違い

 目が覚めた瞬間、僕の体はスマホで日付を確認しようとする。

 

 ベッドの温もりがいつものより心地いいのは、さっきまで冬の川の中を転がっていたからだろうか?


 彼女がしっかりと心臓を刺してくれたおかげで、あまり長居せずに済んだのだが、それでも死に際の精神的なものも相まって、中々に冷えた。


 さて、これからどうするかだが、もう一度話してみるしかない。共感できるとはいえ、色々と言いたいことはある。


 さすがに、もう一度殺してくるほど狂ってはいなかったように思える。この推察が外れていたら、僕はこれからのループを逃亡生活に捧げなければならなくなる。


 まぁ、やることがないよりはマシかもしれないが。


 だっだっだと、階段を上る音が聞こえてきた。妹の登場だ――死後硬直化のように強張った表情筋をほぐす。


 しかし、妹の足音にしては大きいし、ピッチが速い気がする。


 ……速い、か。


 嫌な予感だ。


 力強く開け放たれた部屋の扉の前に、眠そうな顔で、しかし凛として立っていたのは予想通り、上栫速歌だった。


 ちなみに制服ではなく、赤いジャージ姿だった。


「あー、おにーちゃんおきてる」


 上栫さんの後ろから、妹がひょっこり顔を出した。


「唄雨、下に行ってなさい」


 さすがに無関係な子供に手は出さないとは思うが、万が一もある。


「えー、おねーちゃんとあそびたい!」


 なんと、おねーちゃんと来たか。顔を合わせてほんの数分だろうに、随分と懐かれたものだ。


「唄雨ちゃん、すまない。ちょっと、おにーちゃんと二人きりで話したいことがあるんだ」


 上栫さんは表情筋を別人のように動かして、朝日のように笑ってみせた。声色も随分と柔らかい。


「んー、じゃあ、またこんどあそんでね!」


 うちの妹は素直でいい子なので、駄々をこねるわけでもなく、たったったと階段を下りて行った。


 上栫さんは手を振って、妹を見送っていた。

 足音が聞こえなくなっても、妹が走っていったほうを見つめている。


 そんなに幼児を警戒する必要はないと思うのだが、両親の気配でも探っているのだろうか?


 母さん辺りは覗きに来てもおかしくはないが、別に聞かれてもアニメの話で通せるだろうし、そもそも忘れてしまうので、気にしなくていいだろうに。


「おはよう、上栫さん」


 警戒しなくていいよ、という意図も含め、挨拶してみる。


「はぁ……おはよう、祷」


 ため息交じりの返事と共に、彼女はようやくこちらを向いた。表情は元の眠たそうな真顔に戻っている。


「殺せ」

「な、何を?」

「私を」

「…………」

「寝るな」

「いや、寝てるわけじゃなくて」


 彼女の意図を考えていたのだが、どうやら彼女はせっかちな性格のようだ。


 よく主語が抜けるし。


 まぁ、そうなってしまう理由は察せる。僕も諦める前は、一秒も無駄にしたくなかった。


「というか、来客の前で布団に入りっぱなしというのはどうなんだ?」

「出てもいいなら、出るけど」


 性欲が枯れているとはいえ、身体機能は正常なのだ。


「?」


 どうやら意味がわかっていないらしい。僕もそうだが、ループに囚われているからといって、知見が広がるわけではない。


 そりゃあ、普通の高校生よりは知識はあるし、どんな老人でも複数回死んだ経験はないだろうけど。


 ここは彼女の今後も考慮して、寝起きの男がどうなっているか教えて差し上げる。


「……ごめんなさい」


 顔を手のひらで覆い、天井を仰ぎながら謝られた。


「そういえば、遥か遠き中学時代、下品な男どもがそんなことを言っていたような気がする。うろ覚えだが」

「うん、まぁ、頭の片隅にでも置いておいて」


 布団に戻りながら、本題に戻る。


「別に殺さなくてもいいよ。どうしてもって言うならやるけど」


 聞いた彼女は顔をしかめた。


 殺さないと宣言されて、不服そうにするというのもおかしい話だ。


「私以外の、時間遡行を認識している者に会ったことがあるのか?」

「いや、初めてだけど」

「なら祷はなぜ、そんなに落ち着いているんだ?」


 真っすぐな疑問――答えは中々声にならなかった。


「――僕は諦めたんだよ。上栫さんと違って」

「……そうか」


 激昂されるかとも思ったが、彼女は眉一つ動かさなかった。


 同じ境遇にありながら諦めずに奔走する彼女からしてみれば、あっさりと折れて隠居気分に浸っている僕はそれこそ、殺したくなってもおかしくはないだろうに。


「しかし、そうなると気持ち悪いな。私は、殺される前提で祷を殺したというのに」


 上栫さんは腕を組んで、「うーむ」と唸った。


 あまり後先考えない性格なのか、初めて時間遡行を認識している人間に出会った興奮で我を忘れたのか……


「っていうか、あの殺し方じゃあ、僕が犯人だったとしても上栫さん、捕まってたよね? どうするつもりだったの?」

「ループが終われば、私の身がどうなろうと構わないよ」


 決して強がりではないとわかる、淡々とした即答だった。


 これだけで、僕と彼女の違いが少しわかったような気がした。


 諦めた者と、諦めていない者の違い。

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