第5分室のお仕事
編集長によるとワールド・トラベル出版社、略してWT出版は、世界中のジョウホウというのを集めて旅行ガイドを出版したり、様々な旅行企画を立てたりする総合旅行商社というものらしい。
そのための下部組織としていくつかの分室があるのだけど、ここ第5分室は世の中の珍品奇品のジョウホウを集める下請け部署だとか。目の前の犬獣人はここの編集長。他にも何人か所属社員はいるそうなんだけど、今も世界中を飛び回っていて帰ってくることはほとんどないらしい。
「それで是非お前に行ってもらいたい場所がある。『無法と欠けた月』の魔女ラキ様の支配領域だ」
「無法……ちょっと怖いです」
「無法といっても別に荒れた場所じゃない。魔女様が領域内の各国のあり方に干渉されないってだけだ。祈っても助けちゃくれない分、最近では各国がお互い譲り合ってそれなりに安定自治をしている地域なんだが……その、目的地が獣人じゃ入れない国でな。お前くらいの混ざり具合なら大丈夫だと思う、多分」
編集長が僕の頭の帽子から飛び出た耳を見ながら、残念そうにつぶやく。
獣人族は2種類あって、人以外の生き物の特徴が濃い人種はなんとか獣人、薄い人種はなんとか人、と呼ばれている。編集長はやっぱり犬獣人で、僕みたいに特徴がほとんどなければ兎人になる。もし僕が全身もふもふなら兎獣人。
世の中にはいろいろな国や地域や信仰があって、純粋に他の因子が混ざっていない基礎人じゃないと入れない地域もあるって前に父さんに聞いた。
「ある国の奇祭を取材してほしい」
「僕はお祭りとかあまり興味が……」
「その時しか食えない引き出物とか珍しい屋台があるぞ」
「行きます!!」
バサバサバサと紙の山が崩壊した。編集長は天を仰いだ。
簡単な手荷物、行った地域のデータが自動的に記録される地図とか燃料がなくても少し光るライトといった旅行の必需品、それから連絡を取り合うためのスマホと業務指示書といったひとまとまりを押し付けるように渡されて、10分後には外に放り出された。
一緒に整理するっていったのに余計散らかるっていわれちゃった。もう。……否定出来ないけど。
「最初の本社よりはお主に似合いそうな場所だったが、それにしても慌ただしいことよな」
「そうだよね。とりあえず今日はどこか宿を取って就職祝いに美味しいものを食べましょう」
「そうだな、飲食店なら流石に怪しいものは出ないだろうし」
カプト様は僕をチラチラ見る。
この王都カッツェには少し不満がある。
どの街路もきれいに舗装されていて、食べ物が生えていないのだ。さすがに国が違えば草も違うんじゃないかと思っていたんだけど。
そう思っていると荷物の中からピピリという音が鳴る。
「何だろ?」
「先ほど渡されたスマホではないか?」
ピピリピピリと続く音の出どころを探って支給されたスマホを見つけてカプト様に使い方を聞きながら開くとメッセージ。うん?
『18:30カッツェ駅発ハラ・プエルト行きのバスの切符を確保した。直前キャンセルの切符で安かったから駅まで走って乗れ。このコードを示せば乗れる』
は? え?
左上に表示された時刻は18:04。
え? え? 駅?
僕が昼前に村から乗ってきたバスが到着したところだよね、え、30分位かかるよね?
「落ち着け、とりあえずマップを開け」
「ええとどこどこ」
わたわたとカプト様の指示でMAPアプリを開くと直線距離で20分、その間にも刻々と時間は過ぎていく。え、ちょ、ま。
僕はもう大慌てで走り出し、路地を駆け抜け聳え立つ高層建築に目を取られて人にぶつかりそうになって謝りながら走り抜け、ゼェハァと息を切らしてええと、18番、18番乗り場、ええと、あった。ハアハァと青息吐息でバスに飛び込む。こんなに走ったの、初めてかもしれない。もう、だめ。
「お客様、余裕を持ってお越しください。定刻を過ぎるとお待ちしませんからね」
「はひ。すみません」
車掌さんにスマホのコードを示して指定の座席に転がり込む。もう無理、もう駄目、動けない。
荒い息で見回すと、村から乗ってきたバスよりはだいぶん上等な感じだった。室内も木製じゃなくて金属製だし、椅子もなんだかふかふか。
そう思っているとバスがドゥルルと動き出し、視界がゆっくりと流れ始めてこの街にきて最初に見たおしゃれそうなカフェを見てあそこでご飯食べたいと思……ってカッツェで全然ご飯食べてないじゃないか‼︎
とりいそぎWT出版に行っておちついたら色々食べに行こうと思っていたのに! くぅ!
なんだか涙が出てきた。長距離夜行バス……だよね。
おいしそうなもの、見たこともない食べ物が、たくさん、あった、はずなのに、カッツェ……。そして周りの乗客はお弁当を広げ出し、パンや串肉なんかが視界にチラチラ写り出す。
はぁ。あ、あれ?
僕の晩ごはんってどうなるの? え、今日は昼も夜もごはんなし!? 朝ごはんはどこかの村で小さなパンを一つ食べただけなのに……。カッツェに着いたらいっぱい食べるからお腹を空かせようと思って……。
「本当に? なんで? 魔女様、WT出版は僕の適職じゃなかったの?」
「くれぐれも他の乗客から食べ物を奪ったりねだったりはしてくれるなよ」
「うう、わかった。それは最終手段にする」
「……やるつもりだったのか」
カバンを探ってやっと見つけた非常食のエネルギーバーを1本齧りながら、なんだか働くって大変なんだな、と思った。他の乗客の美味しそうなお弁当は目の毒すぎて、星が散らばる窓の外を眺めながら眠りについた。
外が見たいと言うから小さくなったカプト様の首を窓枠に置く。
「全くなんでこんなことになってしまったのかな。ハァ、あの腐れ勇者め」
僕はもうふて寝しかないと思って目を閉じた。
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