愚かなる贄

 日は昇り、暮れ、また昇る。

 黄金の火の鳥は暮れていく太陽の方角へと向かった。その先に何があるとも知らず、ただ続く荒野を見下ろして飛んだ。七日七晩飛び続けた。

 さすがに草臥くたびれれた鳥は、名も無き小高い丘に不時着したのだが、

「おい、こりゃあ何だい」

「鳥……かな。見た事ない色だ」

 棒切れを振り回して遊ぶ子供たちに見つかった。喰らった僧たちと違い、彼らは小麦色の肌をしている。

「お前たちは、人か」

 嘴から発せられるしゃがれた声に、子供たちは飛び驚き、口々に化け物だ、と叫んで走り去っていった。

 七日七晩のうちに、鳥は己が何者か自覚していた。この世に顕現する前に、僧たちが炎に向けて唱えていたからだ。

「我は化け物でなし、火の神なり」

 しかし聞いているものは誰もいなかった。そうしているうちに、先程の子供たちは大人を大勢呼んで戻ってきた。

「何だ何だ、喋る鳥だっていうのは」

「化け物なんていないよ、安心しな」

 一様に小麦色の肌をした彼らは、手に手に鎌やら曲刀なんかを携えてやってきた。砂色の長袖衣装に黒い帯、そして頭に巻き布をしている。

「こいつか、綺麗な鳥だな」

「羽が美しいな。花嫁の羽飾りにしようか」

 ひとりの男が、鳥をつつこうと棒切れを向けた。

「不敬な」

 鳥がひと睨みすると、棒切れが突如金色の炎に包まれ、一瞬で灰に変わった。それだけでなく、周囲の大人たちが持っていた武器類もすべて、同じ様に灰に変えられた。

 彼らは蜂の巣をつついた蜂のような大騒ぎをして、口々に魔物だ、魔物が出たと走り去っていった。

「我は……魔物でなし……火の神なり……」

 力を使い果たし、鳥はもう息も絶え絶えだった。もう何でも良いので空腹と乾きを癒したかったが、彼らを喰うことは何故か気が引けた。

 しばらくして再び鳥の前には老若男女を問わない人集りができた。先程の大人たちが人を呼んだらしかった。彼らは遠巻きにして鳥に視線を注いでいる。

 人集りの中から、ひとりの杖をついた老人が出てきた。頭の巻き布は年季が入り、玉飾りが彩っていた。

「もし、魔物よ。そなたは何を望む」

「我は魔物にあらず……火より出ずる神なり……」

 老人の薄い瞳がすっと細められる。

「我々の信ずる神は形を取らぬ……故にそなたは神の名をかたる魔物じゃ」

 老人の言葉を聞いて、周囲の人々はざわついた。怒る者、恐怖におののく者、困惑する者……様々な感情が見て取れた。

 鳥は段々腹が立ってきた。

 老人をひと睨みすると、頭から垂れ下がる巻き布が白い炎に包まれ、塵芥も残さず燃え尽きた。毛一本ないその頭皮が露わになる。

「ならば……貴様らの知らぬところにも神がいるということ、思い知らせてやろうか」

 金色の火の鳥は地獄の底から響くような声で凄んだ。正直に言うと思い知らせるだけの余力は無かったが、人間たちを脅かすには充分だった。

 一筋の汗を垂らし、老人は問いかける。

「……何を望む」

 集落を守るのが彼の役目であるからには、目の前の神とも魔物ともつかぬ存在に傅く他なかった。

「……にえだ、贄を捧げよ」

 欲望の赴くまま、鳥はそう告げた。



 かくして鳥の前に連れてこられたのは、ひとりの青年だった。皆と同じような小麦色の肌をして、砂色の服をだらりと着崩し、黒い腰帯は緩く解けかかっている。

「待てって、なんで俺が!」

 老人の指示により青年は人集りの中心に押し出され、鳥の前に差し出された。突然の事態に右往左往する彼は、頭の巻き布が垂れ下がるのもお構い無しに暴れている。

「鳥よ、こやつが贄だ」

 老人の無慈悲な言葉に、青年の琥珀色の瞳が困惑する。

「爺さん、そりゃあないだろ!」

「ジャラルよ、お前はいい歳のくせに働きもせず、毎日羊を追い回して遊んでばかり。信仰心も薄く、挙句偉大なるスルタンの率いる軍勢からも逃げ出す始末。戦闘民族としての誇りもない。そして食い扶持ばかりかかってしょうがない。当然の事とは思わんか」

 野次馬もうんうんと頷いた。ジャラルと呼ばれた青年は何も言い返せずに天を仰ぐ。

「何とも、人徳なき人間よの……」

 鳥は多少呆れながらも、差し出された久方ぶりの食事にありつける欲が勝り、贄に向き直った。

「それでは――」

「ちょ、ちょっと待った!」

 鳥が鋭い目付きでひと睨みしようとした時、ジャラルは両手を振って慌てふためいた。

「俺はまだ死にたくない!結婚だってしてないし、女だってまだ抱いてないし、春祭りネウロズのご馳走だってたらふく食べないといけないし……まだやりたい事がいっぱいあるんだ!」

 彷徨さまよう両手は幻想の乳でも揉んでいるのか、空を掴んでいた。

「喚くな、苦しみなどなくすぐに――」

「な、頼むよ。後生だ、命以外なら何でも差し出すから、どうか命だけは……」

「見苦しいぞジャラル!」

 情けない命乞いに、族長の老人は一括する。欲に塗れた彼の言葉に、しかし鳥は何故か不快には思わなかった。

「何でも……か」

 青年の発する邪念のひとつひとつが、鳥の鼻腔をくすぐる。それは僧たちが炎に祈り込めた、我欲と不快な感情の香りに似ていた。己の生まれた時のような充足と渇望が蘇るようだった。

「では、お前の煩悩を寄越せ。お前の煩悩は、今日から我の贄だ」

 鳥がジャラルの瞳の奥を射抜くように見つめると、彼の頭から裸でのたうち回るふしだらな女の妄想がすっと消えてなくなった。

「お?」

 憑き物が落ちたように、キョロキョロと周囲を見回す青年。積年の肉欲が霧散した気がした。

 肉感のある煩悩を平らげ、鳥は満足していた。それは最初に喰らったどの僧たちにもない、豊潤な性欲と瑞々しい生への渇望だった。知らない感情と欲求に、心が踊る。

「おお……見よ、ジャラルの澄んだ瞳を」

「魔に魅入られたのではないのか」

「しかし……瞳の輝きは真人間のそれだ」

 何が起こったのか分からない周囲は、一様にどよめいている。彼が生まれてから一度も見せた事がないその邪心なき様子に、感嘆しすらした。

「えっと……助かった……?」

 頭の巻き布を被り直しながら、ジャラルは小さな鳥を見下ろした。鳥はひとつ身震いをして、琥珀色の瞳を見返す。

「お前の邪念は人の命より美味い。故に我の贄となって生き、煩悩を抱き続けよ」

 それは厄介な勅命のはずだったが、息を吸って吐くように欲を抱く彼にとっては遥かに平易なことであった。

「何だかよく分からんが、死ななくていいって事だな! ……お前、何て言うんだ」

 ひざまずき、金色の鳥のつぶらな瞳を見つめる。鳥は僧たちがそう信じたその名を、彼に告げる。

「我は、火神アグニなり」

「そうか、火神。よろしくな!」


 こうして、火神は贄を手に入れた。

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