相談した。
カノとキスをしてから数日。
私は高校の教室で惚けていた。
どうやったらカノとの恋愛感情を深められるか、今の私には分からない。困った結果、私は高校の友人に頼ることにした。先日の顛末を説明するうちに、友人の顔が徐々に曇っていく。ナノちゃん、と彼女が私の名前を呼ぶ。
続いた言葉は、ストレートな罵倒だった。
「バカだと思いました」
「えっ、酷くない? それが感想なの」
「ナノちゃん、マジでバカでしょ。呆れるよ」
「嘘だぁ。そんなのって変じゃん」
「バカすぎてウケる」
私の初恋とファーストキスについて、結構真剣に相談したつもりなんだけどな。友人は肺の空気を絞り出す程の大きな溜め息を吐いて、お弁当へと視線を落とす。どうやら私が抱えていた悩みは、彼女にとって取るに足らない些事のようだ。
「あとちょっとで、付き合えそうな雰囲気だったのになー」
「どこがだよ。普通、嫌われるぞ」
「えー、それはないよ。カノとは超仲良しだもん」
「へっ。そうですか」
友人が匙を投げるような動作をしたのは、何かの間違いであると信じたい。
今は昼休みだ。教室の窓は換気のために大きく開け放たれ、緩やかな初夏の風が吹き込んでくる。廊下側に席のある私とメガ子の元へは、凪いだ微風しか届かない。喧噪に紛れて聞こえてくる定期試験の話題に耳を塞ぎながら、私は恋のことだけを考える。
似たようなサイズのハムとウィンナーを交換して、メガ子との相談を続けた。
「でもね、好きって気持ちが止まらなかったの」
「ナノちゃんは、たまに肉食獣みたいなこと言うね」
「メガ子もむかーし、言ってたじゃん。恋は戦争、攻めるが勝ちって」
「駆け引きが大切って話。ナノちゃんのは一方的な暴行だよ」
微妙にダサい丸眼鏡をくいと持ち上げて、友人は私の恋心を別の言葉に言い換える。恋が暴力だと言うのなら、私の愛は虐殺か。そこまで猟奇的な思想はしていないのに。
頬を膨らませていると、メガ子は肩を揺らして笑った。
「子供には難しい話だったかな?」
「そんなことないし。トマトあげる」
「野菜も食べなよ。肌荒れするよ」
お母さんみたいな台詞と共に戻ってきたトマトには、返礼品としてニンジンが追加されていた。相変わらずの偏食家だなぁ、と自分のことを棚に上げて野菜を齧る。私の友人は小学生の頃から高身長だったから、メガ子と渾名がついている。メガネを掛ける前からメガ子だったのだ。私は逆に小さかったからナノちゃんだ。分かりやすくていいよね。
ちなみに、私の本名は奈乃である。
渾名が"ミニー"じゃない理由が、そこにあった。
「で? ナノちゃんに慙愧の念はないの?」
「残機? 無限だよ、私」
「マジでバカの考える返答だわ、それ」
ケタケタと笑うメガ子に釣られて笑ってしまった後で、アホの子扱いされたことに気が付いた。腹を立てようにも気心の知れた相手だからか、怒りが湧いてこない。しょうがない奴だなぁ、の一言でメガ子の意地悪を水に流した。ところでザンキの念って何? 誰?
「ザンキがあれば恋は実るの?」
「そんなわけないじゃん。ナノちゃんはバカだな」
「バカじゃないし。平均より下ってだけだもん」
つまりバカ、とメガ子が持論を補強してくる。テストの点数だけが賢さを測る物差しじゃないのにね。そして彼女は、ついでとばかりに追撃を加えてきた。
「知っているんだぞ、地理の小テスト赤点だったろ」
「しつこい。メガ子の方が成績悪い癖に」
「私はまだ本気出してないだけ」
「うわー。言うだけならタダのやつじゃーん」
あーだこーだと言い合いながら、休み時間は流れていく。
まぁ、特別、メガ子も恋愛強者じゃないもんね。恋愛成就の近道を知っているなら彼女にも今頃恋人がいるだろう。掬えども手には粟の一粒すら付きやしない、と愚痴っているのを聞いたことがある。
だが、それでも私よりは詳しいだろう。だって恋愛小説とかが好きって言ってたし。カノも恋愛小説が好きだから、何かのヒントが得られるかもしれない。
「師匠。アドバイスをください!」
「ナノちゃん。まずは相手との距離を詰めることだよ」
「ふむ」
「なんて名前の人だっけ、相手の人」
「鹿野カノ。お姉ちゃんと同い年で、大学一年生」
「高二のウチらよりも、ふたつ年上か」
ふむぅ、と意味ありげに斜め上を見上げたメガ子は、きっと何も考えていない。お弁当箱の底を突きながら続く言葉を捜しているようだ。空虚をつまんでいた箸がようやくおかずを捕まえた。それがニンジンの煮物だったことに肩を落として、メガ子は私に話しかけてくる。
「鹿野さんとナノちゃんの関係は?」
「友達の妹、かな。私から見ればお姉ちゃんの友達」
「遠いねぇ。まずはキミと鹿野さんが、普通の友達になるところからだよ」
「えー。めんどっちぃ」
「は? つまずき方が雑すぎる。後ろ向きに転ぶなよ。ナノちゃんさぁ、恋愛には積極的なのに友情には意味分からんくらい消極的なの、何?」
ぐいと私のあごを持ち上げて、メガ子は私の瞳を覗き込んでくる。本人も自覚していない内面の問題を見つけ出そうと尽力してくれているのだろう。私も彼女を見つめ返して、濃褐色の虹彩の模様が分かるくらいに近付こうとした。あと少し、唇を突き出せばキスも出来そうな距離まで近づいて、べしっとメガ子に止められる。
「おい。止まらんかい」
「いったぁ。ぶたなくてもいいじゃん」
「ナノちゃん、私にまでキスしようとしたでしょ」
「しないよ! 寸止めするつもりだったもん」
彼女の調査に協力するために顔を近づけたら、なぜか怒られてしまった。メガ子は唇を尖らせて私への不満をあらわにしている。別にキスしたいわけじゃないけど、メガ子に指摘されたことで彼女の唇に目が向いた。
カノよりも薄いその唇に触れたらどんな感触があるのだろうと好奇心が疼く。そろりと手を伸ばすと、メガ子から個包装のクッキーを握らされた。物欲しそうな顔をしていたのか、とやや恥ずかしくなる。
ビニールを破って口に放り込んだクッキーは、意外と甘さ控えめだった。
「それで、メガ子。最初の話に戻るんだけど」
「姉ちゃんの友達にキスした、って話ね」
「どうしたらカノとお付き合いできると思う? 無理でも毎日チューしたい」
「妄想で我慢すれば? 正直、専門外だよ」
「えー、話を聞いてくれそうなの、メガ子しかいないんだけど」
ぐてっ、と机に突っ伏してみる。彼女は不承不承ながら、私の話を聞いてくれるつもりのようだ。居心地悪そうに座り直すと、顎を突き出して話の続きを促してきた。よし、私の妄想を披露するか。
「まず、押し倒すところから考えてみました」
「おいコラ」
「でもね、カノはね、空手全国大会出場経験のある猛者なんだよ。迂闊なことしたら、私がミンチになってメガ子の食卓に並んじゃうよ?」
「逆に聞くけど、どうやって一回目のキスに成功したんだよ」
「私も空手の達人なので。こう、懐に潜り込んで……」
カノと遊んでいる時に、一瞬のスキをついたのだ。
親しい間柄だからこそ生まれる油断を。
私と姉、そしてカノは同じ道場で空手を習っていた。物心ついた頃からの顔馴染みだから、私達は三姉妹のようなものだ。長女が私の姉、次女がカノ。そして末妹が私。小学生の頃は一緒に登校してくれたし、道場が休みの日も仲良く練習をした。空手のために遠征して家を空けることも多かった姉の代わりに、幼い私を沢山甘やかしてくれた。だから懐いて、好きになって。
「気付いたら、チューしてた」
「……そっか」
「で、殴られたわけですよ」
顔見知り歴で言えば、小学校の高学年で知り合ったメガ子よりも長い。
ゆっくりと時間を掛けて育まれた恋心は、水を満たしたコップのようだ。あと一歩を踏み出せずに留まっていても、些細な契機で溢れ出す。一人暮らしを始めたカノの元へと遊びに行って、いつもより上機嫌に笑うカノの笑顔があまりにも可愛くて。
警戒なんて言葉を知らないような、無防備な彼女に抱き着いて。
私は唇を奪ったのだ。
改めて初めてのチューの状況を説明すると、メガ子は呆れを全面に押し出して溜め息を吐いた。彼女は不治の病を前にした医者のように、力なく首を横に振っている。
「無計画で無策とか。ホント、バカだねぇ」
「仕方ないじゃん。初恋なんて制御不能だよ」
「とりあえず、当たって砕けなよ」
「えー、やだよ。私、ホントにミンチになるかも」
へらへら笑いながら、メガ子と色んなことを話した。
恋愛相談に結論など出ないまま、私達はお昼ご飯を食べ終えた。弁当箱を片付けて、歯を磨くために洗面所へ向かう。歯ブラシを構えたところで肩を突かれた。なんだろうと振り返る私にメガ子が顔を寄せてくる。鼻先が触れ合うほどに近付いて、鼻腔を彼女の匂いが満たす。
洗面所には、私とメガ子、ふたりしかいない。
ここで何が起きても、私達だけの秘密になるだろう。
「ナノちゃん、このままだとキスしちゃうよ」
「ん? んー、そうかも」
「……ナノちゃんは私とキスできるの?」
「出来るけど。なんで?」
即答したら、メガ子が言葉に詰まった。変なの。
メガ子は大切な友達だし、真剣な顔で迫られたら断ることはないだろう。でも確かに、そこから恋愛感情が芽生えるかと聞かれたら答えはノー、否定の一言である。彼女の問いかけの意味を理解して、なるほどと一人で頷いた。
「チューしたからって、恋人になるわけじゃないもんねぇ」
「……そうだね」
私から離れたメガ子は、壁に背を預けて歯を磨き始めた。視線はどこか遠くに向いて、私から意図的に逸らしているようだった。ゆったりと前後するメガ子の歯ブラシを見ながら、私もシャカシャカと歯を磨く。
カノと付き合って、甘く蕩けるような関係を築くためには何が必要だろう。それを尋ねようとメガ子に視線を向けると、彼女と目が合った。一瞬だけ見つめ合って、すぐに彼女はそっぽを向く。
思春期だなぁ。なーんて適当な感想を抱いて、私は口を漱いだ。
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