第32話 帝都の影の下で

 架空歴四九十年十月十日


 デリング共和国との和平調停が世界に公となった日。久しぶりにフィクティヴ帝国に戻ってきてからも、ジークハルトはあいかわらず仕事に追われていた。


 今日は調停式の日だ。


 フィクティヴ帝国代表として挨拶をすることになったフェリックスをどうにか宥め、台本のチェックに会場の警備配置、要人警備、調停式後の会食の手配など、確認することは様々だった。


「ワーグナー中将、そろそろお着換えなさってください。もうすぐお時間です」


「はい、わかりました」


 調停式が始まるギリギリまで綿密に連絡を取り合っていると、さすがにミーミルから苦言を呈された。そうは言っても、失敗は許されないのだ。ここでひとつでも取りこぼせば、歴史書に永遠に残されてしまう。フェリックスの汚点になることだけは避けたかった。


 別室に移動し、用意してもらった礼服を手に取る。

 黒地に豪華な装飾が多数施されたジャケットは、こういう場でないと着られない一品だった。と、いうより、あまり着たくないというのが本音である。

 高級将官になればなるほど、胸元にある勲章はどんどん増えていくし、飾緒はますますきらびやかになっていく。ただでさえ高い背で目立っているというのに、これ以上目立ってどうするというのか。


 だが、仕方がない。

 公の場では着用が義務付けられている。

 気乗りはしないが。


 礼服を着用して、これまた金の装飾がなされた布帯を斜め掛けする。鏡に映った自分は、あまりにも現実離れした格好をしていて、なんだか照れくさい。


「(そういえば……)」


 今日の調停式には、確かツェツィーリアも来ているはずだ。

 この格好で会うのは少々、いや、かなり気が引ける。

 何を言われるか分かったものではない。


「……」


 フェリックスのそばにいるのが、今回ジークハルトに課せられた使命である。どうにか鏡の前で気合を入れて、ジークハルトはどうにか部屋から出た。


 *****


 調停式の会場に到着すると、既にレイリー一行は到着していた。

 皆真っ白な礼服に身を包み、爽やかな青の布帯とのコントラストが眩しい。胸元に光る勲章はどれも金色で、彼らの礼服は全体的に少し可愛らしい雰囲気すらあった。


 さて、ツェツィーリアはどこにいるのか、と周囲を見回すと、ツェツィーリアは一行とは離れた場所で部下と話をしていた。

 真剣な顔で何やら話し込んでいる。


 礼服姿のツェツィーリアは、それはそれは美しかった。濃紺の髪に乗る白の軍帽も、真っ白な礼服も、どれもとても似合っている。

 ただ、彼と話をする暇はなさそうだった。


 こちらの視線に気付いた様子のツェツィーリアが、チラリとこちらを見る。が、すぐに会話に戻ってしまって、大した反応は貰えなかった。


 反応が欲しいわけではないが、無いもの扱いされるとは。


「ジークハルト。行くぞ」


「はい。フェリックス様」


 今日は、大事な日。フィクティヴ帝国の未来、ひいてはジークハルトの未来が明るく照らされる日。

 会場の外には、この歴史的瞬間を見届けようと駆けつけた民衆が集まっている。

 皆が皆、これから始まる未来に、期待に胸を膨らませている。


 フェリックスとレイリーが、席につく。

 先ほどまでざわついていた会場が、一気にシンと静まり返った。


「ようやくここまで来たな」


「はい。閣下」


 フェリックスの言葉に、レイリーがふにゃりと返答した。


 互いに、調停式用に用意された書類にサインをする。静かな会場で、サラサラとペンの走る音が響いた。


 サインが終わると、二人は立ち上がって書類が挟まったファイルバインダーを交換した。


「我々が、歴史の一編となる。これからの世は明るいものとなるだろう」


「えぇ。私が歴史の一ページに載るのはあまり気乗りしませんが……子供達には楽な生活をさせられるんですね。それを嬉しく思います」


 レイリーの言葉に応えるように、フェリックスからレイリーへ握手を求めた。

 二人が固く握手を交わすと、会場からは拍手が巻き起こる。


 歴史が、動いた瞬間である。


 二人が仲良さげに話している姿は平和を象徴するかのようで、ジークハルトは我がことのように嬉しくなった。

 フェリックスの野望が、一部達成されたのだ。これからまた忙しくなるが、これからは平和な時代で忙しくなる。あぁ、こんなに幸せなことがあるだろうか。


 レイリーの向こうで、つまらなさそうに彼らを見つめるツェツィーリアと目が合った。

 ぱちり、とウィンクを飛ばしてきたツェツィーリアはさっさと目を伏せてしまう。

 その態度が少し心に引っかかった。どうしたのだろう。ツェツィーリアの反応はどれも新鮮なものだから、彼が今何を考えているのか分からない。


 だが、今は調停式に意識を集中させるべきだ。


 ひとつ深呼吸をして、ジークハルトはフェリックスの背中へと意識を戻したのだった。


 ******


 調停式の後は、懇親会パーティの会場に移動する。それぞれぎこちない空気が流れているものの、レイリーとフェリックスが思いのほか仲良くしているものだから、想定よりもつつがなく終わりそうで安堵した。


 努めて壁の花になりながら、ジークハルトは会場を見渡した。


 レイリーのそばには、彼の秘蔵っ子ノアがくっついている。その他幕僚陣も会話に花を咲かせていて、帝国側の人間も嫌な空気を出すことはない。遠くでミュンヒハウゼン侯爵の豪快な笑い声が聞こえてきてそちらを見ると、ツェツィーリアが侯爵と話しているのが見えた。


 あの二人は、他人行儀ながらも一応"親子"である。二人が共にいるのは不思議なことではないが、なんだか妙な感触だった。


 ミュンヒハウゼン侯爵と、目が合う。

 驚いて、慌てて会釈をすると、ミュンヒハウゼン侯爵がツェツィーリアに何かを耳打ちする。ツェツィーリアの頭が動いたのは見えたが、ツェツィーリアは侯爵に何がしかを伝えてバルコニーの方へ行ってしまった。


 これは、チャンスというやつでは。


 ここを逃すと、ツェツィーリアとはしばらく会えなくなる。

 ジークハルトは慌てて彼の背中を追いかけた。途中、何度かパーティ参加者に止められたものの、どうにかバルコニーの出入り口に辿り着いた。


 ツェツィーリアは、と外を見ると、柱の影に隠れるようにして、ツェツィーリアがタバコを吸っているのを見つけた。


「ツェツィーリア」


「ゲェ、来やがったな……」


 酷い言い草である。

 周囲を見て、誰もいないことを確認してツェツィーリアのそばに立った。風上にいると、ちょうど会場からはジークハルトの背中しか見えずツェツィーリアを隠せてしまった。


 ふぅ、と煙を吐くツェツィーリアは、嫌そうな顔から一変、クスクス笑った。


「そんなに俺に会いたかった?」


「もちろん」


 明日には、彼は母国に帰ってしまう。しばらく会えなくなるのだから、会える時に会いたいと思うのは自然なことだ。


「会場にいなくていいのか?」


「もうぼくの仕事は終わったよ」


「そうか? 俺はそうは思わないがなぁ」


「どういう意味?」


 突如、会場からワァッと歓声が上がった。

 驚いて会場の方を見るが、悲痛な叫び声ではないことに安堵する。ツェツィーリアは歓声を聞いて、またクツクツ笑った。


「今のは?」


「お前の幼馴染の天使さまが、ある政策を締結させたことを発表したんだ」


「え?」


 そんなこと、聞いていない。

 ジークハルト抜きでそのようなことを進めるだなんて、ありえないことだ。だが、ツェツィーリアの反応から、それは事実なのだと悟る。


「何を……」


「今までは戦時中であったから、お前らの国と俺らの国は貿易が禁じられていた。それを緩和するって言ったんだよ」


 それだけであんなに歓声が上がるものだろうか。


 ツェツィーリアは続ける。


「それに伴い、互いの国を自由に行き来できるよう、海外渡航の自由を制定すると言ったんだ。ついでに、結婚の自由もな。政治が個を縛る必要はないと、天使さまは宣言したんだ」


 それはつまり。

 彼らがフィクティヴ帝国に、自分たちがデリング共和国に、自由に旅行や移住ができるようになる、ということだ。


「お前があんまりにもしょげているから、お優しい天使さまからのプレゼントだとよ。まったく、政策に私情を挟むなんざ、未熟者がやることだ」


 そう言いつつも、ツェツィーリアは嬉しそうに笑った。


 あぁ、こんなに幸せなことがあるだろうか。


 抱き締めたい衝動に駆られるが、どうにか抑えてツェツィーリアの頬を撫でるだけに収めた。と、タバコの処理をしたツェツィーリアがこちらに抱きついてきた。


 ふわりと香る香水に、背中に回る彼の腕。

 嬉しいはずなのに、こんな場面を他の人間に見られたら、という焦りが勝ってしまった。


「っ、ツェツィーリア!」


「こんなに嬉しいことはない。もう隠さなくていいんだ、ヴェルト。俺たちがこうして抱き合っていても、誰も咎めることはなくなる」


 ツェツィーリアの言葉に、はた、と手が止まる。


 彼は、先ほどなんと言ったか。結婚の自由? 政治が個を縛らない? それはつまり、と思考が回って、嬉しさで涙が溢れてきた。


「うん。……うん、そうだね、ツェツィーリア。あぁ、本当に嬉しい」


「そうだな、ヴェルト」


「ツェツィーリア……セシル、本当に愛してる」


「俺も、愛してるよ、ジークハルト」


 ツェツィーリアを抱きしめ返して、心からの言葉を告げた。腕の中でツェツィーリアが笑う。彼の顎をすくい上に向かせると、どちらからともなくキスをした。


 雲ひとつない空を、白い鳩が飛んでいく。


 二人を祝福するように、パーティ会場では歓喜の宴が始まった。


 帝都の影の下で芽吹いた恋心は、大輪の華を咲かせたのだった。


 おわり。

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