作戦を立てた。
「私の魅力って何だと思う?」
「何。禅問答でもするつもり?」
「そ。教えて、メガ子」
高校の授業中である。私は友人に話し掛けていた。
自習の時間だった。私の通う高校は進学校のはずだけど、真面目に勉強をしているクラスメイトの数は少ない。大抵は友人同士でのお喋りに興じている。私は真後ろにメガ子の席があるのをいいことに、彼女の机でノートを広げていた。狭いけど、お喋りをするにはこうした方が都合もいい。お喋り七割、勉強三割といったところだ。
「鹿野さんへのアピールポイントが知りたい、と」
「うん。天才。よく分かってんじゃん」
「勿論だよ。ナノちゃん親衛隊一号だからね」
自信満々に、メガ子がピースサインを向けてくる。
メガ子はあの一言で、私が求めているものが恋愛相談だと見抜いたようだ。私の美点は悩み考える必要もないらしく、彼女は丸縁の眼鏡を押し上げて自慢げに笑う。
「可愛いとこ。ちっこくて癒される」
「えー……」
「ん? 予想と違った?」
「もっとこう、カノを落とせる魅力の話をしてほしいんだけど」
「いいじゃない、可愛さも得難い才能のひとつだよ」
頭を撫でられる。嫌ではないけれど、そこまで嬉しくもない。これがカノの手だったならと想像して、そうだったら嬉しいなぁと頬を緩める。メガ子はもう一方の手でシャーペンをくるくると回して、課題の数式を解き進めていた。あ、計算を間違えている。
指先で間違えている場所を指摘すると、彼女は計算をやり直し始めた。
そのお礼だろうか。彼女は相談に付き合ってくれる。
「ナノちゃんは素直に行くべきだよ。ストレートに」
「うーん。最初はそれで失敗したんだよね」
「でも二回目はうまくいったんでしょ」
「だけどチューまで行けたわけじゃないもん」
「それでいいの。最初から完璧を目指すな」
メガ子は二度目の計算で、今度こそ正答に辿り着けたようだ。
自信満々に解答を指差す彼女に、それでいいよと頷きを返した。
満足気に、しゅっと突き出す友人の拳はひ弱である。空手仕込みのカノの拳はもっと鋭くて、姉以外には負けたのを見たことがない。友人が次の設問に取り掛かるのを眺めながら、カノを好きになった理由を考える。
カノの見た目はヤンキーで、近寄りがたい印象を受ける。それでも私が、彼女に惹かれた理由はなんだろう。短く切り揃えた髪型が格好良かったから。他の子よりも凛々しかったから。笑顔が誰よりも可愛かったから。
「色々あるけど、最後は本気度の違いかな……」
「鹿野さんの話?」
「ん。正解」
高校最後の大会で、カノは私の姉に負けた。同じ道場から優勝と準優勝が出たのだ。妹弟子としては誇らしい話である。無表情にトロフィーを掲げる姉の横で、カノは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。私は姉の勝利を喜ぶことも、カノの敗北を慰めることもしなかった。私はカノの、涙で道着を濡らす程の真剣さに打ち震えていたのだ。
大会を終えて空手を辞めたカノとは、やや疎遠になった。大学受験や、引っ越しの準備で忙しかったから? 空手の関係者とは距離を置きたかったから? 理由は知らないし、教えてくれなかった。
久しぶりに会って、髪が少し伸びたカノは雰囲気も変わっていた。だけど喋っているうちに昔と何も変わっていないことに気が付いて、そこには私の憧れる真面目なのに夢見がちな女性がいて。
それが、とても美しく見えたのだ。
「私、綺麗な人が好きなのかも」
「知ってる。あたしも美人でしょ」
「だね」
「かーるーいー。もっと友人を猫可愛がりしろ」
「えー」
メガ子の冗談を受け流しながら宿題を進める。私がカノの実直な部分に魅かれたのだとして、彼女は私の何を好きになってくれるだろうか。そんなことを考えながら、明日の授業までに必要な課題を進めた。メガ子は午後の授業で提出が必要な課題が終わっていないらしい。私はもう終わっているけれど、それを書き写すのは最終手段だ。
「ねぇナノちゃん」
「まだ写経はダメだよ。もうちょっと考えなさい」
「いや、課題の話じゃなくて。慣性って分かる?」
「慣性? そのくらい分かるよ」
「だよね。私にも分かる。恋愛ってのはそういうものだぜ」
キメ顔で言い放って、メガ子は課題に向き直った。丸眼鏡の下に覗く視線は普段通りだし、適当なことを言って私をからかっている風でもない。どういう意味だろう、と本当に始まった禅問答の答えを探す。少なくとも古文の教科書には書いてないと思うけど、宿題を進めながら考えることにした。
慣性とは、物体が運動の状況を保持しようとする性質……だった気がする。物理の点数は常に赤点ギリギリを推移しているから、正確な説明には自信がない。そこから推測するに、人間関係も放っておけば変化しない。友愛から如何にして状況を変化させるか、そこにすべてが詰まっているということか。
放っておけば、カノにとっての私は友達の妹のまま。
彼女の恋人、好きな人になるまでのステップは遠いということだ。
「なるほどねぇ。いいこと言うじゃん」
「えっ。ナノちゃん分かったの?」
「あったりまえじゃん。私は天才だぞ?」
宿題を終えたタイミングで授業終了のチャイムが鳴った。
完璧な調整だ。
ノートをテキパキと片付けて、鞄から弁当箱を取り出した。私よりも課題の進みが遅かったメガ子はノートを机から投げ捨てるように鞄へとなだれ込ませて、ぐちゃぐちゃになった中から弁当箱を救出していた。
明らかに二度手間である。よっぽど、今回の数学の課題が嫌だったらしい。自棄になっているようだ。彼女は弁当にまたしてもニンジンが入っていることを確認して、盛大な溜め息を吐いた。
「友達から恋人に変わるの、すごく大変なのよねぇ」
「実感のこもった言葉だねぇ。実体験?」
「だとしても、ナノちゃんには秘密」
ひょいとニンジンをつまんで、彼女はフタの上に積み上げていく。美味しいのに、と私の腹の虫が小声で鳴いた。美味しいんだけどなぁ、それ。
「メガ子。どうせ残すなら、ニンジン頂戴」
「ナノちゃん。いやしいって言うんだぞ、それ」
「違うよ。フードロス対策じゃん」
もったいない精神とも言う。本当は別に気にしてないけど、周囲の大人に倣うように都合のいい頃合いをみて呪文を唱えている。もったいないから、ちょっと待って。それだけで少しお得な感じがするし。
メガ子から譲り受けたニンジンの煮物はウチよりも濃い目の味付けで、意外と好きな味だった。これだけ美味しいものを残すなんて、と思わないでもない。だけど好みは千差万別だ。無理強いすることもないのだろう。
「恋愛はご飯みたいなものだね」
「生活に必要ってこと?」
「いや? 十人十色だねって意味」
「ナノちゃん、禅問答の才能ないよ」
「えー。いい感じだと思ったのに」
今日も入っていたトマトをメガ子の弁当に送り込む。今回は素直に受け取ってくれた。艶やかな赤い野菜を口に放り込むと、彼女の顔がくしゃりと歪む。クール系の顔をしているだけにインパクトがあって、思わず私の頬も緩んでしまった。
「……ナノちゃん、たまに無垢で残酷」
「ごめんて。可愛くて笑っちゃった」
「ホント、ずるい子だよ。ナノちゃんは」
お茶で酸味を流し込んで、メガ子はいつもの顔に戻る。
「ま、仕方ないから許してやるよ。友達のよしみだ」
「ありがと。メガ子のこと、大好きだよ」
「へっ」
鼻で笑われた。
もう感謝の気持ちを伝えるのをやめようかな、と頬を膨らませながら卵焼きを食べる。お母さんが味付けに失敗したのか、普段よりも甘めの味付けになっていた。いつもこのくらいならいいのに、と思いながらご飯を食べ進める。
「私はメガ子に、本当に感謝しているんだよ」
「へぇ、なんで?」
「恋愛相談に、ちゃんと付き合ってくれるから」
一人で抱え込むよりも、友達に相談する方が悩みの種は軽くなるものだ。姉に相談していたら、今頃カノが近所の川に沈んでいた可能性もあるし。メガ子に相談して正解だったと思う。
「でも、どうして助けてくれるの?」
素朴な疑問を浮かべた私は、ぴこん、と額を突かれる。周囲の同級生に聞かれたくないのか、メガ子はちょいちょいと私を指で招いた。顔を近づけると、メガ子は私の耳元へと唇を寄せた。
「ナノは私の"親友"だから」
「……それだけ?」
「それ以外の理由なんて、いらないでしょ」
パチンとウィンクを飛ばしてくるメガ子が、すごく格好よく見える。
持つべきは友人だな、と心の底から思うのだった。
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