苛つくわ

 彼女が――木次素矢子がそう言ったわけではないけれど、僕は彼女のことを時間遡行の犯人だと決めつけた。


 驚くよりも、戸惑うよりも、まずは体を起こそう。犯人相手に寝転んでいるわけにはいかない。


 そう思ったのだが、先を読まれたかのように、木次が体を倒してきた。僕の腹を枕にするような形になる。


「答え合わせは後でするわ。二度手間になるから」


 相手は華奢な女子だ、退かせようと思えば簡単に退かせるだろう。


「そんなことをしたら、どうなるでしょうね?」

「……さっきから何なんだ? 読心術?」


 台詞を敢えて描写しなかったとかではなく、この女は平然と僕のモノローグを台詞として認識しているようだ。


 不快感に、思わず語気が強まる。


「宇宙情報体が教えてくれるの」

「……キャラが混ざってるよ」


 そういうわけのわからないボケは、自称幼馴染の領分のはずだ。


 抑揚のない声色のまま言われたので、さっき名乗られたときよりも驚いた。


 もしかして、こいつは犯人ではなく、世界線的に二重人格系中二病を発症しているただの木次素矢子なのかもしれない。


「不快だわ」


 木次は言う。


「楽観的にいられるのが気に入らない。名前で呼べって言っているのに、頑なに名字で呼ぶのも気に食わない」

「名字嫌いなの?」


 幼馴染キャラであれば、親しいのに名字で呼ばれるのが嫌だったと理由ができるが、今の状態の彼女なら、むしろ名字呼びのほうがいいように思える。


「いえ、名前が嫌いなの。だから名前で呼んで」


 何のプレイだ、それ。


「嫌いな名前を呼ばせることで、罪悪感を覚えさせるプレイよ」

「いい性格してるね」


 上栫さんとは違う、ひん曲がったサディズムをお持ちのようである。


「あら、どちらかと言うとマゾなんだけれど」

「人の腹を枕にしてよく言うよ」


 まぁ、嫌いな名前で呼ばせるという行為を素直に捉えてみれば、自分に苛めを強要していることになるが、なるだけだ。


「それで、何をしに? 僕を苛めに来たわけじゃないだろ?」

「まぁ、あながち間違いではないわね」


 間違いであってほしかった。


「今回の目的は祷君と話すこと。あなたのことはだいぶ前から知っているし、定期的に嫌がらせ――もとい、観察に来てはいたけれど、詳しいことは知らないから」


 ……いや、苛めると話すを、あながち間違いじゃないと認識しているのか?


「と、思っていたのだけれど、もう知りたいことは知れたわ。どうしようかしらね」

「どうしようかしらねって……」


 僕は今、時間遡行の犯人と思しき人物と対していて、どうするべきかを必死に考えているのだが、木次のツッコミどころのある発言が思考を鈍らせる。


 宇宙情報体云々は置いておいて、彼女が僕の内心をある程度、読めているのは確かだ。


 どうにもペースを握られている気がする。


「ああ、残念だけれど、携帯は私が預からせてもらったわ」

「っ」


 できるだけ携帯に関することを考えないようにして、上栫さんに連絡しようとしたのだが……


「残念ね。あなたが、心の声に反する行動を取れることは知っていたから」


 ポケットに入れておいたはず――いつの間に盗まれた?

「声をかける前に、すっと。祷君、上栫さんのことでいっぱいいっぱいだったから、気づかなかったでしょう?」

「…………」

「上栫速歌。発生当初はあなたと同じタイプかと思って放っておいたけど、まさかあなたの心を動かすどころか、奪ってみせるなんてね。さすがに予想できなかったわ……はいはい、確かに変換効率は桁違いだったけれど」

「……誰と話してるの?」

「宇宙情報体よ」


 唐突に出る中二病も、僕のペースを乱すためなのかもしれない。


 こんなにも話していて窮屈さを感じる相手は初めてだ。底が見えない。


「このまま雑談でもしていようかと思ったけれど、後が控えているから終わらせるわね」


 意味深なことを言って――彼女の発言で、意味深じゃないところのほうが少ないが――、彼女は体を起こした。


 よし。

 とりあえず、逃げよう。


 ベッドを蹴って、部屋の扉まで加速する。


「無駄よ」

「っ!?」


 考えないようにしても意味がなさそうだったので、最速での脱出を試みたのだが、扉が開かない。これも、僕がベッドでのたうち回っているときに細工をされたのだろう。


 となると、窓しか逃げ場がない。だが、僕は上栫さんとは違って、二階から飛び降りて、無傷でいられるような体はしてない。


 逃走経路が封じられた。


「残念だけれど、あなたは今日、人生で一番後悔することになる」


 木次は言って、一歩、僕に近づく。


 僕にはもちろん読心術は使えないけれど、彼女が凄く嬉しそうなことは、何となく伝わってきた。


「上栫速歌に恋をしたことも、上栫速歌に出会ったことも、心を動かしたことも、仮説を立てたことも、友人に出会ったことも、善良な家族に囲まれていたことも、生きていたことさえも」

「……後悔なら、もうしてる。人生で一番、後悔してる」

「苛つくわ」


 木次は言う。


「この程度の後悔が人生で一番だなんて、そんな異常なほどに生温かい人生を過ごしてきたなんて、苛つくわ。いえ、感謝すべきなのかもしれない。祷君みたいな人間を生きたままループに捕らえられたことはそれこそ奇跡で、環境によってその才能を開花させられていなかったこそ、私はたかが数百万のループで目的を達成できたとも言える。だけれど、言わせてもらうわ。私はあなたが嫌いだし、憎いし、妬ましい」


 何を言っているのかは理解できないが、偽善者を気取っている場合ではないことは理解できた。


 残る選択肢は闘争しかない。


「っ!」


 近づいてくる彼女を迎撃するため、腹部に向け、前蹴り――


「馬鹿」

「ふんっ!?」


 に対して、前蹴りを合わされた。

 しかも、股間に。

 あまりの痛みに、素っ頓狂な嗚咽が漏れる。


「心が読める相手に格闘を仕掛けるのは悪手でしょう?」


 いや、未来予知ではないんだ。心を読めたとしても、結局後出しになることには変わりない。僕がどういう攻撃をするかを読んで、対応策を考えて、実行する。


 ただ避けるならともかく、同じ技でカウンターするには、余程、身体能力に差がないとできない。


「じゃあ、身体能力に差があるってことでしょう? まぁ、心体能力と言うべきなのでしょうけど。あなたが降旗さんにしてもらうべきだったのは、慰めてもらうことじゃなくて、戦いの心得を教えてもらうことだったということよ」

「っ!」


 うずくまる僕の頭に、何かが振り下ろされた。踵か、肘か、本棚にあった分厚い本かもしれない。いずれにせよ、僕の意識を断つには十分だった。


 薄れゆく意識の中、木次は言った。


「素矢子」


 ――素矢子は言った。


「後悔しろ」


 ■■が生まれたことすら、後悔しろ。

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