まさかの訪問者

 妹を寝かしつけて、僕もそのままベッドへ直行する。


「はぁ……」


 心地いい疲労感から、ため息が漏れた。


 しかし、不思議だ。僕はどうしてこんなにもはしゃいでいるのだろう。



 新鮮だから? 

 いや、ループの中でも、同じことは起こり得なかったから、毎日が新鮮ではあった。


 ……多分、積み重なっていくからだ。

 

 どんな些細な会話も、行動も、僕だけのものではないからだ。


 当たり前のことだけれど、僕にとっては百万と数百万日ぶりの当たり前だ。


 僕だけのものじゃない思い出が温かい。


 ……ただ、温かさを感じれば感じるほど、彼女がいない事実が心に染みる。


 いいことがある度、あの眠そうな目が脳裏に浮かぶ。


「……ん」


 寝る前にスマホを確認すると、メッセージが届いていた。差出人は白子さん。


『今日から少しずつ、動物のお世話を教えていきます』という文に、小鳥に顔を突かれている素矢子の写真が添えられていた。


 素矢子の顔はまるで別人のよう――ではなかった。


 別に、十七歳にふさわしい朗らかな笑顔を浮かべていたとか、そういうわけではない。


 不快そうに目を細めていた。


 人はすぐに変われない。

 死んだとしても、変われない。


 素矢子はこれから白子さんの娘として、彼女が行っている活動の手伝いをしていくことになる。


 自分と同じ、家族がいない動物たちに囲まれて、彼女はどう変わっていくのだろうか?


 彼女は、その後悔の才能と、どう向き合っていくのだろうか?


「うーん……」


 メッセージは一時間前に届いていたが、時刻は九時過ぎ、まだ起きているだろう。


『こんばんは。ビシバシお願いします。本人曰く、マゾだそうなので。ところで、上栫さん、白子さんの中にいますか?』

『いるよ。変わろうか?』

『いえ、大丈夫です。すみません』

『やっぱり不安だよね。いつでも遊びに来ていいからね。速歌ちゃんも、素矢子ちゃんも喜ぶから』


 気を遣わせてしまった――そういえば、この配置だと白子さんの家に脚を向けて寝ることになるな……とりあえず今日は上下逆に寝て、明日、部屋の模様替えを敢行しよう。


「はぁ……」


 改めて、布団の中で目を閉じる。


 今の上栫さんは、白子さんの体に居候――とり憑くことで存在を世界に固定している、らしい。とり憑くものの設定は、意外と簡単に変更できるみたいだ。


 白子さんから離れすぎなければ、他の人の体にも行けるようだし、話そうと思えば話せる。


 だけれど、考えてしまう。


 仮定してしまう。


 もし、彼女が後悔を晴らしてしまったら?


 彼女をこの世に繋ぎ止めているのは、その類稀なる後悔。だか、彼女が持ち前の速やかさで、その後悔を晴らしてしまったら、そのとき彼女はどうなるだろうか?


 考えるまでもなく、消えてしまうだろう。

 成仏、という奴だ。


 全ての後悔を晴らすなんてことは、人間に可能なのか?


 それこそ、僕の知る主人公たちくらい特異でなければ、悔いを残さず生きるなんて不可能だ。


 しかも、僕たちは後悔を抱く才能が人よりも秀でているらしい。


 ……うん、どれだけ仮定しても、彼女がそう簡単に消えるわけがないことはわかる。


 なのに、身がすくむ。寒くて寒くてたまらない。


 これは、後悔とは別の感情だ。


 僕はあの冷たい布団が、恐怖とらうまになっている。


『祷因果』


「っ」


 反射的に体を起こし、部屋を見渡す。しかし、暗い部屋には誰もいない。


 ……気のせいか? 誰かに名前を呼ばれた気がしたのだが。


『祷因果』


 気のせいじゃない。どこからともなく――いや、頭の中から声がする。


『我々は、地球の言葉で宇宙情報体と呼ばれるものだ』

「…………」


 素矢子の体から離れたとは聞いていたが、まさか僕のところに来るとは――いや、別に以外でも何でもない、仮定不足なだけだ。


 素矢子は、新たな協力者を探すか、違うアプローチで容量を空けると予想していた。


 前者の策を取るならば、僕の協力を得るのが一番効率がいい。


 上栫さんのおかげで後悔をある程度消化できているとしても、この世界で一番後悔しているのは僕なのだ。彼らの目的を達するためには結局、僕を使用しなければいけない。


『我々に協力してはくれないか?』


 宇宙情報体が、抑揚のない声で言った。


「しないよ」


 どうして協力してもらえると思ったのか。


 協力すると言ったら、僕はあんな後悔を生成しなければならない。『また我々に拷問されないか?』と聞いているようなものだ。


『協力してもらう算段があるから言っている』

「…………」


 何だか耳が痛い台詞だ。しかし、聞いていたより血の通っている感じがする。


『祷因果、君は誰よりも後悔することの辛さを知っている。君が犠牲になれば、全人類が後悔から解き放たれる。君は人類を後悔から救える。君は才覚を持っている者に対してコンプレックスを持っている。君もそれらに並ぶ――いや、それ以上の存在になれる』

「……いや」

『何を躊躇う』

「全人類じゃない。素矢子や、世界中にいるだろう、後悔の才能がある人たちから後悔は消えない」

『それでも君は多くの人類を救える』

「無理だ。以前の僕だったら――諦めているときの僕だったら引き受けたかもしれないけど、僕は教えてもらった」


 時間遡行によって、失われるものの尊さを。


 彼女と出会うまで気にも留めなかった、忘れる人たちを襲う理不尽。一度気づいてしまえば、時間遡行なんてできるわけがない。


 僕は今日過ごした時間すら、無意味にするつもりはない。


「それに、また時間をなくすのは、上栫さんの決意に対する冒涜だよ」


 彼女は前の世界の人類と触れ、それでも人類に後悔を与えることを選んだ。


 本人は『勘違いしないでほしい』と言うだろうが、見知らぬ人々の想いを重んじた彼女が、一つの世界を壊すことを葛藤しないわけがない。


『上栫速歌が、その選択を後悔しているとしたら?』

「……その話が本当だったとしても、上栫さんは後悔と向き合っていくって自分で決めたんだ。僕がどうこうすることじゃない。余計なお節介だ」

『人類に後悔を与えた点では、上栫速歌は後悔してない』

「?」


 それを教えるのか?


 読心があることを知っている僕からすれば、疑いはしても否定することはできなかったのに――いや、まさか……


『だが、体を失った点は後悔している。君の隣にいられないこと、君に触れられないことを後悔している。だからこそ、彼女は今も現世に存在している』

「――――」

『君が協力してくれれば、時間のない世界において、上栫速歌を誕生させることを約束しよう』


 素矢子を問い詰めたい衝動に駆られる。


 どこが、心がない、だ。


 明かす必要はなかった嘘を明かし、その後に本音を提示する――デメリットを自ら背負ってから、本音だと言われて提示された情報を、僕は嘘だと疑うことはできない。


 嘘を重ねている可能性? もちろんある。あるが、素矢子のような人間ならともかく、宇宙の意思が、そんなトリッキーな手を打つか――いや、違う。


 宇宙情報体の手に舌鼓を打っている場合じゃない。


「宇宙情報体は人間に直接干渉できない。なら、上栫さんを誕生させることは不可能だ」

『いや、上栫速歌が――その家族がどうすれば生まれるのか、我々は記録している。どの時間に、どの場所に、小石を落とせばいいか知っている。故に、協力者を作り、実行してもらえば上栫速歌を誕生させることは可能だ』

「…………」

『今の君なら、宇宙を遡行させても心が壊れることはないだろう。また、愛する者と過ごせるぞ』


 宇宙情報体は畳みかける。


『君が上栫速歌の死を受け入れられていないことは読める。木次素矢子のことがたまらなく許せなくて、上栫速歌ではなく自分が生きていることすら許せていない。このまま生きても、自分の心を痛めつけるだけではないのか?』

「すぅ……はぁ……」


 呼吸を整える。


 頭に冷たい空気を循環させる。


 全てに整理をつける。


 上栫さん、遅くなったけど、答えるよ。


 愛する者のために、時間遡行をするか?


「しない」

『……理由を聞いても?』


 理由なんてない。あるのは沢山の言いわけだけだ。


「心は多分、壊れるよ。言っただろう? 僕は時間遡行がどれだけ残酷なことか知っている。上栫さんともう一度会えたとしても、触れ合えたとしても、僕はその罪を後悔する」

『…………』

「それに多分、今度は素矢子が人類に後悔を与えるよ。養子縁組がなかったことになるから」

『向こうの世界の何白子に頼めばいい』

「素矢子は、この世界の白子さんを求めると思う。勘だけど」


 彼女は沢山の人を記憶や時間、想いを奪ってきたけれど、自分の周りに被害が及んだことはないはずだ。


 素矢子は平気で人を殺せるけど、身内を殺されるのは絶対に許さないタイプだ。


『希望的観測だ』

「そうかもね。後は……多分、時間遡行をしたら、上栫さんとは仲良くできない」

『なぜだ? むしろ感謝されて然るべきだ』

「上栫さんは時間遡行者が嫌いなんだよ。僕が時間遡行をして、彼女と再会したら多分、懐かしのサバイバルナイフで刺される」

『……それでも、彼女に生きていてほしいとは思わないのか?』

「僕は主人公じゃないから、君が生きていればそれでいいなんて言えない。僕は上栫さんと一緒にいたい。例え、彼女に触れられなくても」


 二度と、あの布団の温もりを感じられないとしても。


『…………』


 僕に協力する気がないことは嫌と言うほどわかるはずなのに、宇宙情報体は食い下がる。


 どうにかして、折らなければいけない。


 というか本当に心がないのか? 食い下がる、なんて行為は感情があるからこその――ああ、そういうことか。


 そういうことなら、思い切り宣言してあげよう。


 悔いではない杭で、僕の誓いを打ちつけよう。


「上栫さんが体がないことを後悔しているなら、僕がその後悔を晴らす。隣にはいられないけど、一緒にはいれる。体には触れられないけど、心には触れられる。むしろ、僕たちは深く繋がれるはずだ。上栫さんが今の状態でよかったって思ってもらえるくらい、僕は上栫さんとイチャイチャする!」

『なっ!?』

「そうだ、上栫さんも読心を使えるなら、僕が上栫さんに触れる妄想をすれば、実際に触られている気分になれるかもしれない――いや、僕の想像の精密さ次第じゃ本当に感じられるかもしれない」

『ま、待て』

「待たない! だって上栫さんは言ってくれた。僕には考える才能があるって! よし、普通じゃとてもできないようなプレイを仮定、そして妄想してやる!」

『才能の使い方が間違っている! その気概は嬉しいが!』

「ははっ、やっぱり宇宙情報体じゃないな。いったい何者?」

『ふふっ、ばれてしまっては仕方ないな』


 宇宙情報体を名乗る誰かは、あくまで抑揚なく言った。


『祷とこれから沢山の時間を過ごす上栫速歌だ』

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