時間遡行認識者ジョギング対談

 果てしない年月を生きてきたとはいえ、肉体は十七歳のままだ。僕も小走りをするくらいはできる。心配なのは、頑張ることを疎かにしてきた心のほうだ。


 半身前を走る上栫さんの小走りは、僕とは比べ物にならない流麗なものだった。立ち姿、歩く姿からも目を惹かれる芯のようなものが見て取れたが、小走りになって、より凛々しさが際立った。


 何となく、スポーツをやっていたのだろうと思った。


 聞きはしない。

 聞けはしない。


「教えてくれ」

「……何を?」


 聞けはしない僕に、上栫さんは聞いた。


「諦める前の祷が、何をしたか」

「……まず、どういうループなのか、確かめることにしたんだ」


 遠い記憶を辿る。


 もっと苦しいものかと思った。


 自分が努力していた頃を思い出すという行為は、少なからず今の自分との摩擦が生まれる。だけど、こうしてすんなりと話せているということは、それ以上に自分話をするということの快感が凄まじいということなのだろう。


 他人と関わると、自分の汚いところばかり見える。


「フィクションでよくあるタイムスリップなのか、並行世界の移動なのか、はたまたあまり見ないマイナーなタイプなのか、SF作家がまだ辿り着いていない形なのか」


 この一日のタイムリミットの中でやれることは限られているので、結果は二人とも似たようなものになるだろうが、どんな経緯でその結果に至ったのかを聞けば、何か違う視点が得られるかもしれない。


「それで?」

「ループ後にループ前とまったく同じ行動を取っても、違う一日だったから、単なる時間遡行ではなく、並行世界の移動を伴う時間遡行だと仮定した」

「ふむ」

「補足すると、移動によって変わった過去の記憶は引き継がないタイプの――上栫さんはどう?」

「同じだな」


 移動後に人との会話に齟齬が出る『あはは、祷が昨日、そう言ったんだろ?』となるタイプである。


「そこからは、『確定事象』があるのかどうかを探した」

「『確定事象』……」

「アニメとかである、『何をどうしても、そうなってしまうこと』。名前は作品によってまちまちだから、適当に」


 時間遡行ものの主人公は大抵、この『確定事象』と戦うことになる。


「で、成果はあったのか?」

「なかった。少なくとも、この町で起きるほとんどの事象が、不確定だった」

「ほとんど?」

「性別とか、産みの親が変わってる人はいなかった。上栫さんはそういう人、見たことある?」

「いや、ないな」

「うん、それで二月三日は不確定だとして、過去はどうなのか調べることにした。ループの度に大なり小なり過去は変わっている――歴史に残るような大事は『確定事象』なのか、はたまた、どこかを基点にして、過去が変わっているのか」

「なるほどな。それで?」


 これくらいのことには彼女も気づいているだろうに、まるで知らないかのような相槌だ。このレベルの聞き上手は初め見る。


「五十年前の二月三日、ここからの歴史が不確定なことがわかった」


 本当ならば、この事実にたどり着くまでにはそれだけで五十年かかりそうなものだが、僥倖なことに五十年前の二月三日には、日本にとっての一大イベントが開催されていた。


 札幌オリンピックである。


 サンプルとして取った二百回中、二百回は開催され、かつ、その日の競技結果は変わらない。しかし翌日の二月四日からの競技結果は毎回、微妙に変化していた。


『確定事象』を探すにあたり、まずはループしている『二月三日』に着目したのが運よく噛み合った結果だ。


「だから、五十年前から枝分かれした並行世界を、一日の時間遡行と共に飛び回っているっていうのが最終的な仮説。まぁ、それでも犯人の動機は見えてこないんだけど」

「五十年前の出来事を変えたいのではないのか?」


 白々しい質問だ。

 僕を試しているのだろうか?


「その可能性もないわけじゃないんだけど、そもそもどうして五十年前が基点になってるかが謎なんだよね。二〇二二年の二月三日が基点ならともかく」


 五十年前が基点になっているのは、犯人の意思、行動に関係なくそういうものだからで、犯人はただ二〇二二年の二月三日の出来事を変えようとしている、と一応仮説は立ててはみたものの、これを仮説としても振り出しに戻るだけなのだ。


 ループしている日に何か変えたいものがある、なんていうのは仮説ですらない、始めに考える前提のようなものだ。


 二月三日のループに入る前、数分の時間遡行が何度もあったことが、鍵になりそうな気がするが、僕が手に入れられる情報と脳みそではここが限界だった。


「だからあくまで仮説止まり、これ以上は『動機』と『方法』を知らないと、少なくとも僕には詰められない」

「祷以外にも無理だと思うぞ」


 気を遣われた。声色も顔色からも内心を読むことは難しいが、時々思いやりを感じる。


「……それで、それからはバタフライエフェクトを試すしかないなぁと」

「バタフライエフェクト?」


 これまた、まるで知らないかのような声色だ。妹に向け、朗らかな声を出していたように、演技力には相当なものがある。


 運動部説よりも演劇部説のほうが僕の中では濃くなってきた。声を出すのにも、体が重要だと聞いたことがある。


「蝶が羽ばたいたら、地球の裏では嵐が――まぁ、ざっくり言うと、『小事が大事につながる』って考え」

「ふむ、それで?」

「犯人を捜すにしても、動機も手口もわからない。なら、バタフライエフェクトでループを終わらせるしかないと思ったんだ」


 ここ五十年の歴史が不確定ならば、犯人がタイムマシンを使っているにしても、魔法を使っているにしても、バタフライエフェクトによって、それらが使えない大事に至らせる可能性はあるはずだ。


 ただ……あるだけなのだ。


 机上の空論に過ぎない――いや、空論ですらない。ただの願望だ。


「まぁ、結果はこの通り。当初は全部の選択肢を埋めるつもりでいたんだ。実際、ループの数だけの選択肢を試した。ただ、気づいてしまった――というか、普通は初めから気づけるはずなんだけど」


 言いわけさせてもらえるのであれば、正気ではなかったのだと思う。正直、あのときの感情なんて覚えていない。ただ、必死だったのは確かだ。


 諦めないために、必死だった。


「そもそもこのループの基点は五十年前で、僕がバタフライエフェクトを試せるのは五十年後の今。僕が動き出せる時点で、前提が変わってるから全部の選択肢を試すことなんてできないんだ。結局、何もしないのと変わらない」

「ああ、確かにそうか……」


 僕の死にたくなるような――実際、自殺してみたらループが終わるんじゃないかとかいう、絶望的で、諦めるきっかけとなった思考に至らせた黒歴史にすら、言われて納得したみたいな相槌を打ってくれるのか。


 枯れた心がときめきそうだ。


「わかったのは、そうだなぁ……僕が大きな行動を取れば、それだけ運命は大きく動くってことくらい」

「何もしないのと変わらないんじゃなかったのか?」

「うん、ループが終わらなきゃ変わらないって思うなら――まぁ、当たり前のことなんだ。僕が沢山の人を巻き込むようなことをすれば、巻き込んだ人の分だけ大きく運命が変わる。僕がやったことは、常識の確認をしただけなんだ」


 僕が百万ともう数百万日を使ってわかったことなど、この通り数分で説明できることだけなのだ。


 それに加えて、もう諦めていると来た。


 救いがない。


「何というか、凄いな、祷」


 上栫さんはまたも気を遣うようなことを言ってきた。


 気を遣わせる僕が悪いのだが、ここまでされると逆に辛くなってくる。


「うん、そんなに考えられるのは才能だと思うぞ」


 さすがに言い過ぎだ。

 嫌味にすら聞こえてしまう。


「しかし、いいことを聞いたよ。『並行世界』、『確定事象』、『バタフライエフェクト』、うん、ありがとう。役に立ちそうな情報だ」

「…………」


 思考も、走る脚も止まった。


 すぐに気づいて、上栫さんも止まる。やや不服そうな顔だ。さすが諦めていない女、止まるのが嫌いなのかもしれない。


 それはともかく、落ち着こう。


 落ち着く、なんてことも久しい。こういうときは――ああ、深呼吸か、そんなのもあった。


 すぅー、はぁー。


 うん、考えを整理する必要もない。至極、単純な事実だ。考えられる裏なんてない――あってほしかったが。


「上栫さん、僕が言ったこと、どこまで知ってた?」

「何も」

「…………」


 乱れぬ呼吸で、変わらぬ声色で、あくまで淡々と上栫さんは言った。


「ループの種類だとか、『確定事象』だとか、考えもしなかったよ」

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