も生じる。ヴァスイムにはパルムにおけるエルミタージュの作戦概要について話して貰いたかったが、その様子だと詳しくは知らないようだな」

 ヴァスイムは口元に手を寄せてドゥヴァの計画について思いをせた。

「ドゥヴァの計画では封鎖作戦だということぐらいかと。つまり主要経路とパルム湾を封鎖し、物流と人流をき止める。しかし、鉄道は止めるのが難しいし下手にいじるとこちらにも不都合が生じかねない。パルム潜入セルは鉄道便を利用してフェリオのウェルリからの密入国を繰り返しているので、可能なら鉄道は止めたくない。仮に動いていたところで鉄道便だけではパルムの物流をすべてまかなうなど出来る筈がなく、客車をすべて貨物列車に替えられない。東部担当のアジンは“ルーマー騎士団”を送り込む上でも鉄道がかなめだと主張していました。逆にルーマー騎士団が臨検りんけんして鉄道網さえ押さえれば、ゼダは分断可能だと」

 ダリルとマリスは素早くメモにまとめた。

 ドゥヴァとアジンという人名やパルム封鎖作戦の内容。

 そして一連の話にリチャード・アイゼンは顔面が蒼白そうはくとなっていた。

「そういうことか。東征部隊がルーマー騎士団を僭称せんしょうして帰国するのは止められない。もし止めようとしても、ゼダ国内の家族たちから嘆願たんがんされたら元老院だって止めるのは難しい。そして、帰国の口実はとうにある。副総帥が停戦交渉をまとめた後なので随時帰国するのは決定事項。我が軍の一部の将校たちが停戦合意に意を唱え、副総帥を職権乱用で逮捕の上で拘禁こうきんしようと図り、それが失敗した。東征全権司令官のロムドス中将は戦争継続派の将校たちは捕らえて処分したと主張する。そして、元老院の議決に基づいて停戦合意したので、予定通り将兵たちを一度パルムに戻して中央軍令部で戦功査定した後に勤務地に戻す。それに乗じてパルムでクーデターを起こすも起こさないも、主導権は自分たちにあるので必要だと判断したらそうするだけか・・・」

 セリーナはリチャードの推察を熟考した上で打てる手を考えた。

「“不測の事態”が発生して東征部隊から帰国の名目を失わせる。たとえば“アストリアに龍虫が出現してそのまま特記6号事案発生となった”なんてシナリオであればあるいは悠長ゆうちょうな事は言えなくなる。もともとその為の東征だったのだから、フェリオとの停戦合意も龍虫迎撃のための停戦合意と意味を変えるだけになるわね」

 セリーナの言葉にリチャードは渋面じゅうめんを作った。

「そんな好都合な事態になどなりませんよ。アストリア周辺の《虫使い》たちが仕掛けてこなかったのは彼らにはもともと戦意などなかっただけであって・・・」

 ヴァスイムはリチャードの話をさえぎった。

「いや、彼等にはルーシアと秘密同盟があるわけでなく、単純にルーシアとフェリオにもにらみを利かせて対峙たいじしているからです。共生大国ルーシアは周辺域をネームレスたちに握られていて、彼等とは各地で争っているのです。ただし龍皇族のような各氏族をまとめ上げる強力な指導者が不在なのであって、各地で散発的で刹那的せつなてきな小競り合いがずっと繰り返されている。しかし、誰かが指導者役に名乗りをあげたりすれば彼等は喜んでアストリアを犯します。彼等もエウロペアが欲しい。だが、ルーシアに後背をかれるのは面白くない。ツァーリもルーシアの防衛力を犠牲にすることなくエウロペアに介入しようと“傭兵騎士団エルミタージュ”という組織に頼っているのです。その結果としてブレインズたちが暴走していて兄であるツァーリにさえ抑えが効かなくなっていて・・・」

 ヴァスイムが語ったという単語にセリーナがいち早く反応した。

「ヴァスイムの兄さんがルーシア皇帝なの?」

 ツァーリとはルーシア皇帝だとセリーナが知っていた。

 ヴァスイムはしまったとばかりに慌てた。

「皇帝の弟といっても兄弟たちは大勢居てそのうちの一人というだけであって」

 セリーナの目が爛々らんらんと輝く。

「しかし、傭兵騎士団内偵の為に潜入させる程度には信用している。やはりルーシア帝室の子だったのね。ヴァスイムがゼダ皇室の血筋を引くのは偶然なんかじゃなかったんだわ」

 しかし、ヴァスイムはセリーナの想像を打ち消した。

「だから、俺の親父は確かにツァーリでしたけれど、ネームレスの戦時捕虜や朝貢ちょうこうされた女たちをハーレムに入れてツァーリがはらませていただけであって、俺には皇位継承権もありません。帰化を拒絶したネームレスコマンダーの女戦士が親父に陵辱りょうじょくされて俺を産んだとは聞きましたけれども、それこそ名前なんかなかったし、他のハイブリッドたちと扱いは変わらなかった。その点、兄上の母君はルーシア構成氏族である純潔じゅんけつネームレスの令嬢でして扱いからしてもきさきです。確かにルーシアには母系を尊重する習慣はないのできさきだって序列なんかなくハーレム内に大勢いた。そして6年前に親父の逝去せいきょで兄上が即位して俺の扱いが少しだけ変わった。俺を産んだ後の母が兄上の母君にハーレム内の親衛隊長としてお仕えしていたからです。有象無象うぞうむぞうでなくツァーリの子で騎士能力を持つハイブリッドは俺と他に数名だけで、兄上に忠誠を誓ったのは俺だけだった」

 セリーナはヴァスイムをまじまじと見つめた。

「それじゃ、アンタは“おとう”と同じ皇弟殿下ってことなんじゃない。近親者が“近衛隊”と“親衛隊”の違いはあるけど」

 C.C.は皮肉っぽく笑った。

「とどのつまりヴァスイムはルーシアのトリエルってか。そいつは笑えるな。逆の立場だったら、トリエルのヤツなら兄上ぶっ殺して自分がツァーリになるだろうけどな」

 ヴァスイムは伏し目がちになりながらその冗談を受け流せなかった。

「そんなことしたって誰もついてきません。それに傭兵騎士団内でも俺の素性なんて誰も気にとめていないから簡単に潜入出来たし・・・」

 なにかに気づいたヴァスイムはその後を続けられなかった。

 ヴァスイムの素性はよく知られていた。

 そして、もともとツァーリに近い立場だと思われていたので、エルミタージュブレインズの機密情報を知る機会があったのだ。

 つまりは傭兵騎士団エルミタージュが表面的にはツァーリに忠誠を誓っていると思わせておくために、エウロペア侵攻計画は職権以上の内容を明かされていた。

 傭兵騎士団が正常に機能していると思わせるにはツァーリの密偵かも知れないと承知の上でヴァスイムを処遇していた。

 そしていつか排除しようと画策していた。

 ルーシアだってその実、敬虔けいけんなファーバの教義を説いていて、ルーマーはエウロペアと同様にカルトの秘密結社だ。

 だからこそヴァスイムは傭兵騎士団内に蔓延まんえんするルーマーの思想など全く信じようとはしなかった。

 しかし、ルーマー教団の既存国家をすべて破壊するという計画の中にルーシアまで含まれていたならば?

(兄上っ、ツァーリだって危ないじゃないか・・・)

 エウロペアから生まれたすべてがエウロペアならばルーシアもまたエウロペアだということであり、だからこそルーシア人のヴァスイムはエウロペア聖騎士なのだということになる。

 真史におけるルーシア成立史をも《砦の男》が明かしたのはルーシアもエウロペアだという認識が前提なのだった。

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