人間死んでも変われない

 目が覚めると、僕は見知らぬ部屋に拘束されていた。


 壁に大の字で張りつけにされるような形で、猿ぐつわか何かを咥えさせられている。


 気持ち悪いほど真っ白い、空気の淀んだ窓のない部屋だ。


 扉が一つだけ。他には何もない。一応、時計が僕の対面に設置されている。時刻は、十時ちょうど。午前なのか、午後なのかもわからない。


「あら、ちょうどいいタイミングで目が覚めたわね」


 扉の向こうから、木次が入ってきた。


「素矢子」

「…………」


 こんな状況では、モノローグをし直す気にもなれない。


 僕が拘束されてるだけならまだしも、木次の腕に抱えられている人を見たら、律儀に付き合ってやる気にはなれない。


「祷……」


 上栫さんの姿は、見るも無残なものだった。


 お気に入りのジャージはあちこちが裂けていて、目も虚ろだ。足取りは不確かで、木次が支えていなければ崩れ落ちてしまうことは、簡単に予測できた。


「私も下着が丸見えなくらいボロボロなのに、触れてすらもらえてない。上栫さん、愛されてるわね」

「くっ、その奇妙な読心さえなければ……」

「だから最初に言ったじゃない。私には宇宙の意思がついているの」


 二人の様子を見るに、上栫さんは木次との戦闘の末、連れてこられたようだ。僕とは違い、しっかりと戦闘にはなったようだが――それでも木次が上栫さんに勝利したのは意外だった。


 上栫さんはしらみつぶしの道程で出会った、不思議な力の持ち主たちから怪しげな術を教わってきている。一騎当千の降旗先輩ほどではないものの、男五人程度だったら一瞬でなぎ倒すことができる。


「実際、危なかったわ。まぁ、後悔の変換効率に優れる彼女の前で、後悔させるような情報を与えた私のポンコツなんだけれど。凄かったわよ? 祷因果の陰嚢を潰したから、ループが終わってもセックスできないわ。今朝のうちに一線を越えちゃえばよかったわねって、聞いた後の上栫さんと言ったら。どれだけあなたとセックスしたかったのかしら?」

「勘違いするな」

「何を?」


 木次が言った。僕の台詞を言った。


「お前が真剣勝負の最中に、あまりにもおどけたことを言うからだ。別に祷としたかったわけじゃない。祷を守れなかったことを後悔したんだ。心を読めるならわかるだろう?」

「心を読めても、嘘を言っていけないルールはないわ。実際、やぶさかでもないでしょう?」

「ぐっ」


 木次は上栫さんを床に放り投げた。上栫さんは手を使って受け身を取るが、それ以降も床に這いつくばったまま――脚に重大なダメージがあるようだ。


「祷君、よかったわね。両想いよ。ああ、ちなみに陰嚢は潰れてないから安心して」

「――っ!」

「怒ってる。珍しいわね。ここ数百万のループで初めて見たかも」


 煽るように言って、木次は続ける。


 彼女の目的は見当もつかない。だが、僕たちを貶めようとしていることは、彼女の顔が物語っている。


 集中しろ。


 木次から湧く情報を一滴残さず拾い集めて、活路を仮定しろ。


 最悪、僕はどうなってもいい。


 上栫さんだけでも――


「苛つくわ」


 木次が言った。

 今までの薄ら笑いではなく、侮蔑を含んだ睥睨だった。


「そんな考えだから、あなたは主人公ではなく、ただの偽善的な語り部止まりなのよ。『せめて上栫さんだけでも?』ですって? 君が諦めないなら僕も諦めないなんて言っておいて、結局最初から諦めてるじゃない」

「――――」


 目の前でフラッシュをたかれたかのように、視界が揺れる。


 上栫さんと出会って、引っ張り上げてもらって。


 上栫さんの不屈に中てられ、僕はもう一度立ち上がれたんだ、諦めていないんだと錯覚していたけれど。


 人間、死んでも変われない。


「祷、祷は……!」

「黙って」

「っ」


 木次が、声をあげた上栫さんの脚を踏みつける。上栫さんは苦悶の表情で僕を見上げた。


 彼女はそんな人間じゃないってわかっているのに、彼女の視線は僕を憐れんでいるように思えた。


「いい感じね。『心』が後ろを向いた」


 何か呟いてから、木次は脚を使って上栫さんを仰向けにした。


「私は最初から上栫さんの存在を認識していたのに、好きにさせていたのはなんでだと思う? ほら、落ち込んでないで仮定してみたら? 祷君はできることをやるんでしょう?」


 ……彼女の言いなりになるのは癪だけど、僕は弱い。何かをしているのだという事実が欲しい。


 でないと、どうにかなってしまいそうだ。


 この性格、そして読心術から考えると……いつでも対応できるから、だろうか。


「違うわ」


 木次はそう答えて、上栫さんに覆い被さった。


「顔が好みだったのよ」

「何を……んっ!?」


 木次の影になって、上栫さんの様子は見えない。


 ……何をしてるんだ?


 小声で話している?


 ――いや、そうじゃない。


「んじゅ、ちゅぶ」

「んなっ、はめおぉ……ん」


 …………。


 なぜ、木次は上栫さんの唇を奪った?


 なぜ、このタイミングで?


「ぷはっ、危ない。読心術がなかったら舌を噛み切られていたわ」


 言って、木次はちろっと僕にピンクの舌を出して見せた。人によっては艶やかに映るかもしれないが、不可解さが勝った。


「はぁ、はぁ……」


 木次の下敷きになっている上栫さんは、虚ろだった目をまん丸にしていた。困惑した表情で、木次を見つめている。


「じゃあ、早く――いえ」


 木次はにっこりと僕を見て、


「速やかに、終わらせましょうか」

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