主人公

 ループに捕らわれたら、ほとんどの人間は僕と同じようなことをするだろうなぁ、なんて思っていたが、的外れな推測だ。


 僕は元々アニメ好きだったので、タイムスリップやら、並行世界について、一般人以上の知識を持っていた。


 人間、自分ができないことは、才能がない、時間がないと言いわけするくせに、自分のできることは他人もできると思い込んでしまうことがある。


 アニメなどをあまり見ない一般人なら、タイムスリップ、並行世界などの単語は聞いたことがあっても、それらが一体どういうものなのか、詳しくは知らないのは当たり前で、そもそも、それらの単語すら知らない人だっているかもしれない。


 故に僕のような、『どんなループなのか?』とか、『確定してる事象はあるか?』などといった思考には至らない人もいる。


 実際に、目の前の上栫さんはそうだった。


 ならば、彼女はいったい、これまでのループの中で何をしてきたのか?


 僕は答えを聞いて絶望することになる。


 自分は結局、楽な道を選んでいただけだった。


 彼女は、僕の想像を超える天才的なアイディアを実行したのかとも思ったが、違った。僕はしっかりと、彼女が選んだ道を認識できていた。


 ただ、僕はその荒れ果てた道を、道とは認識しなかった。


 舗装された道を知っていたから、僕はただの雑木林だと、選択肢にすら入れなかった。


 彼女は、その雑木林を進んでいる。


 いや、その華麗なフォームと体力で、駆け抜けている。


「犯人の手がかりが何一つないのなら、やれることは一つだけ。しらみつぶしにするしかないだろう?」


 ジョギングを再開して、彼女はそう言った。

 

 時間遡行をしている者を探している。


 上栫さんはこの問いを、全人類に投げようとしているのだ。


「最初はSNSを使ってみたけれど、全く相手にされなかった」


 僕も、僕以外の時間遡行認識者を探すためにSNSや匿名掲示板を使ってみたことがあるが、相手にされなかった。


『中二乙』である。


「だから、全国を回ることにしたんだ」

「ちょ、ちょっと待って。上栫さん、どこに住んでるの?」

「青森だ」


 青森……同じ東北地方ではあるが、日本本土の最北端だ。九州地方に行くだけでもかなりの時間を要する。


 日本内でも、一日では調べられないところがあるはずだ。


「祷、意外と世界は狭いし、意外と二十四時間は長いんだよ」

「いや、でも……」


 僕は二月三日のループが始まった日、前日の十一時から六時半くらいまで寝ていたので、ループが発生すると強制的に寝ている状態からのスタートになってしまう。


 一応、並行世界の移動による誤差はあるが、外的な要因がない限り、六時前に目が覚めることはない。


 おそらく彼女は二月二日から二月三日を意識のある状態で跨いだので、二月三日が意識のある状態でスタート、タイムリミットを存分に使えるのだろう。


 だが、それにしてもだ。


 移動だけで、どれだけの時間がかかる?


「一度最適化してしまえば、意外とかからないよ」

「だって、いくらループ直後から動けるって言っても、公共機関は……」

「じゃあ、公共機関に頼らなければいい」


 彼女が最初にしたことは、『国のお偉いさんの弱みを握る』だったそうだ。


 ループ直後に脅して飛行機、もしくはヘリを内密に飛ばす。そうすれば国内ならばどこでも、日が昇る前にたどり着けるという。


「ブラジルはさすがに昼間になってしまうがな」


 通常、ブラジルに行くには二十四時間以上かかるはずだが、乗り換えや機体を最適化すれば、そこまで短縮できるのか。


 ……にわかには信じがたいが、事実、彼女はここ、宮城県以外の東北地方に住まう人間の調査を完遂してきたらしい。


「でも、もし世界が時間遡行を起こしているタイプだったら……」

「その可能性に怯む理由はないだろう? それも、しらみつぶしてみなければ、わからないことだ」


 平然と言ってのける彼女に、僕は戦慄すら覚えた。


 ここまで、僕と違うものなのか。


「勘違いしないでほしい」

「……何を?」

「私は祷が悪いとは思わない。祷がしたアプローチは私にできるものではなかったし、この世界で折れてしまうことを責めるのは、誰にだってできない。だが――」


 全部やった気になって、怠惰に、無意味に過ごしていた僕に言う。


「本当に叶えたい目的があるのなら、無理は通さなければいけないぞ」

「…………」


 上栫さんが立ち止まり、振り返る。ぶつかりそうになるが、何とか止まれた。


 しかし、彼女の顔が真ん前に来た。反射的に、下を向く。


 どうして目を合わせられるだろうか。


 互いの呼吸音だけが、澄んだ空気に響く。

 熱かったはずの体が、呼吸の度に冷めていく。

 落ちていく。


 自分の無能を認識した体が、凍りついていく。


「この世界は――」


 上栫さんはさらに言う。


「どうしようもなく閉じている。人々がした努力は、決意は、結果すらも無に帰す。

「初めて立とうとしている者。

「テストに向け、勉強する者。

「大会に向け、練習する者。

「将来のために、研鑽する者。

「友人に謝ろうとした者。

「愛を伝えようとした者。

「変わろうとした者。

「初めて立ち上がった者。

「渾身のテストが帰ってきた者。

「積年の夢が叶った者。

「仲直りできた者。

「愛が伝わった者。

「過去の自分と決別で来た者。

「全てが無意味だ。

「だから私は犯人を許さない。どんなに凄惨で、耳を塞ぎたくなるような理由があっても、それは沢山の人の想いをなかったことにしていい免罪符にはならない」


 やはり、僕と彼女の決定的な違いはここだと思った。知識云々ではなく。


 僕にタイムスリップや並行世界の予備知識がなくとも、彼女と同じ選択肢は取らなかっただろう。


 多分、諦めるどころか、始めることすらしなかっただろう。


 僕は無意味を受け入れて、彼女は無意味を許さなかった。


 自分よりも他人を優先できるのだ、彼女は。


 主人公なのだ。


「ただ」


 さらに半歩、彼女がこちらに寄った。反応できず、後退するのが遅れる。


 恐ろしく速い彼女は、その隙を見逃さない。


「いっ!?」


 額を指ではじかれた。鋭い痛みに思わず顔が上がる。目の前には、あくまで真顔を貫く上栫さんの顔があった。


 淡々と。

 抑揚なく。

 だからこそ、僕の心に響く。


「私――私たちの努力は、決意は、結果は、無意味なんかじゃない」


 彼女は両手で包み込むようにして、引き上げるようにして、僕の右手を取った。


「私たちの心の中で意味を持っている。この世界で何かを成せるのは、私たちだけなんだ。だから、祷」


 僕の手を挟むように組まれた両手は、まるで祈りのようだった。


「もう一度、立ち上がってくれ」


 そして、もう二度と、諦めないでくれ。


 こんなもの、僕の勝手な解釈で、妄想で、実際はただ人手が欲しいだけなのかもしれない。


 だけど、彼女が他人のために全てを賭けられることを、僕は知ってしまったから。


 妄想を妄信するには、十分だった。


「……誓うよ」


 先に見せてくれた不敵な笑みとはまた違う、柔和な笑顔に。


 優しく包んでくれた、その両手に。


「上栫さんが諦めない限り、僕は何も諦めない」

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