わしと兎人族の狂った小僧との出会い

 わしは激痛と共に目が覚めた。

 そんなことは生まれて初めてかも知れぬ。ついぞ経験した記憶がない。

 動転した気持ちを抑えて周囲を見回せば森のようだ。そうすると野獣か何かに噛まれたのかと思って逃れた方を見れば、子供が間抜けそうな顔を晒していた。

 ……。

「……ひょっとしてお主、わしを齧ったのか?」

「あのすみません、本当に」

「……何故」

「……落ちてたから」

「……」

 よほど腹をすかしているのかと思ったがそうでもないらしく、弁当も持参しているらしい。ますますわからぬ。


 ラヴィ=フォーティスと名乗るその者は兎の耳を生やしていた。おそらく兎人というやつだろう。見たところまだ子どものようだが、獣人族は年齢がわからぬことも多い。このような森の中にいるならばそれなりに歳をとっているに違いない。

「お主は成人しておるのか?」

「十歳です」

 見たままだ。

 ……流石に子どもではないか? 子どもだよな?

 子どもが一人で森にいるはずがない。ひょっとして親とはぐれたのか或い野党やモンスターにでも襲われたのか。


 それから聞くとここは森ではなく街道沿いの木立らしい。赤い実が見えたから思わず立ち入ったそうだ。混乱した。さすがにそれは意味がわからないし、迂闊すぎる。

 ここはどうやら『渡り鳥と不均衡』の魔女の領域らしい。

 そうか。だからか。

 この領域の魔女は旅人に過保護だ。だから旅人から危険を遠ざけるようこの領域を調整している。モンスターなどの類はその調整により、遥か山深くなどに押し込められていると聞く。

 けれどもこの小僧はこれから就職して、世界中の食べ物を食べるんだと息巻いている。

 ……世界中、か。

 この世界にはその礎となる複数の魔女という存在が、それぞれの地域の有り様を規定している。この『渡り鳥と不均衡』はやたらと人に好意的だが、それはむしろ珍しいタイプだ。中には人より魔獣を好み人の生存がほぼ困難な領域や、人を嫌い人に不遇の影響を与える魔女もいる。

 そのような領域では安全な道のりから一歩でも踏み外せば、即座に死が待っている。そうでなくても道から何か見えたからといって、ホイホイ未知の領域に足を踏み入れるなぞ考えられぬのだ。道というのは人が安全に通行する利便のために切り開かれるものだ。つまりその外は不明。


 こやつの親はそんな簡単なことも教えなかったのだろうか。

 いや、この者もこの者の親もこの領域で生まれ育ったのだろう。『渡り鳥』の領域とはいえ、この地の者で領域を超えて旅するものは少ないのかも知れぬ。

 ……そして異なる領域で同じ行動を行えば待っつのはすなわち死。

 ……後味が悪いのう。

 齧られたとて驚いただけで、さほど害があるわけではなし。見た感じしょうしょう、いやだいぶん抜けているようには見えるが悪い奴には思えぬ。他の領域に渡った時点で死が待ち受けているとしか思えん。

 それにこいつは世界を回るという。わしも元の領域に戻りたい。そして体を取り戻してあの糞勇者に復讐を……。

 まぁ、回るという世界の中に『大きな辻と狂乱』に近い領域に至れば、伝手も使える。頭だけになっても多少の魔法は行使できるから、わしも役に立つだろう。


 そう思って強引についてきたがそれ以前の問題だった。

 一体何なのだこのラヴィという者は!

 世界を巡るというのにバスの乗り方ひとつ知らぬとは。

 はぁ、先が思いやられる。

 それに目につくものを拾って食べる。どう考えてもヤバそうなものも含めてだ。……わしはこのノリで齧られたのだろうな。

 ラヴィが食べたものの中にはわしも知る毒草もあった。よもや食うとは思わなかったので、引っこ抜いても特に止めもしなかったのだ。

 かなりの毒草だ。慌てて吐き戻すよう叫んだ。けれどもラヴィはケロリとして、不思議そうにわしを眺めた。妙に思ってステータスカードを見せてもらえば、耐性値の欄が異常だった。なにをどうしたら10歳でこんな値になるのだ。意味がわからぬ。

 わしの見た奴隷制のある国のどんな奴隷よりも、戒律が厳しい国のどんな修行僧よりも、その耐性値は高かった。まあそもそもステータスカードなぞ、そう気軽に見せるものでもないのだがな。


 魔女は自分の領域で生まれた者に大なり小なり加護を与える。この小僧もおそらく魔女の加護が厚いのだろう。そうでなければあれらの耐性を得る前に死ぬのが普通だからだ。

 それにしても次は『無法と欠けた月』の領域か。

 『無法と欠けた月』では月が欠けたかの如くその加護の効力が乏しくなる。魔女がそのことわりで他の領域からの干渉を遮断する。その分、基礎的な魔法インフラは共通しているからすでに獲得した耐性が無効になったりはしないだろうが。

 うーむ、少し不安だな。

 けれどもそんなことより、此奴にどうやって道端に生えているものを食べてはならぬことを教えればよいのか。

 頭が痛い。

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