杭は何処

 場所は変わって、私が目覚めた家。


 与の家は狭すぎるし、降旗明星の家には家族がいるということで、会議の場所に選ばれた。


 ブラウン管が鎮座する居間で、掘りごたつを囲む。


「世界を元に戻すのは簡単です」


 白衣を身に纏った与が言った。


「『意識の泉』に因果お兄ちゃんの心をリンクさせれば、人類の深層意識にコウカイが滲んで、コウカイ、そして並行世界の概念が生まれるはずです。並行世界が生まれれば、『並行世界がない世界』という前提が崩れるですから、この世界は消失するです。問題はコウカイの量が足りるかどうかです」

「多分、足りる。人類誕生前までの時間遡行を可能とするほどだ。全人類に悔いを打ちつけるくらい容易い。最悪、私の後悔も流す」


 祷の心と『意識の泉』をリンクさせるのも、今の私なら容易いだろう。


「その辺は与にはわからないので、すみ歌お姉ちゃんに任せるです」

「もちろん、わたしもわかりません。他の世界のわたしならともかく」


 言って、降旗明星は湯気が立つ緑茶を啜る。私から見れば、今の降旗明星も十分、『心』の使い方に秀でているが、説明はできまい。無意識でやっているようだし。


 逆に、前の私ではわからなかったことも、今ならわかる。仮定さえ作ってもらえば、大抵のことはやってみせる。


「問題なのはこの世界が消えた後、メインになる世界は、すみ歌お姉ちゃんが言うところの、前の世界になる可能性が高いということです」

「うん、そうだな……私と祷の杭が刺さっているからな、あの場所は」

「並行世界とまではいかなくても、すみ歌お姉ちゃんが殺されたあの部屋は消えてないと思うです」


 多分、合っている。あの場所が消えたというのなら、私がここにいるのはおかしい。


 無数に広がった並行世界を、宇宙情報体は好きに移動できるわけではないと木次素矢子は言っていた。ならば、座標がはっきりとしている前の世界がメインになるはずだ。


「でも、それじゃあダメです。すみ歌お姉ちゃんが死んでいて、因果お兄ちゃんがコウカイしている状態、またジカンソコウをされておしまいです。木次素矢子を改心させなければ、意味がないです」


 ここが間違いなく、最難関だ。


 世界を変えるよりも、あの女を変えるほうが難しい。


 木次素矢子の目的――後悔の杭、あるいは時間遡行のモチベーション。それがわからない限りは交渉のしようがない。


 わかったとしても、あの女と交渉しなければいけない。あの女と話し合いをしなければいけないなんて、考えただけでもぞっとする。


「すみ歌ちゃん、木次さんのこと、教えてください」


 降旗明星が、力強い声で言う。


 あの女と交渉するのなら、私ではなく降旗明星が適任だと思う。


 彼女は私と違い、純粋にあの女を救いたいと思っている。それに、彼女は話し合いに強い。自分が強すぎるが故に、余程間違っていない限り、言いくるめられるということがない。


 彼女なら、木次素矢子の陰湿で鋭利な話術に対抗できるかもしれない。


「……木次素矢子を一言で表すなら、犯罪者家族だ。まぁ、私を殺したから、奴も犯罪者だが」


 聞いた二人の表情が陰る。


 これがあの日、祷と別れてから一時間ほどで、木次素矢子の生い立ちを調べられた理由だ。あらゆる媒体に、あることないこと、情報が溢れかえっていた。


 調べることよりも、情報を選別するほうに時間がかかったくらいだ。


「とある悪徳宗教の教祖と教徒の娘だ。その教祖は、宗教内で男尊女卑を謳っているくせに――いや、だからこそか、沢山の女を孕ませていたそうだが、一応、木次素矢子が最初の子供らしい」


 しらみつぶしを始める前は、悪徳宗教など、最早フィクションの道具だとしか思っていなかったのだが、意外と人からの搾取を目的とした宗教は存在するし、それに縋ってしまう人も多くいる。


 そして、その末路は決まって、悲惨なものだ。


「元々、子供を現人神として打ち出して、更なる集金を得るという計画があって作られた子だったんだが、あいにく女の子が生まれてしまった。男尊女卑を謳っているのに、女の子を奉るわけにはいかなかったから、木次素矢子は母方の祖父母に預けられた」

「その宗教、健在ならばすぐに破壊しに行きますが」


 降旗明星が「んんー」と両腕を天井を伸ばしながら、言ってきた。


「安心しろ。とうの昔に破滅している。もちろん、この世界でもな」


 与に調べてもらった結果、前の世界と何ら変わりない終わり方をしていた。


「素矢子の母親は、女の子を産んだという理由で、宗教内で不当な扱いを受けていたのだが、それが原因で爆発した。比喩ではなくな。宗教関係者全員を巻き込む焼身自殺を慣行。見事に全員を巻き込んだまではよかった、いや、よくないが――火は恐ろしいものだよ。無関係な者まで巻き込まれてしまった」


 被害が宗教内で止まっていたなら、悪徳宗教の辿った劇的な末路として、面白おかしくメディアに使い捨てられただろうが、無関係の市民を巻き込んだのなら、メディアはこぞって悪者を決め、正否に関わらず、灰になるまで燃やし続ける。


「火をつけた犯人が特定され、その両親である木次素矢子の祖父母は非難を浴びた」


 犯罪者家族に責任を追及するのは間違っている――と、私は思う。だけれど、そうしないと困る人間が多いのも理解できる。


 そもそも木次素矢子の母親は被害者でもあるが、完全に擁護できるわけでもない。


 大量殺人を成したのは確かだし、宗教に心を壊されたのも、元々悪徳宗教にのめり込んだ彼女に非があると思われても仕方がない。


 何かに縋る人間には、縋るだけの何かがあるわけだが、大抵の人間はそんなことは気にしない。


「最終的には、祖父母が自殺することで終結した。さすがに小学生にもなっていない木次素矢子を矢面に立たせるのは躊躇したのか、それとも、責任追及を恐れて離れていっただけか……まぁ、そんなことはいいんだ」


 人間の汚さを語りたいわけではない。そんなのは誰でも知っていることだし、『意識の泉』を見れば一目瞭然だ。語るまでもない。


「この情報から、奴の後悔の杭を仮定する。恣意的でいい、どんどん意見を言ってくれ」

「はい」


 降旗明星が律儀に手を挙げた。


「祖父母が自殺したことじゃないですか? 彼女にとって、祖父母は両親も同然。しかも、死因が納得できるものではないですから」

「祖父母が自殺しない世界を探して、時間遡行をしていた……なくはないが、この世界でも奴の祖父母は自殺している。あわよくばの精神だった可能性もあるが、可能性は薄いかもな」


 報酬が不確定なのに、世界を変えるなんて大役を承諾するとは思えない――いや、あいつならやりかねないと思えるのが不思議だが。


「では、事件の大本になった火事を……って、火事も起きてるんでしたね」

「ああ。無関係の人にも、しっかりと被害者が出ている」


 ここが不可解なところだ。宗教周りの事件で、前の世界と変わったところが見られない。


 今回の世界改変と、前までのループは違う。


 前は一日の時間遡行、それ以前の出来事――並行世界の移動による差異は勝手に埋められていた。


 しかし、今回、木次素矢子は記憶を引き継いだまま、幼少期をやり直しているはずなのだ。


 宗教周りに変化がないということは、彼女の後悔は宗教周りではないということか?


「逆に考えてみるか? この世界に求めるものがあったんじゃなくて、前の世界にある何かが嫌だったと」

「コウカイ、ではないですよね? すみ歌ちゃんみたいに、コウカイは消えないわけですから」

「なら、経歴か? 過去がないこの世界なら、犯罪者家族というレッテルが薄まる」

「それなら、腑に落ちます……かね?」

「理には適っているが……」


 何だろう、答えにしてもいいくらい、筋は通っている。

 だが、断言するには至らない。


 間違えられないプレッシャーか……降旗明星も違和感を覚えているようだし、とりあえず保留にするか。


「はいです」


 そこで、与が手を挙げた。


「そもそも、木次素矢子が目的を達成しているとは限らないのでは? です」

「私もその可能性は考えた。奴ならやりかねないとも思った――が、やはり報酬が不確定なのに、果てしない時間遡行に耐えられるとは思えない」


 しかも、木次素矢子の場合、私や祷と違って、自ら時間遡行をしなければいけない。やめようと思えば、簡単にやめれる立場だ。


 動機もなしに、あれだけの時間遡行を繰り返せるとは思えない。


「与はそう思わないです。コウカイを知らないからかもですが、人が必ずコウカイを晴らそうとするとは思えないです」

「確かにそうだが、後悔の杭は確実に存在している。それが宇宙情報体に選ばれた要因なんだから」

「与が言いたいのは、コウカイの杭と宇宙情報体に協力するメリットが、関係ない可能性もあるってことです」

「?」

「例えば、犯罪者家族であることをコウカイしているとして、宇宙情報体に成功報酬として大金を用意された、みたいな感じです」


 そうか。後悔とは関係なくても、報酬は用意できる。


「なので、あまりジカンソコウとコウカイの杭の繋がりを、意識しなくてもいいと思うです」


 となると、考えなければいけないことが格段に増える。


 くそ……本来、推理はいらないはずだったんだがな。


「そういうこと――なのでしょうか」


 降旗明星が、ぽつりとつぶやいた。


「直接見たわけではないですが、木次さんからは諦念というか、投げやりさを感じたんです」

「諦念……」


 この単語を聞いて、思い浮かぶのは諦めていた少年、祷因果。しかし、私には奴と祷にそんな接点があるとは思わない。


「自殺志願者と同じ匂いがします。しかも、心のどこかで止めて欲しいと思っている人ではなく、本当に死んでしまえる自殺志願者の匂い」


 私は沢山の人間を見てきた。降旗明星が救ってきた多くの人――その何倍もの人を調べ尽くしてきた。だが、やってきたのはただのカンニングだ。


 心と向き合い、自力で解答欄を埋めていった彼女の直感は信じられる。


 投げやりに殺され、後悔させられたとは思いたくないが。


「もしかしたら、先払いの報酬を得ているが故の諦念かもしれないと思ったんです。もう報酬はもらっているからどうでもいいや、みたいな。全然、根拠はないですが」


 先払い、か。中々いい仮定のように思えるが、やはり数百万の時間遡行に見合う報酬がどうしても思いつかない。


 後悔と報酬の関係性。


 降旗明星が感じたという、諦念。


 自殺志願者。


「ん、それだ」


 珍しく閃いた。


「生まれてきたことを後悔しているんじゃないか?」

「え?」

「自分が生まれてこない世界を、探してるんじゃないか?」


 並行世界ガチャ。


 数百万回も狙いを外したら、それは投げやりにもなるだろう。

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