第4幕第2話 希代の策士

 女皇歴1188年9月7日午後11時21分

 バスラン要塞内アリアス・レンセン中尉個室


(やはり思っていた通りだ。暗黒大陸で“白痴はくちの悪魔”の脅威におびえながら生きてきたネームレスたちにはエウロペアネームドを滅ぼそうという意思はない。そして残念ながらネームレスコマンダーたちにもどうにも出来ない。俺たちは長すぎる戦いであまりにも多くの純粋な想い抱く同胞をうしない続け、優秀な人材を無闇に損耗そんもうさせ過ぎてしまった。「個体融合」してイケニエとして同胞を救い続けてきた氏族の勇者たちの数は減り続け、俺はネームレスにおける戦いの限界を悟った。ミトラ兄さんの「覚醒騎士」たちこそが「剣聖」として俺たちにとっても希望になるのだという信念。エドナ兄さんの敵味方の概念さえ変質させた彼等を生み出すための方法論。それをメリエルにどう伝えるべきなのだろう?メルがフィンツを愛したことは少しも間違いではなかった。アイツだってハイブリッド第二世代としてこの地獄を変えようとしている筈だ。しかし、俺はディーンたちエウロペアネームドから信頼され、重用されながら、自分の信念を同胞たちには理解させられない。罪深き龍皇子アリアスはあの裏切りが全てだと突きつけられるだけなのか?兄さんとアルフレッドをみ込み、悪意の権化ごんげと化した“白痴はくちの悪魔”。どうして俺はあんなものを世に解き放った?地獄のような無益な闘争を加速させ、黒髪の冥王をしてさえ絶望させたあの怪物を作り出したことは本当に俺の本意だったのか?)

 アリアス・レンセン中尉は想定外の苦戦を余儀なくされながらも、順調過ぎる程に推移しているエウロペアネームドの戦いぶりに満足しながらも、その先にある白痴はくちの悪魔との戦いには絶望していた。

 現状の戦力と黒髪の冥王と嘆きの聖女、そして大陸皇帝とネームドの、そしてかつてネームレスたちだった人類絶対防衛戦線の仲間たちにはある種の希望を見いだしながらも、“白痴はくちの悪魔”の完全消滅と完全打倒となると絶望していた。

 ネームレスだけではどうにも出来なかった白痴はくちの悪魔は強大すぎて、完全消滅には至らないだろう。

 覚醒騎士たち真理を理解した聖戦士たちにもどうにも出来ない絶対的存在。

 不意に誰かの声を聞いてアリアスは顔を上げた。

「自分にはどうにも出来ないものを打倒不可能だと決めつける認知の罠。其処そこにお前までとらわれてしまったなら、メロウが用意した二種族に希望なんかあるもんか。出会った当初から感じていたという疑念。あるいはメリエルはいまだ龍皇子アリアスは騎士と龍虫の共倒れを狙っているのだという推察。と言えるのはお前自身だけだ。勝利が欲しいわけじゃない。一方で一方を組み伏せるゆがんだ共生を成そうとしているのでもない。もう誰にも真理の課す戦いに傷ついては欲しくないのだろう?」

「ディーン・・・いつの間にこっちへ?」

 アリアス・レンセン中尉は親友ディーンがバスラン要塞に来ていたことを知って驚愕きょうがくした。

 黒縁眼鏡の奥で深く己の精神に問いかけるディーンは確かにアリアスの前に立っていた。

 僅かに違和感は感じる。

 それはディーンだがアリアスの知るディーンとは少し違った。

「いや、本当のボクはトレドでトゥールと今後の戦いについて打ち合わせている。にもかかわらず、ボクが此処ここにいるのは絶技たる“生々流転”が完成したのだという告知だよ」

「なにっ!完成したのか?」

 そのディーンは僅かに微笑した。

「なんてことはなかったんだよ。現象として観測されるのはボクが本来居る場所ではない場所に現れる。けれど、それだけの話じゃない。つまり完成形の《生々流転》はそれ以上の意味を持ち、過去への干渉と未来の書き換えをも可能にしている。早い話が今、お前と共に戦う剣皇ディーンにさえ不可能なことを今のボクには出来る。遂に《真実の鍵》を手にした。ただし、それをどう生かすかはお前の唯一無二の頭脳にかかっている」

 アリアスは唖然あぜんとしていた。

「過去を書きえられる?だったら白痴の悪魔誕生をなかったことにして・・・」

 アリアスは自身の後悔の根本を変えてしまいさえすればと思った。

「21周回の“パルム講和会議”でのお前の暴挙を止めても無駄だ。お前はまた同じような事を考えてしまう。それにアレはお前の罪ではなかった。講和会議当時のパルム平原の地下にはあめ御柱みはしらオリンピアがあり、龍皇子アリアスはそれに操られた」

「なん、だと・・・。あめ御柱みはしらオリンピア?」

 ネームレス側に居た龍皇子アリアスには気づきようのなかったセカイの構造という真理。

 そのディーンは更に続けた。

「そう。二種類のヒトの繁栄をつかさどり、人のまごころに応えようという祈り子の願いを反映するシ徒だ。しかし、祈り子なきシ徒たるあめ御柱みはしらは暴走する。自由を望んだ祈り子は経年劣化による老朽化ろうきゅうかによりあめ御柱みはしらいましめがゆるんだことで外に出てしまった。それが災厄の根本にあった。そして肝心なのはそれもまた天の意思だということであり、神無きこのセカイにおいて真の祈り子が人への試練として課したものだということ。悪意というなら悪意だし、善意というなら善意。それに白痴はくちの悪魔は白痴はくちの悪魔ではないし、龍皇と英雄を取り込んで暴走したことはの誕生を意味していた。まことの祈り子は人がその真実にいつ気づくかと試した。それこそ自分自身の全存在とセカイとをけた危険なけであったし、生じた災厄さいやくはそれに関わった全ての人の脅威となった。しかし、脅威となったことで、本来なら敵同士であった人々が堅い結束と連帯意識を結ぶことになった。27周回のお前とボクが共闘していることもその一端でしかない。従って書きえは可能だが、安易に書きえるよりも結果を尊重した上で、別の場面の別の形でを回収するのがおそらくは正しい。そのためには人が一人で何かを成すことよりも、複数の人がそれぞれに与えられたチャンスにおいて自分たちにとって正しいと思える行為をやり遂げることだ。“聖戦”の本質とはまさにそれであり、その舞台となる場所というのも分かっている。“真実の鍵”となるまことの祈り子の一部は回収した。もう一つの“真実の鍵”は別の場所に別の形として存在する。そしてまことの祈り子はマーズと契約し、このセカイの終焉しゅうえんを乗り越えるすべを獲得した。ボクの黒髪の冥王としての役割はそれで終わった。そして、お前の“魂”をその場面に導くためのレールはいた。あとはお前の魂と共に“聖戦”を勝利に導くことだけになる」

 そのディーンの不思議な話の持つ妙な説得力にアリアスは思考をフル回転させていた。

「やめておけ、今は無駄だ。決定的なキーワードや本質が欠如けつじょしているのに無理に考えても答えなど出ないし、三つ目の“真実の鍵”とはその実、お前とボクが別の場面で再会を果たしたその先にある。そして今はそうと知らない方がいい。ボクはただお前が今この場面で苦悩していることを止める為に現れた。希望はある。それを信じてお前は自分自身の信念を貫け。まだなにも知らないボクもトレドで苦悩している。だが、ボクはそれでいい。フィンツたちやクシャナに気取られたなら全てが台無しになるからだ。彼等には彼等の運命が待ち受けている。そしてそれもまた因果応報いんがおうほうであり、自分の信念がその実なにを意味するかを彼等も悟るべきなのだ。人が人としてぶち当たる壁こそが真理の本質であり、ぶち当たることもまた真理到達への道筋。ボクだってお前だってそうだったじゃないか?だからこそ彼等に与えられたチャンスをも否定はしない。せめて機会は等しく与えられるべきじゃないのか?人のいのちは決して平等でなんかないとお前は、そしてボクも知っている。だが、同時に平等ではないとしても無意味でもないのだと。ハサン・“フォレスト”の死も無意味ではなかった。生き残った方がより重い責任と、きずなある人の死に意味を見いだし新たなきずな芽生めばえる。そしてそれぞれの決意と信念とを加速させていく。いずれはお前とボクも皆もいのちを燃やし尽くす。人の生とはそれ以上でもそれ以下でもない。特別な存在は、人の言う英雄は人の死に鈍感であってはならないし、必要以上に思い悩んでもいけない。ボクは“黒髪の冥王”として意味と意義はあっても残酷そのものの宿命を与えられてきた。みじめだったかつてのボクの死も積み重ねられることでより大きな運命を知覚した。人の運命をまとめた歴史というのは俯瞰ふかんだ。イーグルアイで俯瞰ふかんした戦場がそうであるように、人が形成した歴史的場面とは其処にある人の数だけ意味を持っているんだ。既にうしなわれた800万人の人々にも物語はあったし、意味はあり有意義だった。それを忘れるなアリアス。お前を想う誰かが此処ここにボクを呼びつけた」

 “お前を想う誰か”というのでアリアスは理解した。

 片腕として力を貸すアリアスの理解者。

「ジェラールか?いったいどうやって?」

 ハサンに続く副官としてアリアスが中尉であるが故に少尉に甘んじているジェラール・クレメンス。

 ジェラールの正体は愛妾あいしょうとして龍皇子アリアスを支え続けたネームレス氏族の勇敢で聡明そうめいな乙女の魂。

 アリアスの真意を理解していたからこそ、同じ周期と同じ時にネームドとして自身の存在を刻んでいた。

 それこそが人と人との本当のきずなであり、むくわれなくても燃やしたいのちの意味。

「“真の書”に殴り書きされた軍師アリアスが深く苦悩するこの場面の座標と時刻とが正確に記されていた。だが、彼、あるいは彼女の誠意に従いボクは此処ここには居なかった。お前はうとうとしていて夢を見たとそう思っておけ。現実にはありえないのだから、お前の幻視だか夢だかでいいじゃないか。お前は一人じゃない。彼女もまたお前の真の対ではなかった。だが、それがなんだという。真の対の響き合う魂の力は強い。しかし、“ヘタレ”とメリエルにののしられるボクの滑稽こっけいさこそ、対の真実の一端でしかない。所詮しょせんは他人から見たらそんなものなのさ。お前もいずれは笑いものにされるよ。このボクとアイツにさ。それでもお前はそれでいいと確信する。じゃ、またなアリアス。同じ刻を生き、同じように苦悩し焦るボクの背を叩いて、“そう焦るなよ剣皇陛下”と言うのもお前の仕事なんだからさ」

 “真実の鍵”を手にし“生々流転”を完成させたというディーンはそれだけ言い残して目の前から消えた。

 天技“陽炎”?

 アリアス・レンセン中尉はまるで狐につままれたようになりながら、親友が立っていた位置をくことなく見つめて物思いにふけっていた。

 やがてドンドンと荒々しくノックする音で物思いをまされる。

(ジェラールか?)

 いや、アイツはアリアスの思索を邪魔したくないと乱暴な真似は決してしない。

 きっと今だって自分の個室で辛抱強くアリアスが答えを出すのを待っている。

「誰だよ。なんだってんだ」

 アリアスが施錠していたドアを開け放つと其処そこに立っていたのは息を切らせて慌てた様子のメリエルとルイスだった。

「アリアス、此処ここに誰か居なかった?」

 慌てた様子のルイスが問いかける様にアリアスは滑稽こっけいだと思わず吹き出した。

 ニブくて察しが悪い癖に妙に鼻が利く。

「なにが可笑しいのよ。侵入者が居てあなたと話しているようだとメリエルにも確認して貰ったわ」

(それオマエの旦那なんだわ。てゆーか、あのディーンが現れたもう一つの意味はメリエルにはイーグルアイより優れた感覚索敵能力があるってことの告知だったか)

 アリアスはいよいよ腹をよじらせて笑った。

「心配したんだからねこれでも」

 アリアスにはメリエルのふくれっ面が余計に可笑しくなる。

 やはりバスラン要塞内やアルマス、トレド要塞にもパルム南区の「惑いの回廊」と同じ仕掛けをほどこしておくべきだろうかとメリエルは表情を曇らせている。

 しかし、敬虔けいけんなファーバの信徒であるディーンには意味などない。

「まっ、それが誰だったにせよ俺はこの通り無事だし、別に警戒するような相手でもない。それこそルイス。オマエが“神速”で駆けつけてぶっ殺していたなら間違いなく後悔して今度こそ本当に立ち直れなくなるから」

 ニブいルイスにはそれが夫ディーンを指すとは気づかずなんのこっちゃと首をひねっている。

 メリエルはアリアスがなにを伝えようとしているかに気づいて本当に白の隠密機動がアリアス暗殺を図ろうとしたなら、横たわったアリアスの遺体が転がっていることになり、それこそ剣皇ディーンが自分で自分の首を絞める真似をしたとなりいよいよ怪訝けげんだとなった。

 二つの魂を共鳴させ、侵入者の正体を悟ってなお無意味な推察と熟考を続けるメリエルにアリアスは完全に悟るべきを悟った。

(つまり、あのディーンはコレが言いたかったわけね。この時代この場面に化け物どもは沢山居てその目を盗むのも容易なこっちゃない。そして今考えても無駄なことは確かに無駄だ。コイツらと戦いに勝つことを考える事の方がよっぽど有意義だし、俺だってなんとかなることはなんとかする。アイツは簡単にさじを投げたりはしない。「出来ることは出来るが出来ないことは出来ない」というアイツの信条だってその実ハンパねーわ。なるほど、究極の反省文だという「ライザー師匠ししょう」の手にする“真の書”とは、その意味とは起こった事の発生場面の正確な記述であり、関与した当事者以外に伝える方法だったという事なのか。“真実の鍵”は必要とし有効に活用出来る誰かの手にいずれ必ず渡される。それだけ分かっていりゃいいのか俺は)

 頭を、思考を切り替えたアリアスの脳裏には一つの作戦計画があった。

 第一次バスラン要塞迎撃作戦計画。

 トリエル・メイヨールが公明や紫苑に用意させた新型機量産型エリシオン。

 《砦の男》ライザーたちが行った幾つもの意味を持ったハイブリッドセルたちへの手の込んだ挑発。

 時間稼ぎの間にも犠牲はあり、作戦により更に犠牲者は増える。

 それでもそのいのちにむくいるネームドの矜恃きょうじに深い意味と意義を与える。

 それがそれこそが軍師アリアス・レンセンにしか出来ない仕事になるのだ。


女皇歴1188年9月12日

バスラン要塞 


 作戦参加予定者の手に渡された詳細すぎる作戦計画の内容にレウニッツ・セダン、アルバート・ベルレーヌ、ティリンス・オーガスタらは唖然あぜんとなり息をんだ。

 まるでエキュイムの駒の動きを一つ一つ記した棋譜きふのように彼等の立ち位置や戦術戦闘と迎撃戦闘計画が描かれている。

 ジェラール・クレメンスはまるで自分の立案した作戦計画でもあるかのように誇らしげに一人一人の手に計画書を手渡して満足そうに微笑んでいる。

「こんな、こんな作戦計画を練られる天才指揮官がはじめから居たならフォートセバーンは陥落かんらくしてなどいない」

 アルバート・ベルレーヌは目を見張り、ラムダス樹海から出現する龍虫部隊の迎撃など所詮はアリアス・レンセンのアドリブだったのだと実感した。

 これなら、これだったらラームラント猟兵団りょうへいだんも思わずうなり、喜んで参戦する。

 最強の駒であろう剣皇ディーン・フェイルズ・スタームはバスランでの迎撃作戦の中にはない。

 ライザー、アローラと共にあくまでトレド要塞を防衛すると見せかける。

 剣皇機関においてはトリエル・メイヨールとトゥール・ビヨンドとが作戦参加予定者の中に組み込まれ、これが漏洩ろうえいしたり、破綻はたんした際のとして組み込まれている。

 戦況そのものはそれが上手くいかないことを前提として練り込まれている。

 アリアス・レンセンは希代きたいの策士としての策士ぶりを遺憾無いかんな発揮はっきした。

 全て裏をかかれてなおその裏の裏を用意している。

 ルイス・ラファールだけは若干不満そうに自身に手渡されたアリアスの指示書に目を通していた。

「なんでアタシだけ迎撃作戦の中心じゃないのよ」

 不満そうなルイスにアリアスは悪戯いたずらっぽく笑いかけた。

「それがこの作戦におけるを意味するからさ」

 なんだかよくわからないルイスはふくれ面になる。

「なによそれ」

 アリアスは視線を左上に向けた。

皇室吟味こうしつぎんみ役ディーン・エクセイル公爵の言う敵こそが最大の敵を意味し、コイツを叩きつぶすことが大がかりな作戦の要だということ。頼んだぞ、紋章騎士。お前らの挑発がコイツを引きずり出し、獲物として用意したメリエルを狩ろうという狩人がこちらに狩られる獲物なのだと自覚させる。その上で安易には殺さないよ。ナノ・マシン活性化による超速回復により捕捉ほそくしたコイツにハサンを無残無情に殺した罪をあがなわせる」

「それって・・・」

 復讐ふくしゅうなのか?というルイスの問いかけをアリアス・レンセンは笑って制した。

「たった一人の仲間への復讐ふくしゅうのためにこの俺が大がかりな作戦計画を立案して新型機や新兵器を大量投入するのだと本気で思うのなら、その認知と認識は早々に改めてもらいたい。これはフィンツとヤツらへの警告と警鐘けいしょうなんだ。卑劣ひれつな方法で挑んで来たなら倍返しにしてやる。ネームドとネームレスの相克と闘争はそうじゃなかった。みじめで無力な者同士がみじめで無力であるが故に互いの尾をみ合ったウロボロスそのもの。だから、倍返しとリベンジが可能な紋章騎士を剣皇ディーンに頼んで抜擢ばってきした。お前になら倍どころか十倍返しが可能な究極のリベンジャーだという話をアイツから聞いて利用すると決めた。ったハサンの魂はそれで浮かばれるがそれは結果論であって目的ではない。ハサンのたたえたをヤツらは恐怖と共に実感するだろうさ」

 紋章騎士ルイス・ラファールは冷たい汗をしたたらせた。

 まだ残る残暑の影響ではない。

 この冷酷無比な“魔術師アリアス”を本気で怒らせたエルミタージュハイブリッドセルのゆがんだ精神を派手にぶっ壊す。

 それでもわかっていて挑むなら、ベルカ・トラインがそうであったようにこの希代きたいの策士は騎士天技でなく策と駒をもってそれを成すというのだ。

「わかった。確かにアタシはトワントとうさんのオーダーを実行しなくて良かったのかも知れない。けれども、アナタの存在は彼等にとってはサイアクを通り越している」

 アリアスの武器とするき出しの知力は圧倒的な暴力に匹敵し得る。

 地獄の責め苦がまだ可愛いものなのだとヤツらは実感し、それでも仕掛けようというならあるいはそれ以上の責め苦が手ぐすねをひいて待っていると認知させる。

 それが「我慢比べ」だというならばルイスは誰にも負ける気がしない。

 女としてのよろこびを完全否定された嘆きの聖女は聖が邪に変わる程の絶望と責め苦にさらされた。

 自分がされて苦しかったことを誰かに課すなどしない。

 だが、戦士としての在り方を否定され、結局自分には愛する男に犯されて悦楽えつらくの果てに子をなすことしか出来ないのだという原理原則を突きつけられる。

 それだけのちっぽけで当たり前の存在だと自覚させられる。

 そうでないと証明したかったら、冤罪えんざい業火ごうかにその身を焼き尽くされても己の在り方を曲げなかった“嘆きの聖女”と同等の覚悟と矜恃きょうじを宿す他ない。

 “飽食ほうしょくの悪魔”を倒そうという“知謀の悪魔”に挑んだ愚かさをその身に刻まれる。

 ちっぽけな存在に成り下がったとしても、いのちがある限りそれでも出来ることと成せることはあるのだ。


1188年9月12日午後3時

トレド要塞内 剣皇執務室


 トレドでの視察を終えてアルマスの執務室からバスラン要塞に入ったトゥドゥール・カロリファルはアリアスの作戦計画書をゆだねられ、絶句し、己に与えられた役割の重大さを認識していた。

「つまり、私はアリアスのこの悪魔じみた作戦計画が完全に失敗しかかったのなら、全軍をまとめて後退させ、バスラン要塞でディーンの援軍到来を待つ籠城ろうじょう作戦に切り替えろというのか」

 いまだこの若き公爵こそが自身の愛息だと知覚していないトリエル・メイヨールは悲観主義で最悪の事態につい思いをめぐらせてしまうトゥドゥールの若さと慎重さを笑った。

「お前さんはそうと読み解いたか。しかし、俺は作戦の想定外は良くも悪くも発生するものだから、一番サイアクのシナリオとして提示されただけなんだとな。そうはならんさ。なにしろ、東征作戦の電撃戦を行った側とその目的をくじいた側とが全軍を指揮統率する立場に二人もそろっているのだから。そんな無用な心配をしているヒマがあるなら、少しでも戦力の損耗そんもうを避けるために穴となるポイントを埋めてみせろと言われたように理解したよ」

 トゥドゥールは思わずトリエルの顔をまじまじと見据みすえた。

 どうもこの人物は自分とは対照的であり、それでいて赤の他人だという気がまるでしない。

 性格だけ異なり物の見方が真逆であるだけで、見るべき押さえるべきポイントは驚くほどに共通している。

「ここに来てから・・・いや、来る前からか。ライザー殿といい、貴方といい楽観しているようでいてそうじゃない。割り切りの良さと自分の腕の見せ所は此処ここでないと私を嘲笑あざわらう。けれど、私はあなどられているわけでもない。むしろ、その高い能力の使いどころを見誤るなとさとされているように思う」

 トリエルはトゥドゥールをチラリと一瞥いちべつし、なんとなしに自分にそれなりに経験と年齢を重ねた息子がいるなら親としてはその少し上を行って息子の尊敬と敬意を引き出すだろうかと想像し、それはないかと苦笑した。

 こいつは亡きローレンツ公の息子であって自分のそれではないという認知の罠だったが、トリエルはそれと知らない事になっている。

「本当の絶望的状況を知っているディーンと比べてしまうことが、お前さんに対して礼を失しているということだろう。だが、まっ、大佐や真女皇騎士団副司令として幹部たちをまとめている俺だからかな。皆まだ実力を隠している。ヤツらはそんなにヤワじゃない。ほぼ全員がまだ自分の引き出しを持っていて、多少苦戦したところで要所に逃げ道を用意されていたならその場でなんとかする。来たばかりのお前さんにはまだそうした味方のしたたかな強さを信じられないだけさ。残念ながら聡明そうめいだったローレンツ公もお前さんに戦場での心得こころえを教えられなかった。だが、そう捨てたもんじゃないと俺もディーンもお前さんを買っている。なによりなにもかも上手く行かなかった場合を真っ先に考えるその臆病おくびょうさと慎重さとは大勢の人の命を背負っているという責任ある立場にある人間として求められる才覚であって、たぶん《軍神》にもねーよ。はなっから誰かを切り捨てようとか捨て石を考えてないから悲観的にもなる。情に厚い人間はさ、そもそも戦争なんてやるもんじゃないんだ。好むヤツの気が知れない。なにしろ資源の浪費だ。それこそやりたきゃ、単機でえぐって負けても自分一人の戦死だと割り切れる局面を作り出して大暴れする。けどよ、俺一人の戦死だって俺の家族たちからしたらやりきれない話なのさ。ましてよぉ、味方は俺が大好きだとか言われてみたらさ、やっぱ誰も死んで欲しくないからそもそもやりたくねぇなぁって」

 パルムで蛇のように狡猾こうかつで冷酷だと言われていたトリエル・シェンバッハ大佐は本当は情に厚い。

 戦闘狂だというのも間違いだ。

 命を預かり命を頂くという思想を隠し持っている。

「教えてください。未熟者の私に。どうしたら犠牲ぎせいむくいられますか?私を信じてついて来てくれた部下たちに堂々と接することが出来るというのです?私は死んでこいと命令したくない」

 トリエルは真顔で泣きべそを浮かべたトゥールを見据みすえた。

「皆そうだ。特にディーンはな。割り切ることなんて本当は出来ない。それでも自分だからマシだったと言わせたい。自分でもそう信じたい。だけど出来るのはそこまでなんだ。それこそ凡夫ぽんぷは一軍の将たらんと望む。名将だとか天才と呼ばれる者ほど、味方の損失をゼロに近づけたいと考える。けれど、かわりに敵を山ほど殺したら殺したなりのツケを支払うことになる。机上の話ならどんな悪辣あくらつとした作戦を用意したっていい。見てろよトゥール。アリアスはどんどん死者に取りかれた幽鬼のようになってくぜ。その覚悟はとっくにあって、業まみれ血まみれになってく。それでもアイツに救われる者はいて、戦に勝つために己の心を削り続けていくさ。ただ、いのちの喪失に鈍感なヤツはいのちの喪失が落とし穴となる。意識するとしないとで結果が変わらなくても、やっちゃいけない事をしているんだという意識は捨てない方がいいさ。人殺しは人殺しの罪人。そうでないと勝ち取った未来の価値を見誤る。闘争は別の形でもいい。ディーンが無言で示す“我が闘争”は見ていて痛々しくなる。こんな事は自分の代で一刻も早く終わらせたいと考えている。お前さんもそれでいいんじゃないのかい?“騎士の本懐ほんかい”の基本に立ち返ってお前さんがお前さんの信念と騎士の本懐ほんかいに忠実でありさえすれば、誰も責めたりはしないよ」

 トゥドゥール・カロリファルの右目から一筋の涙がこぼれ落ちる。

「誰も、誰も私にそのことを教えてくれる人は居なかった。ありがとうトリエルきょう。貴方自身もまたそうして戦い続けてきたのですね?」

 トリエル・メイヨールは苦笑しつつ、泣くトゥールの肩を優しく押し抱くようにした。

「そうさ。皇弟トリエルとして、あるいは“大陸皇帝”の名で散々味方もだまし討ちにしてきたこの俺こそが罪人の成れの果てなのさ。本来の心優しく臆病おくびょう懐疑的かいぎてきな自分自身を決して見失うな。そして、そのいのちを全うしてみせろ。お前さんの両親は心の底からそれを望んでいるんだ。無償むしょうの愛は常にお前さんと共にある」

 最後の言葉は父親としてトリエルがトゥールに望んだ真意だった。

 敢えて「お前さん」と突き放していたのも両親の血塗られた道に愛する息子まで引きずり込みたくないという親の愛だった。

 結果的にトゥール・ビヨンドは親以外の誰かに望まれた何者にもならなかった。

 「何者にもなれないし、ならないのだ」という自分自身に課した制約が、トゥール・ビヨンドに決断を促す場面を用意されても、拒否し拒絶し続けた。

 ストレスが負荷をかけて覚醒騎士化しそうになったことは一度や二度ではない。

 それでも「微睡まどろみの刻」とトゥールにだけ用意された「愛のトラウマ」が土壇場どたんばで踏みとどまらせた。

 だから、その魂に改めて業が刻みつけられなかった。

 全体司令官として一つでも多くのいのちの灯火ともしびを絶やすまいと悪戦苦闘したトゥドゥール・カロリファルあるいはトゥール・ビヨンドは結局、歴史の影に埋もれ、儀典史では敗残者となり、真史では女皇戦争の帰趨きすうを決定的にした人物たちの列かられた。

 だが、アリアス・レンセンとエウロペア女皇メリエルの辿たどった軌跡きせきこそが、トリエルの言う無償むしょうの愛にこたえられなかった者たちの辿たどる悲劇だったと実感することになった。

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