第1話 地の国編ー1
青年が再び目を覚ました場所は、さっきまでとまるで様子の変わらない、完全なる暗闇であった。
ただし、もっとも重要といえる違いがふたつだけある。
ピンクジャケットのラッパーがいない。
地に足がついている。つまり自分が人の形をしている。
石ころを踏んだ足裏の刺激。暗闇に響く自らの呼吸音。動かせる手。触れた頬の温もり。
ここで初めて、神大和は、さっきまでの出来事が夢だったのではないかと疑問したのだが、いいや、間違いなく蘇ったらしい。
地獄(地国)だの、中国だの、天国だの、色々と聞いたが、この地に降りてから既に数時間は経つ。いったいぜんたい、神は自分に何を託したのか、何故蘇らせたのか、この数時間の内、それら根本的な疑問を思考する時間は30分にも満たなかった。
プロローグの時にも言ったが、再び、考えてもみてほしい。
蘇り、生を授かったことは本当だった。生前のままの腕、足、頭。
しかし、見渡す限りの暗闇である。
加えて、神と対話をした時の暗闇とは違って、今は完全なる孤独である。
腹も減る。
裸体故に、少々肌寒い。
鋭利な石ころを踏めば、血も滲む。
神大和は復活早々に命の危機を感じていた。歩けど歩けど何もない。何度か人を呼んでみたが、やけに反響する自分の声からして、ここがだだっ広い洞窟のような場所であることは分かった。
その認識が恐怖感を強めるわけだ。
まず1時間。——このまま歩けば、いつか出口の光が見えてくるだろう。それに、わざわざこんな場所に召喚されたのには理由があるはずだ。まさか、出口のない……例えば地下にぽっかり空いた空間なんかじゃないだろう——。
2時間。だいぶ目が慣れてきたが、それ以外の状況は何一つ変わらない。闇に慣れてきただけの幾分良好な視界に対して、きっと出口が近づいているから光が増してきたのだと無理やり捉えて、ひたすら前にいく。——急に崖が現れたらどうしよう。野生の動物が現れたらどうしよう。もしかして進行方向を誤ったのだろうか。でも、今から後戻りをするのもどうだ。足の裏が痛い——。
3時間。——冷や汗が止まらない。脇汗が腰のあたりまで垂れていくのが分かる。本当にこのまま、何もないのだろうか。喉が渇いた。食料はどうする。水はどうする。土、石、食えるわけないよな。どうする。どうする——。
そうして、6時間が経った——。
人間とは脆いものだ。たかが四分の一日、暗闇を彷徨うだけで発狂寸前である。
病は気から。絶望感が身体の限界をも早めた。
棒になった足が悲鳴をあげ、崩れるように突っ伏す神大和。暗闇から隠れるように身を縮こませ、地にでこをつけると、乾いた砂埃が周囲を舞う。
——最悪だ。このままここを彷徨い続けたあげく、また死ぬのだろうか。どうしてこうも短い間に二度も死ななければならない。飢え死に? どんな苦痛なのだろう。最悪だ……。うっ! ゲホッ! ゲホッ!」
砂埃が気管に入り、激しい咳が出る。
——くそ。なんだよ。休むことも出来ないのか。鬱陶しい。
せめてもの反抗。無数に舞う砂埃たちを軽く睨む。
と、その時であった。
突如として神大和は、希望の光に照らされる。
周囲を漂う砂埃の一粒一粒が、アメジストのように煌びやかな紫の輝きを纏い、時が止まったのかと錯覚するほどに、物理法則を無視して、宙にて静止したのだ。心臓が止まるほどの驚きに、神大和は反射的に尻もちの態勢を取り、両椀を使って後ずさりした。すると早くも砂埃たちの発光は収まり、再び物理法則に倣って宙を漂い始める。
神大和はしばらく身動きがとれなくなった。
開いた口がふさがらないとはこのことである。
まさか、砂埃に見えて実は蛍のような虫の一種だったのかと、注意深く観察を続けるが、いやいや、どうみてもあり得ない。
そんな霊的現象を目の当たりにしたことが功して、僅かな時間といえど自身が置かれた絶望的状況を忘れることが出来た神大和は、ふと神との会話を振り返った。
地獄、中国、天国。
今の今までほとんど忘れていたが、この世界は、今までの世界とは違う。
神は、この地、中国では本来人間の脳が持つ力のほとんどが使えると言っていた。
自分に力を与えるとも言っていた。
にわかに信じがたいが……。
神大和は、試す。
中学二年生の頃に風呂場で「か〇はめ波」の練習をしていた自分の姿を思い出し、羞恥心から少しだけ心が乱れたが、試す。
ギロリ、目の前を漂う砂埃たちを睨む。
……光った。
視点を右へ左へ動かすと、焦点に合わせて紫の輝きが膨れ上がっていく。
希望の光だ。
もっと奥まで、もっと奥まで、地に堆積してある砂をも浮かし、際限なく、暗闇の最果てまで、空間を灯してゆく。
辺り一面、宙に浮くアメジスト。凹凸の激しい地には様々な形の影が伸びる。
これほどの芸術はなかなか目にできない。
発光を利用して周辺の環境を確認しようと思っていた神大和であったが、その美しさに自作ながら目を奪われ、身の毛のよだつ鳥肌の自覚を最後に、気を失ってしまった。
ドサっと音を立て、砂埃たちと共に地に倒れる。
慣れない力の使い過ぎであった。
希望の光。
それは、遠く遠く、同じくこの地を彷徨っていたひとりの女にとっても、なのである。
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