こちらの世界の天才発明家

 町はずれにある、蔦に覆われた平屋。敷地内には燃える燃えない問わず、沢山のごみたちが山を築ている。


 辛うじて蔦に侵されていない玄関を開けてみると、微かではあるが、家の奥から金属音が聞こえた。


「変わらないな、世界が変わっても」


 ……変わらないのか。


 世界が変わってもなお、入交与は両親に捨てられるのか。


 正直、私は覚悟していた。世界が変わったことで、両親と暮らしている入交与を見てしまうことを。


 それくらいで揺らぐ覚悟ではない。


 想いではない。


 だが、私には痛む心が残っている。ただでさえ、この世界で過ごす、幸せそうな人たちを見るだけで、後悔しそうになる。顔見知りのそれなら、なおさらだ。


 入交与とはともに世界を救った仲ではあるが、そこまでの思い入れはない。だが、祷はそうじゃない。忘れていたとはいえ、家族になってやるとまで言った仲だ。入交与が両親と暮らしていたら、祷はこの世界を壊すことを躊躇うだろう。


 それを想像するだけで、私の脚も鈍る――と、想像に想像を重ねていたわけだが、杞憂に終わった。


 しかし、これはこれで味が悪い。


 しかも、だ。


 この世界の彼女は、祷に出会えないのだ。救いがない――本当に、拍子抜けだ。ここに来てテンプレを外すか。

 

 ここは世界を壊すことへの葛藤を募らせる場面だろうに、世界を壊す後押しをしてくれるなんて――世界が優しくて怖い。


「話がある。入交与」

「誰です? 迷子です?」


 ガラクタの積まれた部屋、裸にゴーグルという痴女めいた格好で、機械弄りをしていた入交与は、前世界と変わらぬ語尾でそう言った。


「私の名前は上栫すみ歌だ」

「はぁ、すみ歌ちゃんは与に何か?」

「ちょっと体を貸せ」

「与は何でも屋を自称していますですが、エッチなサービスはしてないです」


 そうか、こっちでは何でも屋をしているのか。


 まぁ、前世界では祷が方向性を定めたからこそ、人を救う発明をしていたわけで、指向性がないのなら、何でも屋になるのは必然か。


「女とやるのはもううんざりだ。とにかく、貸してもらうぞ」


 手を伸ばして、入交与の頭を掴み、こちらの頭にくっつける。


 これから行うのは記憶の転写。入交与に、私の記憶の中の入交与を見せる。


 元々、こんな技術は持っていなかったが、今の私は後悔の塊だ。呪いと言ってもいい。私自身が記憶であり、過去だ。


 後悔とは、過去を繋ぎ止める杭。後悔の才能がある私の記憶は、他人よりも鮮明らしい。


 時間遡行を経ても、健在なほどに。


 こうすることで、他人に私の記憶を体感させることができる――まぁ、九割九分の人にこれをしても、白昼夢程度にしか認識されない。宇宙情報体の刷り込みは凄まじい。


 だが、どうだろう?


 入交与の天才性を以てすれば?


「な、何ですか、これ……与、知らないです。こんなこと……」

 

 さすがに困惑するか。


 それはそうだ。自分じゃない自分を見せられたら、どんな天才だってこうなる。


 だから、教えてやろう。


 時間の概念を。前の宇宙に何があったのかを。


 そうすれば、きっと……


「……理解したです。時間――前の宇宙では、随分と窮屈なルールを作っていたのです」

「さすがだよ、入交与」


 確信はなかったが、上手くいった。さすがの理解力だ。


「それで、与に何をしてほしいですか、すみ歌ちゃ――先輩」

「教えてくれ」

「……何をです?」

「この世界を壊す方法――時間の概念の復活」


 正直、教えてもらえるとは思っていない。誰が、自分の生きる世界を壊す方法を教えるものか。彼女はあくまで、時間の概念を理解しただけで、前世界の入交与の記憶や感情を完全に知ったわけではない。


 なので私は今、記憶の転写が終わってもなお、彼女の頭を放さないでいる。

 記憶の転写ができるということは、私史上、最悪の記憶を相手に体感させられるということ。


 木次素矢子じゃないのだ、少女を拷問にかけるようなことはしたくない。だがそれ以上に、この世界を許せない。


 やるぞ、私は。


「……すみ歌先輩は、本当に因果お兄ちゃんが好きです」

「ど、どうした、急に」


 確かに本当に好きだから、こんなことをしているわけだが、いざ他人に断言されると照れる。


 しかも乗り気ではないとはいえ、拷問するつもりですらいたのに。


 不意を突かれた。


「すみ歌先輩は多のためなら、小を殺せる人間だったです。でも、今は逆です。前の宇宙のすみ歌先輩とは別人みたいです」


 前の宇宙の入交与を見せたことで、前の記憶が戻った――わけではない。記憶の転写、つまり私の主観を彼女に送ったわけだから、ある程度、以前の私の思考が混入するのは仕方がないことだろう。


「ああ、私もそう思う。それで、以前の私を知ったのならわかるだろう? 私はせっかちだぞ」

「わかりました。協力するです」


 あっけらかんと、入交与は言った。


「いいのか? そんな簡単に。世界を壊す者の片棒を担ぐんだぞ?」

「いいです。多分、与は元々、後悔しないです。だったら、楽しそうな与な前の世界がいいです。今の与はつまらないです」


 確かに、彼女と後悔は無縁のように思えた。


 頭がいい癖に、後先を考えない。


 失敗を引きずることもしない。


 祷を狂人化させたときも、泣きはしても、その手を止めることは決してなかった。


 そもそも、親と別離する原因となった頭脳を使い続けられる時点で、常人のそれではない。祷という、義理の家族で満足できるのも、本当の家族に執着してないからだろう。


 私や祷に後悔の才能があるのなら、入交与には後悔の才能ではなく、他の感情の才能がある。


「それに、前の世界にはお兄ちゃん――この世界では頼りがいのある男を指す言葉ですが、家族がいたんです? だったら、迷う余地なしです。さらにです」

「?」


 入交与が私の体に、腕を絡ませてきた。


「世界が壊れるまでは、義理のお兄ちゃんと一緒にいられるです」

「――気が早いよ。まだデートだってしたことないのに。それに、女の場合はお姉ちゃんだ」


 やはり世界は甘くない。


 祷を救うために、私は義妹を犠牲にしなければいけなくなった。


 妹が一番、私に刺さる。

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