第8話 それを人は嫉妬と呼ぶ
架空歴四八六年三月。
よくよく観察せずとも分かっていたことだが、ツェツィーリアにはジークハルト以外にも太客がいた。
どれも上級将官クラスの人間たちで、そのことについてジークハルトが何か言うつもりはなかった。
ジークハルトが彼に渡していた金だけでは生きていけないのだから、仕方ない。
彼は故郷にたくさんの兄弟がいて、そちらにほとんどの金を送っていると言っていたし、そんなことをしていたらツェツィーリア自身の生活費が困窮してしまう。
男娼及び娼婦は、男に気に入られるための努力を怠らないと聞く。それに莫大な金がかかるのは想像に難くない。
家に金を渡し、自身にも金をかけなければいけない。それをジークハルト一人で賄えるはずもなかった。
ツェツィーリアは、最近はジークハルトが会いたいと言えば他の客の誘いを断ってくれた。
会う約束をしていない日でも、街中で会えば嬉しそうに駆け寄ってきてくれるようになった。素直に甘えてきてくれるようになった。
だが、面白くはない。
「まって、ほんとに、今イッてぅ……! あ゛あっ! んぐ、あ!」
「は、ぁ……ジルケ、ジルケ」
肌と肌がぶつかり合う音が、どこか遠くに聞こえる。
正常位でツェツィーリアの腰を掴んで、乱暴に突き上げる。
彼の肉棒からはダラダラと白濁液が出続けていて、彼が深くイッていることが見て取れた。
こうなってしまうと、気持ちよさを通り越して恐怖を感じるらしいが、今そんなことは関係ない。
汗で滑る手で腰を掴み直して、より深く肉棒を押し進めた。
コツンと壁に当たって、あぁこの奥に入りたいとぼんやりと考えていると、それがどうもツェツィーリアには伝わっていたようで、ブンブン首を横に振られる。
「そこ、だめ、だっめ……っ!」
「うん、そうだね」
気のない返事だとは分かっている。
壁を押し込むように、解すように体重をかけて肉棒でこね回す。それだけで気持ちよさそうに背と喉を反らしながら鳴くのだから、堪らない。
「気持ちよさそうだね、ジルケ」
「やめ、やっ……アッ、あ゛おく、おくぅ……っ!」
「うん、うん……奥入ってもいい?」
「だめ、だめっ! んっ、ッあ゛ァ……っ! 待って、ヴェルト……! ひっ、やめっ……ああぁッ!」
「ごめん、待てない。……っ、は、」
「いやぁ……っ! おくっ、お゛く……! っ! あ゛ああーー!」
ぐぽん、と、壁を突き破った。
途端に、ツェツィーリアの背がしなり、普段の可愛らしい喘ぎなんてかなぐり捨てた声が出た。
あぁ、愛おしい。可愛い。好き、好き、好き。
落ち着くのを待とうと、こちらを搾り取ろうとする動きに歯を食いしばって止まっていると、ツェツィーリアは大きく身体を跳ねさせながら勝手にイき始めた。
かわいい。かわいい。
「ゔぇぅ……ゔぇうとぉ……」
「うん、なぁに?」
「やら、こわ、こわい……こぇ、こわい……っ!」
「うん。大丈夫。大丈夫だよ」
優しくツェツィーリアの頭を撫でながら、彼が落ち着くのを待つ。全身くまなく眺め、勝手にカクカク揺れるツェツィーリアの腰を撫でていると、安心したのかツェツィーリアが少し口角を上げた。
それが合図と勝手に判断している。
「ぐ、あっ! あ゛あ゛あ゛っ! やら、うごかないで……ん゛う゛あ゛あ゛!」
ごめんね、なんて言わない。
ヘルモーズ要塞の指揮官、テュール大将が彼を買っていると聞いた。それに、他の貴族や高級将官たちの名前を何人も聞いた。高級士官クラブで大っぴらにツェツィーリアの名前を出す者もいた。
そういう話を聞くたびに不思議とイライラして、ツェツィーリアを手酷く抱いた。
「またいく、いっちゃ……!」
「うん、うん……一緒にイこう?」
「いく、いくいくいく……っ! っ〜〜〜〜!」
「は、あっ……ジルケ、ジルケ……」
最奥に精液を叩きつけながら、しかし、殊更に優しくツェツィーリアの頬や額にキスの雨を降らす。それだけで安心したような顔をするのだから、本当に愛おしい。
ジークハルトの愚行について理由をツェツィーリアが聞いてくることはないが、聡い男だ。ジークハルトが何も言わずとも察しているのだろう。
ぐったりとベッドに横たわりながら、ジークハルトに何か言いたげな顔をすることはあるが、言葉にしてきたことはない。
「大丈夫? ジルケ」
「……大丈夫に見える?」
「ごめん……」
「いいよ。別に。これが仕事だもん」
なんともつれないことを言う。
仕方がないとはいえ、そんなことを言われるのはやはり寂しいものがある。
怒ってほしいとすら思う。
ジークハルトの行為を、その愚行を、顔を真っ赤にしながら怒ってほしい。
残念ながら、ただの客でしかないジークハルトの願いは叶わないが。
それから、ジークハルトの素性についても、ツェツィーリア自身は何も聞いてこなかった。
くちさがない奴ら曰く、ある程度の関係を築いた娼婦や男娼たちは、必ずと言っていいほどこちらのプライベートにも立ち入ってくるのだという。
だが、ツェツィーリアにはまったくその素振りが無かった。そういうところが、上級将官たちに気に入られている理由なのだろう。
彼の結腸奥をくまなく犯したその日、ツェツィーリアにそれとなく聞くと、彼を養子にしたいだの囲いたいだのとも客たちに言われていたようで、ますます面白くない。
シャワーを浴びて戻ってきたジークハルトに、ツェツィーリアは、これでも前に比べたら随分減ったと言った。
「あんたがずっと前に俺に金貨をくれただろ」
「金貨? うん、そうだね」
ツェツィーリアに魔の手が及ばぬよう、フェリックスの部隊章が入った金貨を渡していた。だがもうそれはとっくの昔に捨てているだろうと思っていたのだが、思いの外ツェツィーリアは金貨の効果を気に入っていたようだった。
嬉しそうに、ツェツィーリアは服のポケットからネックレスチェーンを通した記念金貨を見せてくれた。
「これ、俺の身元保証のために、なんてあんたは言ったけど、俺がこの金貨を持ってるって知ると途端に面倒な要求が減ったんだ」
「それはよかった」
「ふふ。あの時は、悪いけどさっさと溶かして売ろうと思ってたんだけど……今は感謝してるよ。ありがとう、ヴェルト」
そう言って、ツェツィーリアは照れたように笑う。
その笑顔が守れるなら、なんだってよかった。
この頃には、コトを終えた後の彼にキスをしても、別料金を要求されることはなかった。
彼を緩く抱き締めて顔を近づけると、ジークハルトがシャワーを浴びている間に吸ったのだろう、ツェツィーリアからタバコの濃いにおいがする。
軽いキスをして、彼の口の端を舌で突くと嫌がられたが、気にせずツェツィーリアの口内を堪能し尽くして「苦い」と笑うと、力の抜けたツェツィーリアから痛くない拳が飛んできた。
*****
この頃、フェリックスは指揮官の任を解かれ、内勤に回されていた。
どうせ門閥貴族の誰かが、フェリックスの功績を妬んでのことだろう、とフェリックスは言う。まったく面倒だ、とイライラしたように溜め息をつく場面をよく見るようになった。
本当なら、外に出て思いきり闘いたいのだろう、というのは、よく分かる。
彼の繊細でかつ大胆な指揮が、ジークハルトは大好きだった。
それはともかく。
戦場に出ることが無くなったとはいえ、毎日暇なわけではない。
特にフェリックスに至っては、面倒な貴族関係の付き合いが増えてしまっていて、毎日毎日イライラしていた。ジークハルトはそれを宥めすかし、愚痴に付き合い、時にはストレス発散にも付き合っていた。
本日は、皇帝陛下が出席されるとの一報があったので、エリーニュス公爵の邸宅で行われるパーティに車で向かっていた。
不機嫌を隠しもせずに、フェリックスは家を出てから邸宅に到着するまでずっと文句を吐き出していた。ここで吐き出せるだけ吐き出しておかないと、パーティ会場で短気を起こされても困る。
「フェリックス様。いらぬ短気は起こされぬよう」
「わかっている」
釘を刺すのを忘れずに。
拗ねた様子のフェリックスにニコリと微笑んで、フェリックスを送り出した。
駐車場にビューロウ家お抱えの運転手に車を移動してもらう。運転手には時間になるまで自由を与え、ジークハルトはふぅと一息つきながら後部座席に身を埋めた。
固い空気は、どうにも苦手だ。戦場に出られないというストレスもあって、比較的ストレスを溜めづらいジークハルトでさえ疲労が積み重なっていた。
ここ数日、仕事が立て込んでいてツェツィーリアにまったく会えていない。この調子では、今日も会えないだろう。
フェリックスと過ごす日々はとてつもなく大事な時間で、ジークハルトにとっては何ものにも変え難いものだ。大切に大切に、フェリックスの歩む道を共に。
ただ、それはそれとして、ツェツィーリアとの時間もジークハルトにとっては大切なひとときだった。
車窓から見えるエリーニュス公の邸宅には煌々と明かりがともり、いろいろな人間が出入りしている。駐車場にはジークハルトのように、主人の帰りを待つ人間たちが思い思いに留守番をしていた。
こうして一人になると、どうしてもツェツィーリアのことを想ってしまう。
今夜も、誰かに買われているのだろうか。
それはなんだか、嫌だな。
ああ、どうしてこう、執着心が出てしまうのだろう。静かに目を閉じて心を落ち着けようと思っても、瞼の裏に映るのは、フェリックスとエミリアと、そしてツェツィーリアの笑顔だった。
そんな時、コツコツと窓をノックされた。
驚いて目を開くと、白魚のような手がジークハルトの座る側の窓をノックしている。
急いで窓を開けると、そこにはなぜかツェツィーリアがいた。
「ツェツィーリア?!」
「こんばんは、ヴェルト」
ひょこりと顔を覗かせたツェツィーリアは、いつもの緩い格好ではなかった。
上等なスーツの上下に、シルクのような質感のシャツと黒のタイ。髪もきちんと整えられていて、大振りの赤いピアスをつけた左耳だけを露出させていた。色気を出しているが、どこか控えめで、いつものようなこちらの欲を掻き立てるような雰囲気がない。
「ツェツィーリア、どうしてここに?」
「世話になってる爺ちゃんのお迎え。ヴェルトは?……あー、天使さまのお留守番か」
こちらの答えを聞く前に、ツェツィーリア自身で正解を告げる。
どうやらあの大雨の一件以来、ツェツィーリアはフェリックスを「天使さま」と呼ぶようにしたらしい。
フェリックスは、ジークハルトが言うのもなんだが、整った顔をしている。ツェツィーリアのその呼び方がなんだか可愛らしくて、指摘はせずにいた。
「ツェツィーリアはパーティに行かなくていいの?」
迎え、というのなら、その人はあの会場にいるのだろう。ツェツィーリアのような人間を同伴させている貴族は見たことがある。
「会場の中まで同伴しようかって言ったんだけど、婆ちゃんと車でお留守番してろってさ。エリーニュスなんぞに会わせる必要性を感じない、って」
「なるほど」
賢明な判断だ。
「それと、」
「ん?」
「車の中だと、タバコ吸えなくて」
婆ちゃんがそういうの嫌いなんだ、と言って、ツェツィーリアはジャケットのポケットからタバコを取り出し、火をつけて美味そうに煙を吐き出した。
「そのご夫婦とはもう長いの?」
「そうだね。婆ちゃんとは五年くらいの付き合いかなぁ。爺ちゃんの方はもう二十年くらい」
随分と長い。ただ、客とは言わないツェツィーリアに、その夫婦との関係が気になってしまった。あまり踏み込むのもよくないとは思ったが、ぽろりと勝手に口から飛び出てしまった。
「お客さんではないんだね」
「え? ……あー、うん、そうだね。ソッチのお客さんとして会ったことはないよ」
「そっか」
「いつも会うとご飯を奢ってくれてね。でも、それ以上のことはないかな。会うたびに『ちゃんと食べてるか』とか『病気してないか』とか聞いてくるのは、ちょっと鬱陶しいかも」
ツェツィーリアはそう言って舌を出すが、その表情はどこか柔らかく、本気で嫌がっているわけではないのが分かる。
よかった。
それが、最初の感想だった。
ジークハルト以外にも、ツェツィーリアを大切に思ってくれている人がいる。
車体に寄りかかってタバコを吸うツェツィーリアの空いた左手を取ると、ツェツィーリアは嬉しそうに屈んでくれる。
クスクス笑う彼の指先にキスを落とすと、彼の爪の先からほのかに香水の香りがした。
「仕事中なのに、いけないんだ」
「……そうかな」
「ヴェルトがどんどん悪い男になっていっちゃうね」
「ツェツィーリアのせいだよ」
そう。ツェツィーリアが悪いのだ。
ジークハルトが、主君の未来を夢想する以外に目を配ってしまうようになったのも、職務中だというのにこうして愛を伝えたい相手の指先を弄ぶようになってしまったのも。
当の本人はクスクス笑うばかりで、意に介した様子はない。ジークハルトの口から告げる愛の言葉は、彼にはまったく届かない。
もう少し屈んでくれないものかと思案していると、ツェツィーリアのポケットから電子音が響いた。音の発信源を確認もせず、ツェツィーリアは途端に残念そうな顔をする。
「婆ちゃんが呼んでる。そろそろ行かなきゃ」
「うん。気をつけてね」
「ヴェルトもね」
そう言って、ツェツィーリアはタバコの始末をしながらニコリと笑って屈んだかと思えば、軽いキスがジークハルトの唇に落ちた。
驚きで固まってしまうと、ツェツィーリアは「サービス」とだけ言って、どこかへ行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、ぽかんと、呆けてしまう。
ツェツィーリア自らキスをしてくれるなんぞ、はじめてのことだ。
本当に、心を弄ぶのが上手い。
踊らされているな、と思う一方で、ツェツィーリアへの気持ちがますます昂ってしまう。
*****
ポケットから携帯端末を取り出すと、画面には部下からのメッセージがあった。
危なかった、とセシルは息を吐く。
同じくして「婆ちゃん」からのメッセージもあったので、嘘ではないのだが、肝が冷えた。
車に戻ると、従者がドアを開けてくれる。滑り込むようにして乗り込むと、セシルの前に座っていた老婦人が「あらあら」と微笑んだ。
「タバコなら、そう言ってくれたらよかったのに」
「言えるわけないじゃん。婆ちゃん、タバコ嫌いでしょ」
柔らかなウェーブを描いたグレーの髪を、可愛らしくまとめた老婦人は、楽しげに笑う。
彼女の名前は、ソフィア・フォン・ミュンヒハウゼン侯爵夫人。セシルの、養母である。
帝都から見れば敵国のデリング共和国生まれデリング共和国育ちで、現在もデリング共和国軍に籍を置くセシルと、軍人嫌いと言って憚らない帝国随一の貴族ミュンヒハウゼン侯爵家とは不思議な縁で結ばれた。
ミュンヒハウゼン侯爵はセシルが共和国軍人であることを知る唯一の帝国人であり、こうして隠れ蓑として使われていることを了承してくれるという稀有な存在だった。
対してソフィアはセシルについて何も知らない。夫が連れてきた素性不明の男を養子に迎えるにあたって、「あらあらそうですか」だけで終わらせた、ある意味肝の座った御仁である。
「もうそろそろパパが帰ってくるころだから」
「わかった」
「今日は何がいいかしら。お肉? お魚?」
「うーん、どうしようかなぁ」
「セシルの好きなものがいいわ」
こうして、たっぷりの愛情を注がれるのは、どこかむず痒い。
なんとも言えない痒さを覚えて返答に困っていると、ソフィアはいつものように柔らかく微笑んで待ってくれる。
「奥様。そろそろお迎えにあがります」
「ええ、そうしてちょうだい」
ソフィアの意識が運転席の従者に向いたところで、携帯端末を取り出して部下からのメッセージを読んだ。
『エリーニュス、皇帝両名を殺害しようと、ゲーラス公爵が爆弾を所持している。至急、その場を離れたし』
このままあの黒髪の軍人も死なないかな、と薄暗く笑ったセシルを乗せて、車は主人を迎えに静かに動き出した。
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