第13話 恋の前にある面倒ごと 2

*****


 ダニエルが別の部屋から持ってきた椅子に座りながら、ジークハルトはケビンを観察した。

 シャツとカーディガン越しに見えるのは細い身体だが、限りなく無駄のない肉付きで、相当鍛えているのは分かる。黒い髪は帝国人にもいるが、目が大きく、少し低い鼻と彫りの浅いサッパリとした顔つきは帝国人には無い特徴だった。


 人となりを聞くのはNG。そうは言われても、気になって仕方がない。が、ジークハルトは努めて口を閉じた。


「それで、ダニー。こんな朝早くから何か用?」


「それよりもさ、上で何かあったの? 酷い有様だったけど」


 ダニエルの問いは、あの惨状のことを指しているのだろう。主語はないが、おおよそ理解したケビンは、備え付けのミニキッチンでコーヒーを淹れながら、ああ、とつぶやく。


「別に、いつものやつだよ。昨日、ついた客が最低だったってキレ散らかしながらシスが帰ってきて、ついさっきまでG.G.と飲んでたんだ」


 うるさいったらありゃしない、と本当に嫌そうにケビンは言う。ダニエルがよく言う「クソデカ溜め息」付きだ。


「最低って?」


「ど下手くそだわ薬を盛るわで、最低のしめじ野郎だって言ってたよ」


「え? 薬?」


 思わずジークハルトが反応してしまったが、ダニエルから静止が入る。ケビンの機嫌を損ねるな、ということだろうか。

 ただ、ケビンの方はダニエルの問いに機嫌を損ねた風は無く、コーヒーの入ったマグカップを全員に配って、本人はベッドの上に座った。


「最近よくこの辺りに出回っているんですよ。麻薬の類ではなく、筋肉を弛緩させるものです。逃げられなくして、無体を強いる。まぁ、飲んだのがあの人だったせいで、その計画は無駄になったようですけど」


 コーヒーを飲みながら、ケビンは淡々と告げた。あまり感情に起伏が無く、商人の国ヴィーザルや敵国デリングの人間は皆こんなのばかりなのだろうか、と感じた。


 ケビンに続いてダニエルがマグカップに口をつけたのを見てから、ジークハルトもコーヒーを一口。疑いたくは無かったが、こんな場所で、帝国人でもない人間相手では、身構えても仕方ないだろう。それをジッと見ていたケビンが苦笑した。


「何も入れていませんよ」


「申し訳ありません」


「いいえ。こんな場所に連れてこられたら、そんな考えにもなります」


 それで、とケビンが小さく続ける。


「お客さん、ということですが、どういう意味ですか?」


「お前が情報屋だって話をした」


「ダニー……」


「ごめんって! ちょっと今いざこざが立て込んでてさ! 進捗が良くなくて」


「そうだったとしてもさ……」


 ケビンの苦言はもっともである。

 いわゆる、影に生きる人間が、太陽の下に引きずり出されたようなものだ。ダニエルの誘いに乗ってしまって本当に申し訳なかったな、と心の中で反省する。


「ちなみに、調べるとは、どれのことですか? ダニーが関わってるとなると、数は少ないですけど」


「どれ、とは?」


 警戒しながらジークハルトが口を開くと、ケビンはベッドサイドにカップを置いて、備え付けのデスクからノートパソコンを持ってきた。慣れた様子で操作をしたあと、まっすぐにジークハルトを見つめてきた。


「つい最近、軍の不祥事が相次いでいましたね。公爵の自殺、それに伴う反抗、若い将校の無残な死」


「……」


「事件のあらましまではすぐ調べれば分かります。特に、なら。それなのに、僕のところに来た。だから、何が知りたいのかと思って」


 ケビンの言葉から、こちらの素性は筒抜けであることがよく理解った。「公爵の自殺に関しては、上司の方と一緒に現場にいらっしゃいましたもんね」と重ねられて、頷くしかできなかった。


「それで、僕は何を調べれば良いでしょうか」


「……真相を」


 欲しいのは、真実だった。


「首謀者と、理由を、教えてほしい」


 フェリックスの心がざわつかないよう、面倒ごとは取り除きたかった。


*****


 ケビンから、調べるには数日欲しいとの回答をもらい、ダニエルとジークハルトは場を後にすることにした。ここにいても、彼の仕事の邪魔になることはあっても、助けになることはない。


 螺旋階段を上ると、先ほどまで空気が澱んでいた一階は、ある程度整えられていた。どこかに窓があるようで、ぬるい風がどこからか吹き込んできている。


「よぉ、話は終わったか?」


 ソファに座って新聞を呼んでいたG.G.が、のそりとこちらを見上げてきた。ツェツィーリアの寝かしつけは終わったらしい。


「とりあえず、依頼は終わった。邪魔しないであげてよ、G.G.」


「お前にだけは言われたくないがな、ダニー。さっさと帰れ。開店準備の邪魔だ」


「はいはい、分かったよ、G.G.。行こう、ワーグナー」


「はい」


 G.G.に会釈してから外に出る。路地は相変わらずの臭さで、鼻が曲がりそうだ。ツェツィーリアはこんなところに毎日帰ってきているのか。どうにか助けてやりたいが、どうしたら首を縦に振ってくれるだろうか。分からない。


「ヴェルト!」


 そんな時、頭上から愛しい声が聞こえてきた。ガバリと振り仰いで見ると、窓からツェツィーリアが身体を半分出して手を振っていた。


「ツェツィーリア」


「もう帰っちゃうの?」


「うん、そのつもり」


 フェリックスへも途中報告をしなければいけない。他の業務も残っているし、今日は残業だろうなと算段をつけていた。

 ジークハルトの返事に、ツェツィーリアは少し頬を膨らませたあと、窓枠に肘を置いて頭をよりかからせた。


「今夜、待ってるね」


 どこで何が、なんて野暮な問いである。わかった、と言えば、ツェツィーリアは途端に嬉しそうな満面の笑みに変わって、「絶対だよ!」と言い残して部屋に戻っていた。


「はーあ、お熱いことで」


「そんなんじゃないですよ」


 そう、彼にとってこれは営業をかけてきただけであって、ジークハルトとはまったく異なる感情だ。それでも、彼から誘われたことは事実であり、顔がにやけてしまいそうで困った。


 ジークハルトの気のない返事に、ダニエルは「どーだかな」と言って、つまらなさそうに前を歩く。途中でタクシーを拾おうと提案して、足早にその場を去った。


*****


「いいの? あれ」


 同じベッドで寝ていたクインが、営業スマイルを消したセシルに声をかけてくる。彼の横に寝転がりながら、セシルは大きく伸びをした。


「ケビンの存在を教えちゃってさ。ここがどんな場所かバレたらどうするのさ」


「大丈夫だろ。そのあたりはダニーがどうにかするって」


「なんも考えてなさそうだけどね、あの子」


 くあ、と大きくあくびをしたクインが、ころりと寝返りを打って背中を向けてくる。


「ともかく、仕事だ。気張れよ、クイン」


「はいはい。まったく。敵国から依頼受けて遂行しました、なんて本国に知られたら、怒られるだけじゃ済まないでしょうに」


「言わなきゃいいだけだ」


「そうだけどさぁ。はーあ、おれだって予定あったのに、今日」


「どうせフラれに行くだけだろ。こっちに集中した方が百万倍マシだ」


「フラれに行くなんて言わないで! おれは本気だもん!」


「はいはい。おやすみ、クイン」


「……おやすみ、セシル」


 本国に怒られるだなんて、そんな可愛いもので済むはずがない。

 そもそも、帝国人の血を半分引いているクインや、顔面の良さで全てをねじ伏せてきたセシルと違って、ケビンは正真正銘共和国人なのである。知られていいはずがなかった。


 だが、ジークハルトにケビンを紹介してもいいと言ったのはセシル自身だった。


「(あいつにそんな度胸は無ぇよ)」


 『ツェツィーリア』に恋をするジークハルトが、みすみす『ツェツィーリア』に害が及ぶようなことをするとは思えない。


 ジルケ、と呼ぶジークハルトの笑顔が脳裏をよぎる。


 あれは、自分ではない。自分とは別の、『ツェツィーリア』のことだ。


「(馬鹿馬鹿しい)」


 自分は、セシル。セシル・アイゼンハワー。デリング共和国の人間で、ツェツィーリアとは別の人間だ。


 それでも、心の奥底で黒い澱みが巻き上がったのを、セシルは強い精神力でねじ伏せながら目を閉じたのだった。


*****


ケビンと別れてすぐ、ジークハルトとダニエルは元帥府に戻りフェリックスに現状の報告を行った。


「ほう、本当に情報屋がいたとはな」


「猶予はいかがいたしますか」


「できるだけ早い方がいい。そうだな……今夜だ」


「はっ」


「今夜、すぐに情報を持ってこいと伝えろ。それ以上は待てない」


 フェリックスの無茶ぶりに苦言を呈そうとしたダニエルを制して、ジークハルトは敬礼を持って承った。

 ぼやぼやしている暇はない。事態は一刻を争うのだ。これから第二第三の犠牲者が出てしまっては、帝国軍の面目は丸つぶれだ。


「ベッケンバウアー少佐。すぐに連絡をお願いします」


「……かしこまりました」


 ジークハルトの指示にダニエルは渋々といった風に敬礼をして、執務室から出ていく。その姿を見送っていると、フェリックスがくつくつ笑った。


「その顔、何かあったな?」


「いえ、特別そういうわけでは……」


 ケビンの人となりなんて絶対言えないし、そのケビンがいた場所がツェツィーリアの店だっただなんてもっと言えない。


 それでも、相手は長年連れ添ってきたフェリックスである。

 「ふーん」と何か勘づいているような顔をして呟いて、仕事に戻る。ジークハルトにも仕事を言い渡してきたので、ダニエルから連絡が来るまで仕事に没頭することにした。


 夕方になって、ジークハルトの元にダニエルがやってきた。事務仕事に勤しんでいたジークハルトのデスクにカツカツやってくると、小さく折り畳まれた紙を渡してくる。


「? これは?」


「待ち合わせ場所です」


 それだけ言って、ダニエルはどこかへ行ってしまった。

 ポカンとそれを見送ってしまってから、慌てて紙を開く。ダニエルの見慣れた字で時間と場所が書かれていた。時計を見ると、待ち合わせ時間まであと十五分ほど。元帥府の近くとはいえ、すぐに出ないと間に合わない。

 ジークハルトは慌てて立ち上がった。


 メモにある名前は、元帥府近くにあるバルだった。値段もお手頃で、若い将校たちには人気の飲み屋で、ジークハルトも初めて酒を飲んだのはこのバルのビールだった。


 安い木戸を開けると、カランとドアベルが鳴る。

 昔からいるマスターがジークハルトを見て察したのか、バルの奥を親指で指して「奥だ」と言った。軽く礼を言って奥に行くと、そこはカーテンが引かれたソファ席で、半個室のようになっていた。カーテンの向こうに誰かがいる。

 ケビンだろうか、とカーテンを引くと、そこに座っていたのはツェツィーリアだった。ウィスキーをチビチビ飲んでいて、こちらの顔を見た途端パアッと顔に大輪が咲いた。


「ヴェルト、いらっしゃい」


「ツェツィーリア……どうして、ここに?」


「ケビンは仕事」


 あっさりとした理由だったものの、ろくに外出もできないであろうから仕方がない。ツェツィーリアに真横に座るよう手招きされ、注文を聞きにきたスタッフに勝手に「ウィスキー、ロックで」と注文してしまう。


「会えてよかった。来てくれないかと思った」


「そんなことないよ」


 ジークハルトの返事にツェツィーリアは嬉しそうに笑う。こてりとジークハルトの肩に頭を寄せたツェツィーリアは、注文したグラスが来てすぐ鞄から紙の束を取り出した。


「ケビンから、ヴェルトに渡してって」


「ありがとう」


「中、合ってるかどうか確認して。今ここで」


 立ち上がる気力を削ぐようにジークハルトの肩にもたれているというのに、ツェツィーリアの口調はやたらと強気だった。大丈夫だよ、と安心させるように彼の髪を指ですいたが、態度は変わらない。

 ツェツィーリアの言いつけ通り、書類に目を通す。


 書類には、事細かに数名の容疑者の情報が記載されていた。

 容疑者の顔を左右正面から撮った画像がいくつもあって、たった数時間でここまでやったのかと感心してしまった。


「ねぇ、ヴェルト」


「……ん? なぁに?」


「これ、なんて書いてあるの?」


 ツェツィーリアは、字が読めない。初めて知ったのは、ホテルのローテーブルにあったマッチをしげしげと眺めていた彼に問うた時だったが、その時もこうして甘えながら聞いてきたなと思い出す。


「名前と、その人が今までどうやって生きてきたのかが書いてあるんだよ」


「へぇ。そうなんだ」


 自分から聞いてきた割に、気のない返事だ。


 字が読めない彼からしたら、これらはただの模様であり、記号であり、見ていてつまらないのだろう。そのうち字の読みぐらいは教えた方がいいのだろうか、と頭の隅で考えた。

 ふと、ジークハルトの腕に絡んでいたツェツィーリアの手が抜けて、一枚の画像を指さした。


「この人」


「ん?」


「この人、お客さんで来たことある」


 ツェツィーリアが指さした先は、茶髪で少し太り気味の男だった。顔がやたらと丸い。イズン大将、と名前が記載されている。

 画像の下に書かれた経歴には、元はエリーニュス侯爵の部下だったが、後にひょんなことからゲーラス公爵の下で働くことになったとあった。


 働く先を変えた時期は、既にエリーニュス侯爵とゲーラス公爵の仲に亀裂が入ったあとで、そんな時期に、ある意味敵地へ転職をするだなんて変な人間だな、というのが第一印象だった。


「ジルケ。この人、どんな人?」


「変な人。俺を買って、女の子も買って、二人でしてるところを見せてとか言ってた。あと、自分は慈善活動者で、今は可哀想なおじいさんを支援しているって言っていたかな」


 前半はともかく、後半も妙な発言だった。

 慈善活動者。彼の仕事内容は軍から派遣された警ら隊の一人とあり、ツェツィーリアの言葉と一致しない。


 この人物の行動は一度軍で洗い直した方がいいだろう。おそらく彼は、エリーニュス侯爵から送り込まれたスパイだろう。それに類する人物であることは間違いない。さてどうするか、と思考の海に沈んでいると、横からツェツィーリアが「ねぇ」と声をかけてくる。


「どうしたの?」


「早くしないと危ないって、ケビンが言ってたよ」


「え?」


「この人」


 そう言って、紙を何枚か勝手にめくり、一人の若い男を指さした。レオン・ラインクラウゼ中将とあり、今はゲーラス公爵の領地統治のために派遣されている将官の一人らしい。彼らの上官が、精神が参ってしまったという大将だ。

 緑がかった黒髪で、ジークハルトよりは小柄。若いころから武勲を上げ続け、かつては最年少上級将官として名を馳せていたようだ。その最年少記録はフェリックスによって塗り替えられたものの、彼はそれを我がことのように喜んだというエピソードまで書かれていた。


「この人が、どうかしたの?」


「次の犠牲者」


「え?」


 驚いてツェツィーリアを見たが、彼は言いたいことだけ言って立ち上がるところだった。


「犠牲者になるかも、ってケビンが言ってた。だから、助けてあげて」


「待って、ツェツィーリア、それはどういう……」


「じゃあ、またね、ヴェルト」


 そう言って、止めようとしたジークハルトの手をすり抜けてツェツィーリアは店を出て行ってしまう。今日のツェツィーリアはどこか雰囲気がおかしかった。今夜、と言っていたが、勝手にお使い役に回されてしまったのもあるのだろうが。

ともかく、情報は来た。正誤はともかく、だ。

 グラスの中身を空にして、ジークハルトはすぐにフェリックスの元へ向かった。

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