第27話 光の下で

 目を開けても、暗闇ばかりが広がっている。


「(ここは……?)」


 ジークハルトの頭は意外と冷静で、重たい身体に鞭を打って起き上がった。

 

 周囲はやっぱり暗闇で、起き上がる時についたと思った床もなかった。

 まるで無重力の中にいるような感覚に襲われるが、足はしっかりと床を感じているから不思議だ。


 ここは、どこだ。


 先ほどまで、自分はパーティ会場にいたはずだ。

 貴族たちの警備にあたっていて、セシルを目で追って、それで……


 それで、自分は刺されたのだ。


 テログループに金で雇われたのか、ナイフを持った少年はまっすぐセシルを狙っていて、彼を守るために前に出た。

 思惑通り、ナイフはまっすぐ自分の腹を刺した。セシルに怪我は無く、ほっと安心したのは覚えている。


 そこからの記憶がない。


 自分が何かを口走ってしまったのは分かったが、セシルのあの表情はなんと表現すればいいか分からない。ぼやけた視界の中で、セシルは泣き笑いのような顔をしてこちらを見下ろしていた。小さな唇が何かを伝えようと動いていた。あれは、何を伝えようとしていたのだろう。今となっては分からない。


 彼は、大丈夫だろうか。


 他に犯人がいないとも限らない。

 レオンがいるから大丈夫だとは思うが、それでも胸がソワソワしてしまう。


 ここは、いったいどこなのだろう。


 何重にも絹に包まれたような音が遠くで聞こえてくるものの、何の音なのか見当もつかない。どことなく、フェリックスの声に聞こえないこともない。なぜここでフェリックスの声が聞こえるのだろうか。

 これがセシルの声ならいいのに、なんて柄にもなく願ってしまった。


 真っ暗闇の中、その声がする方に歩いてみることにした。


 ここに佇んでいても仕方ない。

 フェリックスが何をこちらに伝えようとしているのか、知りたかった。


「フェリックス様!」


 大声でフェリックスの名前を呼んでみる。

 だが、反応はない。

 あいかわらず、音として捉えることはできるものの、何を言っているかさっぱり分からない。


「ヴェルト」


 突然、はっきりとセシルの声が聞こえた。

 驚いて周囲を見るが、変わらず闇が広がっているだけだった。


「ツェツィーリア?」


 思わず慣れ親しんだ偽名の方で呼んでしまう。


「ヴェルト……どうして……」


「ツェツィーリア? どこにいるんだ?」


 湿った声が、震えている。


 泣いている。


 なぜ。


 ともかく、セシルのそばに行かなければとジークハルトは走った。


「ツェツィーリア、泣かないで」


「ヴェルト……」


「ツェツィーリア!」


 どんなに叫んでも、どんなに語り掛けても、周囲の闇は何も答えてくれない。


 走っても走っても変わらない風景に気が狂いそうだ。


「っ、ツェツィーリア!」


 喉がひりつく。それでも、叫ぶことをやめられなかった。

 同時に、フェリックスの声も聞こえるが、こちらはあいかわらず何を言っているか分からない。


 不思議な空間のおかげか、足の疲労はない。息も上がらない。だというのに、喉だけは痛みを発してくるのだから妙な具合だ。


 セシルが、自分の名前を呼びながら泣いている声が聞こえる。

 泣かないで、と抱き締められないのがもどかしい。

 どうしてこうも自分は非力なのか。


 ここにいる。ここに、いるのに。


 行かないで、と泣く声は一定の距離を保って聞こえてくる。手を伸ばしても、何も掴めない。


 と、遠くに光が見えた。


「出口だ……!」


 ようやく、セシルに会える。

 この声に応えられる。

 そう思うと、自然と地面を蹴る足に力がこもった。


 走れば走るほど、光はどんどん大きくなっていく。

 光に手を伸ばす。

 ぐんっ、と、誰かに手を強く引っ張られたような感触があった。


 *****


 はた、と、目が開かれた。


 目の前に広がるのは、知らない天井で、身体も動かしづらい。

 そっと視線を巡らせると、周囲には何やら仰々しい機械や点滴が垂らされていて、何が何やらさっぱりだった。


「(ここは……?)」


 何か発しようとするが、声も出ないときたものだ。唸るような、まるで獣のような声しか出て来ず、自分だというのに気味が悪い。


「あ! ワーグナー准将! 目が覚めましたか!」


 ベッド周りに引かれていたカーテンを引いたのは、看護師の男性だった。真っ白な制服が目にまぶしい。

 こちらの様子を見た彼は慌てて病室を出ていき、次に慌てた様子の医者が部屋に飛び込んできた。


「あぁ、よかった! 目が覚めてよかった!」


「……」


 刺されたあと、記憶が途切れた。そこから幾日か過ぎているのだろうから、医者の反応も分からないでもない。

 医者の反応に納得していると、医者と看護師はタッグを組んで何やらいろいろとジークハルトの周囲にあった機械を操作し、そしてまた医者は部屋を出て行った。


 彼らがいるということは、ここは病院なのだろう。

 そういえば病院独特の臭いが周囲に漂っていて、頭が回っていないことを自覚する。


 看護師に、口元に当てられていた透明なマスクを取られ、いくつか質問をされる。

 頭痛などの痛みはないか、吐き気はないか、など。それらにゆっくり首を動かして否定していると、バタバタとまた廊下がうるさくなった。


「ジークハルト!」


 そうして飛び込んできたのは、前に見た時よりも軍服が豪華になったフェリックスだった。

 喜色で顔を真っ赤にさせて、後ろについてきていた副官を振り切ってベッドに駆け寄ってくる。


「あぁよかった、よかった、ジークハルト……」


「フェリックス、さま……」


「ばか、今はしゃべるな。しんどいだろう。あぁ、でも、よかった。目が覚めて本当によかった」


 なんだか、皆の言うことが大げさすぎやしないか。

 記憶が飛んでから数日程度しか経っていないだろうに。


 こちらの怪訝そうな顔を読み取った親友が、ハァと息を吐く。


「お前が倒れてから、実はもう三年は経っている」


 今は、架空歴四八九年九月だ、とフェリックスは告げた。


 驚きで、また意識が飛びそうになった。


 *****


 喜びが一通り落ち着いたフェリックスの話によれば、彼はいま軍務宰相の地位にいるらしい。現在、フィクティヴ帝国はデリング共和国との和平に舵を切っているそうだ。


 あのデリング共和国が和平を受けいれたのか、と驚き、そしてその和平に向けた中心人物としてフェリックスが動いていることにも驚いた。

 彼はどう考えても交渉向きではない。


 また、フェリックスはビューロウ姓からヘイムダル姓に名を改め、今はヘイムダル伯として籍を置いているらしい。


「それもこれも、お前が一向に目を覚まさないからだ」


 フェリックスからの苦言に、こちらは申し訳なさそうな顔で返すしかない。


「いくつかの会戦を経た結果だ。我々の軍が、向こうの戦力を完全に落とし切ったのだ」


 なるほど、と頷く。


「あの日の話をする。あの日のパーティ後捜査を行っている最中、テロリスト集団と数人の貴族の遺体が発見された」


 目を見開いて驚くと、フェリックスも「不思議なことがあるものだ」とまったく納得していない顔で言った。


「発見された現場はバラバラだったが、どれも即死。銃弾一発でそれぞれ殺されていた。だいぶ手慣れている」


 そんなことよりも、というのもおかしいが、ジークハルトは聞きたいことがあった。だが声が出ない。なんとか伝えようと唸り声を出してみると、それを上手く汲み取ってくれた様子のフェリックスが嫌々ながら話し始めた。


「それから、あのぼんくら息子だがな。パーティ後に捜索したが、発見されなかった」


 目を見開いて驚いてみせると、フェリックスはひらひらと手を振る。


「空港、港、関門所など警戒網を張ったが、そのどれも捕まえることはできず。ミュンヒハウゼン侯爵に話を聞いたが、まさか彼が共和国の人間だとは知らなかったと言われてしまい、何も手出しができない状態だ」


 腐っても、侯爵の身分はどんな法からも彼らを守る。彼らがNOと言えば、彼らより身分の低い我々は何も手出しができないのだった。


「侯爵曰く、あのぼんくら息子と出会ったのは孤児院視察に行った時で、孤児院の人間も彼を帝国人だと思っていたんだとよ。そんな馬鹿なことがあるか」


「……」


「ともかく、現状やつの動向は掴めないままだ。混乱の中で脱出に成功してしまったのだろう」


 なるほど、と頷く。


「やつの処分は後だ。今はデリング共和国との和平が先だ」


 処分。あぁ、フェリックスは彼を殺す気でいる。


 それも当たり前か、と多少諦める気持ちはあるものの、できればその結末は回避したい。

 こうなってしまってもまだ、ジークハルトの心はセシルに向けられていた。馬鹿な男だと思われるだろう。目を覚ませと言われるだろう。それでも、諦めるだなんてできなかった。


 こちらの意図をまた汲み取った様子のフェリックスが、ハァとまた大きく溜め息をついた。


「お前の考えていることは分かる。やつが殺されない未来を望んでいるんだろう。俺だって、知り得た情報を一つも自国に伝えもしない無能など、殺しても無意味だと思っている。だが、一応やつは敵国の人間で、こちらの懐に入り込んできた不届き者だ。処刑するに値する」


「……」


 それは、分かるが。


「まぁ、とりあえず、奴がどこにいるのかを掴めていない今、どうこうするつもりはない。どうせ向こうに帰っているのだろうが……」


 向こうに帰ったとて、殺されない未来はないかもしれない。

 それが諜報員の運命でもある、と聞いている。


 フェリックスは仕事を抜けてきたと言い、飛び込んできた時と同様バタバタと病室を出ていった。

 また看護師と二人きりになる。


 和平に向かっているのなら、ここでこうして寝ているわけにはいかない。ジークハルトはまだ力の入りづらい手をゆっくりと握り締めた。


「あぁ、そうだ。言い忘れていた」


 フェリックスが、ひょこりと病室に顔を覗かせる。

 なんだ、とそちらを見ると、フェリックスは驚くべき一言を残して去っていく。


「外的には、お前は死んだことになっている。訂正はするが、そのつもりで」


 そのつもりとは、どのつもりだ。

 声が出ないことをこんなにも恨めしく思うのは、これが最初で最後だった。

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