木次素矢子と何白子

 何白子がしろこは、言ってしまえば聖人君子に類する二六歳だ。


 聖人と言われると、降旗先輩を思い浮かべるが、先輩とは違い、優しさだけで全てを成せる聖人である。


 自己犠牲により命を落とした両親が残した家で、捨て犬捨て猫、怪我をした鳥、虫すら保護し、治療、里親探しまでを行う、絵に描いたような『優しい人』である。


 今や、宇宙情報体と同じような存在になった上栫さん曰く、『祷の後悔の才能に匹敵する、慈悲の才能がある』らしい。


 しかし、この地域にこれだけ、『心』が極端に発達している人間が集中しているところを見ると、『意識の泉』の存在はたまたまでは片づけらない。


 仮定を立てたくなる。


 それはともかく、そんな彼女の存在を、僕はどうして知っているのか?


 理由は、白子さんは時間のない世界において、上栫さんに体を貸した人だからだ。


 僕たちが木次素矢子説得計画を、それなりの成功率があるものにできたのは、彼女の存在を知っていたというのも大きい。


 彼女の『心』と触れた上栫さんは、白子さんが素矢子を救える存在になれると確信していたし、白子さん自身が――時間のない世界の白子さんではあるが――素矢子を救いたいと言った。


 上栫さんが体を動かしていたとはいえ、白子さんは起こりうる事象をしっかりと見 て、感じていたらしい。


 僕たちはその優しさに甘え、この世界の彼女を探し出し、こうして素矢子にぶつけた。


 僕と上栫さんは一生、彼女に頭が上がらないだろう。


「頭は下げないでいいから、たまに素矢子ちゃんと遊んであげて」


 そうはにかんだ彼女を見て、僕は反射的に頭を下げてしまった。


 そんな優しい人、何白子という切り札を受けた素矢子がどうしたかというと、それはまぁ、意外なほど素直に、養子縁組届にサインをしていた。


 姉妹でもおかしくない年齢差の親子が誕生したわけだが、正直、拍子抜けだった。素矢子のことだ、話を無駄に長引かせ、揚げ足を取り、こねくり回して、うやむやにしようとするんじゃないかと思った。


 永く続けてきたことをやめるというのは、それだけで莫大なストレスになる。

 宇宙情報体に借りがあると言っていたし、白子さんを選ぶということは彼らを裏切ることになる。


「裏切る? その言葉は、相手に心がある場合に使うのよ。宇宙情報体を私の相棒とか、恩人みたいに思っているのかもしれないけれど、それは勘違いよ。勘違いしないでほしい、よ。この協力関係はあくまで私が上なの。私がやらないと言えば、それで終わる関係なのよ。向こうも引き止めたりしない。未練もなければ、愛着もないし、怒りもない。次の適正者を探しに行くか、違うアプローチで容量を空けに行くか、どちらかね」


 と、素矢子は長々と語ってくれたが、違和感が残った。


 それだけ、彼女が親を欲していたというのが、単純な正解なのだろう。それに、読心によって、白子さんの白さをより理解したのかもしれない。


 とにかく、違和感を覚えた時点で、僕に素矢子を救う資格はないのだと悟った。


 親が欲しいという真っすぐな感情を、疑わずに受け入れられる優しさがなければ素矢子は救えない。


 世界を救うのはやっぱり、後悔ではなく、優しさだったわけだ。


 いつもの自虐ではなく、心からそう思う。


 後悔するだけでは何も成せない。後悔が発する過去への引力に負けず、前に進めた人だけが――後悔を晴らせた人が何かを成せる。


 僕は幾回ものループの末に出会えた彼女のおかげで、それを知ることができた。


 僕は、今まで過ごした時間と比べて、雀の涙のような残りの人生で、どれだけの後悔を晴らすことができるのだろうか?

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