第24話 戸惑いと本能の間 2
夜になってから、セシルご所望のワインとブランデーを、ミーミルが持ってきた。
ヴェルダンディで今年一番の出来と噂のブランデーと、それから"ツェツィーリア"が好きと言った銘柄の白ワインだ。ワインはジークハルトが指定した。
「ありがとうございます、ミーミル中佐」
「閣下。お言葉ですが、ブランデーはともかく、ワインについては好みをお伺いしなくてよろしかったのですか? 下手なものを持っていくとうるさそうですが……」
「いえ、これで良いんです。ありがとうございます」
まだ少し不安そうなミーミルに礼を言い、セシルのフラットへ向かう。その途中で両の頬を赤くしたダニエルに遭遇した。イラついたように頬を撫でていて、こちらの存在に気づくとダニエルは照れたように笑う。慌ててしまったのはこちらだった。
「先輩?! その頬、どうされたのですか?」
「ワーグナー……あー、いえ、ちょっと勝利の女神を怒らせてしまいまして。馬乗りになってボコボコにされました」
えへへ、と笑うダニエルの瞳に、少しの諦めの色が見える。さすがにこのままでは腫れ上がってしまうだろう。
「すぐに医務室に行ってください。腫れてしまいます」
「あはは、そうさせてもらいます」
そこでふと、ダニエルの視線がジークハルトの荷物に注がれた。興味津々そうに輝く彼の瞳に、少し苦笑してしまう。自身の怪我よりも目の前の好奇心を優先してしまうのは、昔から変わっていない。
「これはミュンヒハウゼン伯への差し入れです」
「そうですか。ああ、でも、今は行かない方がいいと思いますよ」
「それは、なぜ?」
「お荷物をお持ちした際、もう寝ると仰っていたので、いま起きておられるか分からないからです」
そうは言っても、今日中に届かない方が面倒だろう。ダニエルには必ず医務室へ行くよう言い含めてから、歩を進めた。
フラットの出入り口に立つ警備隊に敬礼して、インターホンを押す。
「誰だ」
少し不機嫌そうなセシルの声がインターホンから響く。起きていたことに安堵して、ジークハルトは表情を引き締めた。
「ワーグナー准将です。ご所望のものをお持ちしました」
ジークハルトの声に返事はない。ただ、フラットの扉が自動で静かに開く。中は真っ暗で、人の動きがなかった。
「………」
扉が開いた以上、入らないわけにはいかない。背後でミーミルの警戒した雰囲気を感じたものの、ジークハルトは中に入った。
セシルは、寝室にいた。ベッドにあぐらをかいて座って、ぼんやりとタバコを吸っていた。ベッドサイドのランプだけをつけていて表情が見にくいものの、本当に寝ていたようで、少し寝起きの顔をしている。
緩いTシャツと薄手のロングカーディガンを着ており、足元はシーツがかけられていて分からない。
セシルの首元にはネックレスチェーンがかけられているのが見えた。
「お邪魔いたします」
「おー。で、持ってきてくれたのか?」
「はい。ブランデーと、ワインと、それから少しつまみも持ってまいりました」
セシルに手で呼ばれ、ジークハルトだけベッドに近づく。ベッドサイドに荷物を置くと、さっそくセシルの手がワインに伸びた。
「ふふ、気がきくなぁお前。しかも、ちゃんと自分で持ってきたんだな。感心感心」
「ありがとうございます」
袋から取り上げたワイン瓶を見て、少しセシルの顔が引き攣ったように見える。ジークハルトのわかりやすいメッセージに気づいたようだが、それも瞬時に変わってしまった。
「なぁ、ワーグナー。ついでだから、お前も飲んでいけよ」
「え? あ、いえ、私はまだ、」
「いいからいいから! あ、でも、二人きりな。お前には聞きたいことが山ほどあるし」
「聞きたいこと、ですか」
聞きたいことと言うなら、それはジークハルトとて同様である。
「そう。お前の部下に赤裸々に聞かれたいなら、無理強いはしないけど」
ほらほら!とセシルはワイン瓶をぐいぐいこちらに押し付けてくる。それをやんわりいなしながら、ジークハルトは諦めたように息を吐いた。
「わかりました。ミーミル中佐。少し席を外してください」
「え……は、はい、かしこまりました」
戸惑うのは仕方がない。
退室を命じたセシルからの反応は既になく、タバコの火を消してベッドから降りた彼はキャリーケースからワインオープナーを取り出してこちらの行動など気にせずワインを開けていた。
ポンっと軽い音を立てて、コルクが抜ける。
ミーミルが部屋を出たのを見てから、ジークハルトは改めてセシルに向き直った。
「セシル。私も、本当のことを教えてほしい」
「本当のこと? それよりもまず、グラス持ってきてくれよ。直飲みは嫌。お前の分もな」
早く、と急かされ、仕方なくキッチンへ向かい備え付けの食器棚からグラスを二つ取り出した。すぐに戻ると、セシルはベッドに腰掛けて新しいタバコに火をつけているところで、ジークハルトの手元に視線を投げてニタリと笑う。
「まぁ座れよ。お前、背デカいから首が痛くなる」
「失礼します」
ぽんぽんと叩かれたのはベッドの上で、ただこのフラットにはベッドとリビングの備え付けソファぐらいしかないので仕方なくセシルの叩いたところに座った。
距離にして、彼の脚分プラス拳一つ。妙に遠く感じる。
セシルの手で注がれた白ワインは、ベッドランプを取り込んでまろやかなオレンジ色をしていた。
乾杯もなく、タバコを持った手で行儀悪くグラスを持ってワインを一口で飲み干すセシルを見つつ、ジークハルトもグラスに口をつけた。
不思議な時間だ。彼は"ツェツィーリア"であって、"セシル"であって、ジークハルトの知らない顔を多数持つ。今は、彼自身が他人のフリをしているからそれに付き合ってはいるが、この複雑な気持ちをどう表現したらいいかわからない。
「まずは、俺からだ。俺は本当に、テロリストどもの殺したいリストに載っているのか?」
「ええ、載っています」
それは嘘では無い。
どこで彼の名前を聞きつけたのか、彼の名前は多数ある貴族たちの名前の中に埋もれるようにして書かれていた。
ジークハルトの返事に、セシルは生返事をしながら手酌でワインを注ぐ。
「次はお前の番。そうだなぁ……本当のことって言ってもな、」
「はい」
「お前がどこまで俺のことを調べたかは知らねぇが、お前が知ってる事が全てだ」
「……それは、あなたが"ツェツィーリアでもあった"のは認めるということですか?」
ジークハルトの声に、セシルは少し寂しそうな顔をして「そうだ」と小さく言った。
「ただまぁ、残念なことに、俺は嘘はひとつもついてないからな。金が無かったのも、人より帝国語が上手く読めなかったのも、ミュンヒハウゼンの爺さんに養子にされたのも、全部嘘じゃない」
「………」
「幻滅した?」
その問いには、不思議とNOと答えていた。ただ、それはそれとして、やはり気持ちに整理はつかない。
「俺を殺すか?」
その言葉は、ジークハルトが別の"答え"を持っていることを知っているかのようだった。困惑に言葉を詰まらせると、セシルは肩をすくめる。
「俺の、本当の姿……知ってるんだろ、お前」
「………」
「もう一度聞く。俺を殺すか?」
「そんなこと、できない」
「どうして? 俺はお前らにとっちゃ今すぐ殺すべき敵だろ?」
それは、セシルの言う通りだ。彼はフェリックスの野望を叶える上でも邪魔な存在でしかない。
だが、
「どうしてかな……あなたの名前がツェツィーリアであろうと、セシルであろうと……あなたが、叛乱軍の人間だと知っても、気持ちを変えることができなかった」
これは、ジークハルトの本心だった。
彼に銃を向ける機会はいくらでもあった。今だって、ジークハルトが指示をするかジークハルト自身が銃を向けることはできる。
彼を殺すのが最良だ。
腰に差している銃で、彼の頭を撃ち抜けば、それで終わる。叛乱軍の、敵国の人間なのだから。
グラスを持つ手が震える。
『あなたなら最良の判断をしてくれると、私たちは信じています。』
あの文章が、ジークハルトの心を更に掻き乱す。
最良の判断。
彼を殺すか、否か。
「そういうところが、お前の唯一ダメなところだな」
「え、……っ!」
突然、耳元でセシルの声が響いて、驚いて顔を上げた。腰から何かが抜ける感触がして、見上げた先のセシルは喉の奥で笑いながら、ジークハルトの銃をこちらに向けているところだった。
いつのまに。
突然のことで声が出ずにいると、セシルはそのまま銃口を自身の頭に向けた。
「なぁ、ジークハルト・ワーグナー。お前やっぱ、変だよ」
こつりとセシルの星群色の頭に銃口が当たり、なにが面白いのかセシルはクツクツ笑っている。それだというのに、彼の瞳には一切の光が入っていなかった。ジークハルトの向こう側に広がる虚空を見つめ、震える手で銃を握っていた。
「セシル、なにをっ……!」
「お前が俺を殺さないなら、」
彼の細い指が引き金に触れる。
「俺自身で、俺を殺してやる」
「やめろ! ジルケ!」
鳴り響く銃声。
焼けるような臭い。
放り投げたグラスの割れる音が、遠くで聞こえた。
「ワーグナー准将! っ!」
銃声に気づいたらしいミーミルが、警備隊と共に部屋に乗り込んでくる。
ゆっくりと目を開けると、セシルはジークハルトに押し倒されるようにしてベッドに倒れ込み、ジークハルトの腕の中にいた。
咄嗟に彼の細い手首を掴んで、銃口の向きを変えたのが功を奏した。銃弾は天井に穴を開けているが、セシル自身に怪我は見当たらない。彼の首元からこぼれ落ちた記念金貨が妙にキラキラと輝いて見えた。
「は、あ……セシル……無事でよかった」
「………なんで、どうして、」
「なんで? 止めるに決まっているだろう」
「こんな世界で、生きていたって仕方がないのに」
「……え?」
「ゔぇるとのいない、せかいなんて」
「セシル?」
「ワーグナー准将、ご無事ですか」
こちらに駆け寄るミーミルを制して、ジークハルトはセシルを抱きしめたまま上体を上げる。嫌がる素振りもなく、セシルはジークハルトのされるがままだ。ミーミルたちに見えないよう、こぼれ落ちたネックレストップを素早く彼のTシャツの中へ入れた。
「ええ。大丈夫です。問題ありません。セシル、怪我は?」
「……へいき。へいき? わかんない」
腕の中で、ぽつりと呟かれた言葉は不可解であったものの、反応があることにほっと安堵した。ゆっくりとセシルを腕の中から解放するが、彼が俯いているせいで表情はわからない。
力の抜けた彼の手から銃を取り返す。警備隊がセシルに近づこうとしたのを制して、ジークハルトはセシルのそばの床に膝をついた。
「セシル」
「………」
「なぜ、こんなことを……」
彼の長めの前髪に隠れた表情からは、何も読み取れない。泣きもせず、怒りもせず、セシルはただ静かにシーツを見つめていた。
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