金魚迷惑~トンビーばあさん、レビュー。

第1話 コヲノスケ先生【金魚迷惑トンビーばあさん】書評。

 婆雨まう先生は不思議な書き手である。

 界隈(界隈というものがあるのかないのかが、そもそも昨今は疑わしいが)では敵も多いというイメージがあり、私の知る限り、色々な人とトラブルも会ったそうである。


 もしかすると、非常に不器用なのかもしれない。自分にもそういうところはあるだけに気になっていた書き手である。


 そういえばちょっと前に、大塚英志さん著のサブカルチャー文学論を途中ぐらいまで読んで受けた印象だけれど、ある時期の文学は、少女漫画を小説に翻訳したようなもので溢れていた。


 そこへ村上龍が、ある種、野蛮な作風で切り込んでいったという印象を受けた。表面的かもしれないけれど、そのある種の空気の読まない感じ、サークルクラッシュ的な感じは、私の中では婆雨まう先生という人物に重なる。


 村上龍という作家は、文の芸の世界に、むき出しの現実のグロテスクさ、不快で目をそむけたくなるような生々しさを引き込んだ。


 それは東京・暴力・若者みたいなあの時代の映像作品の流れにうまくハマっていたのかもしれない。


 婆雨まう氏の場合はどうかというと、残念ながら今、婆雨まう氏の作品は、同時代的なサブカル空間にリンクする足場を持たず、その作品が単体として孤立をし、時代が巻き戻るなり追いつくなりするのを待っている感がある。


 彼の作品は恐らく今、似ているどのような作品を見つける事もむずかしい。

 よほど意欲的な読者でなければ、それを手に取って十分に吟味することはできないかもしれない。だが彼が書いているものが全くの無意味であるかといえば、私にはそうは思えない。


 軽妙なテンポの語り口から始まるその文章は、少しずつ黒い言葉に蝕まれていく。 軽い笑いに誘われて読み進んだ読み手は、目をこすりながらおかしいな、なんだこれはと戸惑っていく。


 登場人物たちは、畳みかけるような不幸の中を転がり落ち、彼らが不幸になればなるほど、文章はそれまでとはまったく別の、残酷なドス黒い何かを露わにしていく。


 その文章を読んでいると、背筋が凍るぐらいの迫力を感じる。なぜ作者は、そこまで作中人物を徹底的に、苦しめるのだろうとさえ思ってしまう。


 作品を書くときの婆雨まう先生の内面には、世の中に対する深い絶望があるのだろうという気がする。


 世の中には悪い人間ばかりがひしめいている、彼らが自然にもがき苦しんで死んでいく。想像も絶するようなひどい呪いに苦しめられて、死にきれないほど悔いにもがきながら死んでいく。そういう姿をイメージしながら、愉快な気持ちで文章を刻んでいるのかもしれない......。


 私も窮地に立たされた主人公が、絶望的な状況に追い込まれているところを書くときに、頭で考えているのではなく、自分の内的世界そのものがそこにあふれ出て、狂気のような描写を書き殴ってしまったことがあるのを思い出した。


 どうせ世の中はそんなものかもしれない。

 そういう自分が囚われている精神世界が、うっかりそのまま作品になってしまう。


 であるとするならば、婆雨まう先生の作品も、本人が精神を病むギリギリのところまで自分自身の心に深く深く潜り込んで抉り出した彼自身の心象風景なのではないか。


 そう考えてみると、どす黒い描写をたたみかけるように連ねたこの作品は、たとえどれほど読み手にとってまったく快くなく、むしろ不快で、不吉であったとしても、重く受け止めるべき一人の人間の人生観・世界観そのものなのだという気がした。


 月並みではあるけれども、私は氏の手による、人が幸せになる物語をいつか読んでみたいなという気がする。自分にもそれはまだやれていない。


 しかし、自分の中の内的な闇がいつの日か払われて、幸せなイメージが描けるときには、自分の心が救われるのかもしれない。そんな気がしている。

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