第26話 恋で終わらせたくない
従卒が死んだ。
セシルの自殺未遂事件が起きた翌日、彼の部屋についていた従卒の遺体が見つかった。
激しい損傷は無く、額に一発銃弾が貫通した痕があった。おそらく即死であろうとの診断が下った。
「従卒が死んだ」
そうセシルに報告をすると、ソファに座っていたセシルはつまらなそうに「ふぅん」と言った程度の反応しか返ってこなかった。
タバコに火をつけながら告げられた返事のあと、セシルが非常に不機嫌そうにこちらを見上げてきた。
「それで、俺はここから解放されるのか?」
「いえ、まだ安全確認ができておりませんので、もう少しの間ここにいてください」
「チッ……」
低い舌打ちはスルーして、ミーミルが今後の流れを説明し始めた。それを横で聞きながら、ジークハルトはセシルを観察する。
「これで俺の仕事は半分パァになった。どうしてくれるんだ」
「貴方の安全を守るためです。ご自身の命と金を天秤にかけるおつもりですか」
「そうは言うがな、ワーグナー。仕事と金は、時として命を凌駕する時だってある。今がまさにそれだ」
「それは、どこかの国へ、もしくは反社会グループへ武力を分け与えるという意味ですか?」
「ハッ。これだから発想がど貧乏なやつは嫌なんだ。ンなわけねぇだろ、馬鹿か。そんなもんはな、端金の一端にすぎねぇんだよ。俺が言ってるのは、それよりもでけぇ仕事のことだ」
「そのような行為や仕事が命を越えるとは思えません」
「ンだと? テメェ、軍人のくせに生意気だぞ。俺らからのお情けをもらってる分際で」
イライラしている。その割には口がよく回る。
ツェツィーリアとの唯一の違いは、そこだ。『彼』は非常に従順で、ジークハルトととしては悪い大人に付け入られないか心配していたのだが、本音がこれなら問題なさそうである。
嗚呼、区別が出来ていない。彼をツェツィーリアとして見てしまっている。これでは余計なことすら言ってしまうだろう。
気持ちを切り替えるべく、深い溜め息をつくと、セシルからまた舌打ちが聞こえた。
灰皿にタバコが押し付けられ、そのまま新しいタバコに火がつけられた。一口吸われた煙が、ジークハルトに向かって吐きかけられる。怒りに口を開きかけたミーミルを制し、ジークハルトは眉をひそめただけでその行動を咎めはしなかった。
「軍が使用している武器や物資は、全て検査検閲を行い、軍内で作成しているものです。業者が介入する余地はありません」
「どーだかな。テメェが持ってる銃だって、元はどこが品を卸してるか分かったもんじゃねぇぞ?」
「……私は、今そのような話をしにきたわけではありません。ともかく、あなたの身の安全が最優先です。こちらの指示には従っていただきます」
「へーへー。さっさとしてくれよな、その安全確認ってやつをさ。あさっての会議とパーティに間に合わなかったら、まじでぶっ殺すからな」
「えぇ。承知しております」
そう、本来彼らは非常にどうでもいい内容で集まり、パーティを行うためにこの中立国に来ているのである。それがどれだけの利益を生むのかは知らないが、それまでに解決させないと軍への不信、ひいては政府への不信感を高まらせるのだから、面倒だ。
「正直、犯人があなたを狙った理由が分かりません」
「お? なんだ、喧嘩か?」
「違います」
なんと血の気の多いことだろう。
これがセシルらしさなのかと考えると、その口の悪さも血の気の多さも気にならないのだから不思議だ。
「食事は私の管理の元、お渡しさせていただきます。飲み物も私が用意したものをお飲みください」
「お前を信じろって?」
「はい。信じてください」
こちらで手配した従卒が容疑者の一人であった以上、セシルが疑うのも仕方がない。だがもう、誰が犯人なのかが分かっていない以上、信じてもらうしかなかった。
またジークハルトは、断られることはないだろうと確信している。
彼は”セシル”であるが、”ツェツィーリア”でもあるのだ。薬の影響で出た言葉ではあるが、彼の中でジークハルトは特別な位置にいる。と、思っている。そうであってほしい。
まっすぐセシルの目を見て、自信満々に告げた。その視線からセシルは気まずそうに目をそらしした。まるで小動物のようだった。
「ったく、なら早いとこ仕事しろよ。おら、さっさと行け」
手で邪魔者扱いを受けたまま、ジークハルトはセシルの部屋を後にした。
*****
結局、テログループは諦めたのか別の機会を狙うことにしたのか、セシルの自殺誘発事件以降何も音沙汰がなかった。念のため上に報告をすると、フェリックスより更に上の人間から安全は保障されたと言い渡された。
モニターの向こうで苦虫を嚙み潰したような顔をしているフェリックスから、もう会議に連れて行ってもいいだろうとの言葉を頂いたため、それを敬礼で受けた。
本当に、安全を保障されただなんて、フェリックスとジークハルトは思っていない。だが、貴族出身者の多い上の人間たちの、甘ったるい平和ボケ脳を汲むしか、部下である自分たちは出来ることが無い。
「ジークハルト」
執務室に戻るとすぐ、酒を煽る親友が連絡をつけてきた。その顔は非常に不機嫌で、あの後も上から何か言われたのだろうと分かった。
書類を脇に寄せたジークハルトに、フェリックスは大きく溜め息をつく。
「それで? そちらの状況は、実際はどうだ?」
「ミュンヒハウゼン伯爵についていた従卒が一人死亡。それ以外は報告の通りです」
別に隠したわけではないのだが、一方的に話をされてこちらの報告など後回しだったせいで、報告しそびれてしまった。と、いうことにしておく。
セシルの名前を出すと、フェリックスが露骨に嫌そうな顔をした。
「してやられたな、ジークハルト」
「……騙されていた、ということは否めません」
ツェツィーリアは、本当は金になんて困っておらず、大きな後ろ盾を持っていた。なんであんなことをしていたのかは不明だが、そもそもジークハルト以外に抱かれていたのかも、分からなくなってくる。
じっとりと、汗が背を伝う。
「明日、彼らは本来の会場に向かう予定です。会議が行われたあと、ペリドット伯爵邸に移動。慰安パーティが行われるそうです」
「ハンッ、大層なご身分だな」
何を慰安するんだか分からないが、ともかく名目は会議後の慰安パーティだ。既に小隊を配備する旨は通達しており、渋々ながら承諾させた。会議が行われる邸宅にも既に向かわせている。
その報告には満足そうに頷いていたフェリックスだったが、また途端に顔を顰めた。
「あの男はどうするつもりだ」
あの男。
セシルのことだと、すぐにピンときた。
「……十分に警戒いたします」
「当たり前だ。まったく、親の名前を傘に好き勝手しているとは。ぼんくら息子もいいところだな」
そうだ、とジークハルトは気づく。
フェリックスは、まだセシルが敵国の人間であることを知らない。
伝えるかどうか。
ここでジークハルトが正直に伝えたならば、セシルはこのまま殺されるだろう。
そう、それが正解なのだ。
「ジークハルト?」
何も言わなくなったジークハルトを心配したのか、フェリックスから名前を呼ばれる。
「……これは、私の失態です」
「ほう? どうした」
「申し訳ありません、フェリックス様。ひとつ、黙っていたことがあります」
そう言って、ファイルに挟まっていた例の告発書類のデータをフェリックスに送った。手が震える。息が苦しい。
「……」
フェリックスから返事は無い。
彼の性格からして、たとえ親友だったとしても容赦はしない。
明日はセシルではなく、自分が処分されるだろう。
だが、フェリックスからの返事は、ジークハルトの予想とは違った。
「お前が、処分しろ。それで手打ちとする」
「……よろしいのですか?」
「何がだ」
「私は、むざむざと敵国の人間を懐に入れてしまった戦犯です」
情報らしい情報は話していなかったと自分では思っているが、こちらの何気ない会話からどう解釈されたか分からない。
カチャ、と腰に差した銃の金属音が鳴った。
「私自身も処分を受けるべきです」
「必要ない」
「それは、いったいどういうことでしょうか」
「確かに、お前が奴をあっさり引き込んだことに関しては、何かしらの処分を下さなければいけないだろうが……結果から言って、奴らになんの益も運んでいないからだ。甘いと言われそうだがな」
フェリックス曰く、フェリックスの側近のような立場にいるジークハルトに近づいたことはまず褒めるべき。そこから、実際は何かしらの情報を得ていたのだろうが、それが本国にきちんと報告されていたか不明だと言うのだ。
「もし仮に、お前を通じて俺のことや軍の内情を報告されていたとしたら、戦況にもう少し影響が出るはずだ。それだというのに、一向に好転している様子がない。いまだ、我らが優勢にある。それはつまり、奴はお前から大した情報を得ていないか、得ていたとしても向こうに報告していない可能性があるからだ」
「……」
「奴の意図は分からんがな」
フッと口の端で笑ったフェリックスに、ジークハルトは深く感謝の意を述べた。
*****
翌日、ジークハルトの先導により、セシル含めた貴族たちは無事に目的地に到着した。目的地に到着してからというものの、セシルはジークハルトの前に姿を見せることはなかった。
会場にいないわけではなく、栗毛の女性と一緒に行動を共にし、ジークハルトと目が合うとすぐに人混みに紛れてしまうのである。
他人よりも頭一つ分抜きんでて背の高いジークハルトからしたら、人混みに紛れたところですぐに見つけられるのだが、セシルはそれでもジークハルトから逃げ続けた。
慰安パーティに移動してからも、セシルは常にジークハルトから逃げていた。
捕まりたくない、という気持ちは分かる。自分の素性を明かしているのだから、こちらがどういう対応をしてくるか予想はあらかた立てているはずだ。それだというのに、セシルはジークハルトから異様に距離を取っていた。
ジッと、他の貴族と談笑をしているセシルの背中を見つめる。
細い腰、薄い肩。柔らかな髪。あの日までたくさん愛した唇。
己の腰に差してある銃。
そんなことがあっていいものか。
「(セシル……)」
気持ちが定まらない。
フェリックスの指示には従いたい。が、セシルを愛する心は捨てられそうにない。
こんなにも一人心を痛めているというのに、セシルの笑顔は他所に向いている。
自分がこんなにもフェリックス以外の人間に執着するとは思わなかった。だが、後悔も無かった。
「ワーグナー准将。状況はいかがですか?」
「ラインクラウゼ中将」
柱と一体化していたジークハルトの横に、レオンが立つ。ジークハルトの視線の先を追って、何かを察したように笑った。
「聞きましたよ。彼が、あのツェツィーリアなんですってね」
「……どこからその話を」
おおかた、ミーミルから聞いたのだろう。無理矢理聞き出したのかもしれないが。
「情報源はどこだっていいでしょう。それで? 例の彼はまだ無事なようですね」
「敵の狙いは彼ひとりではありませんよ、ラインクラウゼ中将」
「それはそうですがね。これだけ熱い視線を送っていたら、誰だって気づきますよ」
レオンにいらないウィンクを飛ばされて、ジークハルトは乾いた笑いを出すしかなかった。
セシルの一挙手一投足を追ってしまう。それはもう、仕方がないことだ。彼はいま要人という扱いでもあるし、と言い訳も添えてジークハルトは視線を周囲に巡らせた。
噎せ返るような香水の匂い。吸うだけで酔っ払いそうなほど立ち込める、アルコールの匂い。ギラギラと目に痛いほど光る、装飾品たち。
その中で、セシルは美しい光を放っているように見えた。
彼が歩くと、サッと人垣が割れていく。
皆がセシルのそばを通る度に、何やらヒソヒソと色のついた噂を立てている。
「(きれいだ……)」
惚れた弱みと言われればそれまでだ。
今後起こりうる最悪な結果から少し現実逃避をしてしまう。
そんな時だった。
キラリと、目の端に何か光った気がする。
なんだとそちらを見ると、どこかの貴族の子息らしい少年が立っていた。やたらと険しい顔をしている。
「あれは?」
「え?」
タッと、険しい顔つきの少年が走る。
その先には、セシルの姿。
「まさか……!」
「あっ、ワーグナー准将!」
人混みを掻き分けてセシルの元へ走るが、少年の方が早い。
彼の手に何が握られているか分からないが、よくないものなのは確かだった。
走って、走って、掻き分けて。
「セシル!」
「え?」
少年が、セシルの背を捉えた途端、足を速めた。
間に合わない!
「っ! ぐ、あ……っ!」
ドスッ、と鈍い音が耳に届く。
少年の手には大ぶりのナイフが握られていた。
ボタボタと血が床に垂れる。
その光景を見てようやく、周囲が阿鼻叫喚に包まれた。
「ぐ、カハッ!」
「ワーグナー!」
あぁ、セシルの声が聞こえる。
己の腹を見ると、ずっぷりと深くナイフが刺さっていた。
あぁ、セシルは無事だったのか。
よかった、よかった、よかった。
事切れそうな意識を強い精神力で繋ぎ止め、ジークハルトは腹に刺さるナイフごと少年の両手を握り込んだ。
「ヒッ」
「あなたも、犯人グループの、ひとり、なのですね……」
息が荒くなる。
痛みは感じなかった。
床に垂れる血がどんどん増えていく。
「ワーグナー准将! おい、早く奴をひっ捕らえろ! 医者も連れて来い!」
遠くで、レオンの叫ぶ声が聞こえる。
少年は控えていた部下たちの手によって取り押さえられる。それを見ながら、ようやくジークハルトは床に膝をついた。びちゃりと嫌な水音が立ち、そんなに自分は血を流しているのか、とぼんやり考えた。
「ワーグナー!」
「せし、る……」
「馬鹿! 喋るな! ナイフは抜くなよ、傷が広がる!」
ジークハルトを後ろから支えるようにしながら、セシルがジークハルトを座らせる。血が服に染み込むだなんて関係ないと言わんばかりに、セシルは躊躇いなく血溜まりの上に座り込んだ。
視界がぼやける向こうで、セシルの険しい顔が見えた。
泣いていないか、どんな感情でこちらを見ているのか、まったく分からない。
「セシル……」
「だから、しゃべるなって、」
「セ、シル……こっちを、みて……」
「おい、ワーグナー!」
周囲の喧騒が遠くに聞こえる。あぁ、視界いっぱいにセシルがいる。手が震えてしまっていけないが、彼の頬に触れたくて手を持ち上げた。血がたくさんこびりついていて、これではセシルの玉のような肌が汚れてしまう気がして、握り込むしかなかった。
「セシル、せしる……」
「ここにいるから。安心しろ。もうすぐ医者が、」
「セシル、……ツェツィーリア、あいして、います」
「は……お前、」
「ジルケ」
意識が混濁してくる。これはちょっとまずいかもしれない。
偽名で呼ばれたセシルがどんな顔をしているか分からないほど、視界がぼやけていた。
「ジルケ、好きなんだ、愛してる」
「お前、何言ってんだ、こんな時に!」
「こんな、時だから……ジルケ」
「……」
無意識に伸ばしていた手を、セシルの手が包み込んでくれた。彼の手が震えている。それを落ち着かせてやりたかったが、力が入りづらい今どうしようもなかった。
せめて笑顔でいようと口角を上げると、ぼやけた視界の向こうでセシルが顔を顰めたことだけは察した。
「ジルケ、愛してる」
「……」
「ジルケ」
「お前、やっぱり馬鹿だな」
バタバタと数人が走ってくる音が身体に響いてくる。
医者が来たのか、とぼんやり考えた。
意識が、遠のく。
「ほんと、お前は馬鹿なやつだよ、ヴェルト」
そっと囁かれた言葉を聞く前に、意識がブッツリと途切れた。
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