スルタンの勅命
「……遥か西国の異教徒共が、再び聖地を狙いに向かって来ておる」
昼食前の祈りを済ませ、族長の老人は集まった皆の前で重い口を開いた。
「え、また?」
彼の感想も無理からぬことであった。遥か西にあるという異教徒の国々。ジャラルが生まれるよりもっと昔から、聖地と崇める丘は彼らに幾度となく狙われてきた。ここしばらくは名スルタン・サラーフッディーンの堅守もあり、こちら側が領有していたはずだったが。
「我らの聖地は彼らの聖地でもあるが故に、奪還せんと兵を向けておる……懲りぬ者共だ」
「戦況は、どうなのですか」
老人と同じく昼食を囲む男が恐る恐る聞く。ジャラルはどうでも良いから早く食べたかったのだが、族長が話している最中に食べると小言が始まるのが目に見えていたため、渋々皿を置いた。見かねた
「これまでよりさらに大きな軍勢だったようだが、どうも来る途中で大きく数を減らしておるようだ。神の思し召しか、偉大なるスルタンの采配か……しかし、楽観できるものでもない」
西の軍勢は厄介だ。これまでに一度、彼らに聖地を侵略され、略奪され、たくさんの血が流れてきた歴史がある。今でこそ聖地はこちらの手の中にあるものの、相手は手練の歩兵軍。そうそう簡単に追い返せるものではなかった。
「我が一族も、これより七晩の後サラーフッディーンの勅命を賜り戦線へ身を投じる事になった。悠久の時代より戦において誇ってきた我が民族の武勇、西の異教徒共に見せてくれようぞ!」
集結していた男たちは族長の言葉に拳を突き上げ、雄叫びを上げた。ジャラルはうるさそうに耳を塞いでいる。面倒事が嫌いな彼は、どうにかして徴兵を免れないものかと考えていた。
彼らの民族は都市部以外では一族ごとに散り散りに暮らしており、生活習慣と宗教的な結び付きでひとつの民族として成り立っている。
スルタンはその民族全体を治める長であり、徴兵の勅命は絶対だった。しかしここのような辺境の地にも声がかかるということは、あまり戦況が芳しくない証拠だった。つまり死にに行くようなものだ。
「あたしも戦う!」
力強く手を挙げたのはレイラだった。族長はうむ、と頷いて周囲の女たちを見回した。彼女らも男たちに負けじと拳を突き上げている。
数多の武勇を誇り、時には他国の戦争に傭兵として駆り出されることもあったこの戦闘民族において、男女の別はなかった。女も武装し馬に跨り、剣を片手に勇ましく戦場を駆けることも珍しくなかった。
とはいえ、妹分と思っていつも一緒にいたジャラルにとっては内心穏やかではない。彼女はまだ小娘だ。
「やめとけよ、お前が行って何になるんだよ」
「何よ、ジャラルに言われたくないわ。いっつも戦場に行ったって尻尾巻いて逃げ出す癖に。あたしだって荒野の民の血が流れてる。ご先祖さまのように、華々しく戦ってこそよ」
レイラはぴしゃりと言い放った。その瞳は挑発的ではあったが、確かに誉ある民族の一員としての誇りに輝いている。
彼女の言葉には心当たりがありすぎて、ぐうの音も出ない。青年は何も言い返せず肩を竦めた。
「我ら民族に栄光があらん事を!」
族長が杯を取ってそう鼓舞すると、男も女も自分の杯を挙げて歓声を上げた。
熱気に満ちたその様子を火神は黙って見つめ、傍らの青年を見遣る。ジャラルはバツが悪そうに皿の食事をかき込んだ。
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