降旗明星

 降旗明星ふりはたあけぼしは正義の味方だ。


 僕の通う高校の三年生で、この辺りの大地主の一人娘。身長一七二センチ。髪型は一つ結び。背中まで伸びた艶やかな長髪を、うなじの辺りできゅっと束ねている。


 生まれや容姿に恵まれているにも関わらず、他人を決して見下したりせず、困っている人がいれば助けずにはいられない。悪があれば滅ぼすだけではなく、諭して更生させるまでがセット。


 誰もがその在り方を聞いて、始めはうんざりしたように言う。


『どうせ裏では違うんだろ?』


 そして降旗明星の裏表のなく、ろ過にろ過を重ねたような純粋な性格を知り、自分の卑しさに絶望することになる。


「そして、ついたあだ名は『アンリミテッド聖女』。人間の限界を軽く超えている身体能力に、風に揺れる長髪が掲げられた旗のように見えるのが由来……どう?」


「…………」


 降旗先輩を見ても絶句しなかった上栫さんに絶句された。


「気持ち悪い」

「何が?」

「祷に決まっているだろう? 何だ? ファンなのか?」

「……そうじゃなくて、お眼鏡には適ったかってこと」

「ああ。人望があって、お人よし。基点にするにはこれ以上ないよ」


 上栫さんは確認するように、視線を橋の下を流れる川にやった。


 僕たちはあれから、降旗先輩を活躍を追ってきた。老人の荷物を運び、町の公衆トイレの独占を狙う悪の秘密結社のボスとの決闘、そして自殺志願者の救出。


 僕たちがいる橋の上から川に飛び込んだ少女を追うようにして飛び込んだ降旗先輩は、なぜか少女よりも先に着水、見事少女をキャッチした。


 今は自殺を止められた少女との口論中だ。


 どうして止めた? やっと死ねると思ったのに。これ以上生きていても意味なんていないのに。


 自殺志願の少女は金切り声を上げ、降旗先輩を小突く。


「本当に死にたいなら、わたしのいないところで自殺するはずでしょう? わたしの手の届く範囲での自傷行為、犯罪行為、それらは全て、わたしに助けてほしい、もしくは正してほしい行為とみなします」


 降旗先輩はそんな傲慢な台詞を平然と言ってみせた。


 少女は黙った。図星を突かれたのだろう。確かに、この通勤ラッシュの時間帯、交通量が特に多い橋の上からの飛び降り自殺は、誰かに止めてほしいという思いが働いているとしか思えない。


 先輩は名前と旗のように靡く髪から、かの聖女に例えられるが、決して聖人というわけではない。


 あくまで僕の持論だが、聖人は『怒り』を用いずに人を導ける者だと思う。時には怒ることも必要、厳しさも優しさという妥協案を必要としない存在。純然たる『優しさ』で『厳しさ』、『怒り』以上の教えを与えられる超越した存在。


 降旗先輩は確かに優しいが、厳しい。

 人間味がある。


「心の底から死にたいと言うのなら止めません。生きていればいいことがあるだとか、そんなことを言えるほど、この世界は綺麗じゃないし、人間の心はさらに汚い。でも、あなたはどうですか? あなたに残るその未練は、本当に川に捨ててしまっていいものですか?」


 少女は泣き出して、そのまま駆けつけた警察に連れていかれた。


 あの少女に、先輩の言葉は響いただろうか?


 まぁ、そんな疑問に意味はない。


 結局、少女の決意はどこかへ消える。


 上栫さんの言う通り、どんな理由があっても許せることではないと思う。


 こんな僕ですら、そう思う。


「あれ、因果君じゃないですか」


 濡れたマフラーを絞りながら――冬場の彼女のトレードマーク。旗が二本になるのだ――、降旗先輩が橋の上へと戻ってきた。下着が透けていたり、ボディラインが強調されていたり、性欲が枯れていても、見ていられない状態だ。


「何か嫌なことでもありました? あんまり元気がないですけど」

「先輩、これ」

 

 とりあえず学ランを脱いで渡す。


 質問には答えない。二月三日に顔を合わせれば、彼女は必ずこう言う。おそらく、二月二日の僕との違いを察しているのだろう。


「ああ、ありがとうございます」


 先輩は学ランを受け取って、


「ハンカチだけじゃ限界で」


 わしゃわしゃと頭を拭き始めた。


 ……うん、この辺りが天然と呼ばれる所以だ。


「ふぅ……」


 トレードマークの髪の毛は、完全に乾きはしないまでも、吹き抜ける風に靡くまでにはなった。僅かに水分を含んだ長髪が、朝日に煌めいて眩しい。


「クリーニングに出してから返しますね!」


 こんなにも快活に言われてしまったら、実は透けている下着を隠してほしくて渡したなんてことは、少なくとも僕には言えない。


「あれ? 随分可愛らしい子を連れてますね。彼女ですか?」


 言いよどんでいると、降旗先輩が上栫さんに気づいた。


「いえ、今日からうちに転校してくる……」

「祷と遥か昔に一度だけ遊んだことのある天涯孤独の上栫速歌だ」


 上栫さんは清々しいまでの棒読みで言った。


 信じてもらうために作った設定じゃないので、別に構わないのだが、少しくらい装ってもいいだろうに。


 ……いや、単純に演技が下手なのか?

 上栫さん演劇部説が消失した。


「降旗明星です。よろしく……と言っても、後一月もしないで卒業しちゃうんですけどね。まぁ、この町に残るつもりなので、顔を合わせることもあるとは思いますが」


 先のことを考えるのなら、彼女と仲良くしておいて損することはないだろう。

 先があるのならだが。


「卒業、したくないのか?」


 上栫さんは鎌をかけるように言った。

 調査開始が速すぎる。


「名残惜しいですが、留年するわけにもいきませんしね。それにわたしのやるべきことは勉学とは関係ないですから」

「やるべきこと、か……降旗さんは、過去を変えたいと思ったことはあるか?」

「ないですね」


 上栫さんにも劣らない、即答だった。


「わたしはそのときにやるべきだと思ったことを、存分にやってきました。わたしにはそれだけの能力と、好き勝手に生きていける環境があります。後悔なんてしようがありません」


 初対面の人に妙な質問をされ、ここまで真剣に、かつ堂々と答える辺り、やっぱり頭のネジが外れている。


 僕なんか面食らって、気づいたらホームルームが終わっていたからなぁ……


「さすがは因果君のお友達、変わった子ですね」

「そっくりそのまま返すよ。今まであった中でも三本の指には入る変人だ」


 二人の間に火花が散ったような気がした。


 まぁ、上栫さんからの一方的な敵意なのだが。


 確かに降旗先輩がループの犯人だったとしても、驚きはするだろうが納得できる。彼女は守ると決めたものは、どんなことがあろうと守り通す。


「というか、二人とも遅刻してしまいますよ?」


 ファーストコンタクトとしてはこのくらいで十分だろう。上栫さんに視線をやると、小さく頷いてきた。


「ではまた学校でお会いしましょう。わたしは一度、家に戻って着替えてきます」


 降旗先輩はそう言って、あっという間に姿を消した。橋の上という、周りに遮蔽物のないところにいたはずなのだが、どの方向に向かったのかも見えなかった。。


「行くぞ、祷」

「うん」


 こちらも小走りで学校へと向かう。遅刻すると先生に捕まって時間を取られる。


 そもそも学校には行く必要はないのだが、今回のループは、学校の生徒からも降旗先輩を情報収集をする予定だ。不要な時間の出費は避けたい。


 急ぎながらも、今後の方針を確認する。


「で、これからどうするの? 予定通り、生徒から情報収集?」

「いや、その必要はないかもしれない」

「?」


 実際に会ってみて、何かわかることがあったのだろうか?


「祷は彼女について、詳しそうじゃないか。色々聞かせてもらうぞ」


 上栫さんは笑った。

 初めて見る、とても嗜虐的な笑みだった。

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