君のためなら

「祷因果に会わせてくれ」


 私は、祷の母にそう言った。


 玄関からこちらを見る祷の母は眉根を寄せて、悪戯か、記者に雇われたか知らないが、帰ってくれと言ってきた。


 まぁ、もっともな反応だ――というか、記者という職業があるのか。記事なんてどれも過去を記したものだから、存在しないのかと思った。


 そもそも不思議なのは過去がないはずなのに、記憶の機能が残っている点だ。どういうことなんだ?


 こんなときこそ、祷に仮定を立ててもらいたい。私にはもう、そういうものなんだろうな、としか考えられない。


「帰らない」


 と、反論してみる。


 いくら子供でも通報する、と言ってきた。前世界の彼女とはだいぶ性格が違う。こんなヒステリックに叫ぶ人じゃなかった。


 しかし、どうしよう。


 本当のことを言っても笑われるだけだろうし、友人だと言っても、信じてもらえないだろう。


「失礼した」


 そう頭を下げ、踵を返す。

 仕方がない。不法侵入するか。


 何が何でも会う必要はないのだが、約束だからな。


 ということで深夜まで待った。どれくらいの深夜なのかはもちろんわからない。一度、家に戻って、動物たちにエサをやって、ご飯を食べて、お風呂に入って、もう一度、町を一周してからなので、体感だと〇時くらいだ。


 こんな時間の使い方をしたのは久しぶりだ。待ち遠しいなんて気持ちも久しい。


 さて、祷家の前。電気は消えている。


 道中、電気がついてる家が前世界よりも明らかに多かった――私の体内時計が合っているのなら――ので、もしかしたらまだ待たなければいけないかと思っていたが、杞憂に終わった。


 どこから侵入するかだが、旧祷の部屋ではなく、一階のどこかがいいだろう。


 病人は基本的に一階にいる。


 私は侵入経路に、風呂場の窓を選んだ。前の世界で風呂を借りたときに確認していたが、こちらでも空いていて助かった。


 さすがは田舎、しらみつぶしの旅でも感じたが、防犯意識が薄い。まぁ、野菜の無人販売なんてものが成り立つくらいだからな。


 だが今回の場合、祷家を責めることはできない。


 やや高い位置、手は届くだろうがそこから体を持ち上げるのには、壁が邪魔をするのでそれなりの筋力がいる。


 そして、そもそも大人の肩幅では、通ることすらできない大きさなのだ。


 大人でなければ登れない。そして、大人では通れない。


「ふっ!」


 ただ、私は壁キックを修めているので、やや高い程度であれば何も問題ない。


「くっ、ふぅ!」


 ……結構、ギリギリだった。


 ここまでくれば、後は窓をくぐるだけ、これは思ったよりもすんなりと突破することができた。


 少し息を整えて、風呂場を出る。


 何度も通った祷家の廊下――何だか懐かしく思える。


 思わず、笑みがこぼれた。


「嬉しかったんだよ」


 前世界では客間だった部屋に入る。


 以前は畳が敷かれた落ち着いた部屋だったが、今は部屋の半分を埋めるほど大きなベッドが置かれている。


 その上に、彼は横たわっていた。


「いや、嘘だな……本当は、残念だった。祷が犯人じゃなくて」


 元々痩せ気味だったが、頬骨がくっきりと浮かび上がるほど痩せこけていて、今にも折れてしまいそうな腕は、管で点滴と繋がっている。


 月明かりの中、辛うじて見えた目は、ここではないどこかを見つめているかのように虚ろだった。


「だが、それも最初だけだ。今は、心から祷に出会えてよかったと思っている」


 どこかの骨をうっかり折ってしまわないようそっと、ベッドの中に入る。


「仕方ないだろう? だって、私たちが惹かれ合わないわけがない」


 閉じられた時間の檻の中、唯一、自分を覚えていてくれる人。


 ずっと、ずっと、一人で過ごしてきたからこそ、祷の隣は温かく感じて。


 だけれど、今は冷たい。


 暗く、深く。


 どこまでも落ちていくような――遡っていくような錯覚。


 これが、人類史を再編させるに至った後悔の後遺症。


 壊れた心は、後悔だけをひたすら生み続ける。


 周りの空気すらも澱ませる。


「私たちは、多くの時間を共に過ごしたわけではない。生きている時間と比べれば、この出会いは本当に刹那的だ。普通の人間で考えたら、道端ですれ違った程度のことでしかない。だが」


 祷の手に触れる。


 触れているはずなのに、何も感じない。


 まるで、ここにはいないかのようだ。


「私たちにとってはその刹那が、何よりも大切だ。な?」


 感じたい。


 彼の命を感じたいのに。


 感じるのは、前世界との摩擦だけ。


 それでも彼を感じようと体を寄せると、ごめんなさい、と聞こえた。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


 生まれつきの植物人間が、並行世界の知り合いと出会って、奇跡的に意識を取り戻した――なんてことではない。


 覚えている。


 私の体が千切られていく間、彼はそう泣き叫んでいた。


 彼の意識は――彼の後悔は未だ、あの無機質な部屋にあるのだろう。


「謝ることじゃない」


 祷には何の落ち度もない。

 人が人を好きなることの、何がいけない。


「むしろ感謝しているよ。祷には」


 世界を終わらせるくらい、私を好きになってくれて、ありがとう。


「……うん、遅くなったが、答えるよ」


 もし私が、アニメの主人公のように恋をしたら、想い人を救うために時間遡行をするか?


 今なら答えらえる。


 即答できる。


「やるよ。祷のためなら、世界だって壊してみせる」

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