優しい人
着替えのことを忘れていた僕のポンコツなので、甘んじて、控えめなレースを施したシャツと、膝上丈のスカートを受け入れる――素矢子がスカート以外を貸してくれるわけがない――パンツのことはご想像にお任せする。
穿いてないかもしれないし、捨てるのが面倒でタンスに眠らせていた祖父のものを貸してもらったのかもしれないし、祖母のものを貸してもらったのかもしれないし、今後の関係でマウントを取るために、自身のパンツを貸すという悪魔の所業を、素矢子が成したのかもしれない。
「それで、どうするつもりなのかしら?」
青色のジャージを着た素矢子が言った。
胸の刺しゅうを見るに、素矢子が住む町の中学の指定ジャージのようだ――っていうか、それを僕に貸せよ。
「嫌よ。このジャージには中学時代に受けた迫害と差別が詰まっているから。まぁ、学校には一回も行ったことないのだけれど」
「じゃあ、あの高校の制服はコスプレですか……」
「幼馴染感を出すための、理に適ったコスプレよ」
しかし、どうして後悔の才能がある女子はジャージを好むのか。こればかりは何の仮定も浮かばない。
「そろそろだと思うから……」
言葉の途中で、家のチャイムが鳴った。
「行こう」
「…………」
素矢子に案内してもらう形で、脱衣所から玄関へと向かう。
少しでも離れれば見失ってしまいそうなほどに真っ暗だ。電気をつけないのは嫌がらせだろう。知らない家を手探りで歩くのは、中々のスリルがある。
何とか玄関にたどり着くと、扉の向こうに光が見えた。チャイムを鳴らした人が持つ光源だろう。それを見て、ようやく素矢子は外灯のスイッチを入れた。
「ん」
素矢子は玄関を開けるように促した。彼女の言いなりになるのは癪だが、断る理由もない。
それに寒空の下、彼女を放っておくわけにもいかない。
「今開けます」
扉の先には、
「こんばんは」
厚手のコートを着た、背が低い女性が立っていた。
背が低い、というと僕は与を思い浮かべるけれど、与よりもさらに低い。もしかしたら一四〇センチ台を切っているかもしれない。
「んんー? 君は……ああ、君が『祷』だね? 速歌ちゃんがびっくりしてるよ?」
彼女は下から覗き込むように、ゆったりとした口調で言った。
小学生と違えてしまうような幼顔だが、今の大人びた所作を見れば、彼女の実年齢を悟ることは容易いだろう。
「はは、ちょっと諸事情がありまして……」
彼女には言いたいことが山ほどあるが、今、彼女と話すべきなのは僕じゃないので、一歩、横にずれる。
「――――」
素矢子は呆然と立ち尽くしていた。僕に真意を暴かれたときなんかよりも、余程衝撃を受けているようだ。
「それで、あなたが素矢子ちゃん」
泡を食っている素矢子に畳みかけるよう、幼顔の彼女はどこからともなく一枚の書類を取り出した。
「ここ、サインしてね」
小さな手に握られた書類には、『養子縁組届』と書かれていた。
「朝になったら、一緒に出しに行こう」
さすが上栫さんが選んだ女性、あまりにも速やかだ。
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