どうしたら?

 カップ麺を高速で啜り終え、僕は彼女を自室へと案内した。無論、時間遡行の授業をするためである。


 上栫さんをデスクトップの前の椅子に座らせ、授業を開始する。


「アニメを見ます」


 僕が出した結論。


 僕の時間遡行周りの知識はアニメから手に入れたものだ。なので、僕の知識を共有してもらうには、時間遡行もののアニメを見てもらうのが手っ取り早い。


「もちろん、上栫さんが知りたそうな設定周りだけ」


 アニメファンが聞いたら卒倒しそうだが、目的が違うので勘弁願いたい。全話見せていたら、上栫さんのほうが卒倒してしまう。


 彼女は口元を隠して、ほんの数秒、考え込むような仕草を見せた。


「いや、アニメを見るならストーリーも見たい」

「な、なぜ?」


 上栫さんがアニメファンを気遣うとは思えない。


「せっかくの機会だ、ループを起こす側の気持ちを考えようと思ったまでだよ」


 時間遡行ものは十中八九、ループを起こす側――もしくは望む側。世界が起こすタイプもある――の視点で描かれる。


 彼女の願いは、作品を問わず叶うだろう。


 ただ心配なのは、必要な時間が増えること。作品にもよるが、時間遡行ものは設定が複雑なものも多い。あらすじだけでも、正確に伝えようとすればそれだけ所要時間が増えていく。


 ここは老人もどきの読解力、語彙力を見せどころだ。


 彼女に妥協する選択肢を取らせてたまるものか。


 そう意気込んで始めたアニメ鑑賞会、結果から言うと二十三時五十九分まで続くことになる。


 約十一時間を要した。


 僕は勘違いしていた。


 勘違いしないでほしいとよく言う彼女を、曲解してしまっていた。


 彼女は速いだけではないのだ。東北に住まう人間のおよそ七割をくまなく調査してきた彼女は完璧主義でもあるのだ。


 全人類をしらみつぶす気でいる彼女に、妥協する選択肢など存在しない。

 

 永遠に続く一日の中、手掛かりのない犯人探しを行ってきた末路か、副作用か、彼女は取捨選択ができなくなっていた。


 僕は本筋から逸れるパートをことごとくカット、本筋も口頭で十分なところはカットしようとしていたのだが、


「ん、飛ばすのか?」

「うん、ちょっと脇道に逸れるから」

「いや、脇道に新たな気づきがあるかもしれないぞ」

「え、でも」

「ぞ」


 彼女の眠そうな目の圧に負け、僕はアニメの尺では収まりらなかった裏話を、時々「ちなみにこれは……」と解説する役になった。


 いや、僕としては楽なのだ。時間遡行説明会からただのアニメ鑑賞会になったのだから。


「はぁ……」


 なので、帰ってきた両親に、上栫さんのことをみっちり問い詰められることもできる。


「遥か昔に一日だけ遊んだ天涯孤独の子で、今度僕と同じ高校に転校してくることになって、積もりに積もった話をしつつ、町を案内してた。天涯孤独故に大人が苦手で、直接話すのは避けてほしい。今日泊めるのは、手違いでアパートに家具が届かないから」


「やはり祷は凄いよ。そんな方便、咄嗟に思いつけない。これからのループでもこの設定を使おう」


 モニターから目を離さず、彼女は言った。随分と見入っているようだ。


 主人公が時間遡行していることを、大切な人に打ち明けるシーンだった。


「なぁ、祷。やはり私は許せないよ」


 言葉とは裏腹に、怒りなど微塵も感じない、抑揚のない声だった。


「不安だったんだ」

「……何が?」

「祷が諦めてしまったのは、時間遡行を起こす側の気持ちを知っていたからだと思ったんだよ」


 それはそれは……何と言うか、申しわけない。僕の弱さに理由をつけようとしてくれたみたいだ。


 だが残念。アニメが時間遡行についての考察の種になったのは確かだが、僕は犯人側に共感してしまうような心優しい人間ではないのだ。


「だから私も時間遡行を起こす側に共感して、祷と同じように諦めてしまうかもと」


 彼女は諦念など感じさせない、眠そうな、だが執念に満ちた目で言う。


「無理だ。こんなに心揺さぶられても、胸が熱くなっても、涙を流しそうになっても、私は許せないよ」


 とてもじゃないが、涙を流しそうになっているようには見えない。しかし、嘘ではないのだろう。

 ただ、感動よりも怒気が勝っているというだけで。


 彼女は僕と違い、このループの中で感性が磨かれてきているように思える。


 僕の心は擦り切れ、彼女の心は砥がれている。


 淡々と紡ぐような話し方は、それこそメッキだと僕は思っている。


「……じゃあ、どうしたら許せる?」


 そのメッキの下を、覗いてみたいと思った。


「――ちょっと待ってくれ。私は祷と違って頭が回らないんだ」


 上栫さんは声を上ずらせてから、額を握りこぶしでコツコツと叩きながら目を閉じた。


 頭は回らないと言いつつも、答えるまでは実に速やかだった。


「世界を救うためなら、許せるかもしれない」

「……じゃあもし、上栫さんがこの主人公と同じように恋をして、その相手を助けるために時間遡行をしなければいけないとしたら?」


 諦めない彼女が、今とは逆の立場に置かれたら?


「やらない」


 即答だった。


「それは、時間遡行を起こされる側に共感しているからじゃなくて?」

「どうしてもそういう主観を持ってしまうのは仕方がないだろう? それに、時間遡行はやはり悪だよ。他人の全てを奪う行為、しかも、誰もなくなったことに気づけない。これは絶対に悪だ。この結論は何があろうと不変だ……と思う」

「……?」


 珍しく語尾が濁った。その前に悪だよと断言していただけに、その濁りは見逃せるものではなかった。


「…………」

「…………」

「…………」

「……う、上栫さん?」


 答えてくれるものだと思い、彼女の横顔を見つめていたのだが、さっぱり返事が来ない。


「……ない」

「え?」

「恋愛をしたことがない――から、うん……結論は変わらない。許すことはできない。でも、他人の何もかもを奪い、燃やしてしまうことができるくらい、愛という感情には力があるのかもと、思ったの」

「――そう、なんだ」


 腕をさすりながら、視線を泳がせながら、女の子らしい言葉遣いになった彼女を見て、息が詰まった。


「こほん……祷はどうなんだ?」


 上栫さんはわざとらしく咳払いして、言った。


「……覚えてないよ」

「いや、恋の話ではなく――祷は、恋をした相手を助けるために時間遡行をするのか?」

「あ、ああ、うーんと……」


 わからない。


 僕はそう答えた。


 枯れたはずの心に、僅かなときめきを感じながら。

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