Ⅳ 重ねる罪(2)

 それは、それから数日後。気晴らしに狩りに行って帰って来た時のことだった。


「──アンディアーネ! 鴨が獲れたぞ! アガトゥス卿に頼んで今夜は鴨鍋にしよう!」


 仕留めた鴨を肩に担ぎ、俺は彼女に自慢しに行ったのであったが。


「……なっ!? アンディアーネ!」


 俺達が泊めてもらっている城内の部屋へ入ると、彼女は胸から血を流して倒れていた。


「……パ…パウロス……さま……」


 辛うじてまだ息はあり、俺の声に反応を示すと、か細くその口から言葉を紡ぎ出す。


「アンディアーネ! いったい何があった!?」


「……城の…衛兵に……やられました……最期に…お会いできて……よかっ…た……」


 慌てて駆け寄り、抱きかかえた彼女は、残る力を振り絞ってそれだけを言い残し、眠るようにして息絶えちまった。


 と同時にその瞳からはツーっと一筋の涙が溢れ出て青褪めた頬を伝う。


「アンディアーネ……」


 俺は、その哀れな最期を遂げた娘の顔をしばしの間、そのままじっと見つめていた。


 確かに許嫁ではあったが、正直に言やあ、別に惚れてたってわけでもねえ……けど、この娘は父親同様に、こんな遡行の悪ぃならず者の俺のことをなぜか慕って良くしてくれた。


 それに、なによりもこんな惨たらしい最期を迎えるような道理はねえ、俺のような人間とは違う根っからの善人だった。


 俺の許嫁に……最大の恩人に手を出すなんざ許せねえ……やったヤツはぜってえにぶっ殺してやる……。


「アンディアーネ、仇は必ずとってやるからな……」


 物言わぬアンディアーネを抱えたまま持ち上げ、ベッドの上にそっと横たえると、俺は彼女にそう告げて部屋を後にした。


「だが、いってえなんでアンディアーネを……まさか、イーロンの手のもんか?」


 ともかくもまずは下手人を突き止めなくちゃならねえ……もしかしたら取り逃した俺達を亡き者にしようと、イーロンが刺客を紛れ込ませた可能性もある……。


 いずれにしろアンディアーネは衛兵に殺られたと言っていたし、俺は協力を仰ぐべく、ドン・アガトゥスのもとへと向かった。


「ドン・アガトゥス! 力を貸してくれ! アンディアーネが何者かに殺られた!」


 ノックの返事も待たず、忙しなく彼の部屋のドアを乱暴に開けると、開口一番、俺は大声でそう訴えかける。


「……!?」


 ところが、そこに俺が見たものは思わぬ光景だった。


 中にはドン・アガトゥスばかりでなくアステューダ夫人もいて、なぜか泣いている夫人をアガトゥスが寄り添って慰めている様子だ。


「…ハッ! ああ、あなた、助けて! 今度はあなたを殺してから、わらわを手に入れるつもりかもしれません!」


 そして、乱入してきた俺を見るや、夫人は表情を引き攣らせ、今度は聞き捨てならねえことを口にし始める。


「はぁ? おい、なにを言って…」


「ドン・パウロス、我が妻を力づくで我がものとし、わしを殺してこのディミニオン領を簒奪しようとしているというのはまことか?」


 夫人の妄言に呆れて俺は口を開こうとするが、その聞くに堪えねえ荒唐無稽な話をアガトゥスは頭から信じ、彼女を庇うようにして前へ出ると、失礼にも程がある冤罪を俺にかけてきやがった。


「おいおい、なんの話だよ、ドン・アガトゥス? んなこと俺が考えるわけねえだろ…いや、んなことよりも聞いてくれ! アンディアーネが何者かに…」


 無論、んな戯言は一笑に付し、それよりももっと重大な、アンディアーネの死について報告しようとしたんだったが……。


「た、大変です! アンディアーネさまが胸を槍で突かれてお命を! 亡くなる直前、パウロスさまにやられたと言っておられました!」


 俺の背後から駆けつけて来た衛兵が、慌てた様子でそんなふざけたことをかしやがる。


「はあ? てめえ、なに言ってやがんだ? んなわけあるか! アンディアーネは俺の手の中で……」


 ……いや、おかしい。俺が見つけた時はまだ息があったし、あの後に彼女の遺体を発見したんだったら、もうすでにベッドの上で事切れていたはずだ。


 それに、なぜ「槍で突かれて…」なんて知ってる? ……そういや、アンディアーネは衛兵にやられたと……。


「そうか。てめえがアンディアーネを……」


「わらわを妻にしてディミニオンを相続するため、きっと邪魔になったアンディアーネ嬢を殺したんですわ! なんと恐ろしい!」


 語るに落ちた下手人に俺がたどり着いたその時、夫人が衛兵の話を補足するかのようにして、またしても聞き捨てならねえふざけたことを口にする。


「んだと!? おい、言っていいことと悪ぃことが……クソっ! そういうことか……」


 俺もまた反論しようと口を開きかけたが、そこでようやく、俺はすべてを理解した。


 デラマンにハメられた時の光景が、再び俺の脳裏に蘇る……。


 ……まただ。弟デラマン、そして、義兄になるはずだったイーロンに続き、またしても俺はまんまとハメられちまった……。


 誘いを断った俺への怒りから、アステューダ夫人がこの筋書きを描いたんだろう……この悪女を甘く見た俺が愚かだった。こんなことなら、早えとこ女狐の化けの皮を剥いでおいてやるべきだったぜ……。


「悪ぃな、ドン・アガトゥス……あんたの奥方とはわかっちゃいるが、そのアマだけはどうしてもぶっ殺さねえわけにはいかねえ……」


 俺は猿芝居を演じる夫人を睨みつけ、奥歯をギリギリと強く噛みしめると、手にした短槍の切先を女狐へ向け突きつける。


「ひっ…!」


「おのれ、自分のものにならぬとなれば今度は命を奪うか! そうはさせぬぞ!」


 だが、ドン・アガトゥスは腰の剣を引き抜き、青褪める夫人を守ろうと俺の前に立ちはだかる。


「チッ……」


 若妻の本性を知らず、情けなくもデレデレになってるこのエロ惚けジジイが……だが、エロ惚けジジイではあっても、匿ってくれた恩人であることは確かだ。やっぱり殺すわけにはいかねえ……。


「殺してもかまわん! こやつを引っ捕らえい!」


「ハッ! 覚悟しろ! この身の程知らずめが!」


 せめてもの仁義から俺が躊躇してる隙に、一方のアガトゥスは衛兵に命じて、向こうは容赦なく剣を振り上げて背後から斬りかかってくる。


 なるほど。こいつも夫人の色仕掛けにかかった口か……だが、こんなサンピンは俺の相手じゃねえ。


「うぐっ……ぐはっ…!」


 俺は短槍の石突(※柄の先端部)で衛兵の腹を突くと、くるりと槍を反転させてヤツの首に穂先を突き立てる。


「アンディアーネ、とりあえず一人は仇打ったぜ……おい! 女狐! 必ずてめえも地獄へ送ってやるからな! その首洗って待っていやがれ!」


 手加減しても、闘えば無傷じゃすまねえだろう……それによくよく考えりゃあ、今殺しても色惚けのドン・アガトゥスには罪なき愛妻を惨殺されたようにしか映らねえ。このアマの悪業を世に知らしめてからでねえと……本丸はもうしばらくのおあづけだ。


「誰かある! ドン・パウロスが乱心した! その者を捕らえよ!」


 家臣に命じるドン・アガトゥスの怒号に背中を見送られ、俺はまたしても新たな棲家を後にすると、付近の森の中へと逃走したのだった。

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