『意識の泉』

 この田舎町には昔、唯賀城という城があったらしい。

 何の逸話もない城だし、今は跡形もない。跡地の上に豪勢なお屋敷が立てられているが、むしろそちらのほうが有名だ。


 逸話だらけだ。

 逸話まみれの降旗先輩のお家なのだ。


 この町で、降旗家が建っているこの土地が、唯賀城跡地であることを知っている人間はほとんどいないだろう。

 

 不自然なほどに認知されていない。


 だが、この城の本当の役割を知れば、そのあまりの地味さに納得がいく。


 唯賀城跡。見上げるほど大きなお屋敷――の隣に建てられた小ぶりな倉庫、その地下に降旗家の人間だけが開けられる鉄扉がある。仕組みはわからないが、かなりオカルティックなものらしい。


 その鉄扉の奥には、果てしない螺旋階段がさらに地下へと伸びている。光源が一切なく、本当に人が下りる前提で作られているのか不安になるが、そこは文明の利器、スマートフォンの出番である。


 僕がしんがりから道を照らす。まぁ、明るくなっても、この階段の下にあるものを考えれば、足取りが軽くなるようなことはないが。


「集合的無意識、って聞いたことあります?」


 階段を降り始めてすぐ、先頭を務める降旗先輩が言った。


「人間の無意識の深いところには、元型――共通のイメージとか認識みたいなものがある、みたいな話だったか?」


 上栫さんが言った。

 意外だ。時間遡行については全然だったのに。


「ジャンルが違うからな」


 確かに、こちらは宗教とか心理学的な要素が大きい……いや、それらを知っているのも十分意外だが。


「知っているなら話は早いですね。要は、人間の無意識が集まる場所がここなんです」

「……何?」


 さすがの上栫さんも、困惑の声を上げる。


「まぁ、いきなりこんなこと言われたら、そうなりますよね」

「いや、わかってる――非科学的なものが存在していることは。まだ東北だけとはいえ、これだけ微に入り細を穿ってくれば、嫌でも目に触れる。ただ、『集合的無意識』のような抽象的なものが、形を成して存在しているということに驚いた」


 そう言う声色には、もう驚きは感じられない。落ち着くのも速やかだ。


「では上栫さん、『心』が存在することも?」

「ああ。詳しくはないが、一応、心得もある」

「それはそれは。いつかお手合わせしてみたいですね」


 ココロ――心?

 何だろう? 今度は僕の知らない話だ。僕の知らないほど当てにならないものはないが、多分、聞いたことのない話だと思う。


「詳しい説明は割愛しますけど、人には『感情』というエネルギーを作る『心』という器官がある、という話です」


 SFの次はファンタジーか。

 世界観を壊されたのは僕のほうだった。


「何者かになる人物は、『心』のどこかしらが強いんです。特定の『感情』を人より多く体に抱えられたり、感じなかったり。詳しいことは全然わからないんですけどね。何せ目に見えないですから。その『心』が子機で、『意識の泉』が親機のようなものだと思っていただければ」

「人間の源だな。端的にに言えば」


 人間の源。

 上栫さんの言葉を聞いて、納得する。

 この先にあるものの姿形に。


「っ」


 目的地が近いのか、階段を一段下りる度、脳裏がざらつく。壊れたテレビに映る砂嵐のように、じじ、じじ、と眼球の裏を削るようだ。


 砂嵐の頻度は徐々に増えていく。


 砂嵐と、階段の風景。


 どちらが幻覚なのか、視界がひっくり返ってしまいそうな不安に駆られる。

 

 怖気が止まらない。


「因果君、大丈夫――じゃなさそうですね」


 しんがりにいるので気づかれないだろうと思っていたのに、さすがは先輩だ。


「いえ、よくもう一度見る気になりましたねって、聞こうと思っただけですよ。買い被りです」

「祷は貧弱だな」


 上栫さんに軽く小突かれ、肩を貸された。

 勘違いしないでくれとよく言うし、ツンデレなのかもしれない。


「正直、見たくないですよ。でも……うーん、何だろう」

「何だろうって何だ」


 上栫さんに急かされても、浮かんでこない。


 言われてみれば、僕は待っていてもよかったはずなのに、そんな選択肢はなかったかのように、ここまで来てしまっている。


「上栫さんだけに見せるわけにもいかないし?」

「何だ、その疑問符」

「毎日『アレ』を見ている、憧れの降旗先輩に、少しでも近づくため?」

「お世辞でも疑問符つきでも嬉しいですね」


 ……余計な考えを言葉にすることで、自分の本心が見えてきた。


 多分、罪悪感を紛らわすためだ。


 酷い目に遭うから、先輩を探ることを許してほしい。


 そんな卑しい考え。


 僕みたいな人間がいるのだ、『アレ』の惨状も納得できる。


 いや、『コレ』か。


 地下深くにぽっかりと開いた、広闊な空間。

  辺りはなぜか明るい。

   しかしあるのは闇。あるいは泥。

    空間の天井からどぷりどぷりと溢れ出てくる黒い泥。

     怒号が聞こえる。


 雫というよりはもはや滝。

  落ちる先には名前の通り、泉が待っている。

   吸い込まれるように、飲み込まれていくように。

    飲み込まれているのは、僕の意識か。

     悲鳴が聞こえる。


 墨絵の世界に舞い込んだように、視界が白黒になる。

  おかしい、泉から滝へ、泥が逆流しているように見えてきた。

   と思ったら、今度は落ちているように見える。早送りと巻き戻しを繰り返す。

    脳のリソースが、この状況を理解するために削られていくのがわかる。

     咽び泣く声が聞こえる。


 どくん、どくん。

  心音と共に視界が揺れる。

   いや、泉の水面が揺れているだけなのか。

    心臓が膨れ上がる錯覚、体の内側から血管という血管が破られそうだ。

     嘲笑が聞こえた。


 視界が弾ける。


 戦争。              侵略。   破壊。  陰口。

いじめ。      差別。    仲違い。    勘違い。         

   嘘。         殺人。           強姦。                     軽視。

       猜疑。   慢心。  略奪。     怨恨。

     激昂。   自殺。      誹謗中傷。

浮気。   金。家畜。     廃棄。          環境破壊。

権力。愉悦。                             拷問。凌辱。

           不倫。         贔屓。       虐待。

       裏切り。 盗難。   偏見。

                         冤罪。才能。

努力。


 ――これが『意識の泉』。


 全人類の心と繋がっていているが故に、近づきすぎると『泉』側から流れてくるものの比率が大きくなってこうなる。


 集合的無意識を、意識してしまう。


 そろそろ意識のキャパを超える。降旗先輩が外まで運んでくれるだろうが――申しわけない。


 やっぱりこんなもの、見なければよかった。


 そう後悔するかと思ったが、全然だった。


 むしろ興味が湧いた。


 他人のために――見ず知らずの他人のために動ける上栫さんが、この汚らわしく、悍ましい人間の底を見て、どう思うのか。


 主人公は、どう思うのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る