第12話 【いい肉の日】ちょっとした小話
今日はやたらと肉が安い。
たまたま市場の近くを車で通った時、各店の前には「いい肉の日!」という広告ポップが並んでいたので、ジークハルトはなるほどと納得した。
「(いい肉の日、ね……)」
なんとも、この国の民衆は語呂合わせが好きらしい。
いい夫婦の日もあったな、なんて思い出しているとちょうど元帥府に到着し、真面目に仕事モードに頭を切り替えた。
その日の仕事を終えてから太陽の橋に向かうと、今日はツェツィーリアの姿が見当たらなかった。どうしたのだろう、と周囲を見回してみる。
と、突然背後に固い何かが押し当てられた。
「っ!」
「動くな」
精一杯だと分かる低い声が聞こえ、背後の人物の意図を理解する。
そっと両手を少し上げると、背後の人物はクスクス笑い出した。
「ばあっ! 驚いた?」
「うん、驚いた」
背後にいたのは、予想通りツェツィーリアであった。
手にはガーベラの花が一本あり、その茎を銃口代わりにしたようだ。
精一杯の低い声から既に分かっていたものの、ツェツィーリアのワクワクキラキラとした顔を見ると本当のことは言えない。彼の言葉をおうむ返しすると、一瞬彼はムッとした顔をしたが、それでも奇襲が成功したことを喜んだ。
「その花はどうしたの?」
「これ? これはさっき花売りの子から買ったんだ。綺麗でしょ」
そう言いつつ、ツェツィーリアはいったん場を離れて、橋にいる売春婦の女性に声をかけた。二言三言話すと、ガーベラの花を渡してしまう。女性はひどく喜んでいて、こちらに戻ってきたツェツィーリアも満足そうだ。
「ねぇ、今日はどうする?」
「そうだな……」
ジークハルトの腕に、ツェツィーリアが絡みついてくる。可愛らしい。
ふむ、と考えて、そういえば今日は「いい肉の日」だったと思い出した。
市場が安いのであれば、きっとバルも安くなっているかもしれない。妙な期待だが、今日はゆっくりとツェツィーリアとの時間を楽しみたかった。
「今日はゆっくりご飯を食べようか」
「ごはん? いいよ! 何食べる?」
「お肉か、お魚か……どっちがいい?」
「お肉!」
なんとも元気なことで。よいことだ。
今日のツェツィーリアはなんだかテンションが高い。酒でも飲んでいるのだろうか。
肉なら、いつもフェリックスと行くバルが絶品肉料理を出してくれる。腕に絡むツェツィーリアをそのままに、無人タクシーを拾った。
*****
バルに到着して、奥の席に案内してもらう。
ここでもやはり「いい肉の日」の文字がレジ前にあり、予想は当たっていたらしい。
文字の読めないツェツィーリアに代わってメニューを選ぶと、今日は本当に上機嫌なツェツィーリアがくふくふ笑った。
「ご飯なんて久しぶりだね」
「……そうだね」
それは、自分がいつもまっすぐホテルに向かってしまっていることを揶揄われているようで、気恥ずかしい。
これでも「今日は食事に行こう」と思っているのだ。ただ、待ち合わせ場所でツェツィーリアを見るとどうにも抑えきれなくて、挨拶もそこそこにタクシーを捕まえてホテルに向かうことが多い。
その場で抱きしめてキスをしたい欲はどうにか抑えているのだから、自分としては及第点だと思っていたのだが、まだまだのようだ。
「いつも、ご飯に誘おうとは思っていたんだよ、これでも」
「へぇ~?」
ニヤニヤと笑うツェツィーリアと目が合わせられない。顔がぽっぽと熱くなっているのを感じる。それにますますツェツィーリアは笑い出してしまって、今日はもうやられっぱなしだった。
そんな時に、ちょうどよく頼んでいたメニューが届く。焼いたヴルストの盛り合わせと、大ぶりな肉の塊を焼いたシュバイネハクセ、それと付け合わせのマッシュポテト。どれも食欲をそそる匂いが辺りを包んできて、ツェツィーリアが無邪気に喜んでいた。
「いいじゃないか、別に」
「拗ねないでよ。いい顔が台無しだよ」
そう言って、ばくり、と、普段は見られない大口を開けてヴルストに齧り付いたツェツィーリアが笑った。美味しー!なんて言うツェツィーリアだったが、ワインを飲むのも忘れない。そして、こちらを揶揄うのも忘れてくれなかった。
「ヴェルトはこうやって食事とか行くの好きじゃないのかと思ってた」
「そんなことないよ」
好きな人が何かを食べている姿を見るのは好きだ。特にツェツィーリアは、普段食べているのかどうか不思議なほどに細いため、元気に何かを腹いっぱいに食べているのを見ると安心する。
口の端についたソースをぺろりと舌で舐め取る姿は少し扇情的ではあるものの、ツェツィーリアが物を食べている姿は実に健康にいい。きっとそのうち万病にも効くだろう。なんて。
若い将校がそんなことを言っていたのを聞いた時は、何を言っているんだと思ったものだが、実際に目にするとその気持ちもなんとなく分かる気がした。
「今日はいっぱい食べて」
「わーいっ! ヴェルトも食べなよ。俺ばっかり食べてたら、なんだか申し訳ないし」
「うん」
シュバイネハクセを切り分けて、更に小さく分けて口に運ぶ。
ここのシュバイネハクセは本当に絶品だ。食の好みがあまりにも五月蠅いフェリックスが、珍しく好んで頼むだけはある。
「うん、美味しい」
「ふふ。ヴェルトは本当に美味しそうに食べるね」
「え? そうかな」
「うん。見ているだけでこっちがお腹いっぱいになりそう」
それは、褒めているのだろうか。
褒められていることにしておこう。
食事中のツェツィーリアは、普段よりもおしゃべりだ。おしゃべりで、こちらをジッと観察してくる。その視線に晒されるのは、悪い気がしないものの、やっぱり尻の座りが悪く感じることはある。
今日は特に揶揄いが滲んでいるからだろうか。思わず「あんまり見ないで」と言ってしまった。
「どうして?」
「なんだか恥ずかしい」
「あれ、そうなの? ふふ、可愛い、ヴェルト」
そう笑って、ツェツィーリアはゆったりと目を細める。
あぁ、これはもう本当に、今日の自分は「可愛い年下の男の子」扱いをされている。男としては惚れた相手にそう思われるのは心外だが、もう今日は仕方がない。
「かーわいいねぇ、ほんと」
「……見ないでくれ」
「えー? そんなことできないよ。……ふふ、今日はいっぱい可愛がってあげるね」
思わず、ワインを吹き出しそうになってしまった。喉の奥で引っかかったワインにむせてしまうと、ますます揶揄われた。
穏やかな時間が過ぎる中、顔が真っ赤に染まってしまったジークハルトだけが少し異質だった。
バルから出てホテルに行くと、宣言通りじっくりじっくり可愛がられてしまったのだった。
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