Ⅷ 貫かれる罪(1)
「本来なら〝ソロモン王の魔法円〟を使うとこだけど、今回は緊急だし〝魔女術〟のもので……」
近くの樹の影へと走った修道女は、それを盾に早々、魔術の準備を始める。
見ると、彼女は腰に差していた黒檀の柄の短剣を引き抜き、それを使って地面に何かを掘り込んでいる……どうやら自分の周りにぐるっと円を引いた後、その内側にデケえ星型を描いたようだ。
悪魔を召喚するための〝魔法円〟っていうやつか……。
続いて修道女は肩掛け鞄から香炉を取り出し、地面に置いたそれに素早く
魔術にゃ詳しくねえからよくわからねえが、教会でも儀式ん時に香焚いたりするけど、それと同じようなもんか?
「あの女、ここで魔術を使うつもりか!? 何か仕掛けられる前に片をつけるぞ! 早くヤツらを蹴散らせ!」
思わず眺めちまってたが、無論、ヤツらがそれを黙って見過ごすはずもなく、イーロンの檄に騎兵達も再び動き出す。
「フラガラッハっ…!」
その動きに、ドン・ハーソンは魔法剣を投擲すると、修道女の方へ向おうとしていた騎兵達を先ずはすかさず牽制する。
「ハァッ…!」
「セァッ…!」
宙を舞うその剣をやはり騎兵達はなんなく避けてみせるが、それでも気が削がれたらしく、くるりと全員方向転換すると、今度はこちらへ向かって突進して来た。
「てりゃっ…!」
剣を手放し、また無防備になったドン・ハーソンめがけて射られた矢を、代わりに俺が短槍を振るってなんとか全部叩き落とす。
「フン…!」
それでも間髪入れず、騎兵達はまた馬の前脚で俺達を蹴り殺そうと突進してくるが、その間に魔法剣を手に戻したドン・ハーソンが大きく切先で弧を描き、それ以上のヤツらの接近を阻んでくれる。
なるほど……なんとも危なっかしいが、そうして騎兵の注意を俺達に向け、あの修道女が魔術を使う時間を稼ぐつもりか。
幸い騎兵どもはバケモンみてえに反応が速えわりに、どうやら頭はあんま良くないらしく、まんまとその策に引っかかってくれている……〝ケンタウロス〟を宿してるって話だが、ほんと獣みてえな野郎どもだ。
「ウォォォ…!」
だが、そんな獣達も多少はものを考えるらしい……なかなか矢が当たらないのを見て、弓を手放すと背負っていた木製の
「マズい! 囲まれたら終わりだ! 俺はヤツらを撹乱するんで援護を頼む!」
「援護? ……よくわからねえが、こっちもあんたを信じて任せるぜ!」
確かに囲まれりゃあ、あの棍棒と馬の蹄で全方向から袋叩きだ。俺はとりあえず返事をすると、周囲に気を配りながら短槍を身構える。
「フラガラッハ! しばらくおまえに自由を与える! 大いに敵と戯れよ! 名付けて〝蝶の舞〟だ!」
一方、ドン・ハーソンは上空に魔法剣を放り投げると、ひとりでに動くその剣に対して朗々とした声でそう命じた。
「ウォォ…!」
すると、再びクルクルと高速で回り出した彼の魔法剣は、四方から迫り来る騎兵に対して無秩序に襲いかかり、あたかも人と戯れ合う仔犬の如く、あるいは花に集まる蝶や蜜蜂のように、しつこくまとわりついてはその回転する刃でヤツらの接近を遮ってみせる。
「……くっ……おりゃあっ!」
それでも抜けてくるやつの振り下ろす棍棒を短槍で受け止め、返す矛先で空を薙ぎ払うと無防備なドン・ハーソンを俺が護る。
「うん。初めてにしてはなかなかにいい連携だ。どうやら我らは気が合うようだな」
「そりゃあどうも……」
そんな俺の咄嗟の判断に、また場違いなことを言って褒めてくるドン・ハーソンに対し、なんと言っていいのかわからない俺は、渋い苦笑いを浮かべてその返事代わりにした。
……けど、冗談はさて置き、騎兵どもも魔法剣をすべて避け切ってるし、こりゃあ、早くしてもらわねえとマジで身が持たねえぜ……。
と、俺が心の中で愚痴を溢していたその時。
「……霊よ、現れよ! 月と魔術と冥府を司りし偉大なる女神ヘカテーの徳と、知恵と、慈愛によって。我は汝らに命ずる! ソロモン王が72柱の悪魔序列番14番、射手の大侯爵レライエ!」
そんな修道女の声が、馬の
いや、もっと前からしていたが、闘いに夢中で耳に入らなかっただけかもしれねえ……。
騎兵を警戒しつつ声の方をチラ見すると、修道女は手に弓と幾何学模様の描かれた金属円盤を掲げ、呪文らしきものを延々と唱えている……よく見りゃあ、同じような円盤をマントの右胸と左裾にも着けているが、あれがおそらく魔術を行後時の魔術師の正装なんだろう。
「騎兵どもめ、何をやっている! あの女を止めなくては……」
「女一人なら我らだけでも……イーロン、参るぞ!」
他方、俺達が騎兵を惹きつけていることで、業を煮やしたデラマンとイーロンも行動に出る。
「何をたくらんでるか知らんが、そうはさせるものか!」
「我らが直々に始末してくれる!」
逆に俺達も騎兵にかかりっきりなのをいいことに、ヤツらは儀式に集中している修道女めがけ、引き抜いた剣を振り上げて馬を走らせる。
「死ねえ!」
「フン…!」
だが、デラマンが斬りかかった刹那、彼女の前に踊り出たダンディな口髭が、ブロードソードを斬り上げてヤツの凶刃を弾き飛ばした。
「うわっ! ……おわわわっ……」
「くそっ……」
その衝撃に我が愚弟はバランスを崩すと馬から転げ落ちそうになり、それを見たイーロンも躊躇して馬の脚を止める。
いくら自分達の騎兵が強えらからって、ヤツら、武芸はからっきしのくせして、てめえの実力を見誤ったな……。
にしても、一見、凡庸な人物に思えて、さすがハーソン卿が傍に置いてるだけのことはある……あのダンディな口髭も普通に腕が立つようだ。
羊角騎士団が生まれ変わったっていうウワサは、どうやら本当のことだったらしい……。
「霊よ! 我は再度、汝に命じる! 魔術を司る者の中でも最も力ある神ヘカテーの名を用いて! ソロモン王が72柱の悪魔序列番14番、射手の大侯爵レライエ!」
修道女も修道女で肝が据わっているみてえで、目の前でそんな剣戟が行われているにも関わらず、なおも一心に呪文を唱えている。
「ウォォッ…!」
「……!? うおっと! おらあっ…!」
いや、んな
「……ん? なんだ? なんか暗くなってきやがった」
さっきまで晴れてたってえのに、一転俄に天がかき曇り、辺りは急に真っ暗になる。
「… 霊よ! 我は再度、汝に命じ……来た!」
そして、ドン…! と激しい雷鳴が鳴り響いたかと思うと、天空から一筋の眩い閃光が修道女の立つ魔法円の前の地面に鋭く突き刺さった。
「冥界の女神ヘカテーの眷属とは、これまた珍しい術者だね……」
一瞬の後、その閃光に瞑った目を開いてみると、そこには緑色の衣服を着て手に弓を持った、いかにも狩人らしい恰好をした子どもが一人、ちょこんと立っていた。
栗色の巻き毛の上に羽付きのチロル帽を被る、可愛らしい顔立ちをしたなんとも美しい少年であるが、その瞳は妖しく緑色に光っていて、また身体は半透明に透き通っている……とても悪魔には見えねえ姿だが、あれがまあ、きっとそうなんだろう。
戦場でも両陣営が魔法修士を投入し、自軍の士気を高めたり、天候を操ったり、城塞を強固にしたり…と、激しい魔術合戦をその裏で繰り広げているが、魔術の儀式は人目につかねえ所でやるのが世の常なんで、実際に悪魔が召喚されるとこは初めてこの目で見たぜ……。
「で、そのヘカテーを崇める者が僕になんの用だい? 事と次第によっては話を聞いてあげなくもない……でも、いくら珍しい術者だからって、願いをかなえる対価はおまけしないよ?」
その悪魔と思しき美少年の狩人が、地面からわずかに浮き上がると、修道女を見下ろしながら偉そうにそう告げる。
「フフ…わたしの話を聞けば、きっと対価なしにでも力を貸したくなるはずよ……レライエ、あなたにケンタウロスを狩らしてあげる。しかも一度に四頭もね」
だが、そんなこの世ならざる存在を前にしても修道女は一歩も退かず、それどころか笑い声を混えながら交渉を始める。
「ケンタウロスを!? ……ああ、なんか妙な気配がすると思ったら、あの中に入ってるのか……」
「狩人のあなたにとってはなかなか魅力的な話でしょう? まあ、今回、狩りの方法は弓じゃなく投槍でだけど……どう? 引き受ける? ま、断わるんなら、バルバトスに頼むから別にいいけど」
さすがは悪魔。修道女の話を聞き、周囲を見渡すとすぐさま騎兵の正体を見透かしちまう
「バルバトスの野郎にだって!? 冗談じゃない。そういうことならよろこんで協力するよ。で、具体的には何をすればいいんだい?」
すると、さっきの話じゃ、どうやら同じ狩人の悪魔らしき〝バルバトス〟とやらに対抗心を燃やし、修道女のたたみかけが功を奏して悪魔との交渉は成功する。
あの修道女の姉ちゃん、悪魔相手に交渉術まで優れてやがる……やっぱタダモンじゃねえな……。
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