第16話 恋に恋して甘い味 2

 彼と出会ってから、もうかれこれ一年は経つだろう。はじめて、ツェツィーリアとゆっくり食事ができたと思う。

 レストランを出た頃にはすっかり夜の帳が下りていて、酒で火照った頬に当たる夜風が気持ちいい。ジークハルトの横でご機嫌に歩いているツェツィーリアも同様のようで、小さな鼻歌まで聞こえ始めた。


「今日はありがとう、ツェツィーリア」


「ううん、こっちこそ。ふふ、そっかぁ、ヴェルトも司令官さんになるんだね」


「……まぁね」


 フェリックスのそばを離れ、自ら部隊を指揮しなければならない立場は、正直言って不安だ。フェリックスのそばで、彼を護るために存在していたのに、突然立つべき場所が変わってしまった。

 こちらの気のない返事に振り返ったツェツィーリアは、大きな瞳でジッと見つめてきた。まるで心の中まで全て見透かしてきそうなその視線に、思わずジークハルトは視線を逸らしてしまう。


「怖い?」


「怖くはないよ」


「じゃあ、えーっと、不安?」


「そう、だね……そうかも」


 この気持ちを外に漏らしたことは一度もない。それを、ぽろっと溢してしまったのは、きっとツェツィーリアが相手だからだろう。


 街灯がまばらに灯る小道には、人影がない。地上車の走る大通りはもう少し先で、外だというのに二人きりの空間が妙に居心地が悪かった。

 その心を知ってか知らずか、ツェツィーリアの細い指がジークハルトの手に絡んだ。驚いて下を見ると、こてりと小首を傾げるツェツィーリアと目が合う。


「大丈夫だよ、きっと。ヴェルトは強いもん」


「………」


「ヴェルトのあの大切な人も、きっとヴェルトなら大丈夫って思って、司令官さんにしたんじゃないかな」


「そうだろうか」


「そうだよ。絶対そう」


 思いの外ハッキリと断言されてしまった。


「どうしてそう思うの?」


 一応理由でもあるのだろうか、と聞いてみると、ツェツィーリアはクスクス笑う。


「だってあの人、ひと一倍独占欲強そうだしヴェルトにべったりそうなのに、ヴェルトからあっさり離れたでしょ? だから、なんか自信でもあったのかなぁと思って」


 ツェツィーリアのフェリックス観に、思わず目を見開く。


 彼がフェリックスと話をしたのは、ジークハルトの知っている中では五回にも満たない。周囲からフェリックスについてあれこれと聞いているにしても、ハッキリと言い切られるとは。


 ジークハルトが黙ってしまっても、ツェツィーリアはクスクス笑う。


 弓形に歪んだツェツィーリアの瞳が、どうにも恐ろしい。


 どこまで、何を知っているのだろう。

 どこで、誰と繋がっているのだろう。


「……ツェツィーリア」


「なぁに?」


 もし仮に、ジークハルトとの逢瀬を誰かに見られるように、彼が仕組んでいたとしたら。

 あの噂の発端を、ツェツィーリア自身が作り出したとしたら。


 そこまで考えて、ジークハルトはかぶりを振った。


 ツェツィーリアが仕組んだという証拠も無いのに、彼を疑うのは公正とは言い難い。

 それに、ツェツィーリアがそんな事をしたとして、彼にいったい何の得があるのいうのか。


「……なんでもない」


「そう? 変なヴェルト」


 もう少しで、大通りに着く。


 大通りまであと少し、というところで、ジークハルトの手に絡んでいたツェツィーリアの指が離れた。

 それを無意識のうちに追いかけてしまって、慌てて手を引っ込める。


「ねぇ、ヴェルト。今日はもう、家に帰る?」


「え?」


「だって、俺との噂気にしてたし……もう会えないよっていう意味でしょ、今日の食事って」


 大通り。何台もの無人タクシーが通り過ぎる横で、ツェツィーリアが少し寂しそうに笑った。

 金貨も渡したのになぜそう解釈したのか分からず、言葉に詰まる。

 ただ、妙な誤解だけは解かないと。明日になったらこの帝都から消えていってしまいそうで、それだけはなんとか止めたかった。


「違うよ。違う」


「え? そうなの?」


「違うよ。今日の食事は、噂のことをツェツィーリアに伝えておこうと思ったから、落ち着いて話ができるようにと誘ったんだ。あの噂の発生源の人間たちが、今後ツェツィーリアに危害を加えないとも限らないから……」


「そんなに危ない人たちなの?」


「そうだよ」


 今後はますますツェツィーリアに近づく輩が増えるだろう。その時に暴力に訴える人間がいないとも限らない。ツェツィーリアが考えているよりも、ずっとずっと奴らは手段を選ばない。


 目の前に立つツェツィーリアの両手を取り、優しくその指先に口付けると、ツェツィーリアの目が丸く見開かれた。そのまま左手で彼の両手を優しく握り、そっと空いた右手で包み込むと、彼の動揺が直接ジークハルトへ伝わってくる。


「ツェツィーリア、もし仮に、今後あなたに手をあげる者がいたら、全部ぼくに教えてほしい」


「……どうして?」


「奴らの目的は、フェリックス様を失脚させること。ぼくらを軍や政治から切り離すこと。そのためには、手段を選ばないんだ。ぼくには出来ないことを、ツェツィーリアにはするかもしれない」


 社会的にも、腕力的にも、ツェツィーリアは軍人でもある彼らに劣る。たとえツェツィーリアが実は腕に自信があったとしても、ツェツィーリアに危害を与えにくるときは1人でのこのこ来る馬鹿はいない。


「それに、ツェツィーリアがそんな奴らのせいで暴力を振るわれるだなんて、ぼくには耐えられない。本当は、もうこの仕事も辞めてほしいくらいなんだ……あなたに危害が加わる可能性は、全て潰したい」


「……それは、ずっと前に言ってた、俺のこと好きっていうやつ?」


「そうだよ。それに、ぼくやフェリックス様が原因で、ぼくたちの周囲の親しい人が傷つけられるのは、もう見たくないんだ」


 従わない者を物理で解決させようとするなど、軍人の風上にもおけない。貴族であるなら、尚更だ。

 だが、この世界は腐ってしまった。


 まだ困惑した表情でこちらを見上げるツェツィーリアの、胸元にしまわれた金貨を服の上から右手で撫でた。硬い感触が指先に触れる。


「その金貨は、必ず大事に持っておくんだ。いいね」


「でも、これを見られたら、ますますヴェルトとあの人の悪口が増えちゃうと思うんだけど……」


 こんな話をされては、そう懸念するのも無理もないだろう。だが、ツェツィーリアが思っている以上に、この部隊章の彫られた金貨の効力は強い。


「悪口が増える程度なら、ぼくは全然大丈夫。フェリックス様も同じだ。その金貨は、ツェツィーリアの身元を保証してくれる。それだけで、向こうはツェツィーリアに手出しができないんだ」


 何も保証されているものが無い状態では、彼らは口を揃えて言うだろう。「どこかの乞食が勝手に死んだだけだ」と。


 それが、たった金貨一枚で変わるのだから、貴族の世界というのもおかしな世界だと思う。


 どこの誰がバックについているのか。それがたとえ、まだ将官に成り立ての青二才だとしても、彼らは身分と立場を勝手に推し測って、後退していく。

 ジークハルトの場合、ジークハルトを通してフェリックス、更にはその後ろにいる皇帝の姿を勝手に想像するのだ、彼らは。だからこそ、現時点では直接手を出さずに遠回しにネチネチと子供のような悪あがきしかしてこられない。


「もし暴力を振るわれそうになったり、無理矢理どこかに連れて行かれそうになったら、必ずその金貨を見せるんだ。いいね」


「……うん、わかった」


 こくりと小さく頷いたツェツィーリアに微笑んで、そばを通った無人タクシーを停めた。

 多少の気恥ずかしさはあったが、車に乗り込んでからぎゅうと腕に抱きついてきたツェツィーリアを、そのまま帰す選択肢は無かった。


 抱きつくツェツィーリアから、不安な色が覗いている。行き慣れたシティホテルへの住所をナビに打ち込んでから、ジークハルトもツェツィーリアを両腕で抱きしめた。セシルの手が服の腰のあたりを握ったのを感じる。


「ぼくのせいで、変なことに巻き込んでごめんね、ジルケ」


「……ううん、平気」


「ジルケ、愛してるよ」


「……そんなこと、言わないで」


 つれないことを言う。

 それでも不安そうにこちらを見上げるツェツィーリアに、キスをする。一度、二度と軽く口付けたあと、三度目は深く求めた。


 咄嗟に逃げたツェツィーリアの舌を絡め取り、呼吸ごと吸い上げる。溢れ出る吐息も、小さく啼く声も、何もかもを食べ尽くすように。


「ふ、……ん……っ、ぁ……まっ、て、まって、ヴェルト」


 くちゅくちゅ、と耳障りな水音の合間に、ツェツィーリアから強めの制止が入る。


「なぁに?」


「こんな、とこで……もうすぐホテルに着くよ?」


「うん、知ってる」


 唇同士をすり合わせながら、囁くように言うと、腕の中でツェツィーリアの身体が小さく跳ねる。腰に回っていた右手で柔らかな髪を撫で、彼の頭を固定してもう一度キスを仕掛けると、今度は強く胸を押された。だが、止められそうにない。


「ごめんね、ジルケ。でも、もう少し、触れさせて」


「う、ぁ……んっ、やぁ…っ」


 ツェツィーリアの着るシャツの裾から左手を入れて、その下の、きめ細やかな肌を撫でる。

 言葉で嫌がった割に、健気に舌を絡めてきたツェツィーリアが愛おしくて、左手で肌を撫でるたびに甘く啼く彼が可愛らしくて、やっぱり止められそうになかった。


 ナビから無機質な声が響くころに、ようやく唇を離すと、互いの唾液でテラテラと濡れ、ぽってりと赤く染まったツェツィーリアの唇が、やけに蠱惑的だった。


 瞳には涙が溜まり、頬はリンゴのように赤く染まっている。また貪ってしまいそうになる衝動を抑え込んで、冷静を装った。


「立てる?」


「……それ、あんたが言う?」


 冷ややかな返事だったが、ジークハルトが気まずそうに唸ると途端にクスクス笑いだした。シティホテルの明かりを見て、ツェツィーリアはさっさと乱れた服と髪を整えてしまう。


「平気。行こ、ヴェルト」


「……うん」


 ツェツィーリアを連れて、フロントカウンターへ向かう。その時、ジャケットの中に潜ませた小箱の存在を思い出した。


「(怒られるかな……)」


 それは、もう一つの、ツェツィーリアを護るためのものだ。

 きっと彼の助けになることは明白で、下手したら金貨よりも喜ばれる可能性はある。

 こんなにも、たった一人の男についてあれこれ考えるのはフェリックスだけだと思っていた。だが、自分はそうでもないらしい。


 ルームキーを受け取って、柱の影でぼんやりと待っていたツェツィーリアを手で呼ぶ。


 周囲に怪しい影はない。


 まさか逢瀬でこんなにも気を張る日が来ようとは、夢にも思わなかった。

 エレベーターに乗り込むと、ツェツィーリアがジークハルトの背中にぴたりとくっついてくる。


「怖い?」


「ううん、平気。今日はヴェルトが一緒だもん」


 そう言って笑ってくれたが、彼の瞳にはまだ色濃い不安が乗っている。

 ずっとそばにいて、守ってあげられないのがもどかしい。

 客室フロアへ到着するまでの間、優しく抱きしめてあげることしか、今のところできそうになかった。


 *****


「んっ、あ、あぁっ……!」


 部屋のベッドの上で、くまなくツェツィーリアを愛撫する。

 理性が焼き切れそうだ。


 ツェツィーリアの肉棒に優しく舌を這わせると、ツェツィーリアの腰は面白いほどに跳ねる。

 いつも「やらなくていい」と断られているが、今日はどうしてもしてあげたかった。


 自分よりも小さいそれ。じゅるじゅるといやらしい音を立てて吸い上げると、頭上からの声が詰まる。

 ツェツィーリアの太ももが秘部を隠すように閉じられたが、太ももを撫でるとビクリと離れていった。


「だめ、出ちゃう、でちゃ……アッ……っあ、あぁあっ!」


 止める間もなく。

 ジークハルトの口内に、どろりとした白濁が吐き出された。あまり美味しいものではないが、これがツェツィーリアの出したものだと思うと飲み込めてしまうのだから不思議だ。


 身体を起こして、ツェツィーリアの目を見ながら、こくり、と喉を鳴らして飲み干すと、信じられないものを見る目で睨まれた。


「へんたい……」


「それはちょっと心外だな」


「もう、あとは全部俺がやるから、ヴェルトは寝てて……」


「ううん、今日はぼくに全部やらせて」


 あんなに不安そうな顔をしたツェツィーリアには、少しでも考えを霧散させてあげたい。そんな顔をさせてしまったのは自分のせいだし、謝罪みたいなものだ。ツェツィーリアに言わせれば、こんなことは謝罪でもなんでもないだろうが。


「ヴェルトは、お客さんだから、そんなことしちゃ駄目」


「じゃあ、客からの要望ってことで」


 我ながらずるいと思う。

 ジークハルトの意地悪に、もう何も言えなくなってしまったらしいツェツィーリアは、どこか悔しそうに歯噛みしていた。


「入れるよ」


「うぅ……」


 いつもは自分でちゃっちゃとやってしまう後孔の解しも、やらせてもらった。

 他人にやらせるのはやはり気が引けるのか、普段は見せない恥ずかしそうな顔を腕で隠してしまった。可愛らしい。


「ぅ、ぁ、あっ、ん……!」


 ローションをまとった指をそっと穴の縁に這わせる。

 既に中の洗浄を済ませているそこは、ゆるりとジークハルトの指を受け入れるように緩んだ。中にローションも仕込んでいたようで、意外とすんなりと指一本が中に侵入できた。


 そっと腹側の内膜を押しながら、上へ上へと上っていく。

 そのうち、ぽこりとしたしこり部分に触れた。見つけたとばかりに押すと、ツェツィーリアから静止が入る。止めないが。


「やめ、そこ、あっ、あぁ゛あ!」


「ここだよね」


「そこ、やめ、ひぃっ! っ、あっ、ぅ、あ゛ぁああ゛……!」


 指でゆっくりと押し込んだり、指をもう一本入れて揉むように動かしたり。ツェツィーリアの甘い声を聴きながら好き放題に動かしていた時、指をぎゅうと締め付けられたかと思えばツェツィーリアの腹に白濁が散った。


「は、あ、あ……うぅ……」


「ちゃんとイけて偉いね」


「えらく、ない……」


 汗でぐちゃぐちゃになってしまったツェツィーリアの前髪を払ってやると、睨まれた。

 可愛い、という感情しか出てこないのだから、自分も大概だなと思う。


「ね、ヴェルト、いれて……?」


「うん。もう少し」


「え、ちょ、まっ……っん!」


 彼の痴態を見て、興奮が収まらない。ズボンの中でギチギチに高ぶった肉棒を早く押し込みたい。ツェツィーリアの太ももに熱が当たったようで、「ひぃっ」と怯えられてしまった。


「ヴェルト、こっち、見ないで」


「え? どうして?」


「目、こわい……」


 怖いとは、と顔を上げるとちょうどガラス窓の反射に自分の顔が映った。

 それはもう、酷い顔だった。

 ギラギラと、肉食獣のような眼光。吹き出た汗で貼りつく髪。飢えた獣のようだ。

 その顔は改めないまま、顔を戻して空いた手でツェツィーリアの頭を支えると、貪るようにツェツィーリアにキスをした。


「んあ、ァッ……んんっ!」


「ふ、は……」


 口の中が甘く感じる。

 ツェツィーリアの舌を唇で食み、今度は互いの舌をツェツィーリアの小さな口内に押し込んで絡めあう。

 そうしている間も後穴に入れた指をゆっくりと動かした。


「ん、ふぁ……ア、んむッ」


 飲み込みきれなかった様子の唾液が、ツェツィーリアの口から漏れた。

 先を望むようにツェツィーリアの腰が揺れているのを感じて、まだとろとろと白濁を吐き出している彼の肉棒に空いた手をかけた。

 ゆっくりと亀頭を撫でてあげると、それに応えるように先走りがドクドク零れ落ちてきた。


 滑りがよくなったのを良いことに、ニチニチと音を立てながら亀頭を刺激してあげる。たまに鈴口にも刺激を与えると、ツェツィーリアの腰の跳ねが強くなってきた。呼吸が苦しいだろうと口を離すと、ツェツィーリアの可愛らしい嬌声が部屋中に響いた。


「んむ、ぁっ、ああっ! う、んぐ、あ……っ! まって、まっ、イく、イッちゃ……!」


「うん、そのまま」


「中、だめ、いっしょはやだ、やだ……やっ! ……ああア!」


 暑い。熱い。あつい。

 まだ中に挿入していないのに、溶けてしまいそうだ。


 頭がくらくらする。


 自分には何も刺激がないというのに、気持ちいいと思ってしまった。


「ひ、いっ、やめ、あっ、あ、ああ゛あぁあっ!」


 びゅるびゅるとまたツェツィーリアの腹が汚れた。

 そうなってようやく後孔から指を離す。

 全身を真っ赤に染めながらぜぇぜぇ息をしているツェツィーリアを見下ろしながら、ジークハルトはズボンからパンパンに腫れあがった肉棒を取り出した。


「まって、まって……ちょっと、休憩させて……」


「ん? うん」


「ねぇ、聞いてないでしょ。ほんとに、ふ、ぅうっ……っ」


 どうしても、自分勝手に動いてしまう。

 申し訳ないとは思うのだが、ツェツィーリアに触れていると、もっともっとと欲してしまうのだ。


 ツェツィーリアの静止もむなしく、ジークハルトはゆっくりと肉棒を孔へと沈めた。

 柔らかくも、適度な力で締め付けてくる。


 かわいい、ほんとうに。


 とん、と奥の壁まで入れ終わってからようやくツェツィーリアを見ると、汗と涙でぐしゃぐしゃになった彼がいる。

 そんな顔を見せたくないようで、目が合うとさっと枕に顔を埋めてしまった。


 かわいい。


「ジルケ、動くよ」


「んむ、んんっ」


 さすがに今日は結腸を犯すのはやめておこう。

 そう考えた数分後、奥まで入れていいかと聞くジークハルトがいた。


 *****


「ええ?! いや、貰えないよ、こんな高価なもん!」


「いいんだ。貰って欲しい」


 コトを終えて、いつも通りシャワーなどをひと通り済ませたあと、ツェツィーリアに小箱を渡した。


 小箱の中には非常に高価な腕時計が入っており、室内のまろい明かりに照らされている。ツェツィーリアの細腕には少し大きすぎるかとも購入前は思ったが、改めて彼の手首と時計を見比べて問題なさそうだと頷く。


「待てよ、ほんとに。こんなの貰えないって。それに、もう十分すぎるぐらい金も貰ってるし、金貨だってさっき貰っちゃったし!」


「もしいらないのなら、売ってくれて構わない」


「……」


 調べたところ、この時計は質に入れたらそこそこ纏まった金になるという。だから、と押し付けるようにツェツィーリアの手に小箱を握らせる。


「ツェツィーリア。ぼくは、あなたに生きていてほしいんだ」


 手の中に収まる彼の手は小さく、貰ったものの大きさに震えている。

 困惑したまま固まっているツェツィーリアのこめかみにキスを落として、しっかりと握り込ませる。


「貰ってくれないか」


「……そんな顔されたら、もう断れないだろ。バカ」


 目元が潤んでいるのは、先程の行為のせいではないだろう。 

 バスローブに包まれた細い身体を強く引き寄せて、額や頬にもキスを降らせた。


「なんで、こんな俺のことを好きなのか、ほんと分かんない」


「どうして?」


「だって、……だって、おれ、ほんとに、あんたに何も返せないのに……こんな職業だし、生まれも良くないし……信じてもらえる要素もゼロなのに」


「そんなの、気にしないで。……って言っても、難しいか」


「……ん」


 こればかりは、生まれてからの環境に左右されてしまう。こちらがどんなに気にするなと言っても、小さい頃から刷り込まれた価値観はそう簡単に覆らない。

 それは、ゆっくりと解していけばいい。

 時間が有限とはいえ、その僅かな時間をできるかぎりツェツィーリアに割いてあげたかった。

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