第28話 改めて、はじめまして

架空歴四九十年五月


 戦争なんて、終わってしまえばそんなものかと拍子抜けするくらいあっけない。

 しかも、自分が病院で療養している間に終わったとなれば、ますます実感が湧かなかった。


 怪我の療養を理由に、艦隊司令長官としての仕事は外され、今度は中将の地位と帝国宰相副官の名が与えられた。完全にフェリックスのワガママだ、と皆は言うが、ジークハルトですらこれに関しては反論できそうにない。


 命が終わるか否かの瀬戸際だったせいで大して残っている仕事は無いが、それでも業務に復帰すれば仕事はどんどん回された。

 自由奔放ぎみのレオンすら、ジークハルトの仕事量に苦言を呈してくるくらいにはジークハルトは仕事に追われていた。


 いや、むしろ、仕事に没頭したくて、フェリックスやミーミルに無理を言って仕事を大量に回してもらっていた部分もある。


「ワーグナー中将閣下。少しお休みになられた方がよろしいのでは?」


「ありがとうございます。でも、もう少しやっておきたくて」


 ジークハルトは、全てを把握したかった。

 自分が死んだとされるあの日から、フェリックスの周囲で何があったのか。どんな戦闘があって、誰が死んだのか。


 そして、デリング共和国軍では誰が死んだのか。


 デリング共和国きっての智将トム・レイリー元帥の死亡報告があったという記述は見つけた。結局彼も実際には生きていたという訂正もされていたが。


 じゃあ、『彼』は?


 生きているのか、死んでいるのか。


 ジークハルトの死亡報告が全世界に流れたと聞いた時は、血の気が引いた。その報告は、確実に『彼』……ツェツィーリアの耳にも入っただろうというのは、容易に想像がついた。


 自分の死を知って、彼はどうしたのだろうか。


 決して短くは無い時間を共に過ごしたジークハルトは、きっと彼は胸の内に全てを閉じ込めているに違いないと確信している。


 会いたい。


 だが、実は生きていました、というサプライズは、ツェツィーリアにとってはいらない報告かもしれない。


 この数年で折り合いをつけて、もう前を向いているかもしれない。

 理性では理解しているが、本能はそうではない。

 もう一目だけでも、会いたい。


 感情が揺れ動いてしまって、どうにも落ち着かない。それを隠すため、仕事に没頭することにしたのだ。


「……クハルト……ジークハルト!」


「っ! フェリックス様」


 その日も、黙々と事務仕事に精を出していると、途端に聞き慣れた声が上から降ってきた。


 驚いて顔を上げると、フェリックスが従者も連れずにジークハルトのデスクの前に立っている。

 慌てて立ち上がって敬礼はしたものの、フェリックスは呆れたように肩をすくめた。


「まったく。何度も声をかけたというのに、お前は」


「申し訳ありません。ただ今、コーヒーをご用意しますね」


 ジークハルトが執務室備え付けのコーヒーメーカーを出そうとすると、フェリックスは「いい。とりあえずこっちに来い」とやけに不機嫌そうに手招いてきた。


 大人しく応接セットのソファに座ると、対面に座ったフェリックスが分厚い紙の束をテーブルに放った。


「これは?」


「今度、共和国軍のやつらが、ここへ来る」


「……!」


「用件は、共和国自治軍樹立容認と、和平のための手続きだ。手続きが多岐に渡るため、トム・レイリーとその幕僚たちがここに二ヶ月間滞在する」


「二ヶ月も……」


 レイリーたちも大変だ、とどこか他人事のように考えながら紙の束をめくる。それは、彼らがやってくる日取りと、レイリー部隊幕僚陣のパーソナルデータ、彼らが宿泊する施設の詳細などが書かれた、いわば工程表のようなものだった。


 パーソナルデータをめくっていると、レイリーの写真が出てくる。フェリックスと比較するのもおこがましいが、経歴からは想像もつかないほど平凡な顔をした男が、そこにいた。こんな男にいままで翻弄されていたのか、と少し苦虫を噛み潰した。


 めくっていった先。現れた写真とパーソナルデータに、思わず手が止まった。


「……その男も、来るそうだ」


「………」


 慣れない本名に、見慣れない軍服姿。写真に写る顔は、あの頃ほぼ毎日見て愛した彼のものだ。


「会うのか?」


「……いえ。いまは、まだ」


 そろり、と写真を撫でるが、首は横に振る。

 彼らは今、大事な時期にある。そんな時に、彼の心に少しでも波風は立てたくなかった。


「彼らにとっても、私が生きていることが分かったら無駄な混乱を呼ぶだけです。時が来たら、私から彼らの前に出ます。その時までは、隠れていた方が良いでしょう」


「そうか。お前がそういうなら、そうしよう」


「お手数をおかけします」


「いや。むしろ、お前が生きていることはあいつらが帰るまでずっと内密にしていたいくらいだ」


 あいつらの驚く顔が楽しみだ。そう言って笑ったフェリックスに、悪戯もほどほどにと伝える。


「処分される、おつもりですか?」


「馬鹿。そんなことしてみろ。また戦時中に逆戻りだぞ」


 せっかく得た平和な時間を、むざむざと手放したくはない。それはそうだ。フェリックスは苦々し気に「俺は今すぐにでも処刑したい」などと言うものだから、慌てて止めた。


「(ツェツィーリア……)」


 彼の肩書きは情報司令部本部長という名前になっていた。つまり、彼が情報部のトップに君臨しており、こちら側の情報は彼の指ひとつで全てお見通しというわけだ。


 バレるのも、時間の問題か。


 指でツェツィーリアの写真をもう一度撫でる。


 それでも、一目だけでも見られるなら。もしバレた時、そして自ら彼の前に姿を見せた時は、彼の渾身の拳くらいならちゃんと受けようと決意した。


******


 彼ら共和国自治軍が到着した日、ジークハルトはやっぱり仕事に追われていた。

 新人の教育や、戦争がない状態での軍の存在意義など、考えることも多い。


「閣下。レイリー元帥たちが到着されたようですよ」


「え?」


 ジッと書類を見ながら考え事をしていた、ある日の午後。ほら、とミーミルが指し示したのはジークハルトの後ろの窓で、そっと立ち上がって窓に寄ると確かにちょうど見慣れない軍服姿の男たちがこちらに歩いてくるのが見える。


「あまり近寄られますと、外から見えてしまいますよ」


 ミーミルの忠告に、ジークハルトは苦笑で返して、そっとカーテンの影から外を見た。

 杖をつき片足を少し引き摺りながら歩くレイリーと、背の高い少年、それから筋骨隆々な男性が歩いており、その後ろから濃緑色の髪を持つ青年が駆け寄ってきた。

 袖に刻まれた階級章はまちまちだが、何やら楽しくお喋りしているようで、ああいう気風は帝国には無いものだなと物珍しく見てしまう。


 ひとり、ふたり、と数えていき、最後に地上車から降りてきた男。


 濃紺の髪の上に乗る軍帽はいまだ見慣れないが、まさしくその男は『ツェツィーリア』であった。


 車から降りて、思い切り上に伸びたツェツィーリアに、また濃緑色の髪の青年が駆け寄ってくる。その横から今度は明るいオレンジがかった髪の青年も寄ってきて、なんだか3人で楽しそうに話していた。


 副官と思しき男に促されて歩を進めるも、ツェツィーリアは楽しそうに青年たちと戯れている。


 ああ、よかった、とジークハルトは胸を撫で下ろす。

 元気そうでよかった。


 慰安パーティの時よりは少し痩せたかもしれないが、それでもああして快活に笑っていられているなら、よかった。


 彼にとって、あそこは心から笑っていられる場所なのだ。帝国にいた頃のように、身体を売ることもしなくていい、貴族たちから逃げ回らなくていい、安全な場所なのだ。

 それが分かっただけでも、酷く嬉しい。


「ワーグナー中将」


「はい。なんでしょうか」


「本当に、お会いしなくてよろしいのですか?」


 ミーミルの再三の問いに、ジークハルトはここ数日変わらぬ返事をする。


「はい。あまり混乱させても、良くないので」


 本当は、今すぐにでも会いに行きたい。あの小さな身体を抱きしめて、口づけをしたい。


 だが、それはできないのだ。


 こうして一度死んでしまった今、自分が飛び出していってしまっては、ツェツィーリアの心を乱してしまう。


「時が来たら、きちんとお話しします」


「……はい」


 いつまでも見ていたいが、そうもいかない。眼鏡をかけた黒髪の男性に怒られて、少し不貞腐れたような顔をするツェツィーリアから無理矢理視線を剥がして、ジークハルトは仕事に戻った。


 *****


「あれ? 先輩、どうしたんですか?」


「え? ああ、いや、今誰かにジッと見られていたような……」


 今なにか、こちらをジッと見つめる視線があったように感じた。

 だが、視線があった方向の窓には誰もおらず、セシルはキョトンと首を傾げ、そんなセシルの様子に濃緑色の髪を持つ後輩ベジットも首を傾げる。


「なんだったんだぁ?」


「まぁ、俺たち今注目の的ですし。仕方ないですよ」


「うーん、そうかなぁ」


「セシル! ベジット! 早くおいで」


「はぁい」


 レイリーに促され、止まってしまっていた足を動かす。


「(注目の的って割に、視線は1人だけだった気がするんだがなぁ……)」


 はて、あれは何だったのだろう。殺気はなく、ただジッと見られていた。


 それはともかく、今は目の前の面倒な仕事を片付けるのが先だ。


 これから二ヶ月もの間、ヴィーザルに場所を移したこの帝国軍基地及び元帥府に缶詰になって、自分たちの自由を手にするための手続きをやらなければならない。


「俺、いる?」


「いりますいります。一応まだ部隊司令官なんですから」


「絶対俺いらないって……レイリーのワガママクソ珈琲狂いめ……」


「まぁまぁ。とりあえず、今日の顔合わせが終わったら飲みにいきましょ!」


 ベジットに背中を押されて、渋々レイリーたちの後についていく。

 招かれた会議室で、フェリックス陣営と大喧嘩するまで、あと十数分のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る