第14話 恋の前にある面倒ごと 3


*****


 ケビンの情報は正確だった。


 翌日、ゲーラス公爵領にジークハルトが小隊を率いて向かったところ、既に犠牲者候補とされたレオン・ラインクラウゼ中将は彼の上官イズン大将の部下に連れ去られた後だった。


 これはまずい。


「すぐに近辺の聞き取りと捜査を。私は、……ん?」


 指揮を執ろうとしたところで、携帯端末が鳴る。こんな非常事態に何事だ。フェリックスからの連絡にしてはおかしい。端末を見ると、見知らぬ番号からメッセージが入っていた。


『北の倉庫街 六番 K』


 メッセージにあったのは、たったそれだけだった。


 K。

 おそらく、ケビンだ。


「北に倉庫街があるはずです。A班はそこに向かってください」


 今は迷っている暇はない。


 すぐに数人をそちらに回して、ジークハルトもそれに着いていくことにした。B班からの連絡を随時受け取りながら移動する。

 街に聞き込みをしていた者からの報告によれば、今朝早く大きな車がレオン・ラインクラウゼ中将を連れて行ったと言う。向かった先も北方向だとの情報を得る。ケビンの連絡通りだった。メッセージにあった倉庫街の六番倉庫の近くに身を隠すと、聞き込みにあった大型のバンが倉庫の前に止まっている。


 あそこに間違いない。


「ワーグナー大佐。いかがいたしますか」


 A班班長が声を潜めて指示を仰ぐ。倉庫前にはほとんど見張りがおらず、チンピラのような風貌の男たちが数人たむろしている程度だった。


 舐められたものだ。


「B班の到着を待つのも惜しいです。すぐに展開しましょう。ラインクラウゼ中将の身の安全を最優先に、中に突入しましょう」


 チンピラが中に連絡するよりも早く。そう注文をすると、班長はニカリと笑って、ハンドサインを出した。サッと、蜘蛛の子を散らすように、班員が低姿勢のまま倉庫の出入り口の制圧に向かう。


 そんなタイミングで、また携帯端末が震えた。


『早く』


『早くして』


 こちらにだってやり方があるというのに、ケビンは急かしてくる。返信できないのがもどかしかった。


「行きましょう。時間がありません」


「はっ」


 こうして急かすジークハルトを、他の人間はどう思っているだろうか。何も策無しに突撃させる能無しだと思っているかもしれない。

 嫌な考えが頭をよぎったものの、無理矢理振り払ってジークハルトは走った。



 まるで夢のようだったな、とレオン・ラインクラウゼ中将は感じた。

 上司に歯向かうだなんて本来あってはならないことだが、レオンは耐えられなかった。


 元帥府に報告していない死体が増えた。

 死体にならずとも、酷い扱いを受ける下士官が増えた。

 敵国の兵士を一人屠るならまだしも、味方同士で数を減らし合うなど、考えられなかった。


 だから反抗した。

 直談判と、少しの嫌味を添えた。

 軍人として、一人の人間として、耐えられなかった。


「(それが、このざまか……)」


 妙なことに、上司はすぐさまレオンを殺しはしなかった。

 さすがに上級将官を殺すのは世間体を気にしたのか、レオンは酷い扱いを受ける方に回された。


 やたらと広い倉庫の奥に連れてこられて、何度かリンチにあって何時間経っただろうか。

 窓から見える景色は既に夕方。

 口の中はとうの昔に切れていて、血の味しかしない。


 床に倒れているレオンを、上司の、更に上の人間から回されてきたチンピラがニタニタ笑いながら見下ろしている。


「(くそっ、こいつら……)」


 この後絶対ボコボコにしてやるからな、と気を引き締める。そろそろ何か対策しないと、と考えている時、床についていた耳が何かを聞き取った。

 

 足音を慎重に控えているものの、聞き慣れた軍靴の音。まさか、そんなはずはない。自分たちの情報はほとんど統制されていて、死体は一つ、その他は問題なしと報告されているはずだ。誰もここの脅威を感知できるはずがなかった。

 どこからここが漏れたのか、とぐるぐる悩んでいる間に、足音が近づいてくる。


「あ?」


「なんだぁ?」


 さすがにチンピラたちも気づいたらしい。

 出入口の方へ意識をそらした途端、彼らの真後ろから銃が突き付けられた。


「動くな」


 あぁ、これは夢だ、と思った。

 死にかけの己が見せる幻影だと思った。


 出入口からも兵がなだれ込んできて、あっという間に倉庫内は制圧されてしまった。

 誰がこんなことを、と寄ってきた兵士たちに介抱されながら出入口の方を見ると、一人の若い男が入ってきた。


 ワインを溶かしたような赤毛に、長身、軍人らしい鍛えられた身体。軍服から察するに、階級は大佐だろう。見たことのない軍人だ。こちらをまっすぐ見つめる金色の瞳は優し気で、レオンの姿を見ると眉間にしわが寄った。自分はよっぽど酷い恰好をしているようだ。


「すぐにラインクラウゼ中将を病院へ連れて行ってください」


「はっ」


 こちらを抱えようとした下士官を制して、レオンは気合を入れて自力で立ち上がった。これはもう、意地だ。部下たちにみっともない姿は見せられない。息を整えて大柄な軍人の前に歩み寄ると、彼もとても驚いたようで目を丸くしている。


「ありがとう。助かった。貴官の名前は?」


「ジークハルト・ワーグナー大佐です、ラインクラウゼ中将。初めまして」


「ワーグナー大佐?」


 少し聞いたことがある名前だ。

 確か、今をときめくフェリックス・フォン・ビューロウ大将の腰巾着だったか。その割には黒髪の美丈夫が見当たらないが、今日は彼ひとりでここの制圧を任されたらしい。


 自分もそこそこ身長は高いと思っていたが、この赤毛の軍人は更に大きい。一本の定規でも入っているかのように、ピンとまっすぐに立った背中が良い。


「ラインクラウゼ中将、すぐに手当てを。この後のことはお任せください」


「あぁ。頼んだ」


 さて、戦場でも前線に出ることがないと聞く彼に、この場をどうにかできるのだろうか。少し心配だったが、目がかすんできた。もう早く横になりたい。


 下士官が駆け寄ってきたので、彼らに身体を預けることにして、レオンは倉庫から離れた。



 初めて出会ったレオン・ラインクラウゼ中将は、こんな状況にあるにも関わらず気丈に振舞ってきて驚いた。

 何度もリンチを受けていたとの報告を受けて、ますます驚いてしまう。あんなにもボロボロの姿で、どうしてああも振舞えるのか、一度じっくりと聞いてみたいものだ。


 倉庫の中は、やっぱりチンピラ程度しかおらず、それらしい証拠もない。

 レオンをここに連れてきたのは、やはり彼の上官なのだろうか。それにしては用意周到な気もするし、このようなチンピラたちを使うとも思えない。


 さて、どうしたものか。


 このまま倉庫の中にいても埒が明かない。場を離れようとしたところで、また携帯端末が鳴った。


『外にいる』


 それだけだ。

 驚いて少し駆け足で倉庫を出たが、周囲にそれらしい姿がない。


 はて、どこにいるのだろう。


 また携帯端末が鳴った。


『左』


 メッセージに従って、左を向く。


『小さいコンテナの上』


 倉庫出入口の左側には、いくつか箱が積み上がっていた。兵士たちに気取られないように、そっとそちらに移動すると、箱の上に何か紙が置いてあった。

 見たことのない字だ。


『彼らのバックに、侯爵がいる。気を付けて』


 その文字を追ってすぐ、ジークハルトはその紙を懐にしまった。その場で燃やしてしまってもよかったのだが、兵たちの目がある。不用意な騒ぎは避けたかった。


 侯爵。つまり、エリーニュス侯爵のことだろう。

 この二人の確執はあまりにも根深い。


 フェリックスにその場で報告を行うと、彼は少し考えるような素振りをした後、こう言ってきた。


「このまま、ゲーラス公爵領の統治はお前に任せる。今の小隊ではやりにくいだろう。もう少しそちらに送る」


「はっ」


「暴動を鎮静化したのち、帰還せよ」


 ここからは、ジークハルトの十八番であった。


 フェリックスの影に隠れていたものの、彼の大胆な指揮にはジークハルトの縁の下の力持ち的な動きが必要不可欠だった。

 周囲の人間との交渉、誘導、そして鎮静はジークハルトの得意分野としてフェリックスは認識している。

 人当たりの良い笑みと、まっすぐに前を見据える瞳は、数多の人間を虜にした。それを利用して、フェリックスのためにジークハルトは影に日向に貢献し続けたのである。


 携帯端末を見ると、もうメッセージは届いていない。


 ひとつ深呼吸をして、気合いを入れた。


*****


 交渉事というのは、意外とあっけなく終わる場合もある。

 ゲーラス公爵領に住む領民に話を聞いてみると、彼らが反旗を翻そうとしていたのは、自分たちの生活が脅かされるのではという強迫観念から起きていた。

 そのようなことは絶対にしない、とフェリックスの名前と共に約束をすると、彼らは驚くほどすんなりと振り上げた拳を収めた。


 次に、ここの統治のために派遣されていた元の部隊に掛け合うと、既にイズン大将は死んでいた。

 なぜここまで彼が追い詰められていたのか、理由を知る者はいない、という状況だったが、そういう時にまた携帯端末が鳴るのだった。


『部屋の引き出し』


 それだけ届いたメッセージに従って、イズン大将が寝泊まりしていた部屋のデスクの引き出しを開ける。

 そこには大量の子供の写真と、そして何やら落書きのされた銃弾が入っていた。


 この写真は、おそらくイズン大将の子供だ。可愛らしいお嬢さんが、満面の笑みで写っている。しかも、いろいろな角度から撮られて。

 盗撮されていると、彼も気づいたのだろう。

 添えられた銃弾から、何が待っているのか読み取ったのだろう。


 可哀そうに、と思うと同時に、こんなことをした人間に怒りが湧く。


『娘は死んだ』


 届いた短いメッセージに、携帯端末がミシリと嫌な音を立てた。


 こんなことがあってはならない。


「(フェリックス様……)」


 このようなことは、一刻も早くやめさせなければならない。


 フェリックスの野望の一つは、このような暴虐を繰り返す貴族たちの討伐も含まれている。私腹を肥やし、平民にそれを還元しない不届き者たちだ。自分たちより下の者たちを、人間とも思っていない非情な奴ら。


 ジークハルトの行動は早かった。

 すぐさま軍の再配備を行い、領民たちが安心して暮らせるように気を配っていく。

 まだ上級将官ですらない若造に、だが皆レオンを寸でのところで救出したことを聞いたようで、ブツブツ言いながらもジークハルトの指示に従ってくれた。怪我の療養も終わっていないのにレオンがすぐさま現場に戻ってきたのも大きい。


「俺の救世主」


 そうやって、レオンが兵士たちの前で大げさに喜んでみせるものだから、感謝こそすれ邪険になんてできない状況に持って行ってくれた。


 ジークハルトがゲーラス公爵領の統治を任されてから、一週間。あっという間にイズン大将の後処理も済ませて、領地の暴動を鎮静させた。

 驚くべきスピードで解決に導いた功績が認められ、ジークハルトは大佐から准将へと昇進することが決まった。


*****


 公爵領から戻ってきてすぐ、ツェツィーリアを探した。

 太陽の橋にいたツェツィーリアは、こちらを見ると嬉しそうに駆け寄ってくる。飛びつかんばかりの勢いだったが、慌てて急ブレーキをかける姿がとても可愛らしい。


「おかえり、ヴェルト」


「ただいま」


「今回は早かったね」


「ケビンのおかげだよ」


 今回は、影からの援護が大きかった。彼の功績でもあるのに、それを伏せたまま自分が昇進するのはなんだか気が引けたが、ツェツィーリアが「気にしないで」と言う。


「あいつから、伝言。あなたの未来に光を灯せたことを嬉しく思います、だって」


「そうか……」


 不思議な男だ。帝国人ではないことを隠して生きているのだから仕方ないのだろうが、本当なら彼にも外へ出てきてほしいくらいだ。それと、言葉のチョイスがとても好ましい。


「ねぇ、ヴェルト」


「ん?」


「今日は俺買ってくれる?」


「もちろん」


「やった! よかった」


 手を引かれて、ツェツィーリアに連れられるまま歩く。

 あぁ、可愛いなぁ。やはりツェツィーリアが好きだな、なんて考えていると、ツェツィーリアがこちらを振り返った。


 可愛い、可愛い、好きと思っていたものの、だが、


「今日もいっぱい気持ちよくなろうね」


 その言い方だけはどうにか止めさせたい。

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