ラヴ&パンチャー!!

倉石ティア

キスをした。

 姉の友達に殴られた。

 彼女の会心の正拳突きが私の鼻面を芯に捉える。回避の余地もなく、骨に響く一撃だった。半年前に辞めた空手の技術は今も健在で、彼女の身体に染みついている。顔の正面で拳を受けた私は、無様に鼻血を流す破目になった。ぽたぽたと垂れる血を手で押さえつつ、私の意識はただ一点に集中している。

 キスに成功したのだ。

 唇に残る、初めてのキスの感触に酔っている。

 多幸感に浸る私を、姉の友達は強く睨みつけていた。

「なんで、笑ってんの」

「初めてのチューが、想像の百倍すごかったから」

「は? お前、マジで……」

「もっかいしたい」

「シバくぞ」

 もうシバかれた後なんだけどなぁ、と私は愚痴を漏らした。

 落ち着いた休日の午後、彼女の部屋で楽しく歓談している最中だった。

 相手は鹿野カノ。姉の友達だ。耳まで赤く染めて、彼女は唇に手をあてている。握りしめ、振り上げたままの右拳が宙に浮いている。左手の人差し指で唇をなぞって、彼女は小さく肩を震わせた。数秒前のキスを思い出して、背筋に走るものがあったようだ。

 それは悪寒か、それとも快感か。

 答えなど、考えるまでもなかった。

 私が近づこうとすると、カノは警戒するように手を前に構えた。一歩踏み出すと彼女は拳に力を込め、でも、今度は殴ってこない。彼女の目に宿る光が揺らいだ。空手を暴力の手段として用いることに躊躇したようだ。その真面目さも素敵だ。染めた茶髪が頼りなく震えている。ヤンキー然とした外見とは裏腹に、彼女はいい娘ちゃんなのだった。

「カノ」

 声を掛けて、更に一歩踏み込んだ。ぴくりと身体が跳ねたものの、二の足を踏んだ彼女はテーブルに置かれたティッシュの箱を取った。そして、箱のまま投げつけてくる。拾い上げるように顎で指示を出してきた。

 奈乃、と彼女が私の名前を呼ぶ。

「鼻血拭けよ」

「優しい。好き」

「うるさい。早くしろ」

 なんて親切なんだ、と改めて姉の友達に惚れ直す。こうして好きを積み重ねて、溢れた想いが突然のキスに発展するんだなぁなどと他人事のようにと我が身を振り返る。こんなに優しくて善い彼女が、悪い奴に好かれないといいな、とか思った。

 姉の友達、鹿野カノは私を睨みつけたまま動かない。

 滅多に見ることのない表情に、不謹慎ながら興奮した。

「カノ、怒ってんの?」

「当たり前だろ。次やったらシバくからな」

 直前の正拳突きはシバキではないのか。だとしたら照れ隠しか? などと冗談が通じる雰囲気ではなかった。恋を言葉にして伝えたいけど、彼女の繊細な心は爆発寸前である。導火線の上で火打石を鳴らすような真似は控えた方がいいだろう。

 それでも。

 好きという気持ちは止められないものだ。

「もう一回チューしたい」

「マジで殺すぞ」

「……カノのケチ」

 私がぼやくと、姉の友達は眉間にしわを寄せる。彼女は全身に警戒と羞恥を滲ませて私への敵対心をむき出しにした。複雑に絡みあった彼女の感情に色を付けるなら、夕陽よりも濃く、血よりも美しい赤になるだろう。

 カノは私の挙動に注目している。近づこうと動けば、彼女は私が踏み込んだのとは逆へ一歩を踏み出した。右へ動けば左に、前へ進めば後ろに。私から率先して距離をとってみたけれど、なぜか近づいてくれないのが不思議だ。距離を詰められないから、と仕方なしにティッシュを拾い上げて鼻血を拭う。唇に垂れた血の味すら、彼女とのファーストキスを上書きするには刺激が弱かった。

 姉の友達にキスして殴られる。

 それでも好きだと思った。これが私の初恋である。

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