死んだら記憶を継承して「現世」に召喚された。あと、神になる。

林堂 悠

プロローグ

 ——人は、死ぬとどうなるのだろう。

 肉体から魂だけが独立し、頭上に輪っかを飾ったThe天使にでも導かれ、天へと召されるのだろうか。神やら閻魔大王やらの審判にかけられ、善人は天国へ、悪人は地獄へと案内されるのだろうか。


 はたまた、完全な「無」となるのだろうか。


 いや、培った個性の何もかもを剥奪され、新たな生命として転生されるのだろうか。


 多くの人間が妄想するこれら「死」に関する疑問は、この先、何百年、何千年、如何に人類の科学が発展しようとも、解明されることは無いのかもしれない。


 何故なら、そんなこと、死ななければ分からないからである。

 して、地球上で命を絶った人間は、同じ地球上で、前世の記憶を継承して蘇ることはないのだから、死人に口なし、正確な答えが伝承されることは、決して無いのである——。

 



 

 さて、本作の主人公——神大和じんやまとは、その答えを知ったところである。


 そう、彼は25歳という若さで、死んでしまったのだ。


 死を経て目覚めた場所は光ひとつ感じられない暗黒の中……といっても、もはや彼に目はないのだが、目を開けている感覚がなくとも、瞑っている感覚がなくとも、その暗黒の中において、自身が視覚情報を得られていることだけは認識出来ていた。


 目の前に、随分とド派手なピンクのジャケットを羽織った爺さんが立っていたからだ。


地国じごくでの勤め、ご苦労」


 その爺さんはピンクジャケットを除いては如何にも神様風な佇まいである。右手に身の丈ほどある木の杖を持っていて、白い太眉が堀の深い目を隠し、美髯公びせんこうのような立派なあごひげを携え、それを常に左手でなぞっている。死んだばかりである青年に対して労いの言葉を送ったわけだが、当然、青年にとっては何がなんだが理解出来ない状況であり、耳に入らない言葉であった。


 いきなりだが、考えてもみてほしい。


 事故にしろ自殺にしろ殺されたにしろ、死に直面するなんらかの事態の最中さなかでついに気を失い、目を覚ますと、目の前にピンクジャケットの神様風爺さんである。しかも辺りは完全な暗闇のはずなのに、その爺さんの姿だけが鮮明に見えるものだから、まるで宙に浮いているようにも見える。高熱にうなされた日にみる悪夢のような状況だ。


 傍からみれば面白い状況だが、青年はパニックに陥った。


 感覚のないまぶた。なのに動かせる視線。

 手、足、頭。同じく感覚がないし、下の方を注目すると、やはり自分の体のパーツは何もなく、ただ暗闇。

 意識だけがはっきりと、間違いなく、絶対に存在している。


 ——なんだ? どうなってる。俺は死んだんだよな? 体がない。どうして生きてるんだ? いや、生きてるといえるのか? 何がどうなってる。


 仮にこれが悪夢だったとしても、人間は夢の最中に「これは夢だ」と、なかなか気がつけないものである。ましてや意識がはっきりしている明らかな現実で、漫画のキャラクターのように「これは夢か?」などと疑問に思って頬っぺたをつねることなど、案外しやしない。もっとも今の青年にはつねる頬も指もないが。


「心が乱れておるな。まぁ無理もない。ナイスガイ。とにかく落ち着いて、ワシの話を聞け」


 青年はその言葉を受けて、初めてピンクジャケットの爺さんを不思議な景色の一部としてではなく、人として認識した。言葉自体は聴こえていたが、相変わらず聞く耳の方は持てない。


「ここは……ここはどこですか? 俺はどうなってるんですか? あなたは誰ですか?」


 不思議と声は発せられた。

 爺さんの言葉のいっさいを無視して思うがままの疑問をぶつけると、あごひげをなぞっていたよぼよぼの左手がぴたと止まる。


「あぁ、今説明する」


 しかし、それだけ言って、またあごひげなぞりを再開するだけだった。


 ……焦燥を駆り立てる間。


 威厳のある顔にずっと見つめられると、青年の困惑はいっそう肥大し、沈黙に耐えかねて再び質問をぶつけようとするわけだが、


「……シースルー」


 とだけ呟かれて、爺さんはいきなり、こらえきれない笑いを噴き出した。「今説明する」のいんを踏んだのだ。


 その光景を見て、青年のパニックはいよいよ限界点を超えた。頭がおかしくなったわけではない。ぴんと張っていた緊張の糸が一気にたるんだような脱力感に駆られ、逆に落ち着きを取り戻したのだ。こういう場合、焦らすような態度に怒る人間もいるかもしれないが、ここでひとつ、彼がこの物語の主人公たる独自性を紹介しておかなければならない。


 彼は人を怒れないタイプの、いわば気の弱い性格である。

 しかもそれは、よくいるおおらかな人間だとか、優しい人間だとか、そんな評価をくだされるレベルに収まらない。


 彼は生まれてから死ぬまでの間、ついに一度も怒りの感情を露わにすることがなかったそうだ。


「あいや、すまんすまん。ちょっと我ながら面白すぎてな。『説明する、シースルー』。プッ、ククク」


 腹まで抱える爺さん。

 脱力し、唖然として見つめることしか出来ない青年。


「あ、貴様、今全然面白くないと思っただろ」


 しかしさすがは神。ぴたと笑いを止めて言った一言は図星であった。


「違うぞ? 単純にシースルーっていう韻が面白いんじゃなくて、死人の前に現れた神がいきなりラップするっていう展開が面白いんだぞ? 勘違いすんなよ?」


 史上最も意味不明なツンデレである。

 青年は引き続き反応に困ったわけだが、やけに冷静になった頭で爺さんの言葉を聞くと、自身の置かれた状況が徐々に呑み込めてきた。


「死人……、神……、やっぱりそうですよね。俺、死んだんですよね」


「おぉ、その通りだ。だからここに呼んだんだ」


 予期せぬ死を遂げた人間であれば、まさしく言葉の意味通りの阿鼻叫喚地獄となる展開だろう。だが、詳しくは追って話すことになると思うが、青年は自身の死を受け入れて逝った身であった。爺さんの腑抜けたジョークもあって、今はもう、冷静である。


 肉体がないのに存在する意思。

 絶対に死んだという自覚。

 暗闇の中に浮くピンクジャケットの神様風爺さん。

 物理法則の崩壊。


 青年は吹っ切れる。悪夢のような現実を受け入れることにし、無い口で溜息をついた。


「へぇ。死後の世界って本当にあるんですね。そしてあなたが……神ですか」


「そうだな。私が神だ。というか、よくこんな状況を受け入れたな」


「それをあなたが言うんですか。……こんな状況に立たされちゃ、受け入れるしかないですよ」


「ほう。まぁ話が早いのは助かる。貴様との対話の時間も限られているからな」


「そうなんですか。じゃあこの後は地獄か天国かに連れてかれるってところですかね」


 地獄と天国。人間が「死後の世界」について抱くありきたりな認識だが、それを聞いた神は皮肉にするような苦い笑みを浮かべた。


「地獄と天国、ねぇ」


 ようやく本題が始まりそうだ。

 皮肉の表情を浮かべた神の顔から笑みの一端も消え、コホンと咳払いまで披露された。面白くない爺という印象から一転して、神らしい雰囲気を醸し出すピンクジャケット。青年の心も引き締まる。


「さて、じゃあそろそろ説明する。シースルー。死んだ貴様をここに呼んだ理由は他でもない——今からすぐ、蘇ってもらう」


「……蘇る? というと、どういうことですか」


 訊きながら、青年の頭にはさまざまな思考が廻った。思慮深い男なのである。


 ——蘇るとはつまり、現世に? いや、まさか。死んだ人間が生き返るなんてあり得ない。まったく違う人間に生まれ変わるということだろうか。……嫌だな。今まで生きてきて、何も楽しいことなんてなかった。でもまぁ、生まれ変わるっていうのなら、多分、俺の人格も変わるのだろう。もしかしたら今度は、うまく生きれるかもしれない。あぁ、人はこうやって無限に命をループしてるのか。


 しかし、ひとりの死人が考えうる予想など、なにひとつ当たる訳もない。


「蘇るとはつまり、今から貴様を現世に召喚するということだが、貴様が思う現世とは、現世ではないぞ」


 青年に顔があったら、さぞ眉毛を歪ませていただろう。


「いいか? もう本当に時間がないから、耳かっぽじってよく聞け。貴様が今までいたところは地国といわれる場所だ。そこで善行を尽くしたと判断された人間がここに呼ばれる。悪人と判断された人間は地国に返す。そっちでは『七つの大罪』とか『三毒』と呼ばれていたか? 善悪の判断基準はそれだ。本来は『嫉妬』『怒り』『虚栄』『傲慢』の『四つの愚行』だがな」


 時間がないと念押しされては、青年はひたすらに聞くしかない。ちなみに「地国」のことを「地獄」と聞いてしまっている。


「そんな『四つの愚行』のままに生きる人間を地国にまとめて反省をさせているわけだ。そして、その地国の上に中国と天国がある。現世とはつまり中国だ。なんとなく分かるだろ? 中間位置の中国が現世。下が地国。上が天国。な?」


 青年は頷こうとするが、首がないことを思い出して「はい」とだけ返事した。


「しかしな、最近はもう、人間の母数が増えすぎたのがダメなのか、地国も中国も変わらなくなってしまってな。しかも中国では地国と違って、人間が本来持つ脳の力のほとんどを解放しているから、もう力に己惚れて、『四つの愚行』に犯されて、ひどいものだ」


 難しい話が続いたが、物事に対しては理解力のある青年である。

 神の言いたいことは汲み取った。


「えっと、つまり、俺はその中国とかいう場所に連れてかれるってことですかね。でも……」


 そこで何をしろと? まさか、そんな世界を救えと? と続けようとしたところで、唯一確実に存在していた自分の意思が、薄れていくのが分かった。視界が霞み、ひどい眠気に襲われたような感覚である。


「おぉ、時間じゃな。貴様には特別な力を与える。地国の世界であれだけ人の愚行を許してきた貴様だ。うまくやることを信じているぞ——」


 整理しきれぬ中、閉じゆく視界にて、ピンクジャケットが眼前まで近づいてくる。


 眠りに入る寸前の寸前まで、神は喋りをやめない。


 青年が覚えている神からの最後の言葉は、こうだ。


「シースルーシースルーシースルーシースルーシースルー! ぷっ! クククククッ」


 神は、シースルーという単語を連呼すること自体が面白いと考えたわけではない。

 これから試練に立ち向かう主人公の耳に残す神からの最後の言葉が「シースルー」であるという事実が、面白いと思ったのだ。





 さて、こうして青年——神大和じんやまとの物語が始まる。


 プロローグ的な内容を長々と書いたが、要するにありきたりな異世界転生物と考えてもらっても構わない。


 死後だなんだといっても、結局は今までいた世界とは異なる場所に、記憶を継承して蘇るだけなのだ。特殊な力を得て……。


 主人公が無双するかどうかは、分からない。

 いや、多分、しない。

 いや、どうだろう。


 舞台は魔法と異能力のファンタジー世界。


 酷にもリアルな、ファンタジー世界だ。

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