第23話 戸惑いと本能の間 1
駐屯基地に到着して、ボディスキャンを受けるようセシルを案内する。
出入り口付近のボディスキャンルームに向かうと、そこに一人の佐官が立っていた。
「っ! ベッケンバウアー先輩」
「お久しぶりです、ワーグナー准将」
金髪碧眼、帝国人の中では比較的小柄な身長の青年。
新兵のお手本になるような美しい敬礼をした彼……ダニエル・フォン・ベッケンバウアー少佐は、ジークハルトの前に立つ。
「先輩、こちらに異動されていたんですね」
元帥府内でダニエルの姿を見ないな、と思っていたら。ダニエル曰く、無駄な人事再配置指示のせいでこちらに来ていたようだ。
「その呼び方。いつも言っているでしょう? 一応いまは、階級はあなたの方が上なんですから、やめてください」
ニコリと微笑んだダニエルは、ジークハルトの後ろを歩いていたセシルに目を止めた。
「ミュンヒハウゼン伯爵ですね」
「そうだ」
ツェツィーリアをジークハルトに紹介した本人は、どうやらセシルが"彼"と
「申し訳ないのですが、こちらでボディスキャンを受けていただきます。通信機器や銃火器、火が出るものは持ち込めませんので、こちらでお鞄と一緒にいったんお預かりいたします」
「はぁ? まじかよ」
「後ほどお返しいたしますので、ご協力ください」
そう言って、ダニエルが差し出したトレーを見て、セシルははぁと大きく溜め息をついてポケットからライターとタバコ、スマートフォンを出した。
「イヤホンも、お願いします」
「………」
ダニエルの指摘に、セシルから明確な舌打ちが聞こえてくる。電源を落として、トレーへ放るようにイヤホンを入れ、別の佐官に連れられてセシルはボディスキャンルームに入った。
「彼で最後ですね。あとはお任せください」
「……先輩、お願いがあります」
何かを言いかけて、しかしダニエルはすぐに気を取り直した。
「なんでしょう、閣下」
「そのイヤホンは、しばらく彼には返却しないでください」
「え?」
ジークハルトより頭二つ分小さいダニエルが、キョトンと首を傾げ、しげしげとイヤホンを摘み上げて見やる。
「お願いします、先輩」
「……分かりました。可愛い後輩の頼みです。どうにかしましょう」
そう言って、ダニエルはボディスキャンルームの横の部屋に入っていく。
これで、とりあえず外界からセシルを隔離はできそうだ。セシルをテロリストとは思いたくないが、彼が叛乱軍のひとりだと分かってしまった以上念入りに事を進めなければならない。
更に運の悪いことに、彼には殺害予告も出ているのだ。用心にこしたことはないだろう。
ボディスキャンを無事に終えたセシルを連れて、客用のフラットに通すと、少し不機嫌そうなセシルはソファにどっかりと座ってスーツの内ポケットからタバコの箱を取り出した。ライターは取り上げられたままなので、テーブルの上に置いてあったマッチを擦って火をつけている。
「ったく……これで仕事がパーになったらお前らのせいだからな」
「申し訳ありません。が、軍規ですので」
吐き出されたタバコの煙は、嗅ぎ慣れた甘い"ツェツィーリア"の香りだ。もはや隠すのも面倒になったのだろうか。
セシルの向かいに座ったジークハルトに、セシルは嫌そうな顔を隠しもせずに煙を吐く。
「で、俺はいつまでここにいればいい?」
「ばら撒かれた予告によれば、明日の夜が決行日となっています。安全をとって、あさってまではここのフラットを使ってください」
「あさって、あさってねえ………」
「安全が確認でき次第、ご希望の場所までお送りします」
ジークハルトの斜め後ろに立ったミーミルがそう言うと、セシルはハンッと鼻を鳴らしてそれから黙り込んでしまった。
「ここにずっといるのも飽きるでしょうから、何か欲しいものがあれば仰ってください。できる範囲でご用意します」
「なら、酒が欲しいな。良いやつ頼むぜ」
「分かりました。種類は何か好みはありますか?」
「ブランデー。あとはワインがいいな」
「分かりました。準備させます」
ジークハルトが後ろのミーミルに視線を投げると、小さく頷いてくれた。それを見て、ジークハルトは立ち上がる。
「あなたの荷物は、すぐに届けさせます。ご不便をおかけしますが」
「はいはい。いいから、さっさと酒持ってこいよ、ワーグナー。鬱陶しいな」
イヤホンを返してもらえなかったことも重なって、相当機嫌が悪くなってしまったらしい。
「あ、そうだ。なぁ、ワーグナー」
「はい」
「酒の準備ができたら、お前が自分でここに持ってこい」
「は…?」
セシルの要求の意味がわからず返答に困っていると、セシルの視線が鋭くなる。
「部下に代わりに持って来させたら、俺はもてる力全てを使って今日ここから出ていくからな」
「……かしこまりました。そうさせていただきます」
セシルにさっさと手であしらわれて、ジークハルトはすぐに退室した。
「あのようなわがままな要求を、お認めになるのですか」
ミーミルの非難も理解できる。とはいえ、彼は命を狙われている身だ。変に動かれて命を落とされても困る。そこを突かれてミュンヒハウゼン家から最終的にフェリックスへ理不尽な要求をされるくらいなら、彼ひとりのワガママなど、瑣末なことだった。
フラットから出て執務室に向かおうと足を向けたあたりで、ダニエルが駆けてくるのが見える。
「? 先輩、どうかされましたか?」
「ワーグナー! じゃないや、ワーグナー准将」
ダニエルは、昔から小型犬のような男だ。人懐こい彼は、可愛らしい容姿と相まって、上司や部下に関わらず非常に慕われている。
見えない尻尾が振られているようにも見えて、歳上とはいえジークハルトでさえも可愛らしい人だなと思うくらいだ。
ジークハルトのそばに立ったダニエルはカートを押しており、そこには二個のキャリーケースと、一つのボストンバッグが乗っていて、彼の行き先に合点がいった。
「ミュンヒハウゼン伯のところですか」
「はい。荷物にも特に危険物は無く、返して良いとのことでしたので、お持ちするところです」
「そうですか。ありがとうございます」
彼のために、道を譲る。
それに軽く敬礼をして脇を通ったダニエルの背中を見送ってから、ジークハルトはまた歩を進めた。
*****
「お届け物です」
「………」
ダニエルがセシルの部屋に入ると、真っ先にナイフのように尖った視線が飛んでくる。
フラットの中には従卒が一人控えているが、かわいそうに、彼はセシルから何も指示がないせいで手持ち無沙汰そうであった。ダニエルが荷物を持ってきたと分かると、これ幸いとばかりに従卒がダニエルに駆け寄ってきた。
あれこれと指示を出してから、ダニエルは従卒に出入り口の警備に当たらせるという理由を作って、部屋から追い出した。
「なぁにそんな不機嫌なんですか。せっかく安全な場所にいられるのに」
「………言いたいことはそれだけか、クソ野郎。イヤホンのことまでバラしやがって」
「仕方ないじゃないですか。チェックしてる時に気づいてイチからやり直し、ってなるほうが面倒くさいでしょう」
セシルからイヤホンを取り上げる直前、彼がケビンや他チームのリーダーからの報告を受けていたのは、ダニエルも通話を聞いていたから知っている。ただ、あそこでイヤホンだけを見逃すと、あの横に立っていた赤毛の青年が黙っていないだろう。
「赤毛の子には気づかれてましたよ、イヤホン」
「知ってる」
「俺があそこで見逃したら、二人してアウトでしたよ」
「そこだけじゃねぇよ」
セシルの視線の鋭さは変わらない。ダニエルは背筋にヒヤリとしたものを感じながらも、表情は変えなかった。
「では、どこを?」
「お前だろ。あいつに、俺の正体をバラしたのは」
その言葉に、ダニエルはニコリとあえて微笑んだ。
「正体ですか? あなたが武器商をやっている放蕩息子だというのは、ちょっと調べたらわかることじゃないですか」
「違ぇよ。俺が、あいつの監視役だって部分だ」
その言葉に、ダニエルはようやく表情を崩す。
「お話でもしましたか?」
「いや。だが、あいつの反応を見れば分かる。俺を殺すか殺さないかで、あいつは迷っていた」
やたらと、セシルは自信たっぷりだ。
この男は気づいているのだろうか。単なる勘に頼っている割に、なぜそんなに確信を持って言えるのか。ダニエルは静かに笑みを深めた。
「そういうところが、彼の良いところであり、軍人としてはマイナス部分ですね」
「………」
「あなたが仰ったんじゃないですか。彼は、そういうことをしないと思ったって」
セシルとツェツィーリアがイコールであることは、ジークハルトには早々に気づかれていた。その時にセシルは楽観的に言ってのけたではないか。だが、セシルの視線は変わらない。
「彼にあなたの素性を明かして、いったい何が不満なんですか。素性を知ってもなお、あなたは殺されていない。あの様子では周囲にあなたの本性は話していないでしょう。それに、今回の任務が終われば、もう我々はヴェルダンディに帰る必要はないし、二度とあの地を踏むこともない。でしょう?」
「………」
「……あぁ、なるほど。隊長。あなた、彼のことを本気で愛していたんですね」
刹那。
言い終わらないうちに、ダニエルの背は床に倒され、セシルの手に握られた隠しナイフが首の真横に刺さっていた。馬乗りになったセシルからは表情が消えていて、初めてそこで彼から殺意を感じ取る。
ああやはり人形のように美しい表情だ、と、別の自分がセシルを評価するものの、それに同意していられるほど、ダニエルの命の時間は長くはないと悟った。
「……愛してしまったんですよね」
「違う」
「監視対象に情を感じたら工作員としては半人前、と仰ったのはあなたでしたっけ」
「うるさい、うるさいうるさい!」
「隊長」
「黙れ!」
氷のような表情から一変。セシルの頬に怒りの朱が差す。
「なにも、それが悪いこととは言ってませんよ」
「………テメェ、今すぐ黙らねぇと殺すぞ」
「隊長。俺は、あなたの幸せを願ってやまない側の人間のひとりです」
カタ、と床に刺さったナイフが揺れる。
「ケビン・プランケットも言っていたでしょう。あの人は、この帝国では珍しく理性のある人間です。あなたのことも……いえ、ツェツィーリアのことも、心から愛している。あなたが幸せになれるなら、我々はそれが例え相手が監視対象だったとしても容認する所存です。俺たちは、あなたがいつ抜けてもいいように準備してあります」
「………」
「もしかして、彼に愛されているのは"ツェツィーリア"であって"セシル・アイゼンハワー"ではないから、そこが不満で意固地になってるんですか?」
言い終わった途端、頬が張られた。
何度も、何度も、両の頬に鋭い破裂音が張られる。
ダニエルが抵抗せずにいると、セシルは肩で息をしながらこちらを見下ろしてきた。彼の目には水の膜が張り、それをぐっと堪えるようにセシルの顔が歪む。
「そんなはずは、ない……」
「どうでしょうか」
「俺は、あんなやつ、好きでもなんでもない」
「………」
「好きなんかじゃ、ない……」
本音に蓋をして、セシルは何度も言い聞かせるように呟いている。こちらを力の限りに張り続けていた手は震え、ダニエルの軍服を握っている。
「彼は、もうあなたとツェツィーリアを区別していませんよ」
「………」
「あなたを殺すチャンスはいつでもあった。さっきもそうです。基地に入ってしまえば、ここは治外法権。フラットに着いた途端射殺することだって出来たはず。でも、彼はそれをしなかった。迷っているとはいえ、ね」
「………」
「隊長。あの人を少しくらいは、信じてもいいんじゃないですか?」
「……うるさい」
「きっと彼は、あなたの本音ごと愛してくれますよ」
「他人なんか、信じない」
信じたくない。
ポツリポツリと壁形成の呪詛を呟いたきり、セシルはまるで本当に人形にでもなったかのように動かなくなった。
それに深く溜め息をついてからゆっくりと起き上がると、ダニエルはそっとセシルを抱えてベッドルームへと連れて行った。
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