Ep.05 [Nina]

 視界がゆっくり回りながら歪む。

 あらゆる音が頭の中で反響し、不快なノイズを生成している。

 こんな朝は何度目だろうか。

 

 昨夜、なにがあった?

 何処で何をしていた?

 どうやってここまで戻って来た?

 ――分からない。

 なにひとつ、おもいだせない。


「うーーーーーーーーー……きもちわる。」


 そう。

 あーしは、また二日酔いなのである。


 

 Air's#9 本部宿舎棟 415号室。

 ワイヤレス給電ベッドをずりずりと這い出てからのルーティーンは、こう。

 洗面所で一杯の水を飲んで、吐く。

 そのまま服を脱ぎ散らかし、シャワーを浴びながら、吐く。

 窓を豪快に開け放ちヨロヨロとベランダに出て、爽やかな朝の光を浴びながら大きく背伸びをして、吐く。

 汚れたので再びシャワーを浴びる。浴びながら当然のように吐く。

 そのままソファーにダイブして、部隊用のチャンネルに傍迷惑な救護要請を送るまでが定例。


 「ぶらぼーつーから、かくいん。めーでーめーでー、しきゅう415ごうしつにきゅうこうせよ……くりかえす。しきゅう――」

 「またですか、ニーナ。」

 寝転がったままベランダを見ると、エクリプスが呆れ顔で立っていた。

 「おぉ、たすけがきた……ありがとう、え――」

 「エクリプスです。」

 「まだ間違えてないでしょーが。」

 「どうせ間違えるので封じました。」

 「それにしても、あーた来るの早過ぎじゃない?」

 「隣から汚い音が聞こえて来たので、そんな事だろうと思ってました。」

 「言い方!」

 「とりあえず何か服を着てください。センシティブです。」


 エクリプスは世話焼きだ。

 飲み過ぎて倒れると、いつも必ず真っ先に駆け付けて身の回りの世話をしてくれる。

 「ねー、エクちゃん。」

 「何ですか?ニーナ。」

 散乱する服や下着を洗濯機に放り込み、湯を沸かしながら何処からか持って来た掃除機をかけるエクリプス。その絵面はまるで、正月に帰省した実家でゴロゴロする娘と、通常運転の母である。

 「世話ってさ、ネパールでも世話は"Sewa"って発音するらしいよ。」

 「何ですか急に。」

 「海外遠征した時に使えるかなと思って。」

 「ネパールでお世話する時限定じゃないですか。」

 「確かに。」

 「あ。ちょっと待っててください。すぐ戻ります。」

 そう言って何かを思い出したエクリプスは部屋を出て行き、5分程で戻って来た。

 手には1本のアンプルと、謎の粉が入った袋が握られている。


 「……そのやばそうな瓶と粉は?」

 「エルペンザールと粉末のTCLです。メンテナンス室で事情を説明して、貰って来ました。」

 「おぉ!さすがエクちゃん!……で、何なのその、エリンギナメールって。」

 「エルペンザール。主にソムリエタイプのヒューマノイド向けに開発されたアルコール分解補助液。ニーナにも分かるように言えば、二日酔いの薬みたいなものです。」

 ……あれ?もしかしてバカだと思われてる?流石に前半の説明で分かるんですけど。

 「へぇ、あーしの為にあるような薬じゃん。」

 「その通り。ニーナのデータを基にバッカス・ソリューションズと共同開発で作られた薬です。まだ試作段階なので何が起きるか分かりませんが、丁度良く二日酔いしたバ……ニーナで試そうと思います。」

 「あー、そうなん……って、実験台じゃんそれ!怖っ!あとバカって言いかけたでしょ!」

 当たり前のように恐ろしい事を言うエクリプス。ツッコミを入れる度に頭にガンガン響くが、言わずにはいられない。

 あーしはバカじゃない。ちょっと先読みと失敗から学ぶ事を控えてるだけ。殊更、お酒に関しては。

 

 沸かしたお湯を100mlコップに移し、60度まで冷ます。

 そこにアンプル内のエルペンザールを30ml全て入れ、専用の粉末TCLを投入して攪拌。粉末が溶ければ完成。

 そのままエルペンザールだけを飲んでも特に問題は無いそうだが、かなり酷い味がするらしい。

 ソムリエタイプのヒューマノイドは味覚に関する感度が高いという事への配慮もあって、実用化にあたり同薬用に調整された特殊な粉末TCLを加える事で、不快な味を解消出来ている……筈だ、と開発責任者は語る。


 「――さて。出来ましたよ、ニーナ。」

 満面の笑みでコップを差し出すエクリプス。

 「だ、大丈夫なの、コレ……何かすっごい色してるけど。」

 「一応、ビーフストロガノフ味だそうです。」

 「やだ、そそるわそれ。シャルドネ持って来て。」

 「だめです。何で二日酔いの薬飲みながらワイン飲むんですか。」

 「そんなの……合うからに決まってるでしょーが!」

 「ごちゃごちゃ言ってないで飲んでください。はい!ニーナの良トコ見ってみったい!」

 法律で禁じられて久しい一気コールを楽しそうに再現するエクリプス……の、隣にいつの間にか座って一緒に手拍子しているエコー。尚、エコーにリズム感の概念は無い。

 「わかった!飲むから!エコーも手拍子やめ!」

 心を無にして一気に飲み干すと、トマトの酸味とバターや生クリームのコク、そして仄かにマッシュルームや玉ねぎ、牛肉といった食材の甘味や旨味が口の中に広がった。

 「えっ……おいしい!飲むビーフストロガノフだ。シェフを呼べ!」

 「それは良かった。今の症状はどうですか?」

 「まだ頭がグラグラするし若干気持ち悪さが残ってる。」

 「効果は30分程で出るそうなので、このまま横になって様子を見ましょうか。エコー、そこのタオルケットを取ってください。」

 「ねぇ、エクちゃん。」

 「はい?」

 「……いつもあんがと。」

 ソファーに横になったあーしは、そっと目を閉じて30分のタイマースリープモードを起動した。


 ――エクリプスがベランダを掃除し、洗濯物を干している。

 眠るニーナを見守りながら、エコーが口を開いた。

 「エクリプスさん。ニーナさん、良くなるといいですね。」

 「そうですね……ニーナは人一倍頑張ってますから。」

 洗濯篭から衣類を取り出し、手際良く干しながらエクリプスは少し遠くを見つめている。

 「元々ソムリエをやってたんでしたっけ。」

 「そう。ニーナはバッカス・ソリューションズのヒューマノイドプロジェクト、"ソムリエシリーズ"の一人。超高度な味覚と嗅覚、膨大なデータベースやサンプルに基づいた正確で公平な判定が可能な、次世代型ヒューマノイドとして名を馳せる予定でした。」

 「でも、それを望まなかったんですね、ニーナさんは。」

 「望まなかった訳じゃないんです。……見ての通り、彼女はお酒を愛しています。知識も豊富です。きっとニーナだったら業界の第一線で活躍する事が出来たでしょう。」

 「じゃあ、どうして……?」

 「ソムリエが嫌だった訳じゃない。むしろ好きだった。でも、ソムリエとしてではないもっと別の生き方があるんじゃないかと思ってしまった。別の可能性を見てみたくなったんだと思います。そんな折、ヒューマノイドの多様化を目指すプロジェクトが社内で立ち上がりました。そのひとつに、ニーナは強い関心を示したんです。」

 「それが、"躯体強化"だったんですね。」

 エコーが落ちそうになっているタオルケットを掛け直し、ニーナの前髪を撫でながら少し目を細めた。

 「本人の意思を尊重したいと考えた技術開発チームは、彼女に強化躯体のハードウェアアップデートを行いました。しかし運動性能について想定よりも桁外れな力を発揮してしまい、パラメーターの細かな調整を繰り返していたそうですが、上手く行きませんでした。それから程なくして、例の事件が起きます。」

 「でも、どういう繋がりでニーナさんはここに呼ばれたんですか?」

 「私が打診しました。」

 「え?」

 「元々、私の所属する真籠製作所とニーナの所属するバッカス・ソリューションズは交流があったんです。なのでニーナとも以前から繋がりがありました。」

 へぇ……と、エコーが目を丸くしている。

 洗濯物を干し終えたエクリプスはエコーの向かいに座り、ニーナの寝顔を見ながら話を続けた。

 

 「ニーナは何も考えていないように見えますが、これでいて繊細なんです。強化躯体になってからも彼女は悩んでいました。どれだけパラメーター調整をしても、すぐにロールバックして規格外の出力に戻ってしまう。いくらソフトウェア制御をしても変わりませんでした。でも、それを活かせる場所が出来た。――出来てしまった、と言った方が良いですね。」

 「それが、この場所……。」

 「その通り。今ニーナの使っているロケットブースターは、元々私が配属されていた忍者村でのアクション用に私が使っていたものを完全飛行用に改造したものです。動力はニーナから供給されるエネルギーも活用しているので、もはや専用ユニットですが……。ソムリエシリーズは政府の後押しもあったプロジェクトだったという事もあり、飛行機能を得て一定条件を満たしたニーナは、このAir's#9という新しい舞台に立つ事となりました。」

 「じゃあニーナさんって、もしかして普段は力をかなり慎重にコントロールしてたりします?」

 「そうですね……これまではだいぶ気を遣っていたと思います。握力で言えば、何も考えなければドアノブ程度なら指の形の通りに変形してるでしょうから。」

 エコーの肩がぴくりと動いた。

 「と、とんでもない力ですね……。」

 「あはは、でも大丈夫ですよ。その為のお酒なんですから。」

 「そのための、おさけ?」

 エコーは釈然としない様子で笑うエクリプスを見つめている。

 「ニーナは見つけたんです。自分の力をコントロールする最良の方法を。」

 「まさか、飲む事で意図的にパフォーマンスを低下させていたとか、そんな話ですか?!」

 「ご明察。エコーの想像通り、ニーナはアルコールの摂取でパラメーターに下方修正が掛かります。その仕組みは解明されていませんが、元々ソムリエタイプだったというのも深く関係してそうですね。任務や訓練が終わったらすぐ一杯やるのは、決して癖というだけではないんです。……まぁ、本人もお酒大好きなので、義務と称して飲みまくっているところは否定しませんけど。」

 「全然知りませんでした……私、任務終わった後のニーナさんの事をただの飲んだくれゲロ吐き機だとばかり思ってましたから。」

 「それもあながち間違いではないです。」

 

 ――目が覚めると、エクリプスとエコーが並んでこちらを見ていた。

 視界が正常に戻って、体も軽くなっている。

 ゆっくり起き上がり見渡すと、部屋が綺麗に整理されていた。

 ベランダから吹き込む風が、洗剤のいい匂いを運んで来る。

 何て爽やかな朝なんだろう。昼だけど。

 「おはようございます、ニーナ。調子はどうですか?頭以外で何処かおかしな所は?」

 エクリプスがクセの強い問い掛けをして来たので、後半は聞き流す事にした。

 「二日酔いが嘘みたいに無くなってる……エクちゃん、あのストロガノフ凄い!すごロガノフ!」

 「どうやら成功だったみたいですね。ニーナさん、寝顔可愛かったです。」

 エコーが、エコーなりに精一杯の笑顔を見せる。……寝顔?

 「え、あーた達ずっと見てたの?!」

 「エコーは食い入るように見てましたね。」

 「そ、そこまででは……ありますけど。」

 「流石にちょっと恥ずかしいわ!」

 「ともあれ、治ったみたいで安心しました。今日は無理せず大人しくしているんですよ、ニーナ」

 「断る。」

 「……へ?」

 「断る!今日は冴樹ちゃんと飲む約束があるから!という訳なので、あーしことニーナ・カルバドスは只今より冴樹司令官とおちゃけをしっぽりどっぷりがっつりとご一緒させていただく所存でごじゃーじゃす勿論冴樹ちゃんの奢りで!!!」

 身軽になったあーしは一息で長台詞を言い切ると、何処までも飛んで行ける気がして部屋を飛び出した。

 待ってろ冴樹ちゃん。あーたの財布も口座も財形貯蓄も、全部ゼログラビティーにしたーげる!

 「……行っちゃいましたね。エクリプスさん、私たちはニーナさんを止めなくて良かったんでしょうか。」

 「いいんです。あれでこそニーナなんですから。それよりも……冴樹さんが心配です。」


 Air's#9 本部宿舎棟 425号室。

 「さーえーきーくん!のーみましょ!」

 部屋のロックが解除され、明らかに眠そうな冴樹が出て来た。

 「お前……今何時だと思っ」

 「13時24分であります!」

 「分かってるじゃないか。休日ぐらいもう少し寝かせてくれても」

 「なりません!体内時計は常に一定を保つ!それこそが健全な……えっと、ほら。健全な!アレであります!」

 「勢いで押し切ろうとするな。何なんだそのキャラは。昨夜食堂でベロベロに泥酔して、薄気味悪く笑いながらエクリプスに引きずられて帰って行ったお前が健全を語るな。」

 「ふっ、何も分かってないな冴樹ちゃん……。不健全無くして健全無し!あーしが不健全を体現する事で健全の在り方を浮き彫りにしているのなら、それ即ち!あーしが健全とは何かを問い掛けているようなものであり、それはあーしが健全の概念であり、権化である事と同義なのである!」

 「随分大きく出たな、だが全く理屈が通ってないぞ。……言っておくが、こんな時間から酒なんて飲まんからな。」

 「えー、宅飲みかぁ。宅飲みがしたいってかぁ。わがままちゃんだなぁ冴樹ちゃんは。しばし待たれよ買い込んで来る!」

 「そんな事言ってないだろ、おい何処へ行く!宅飲みもしないぞ!寝るんだ今日は!」

 後ろで冴樹ちゃんが何か言っているような気がしたけど、あーしは既に嬉々として酒屋に向かって全速力で駆け出していた。ひゃっほい。

 

 ――10分後。

 

 「さーえーきーくん!のーみましょ!」

 部屋のロックが解除された音を聞くと同時に、あーしは部屋に突入した。ダイナミックに前転した弾みで缶が袋から数本転がり落ちたが、気にしたら負けだと思って無視した。

 「動くな!Air's#9だ!」

 「あぁ、どう見てもそうだな。ここだもんな、Air's#9の本部は。」

 「つべこべ言うな!……おい!これはどういう事だ!これは何だ言ってみろ!」

 あーしは、突入の際に床に転がっている買って来たばかりの缶酎ハイを拾い、冴樹ちゃんに突き出した。

 「お前が今買って来た缶酎ハイだろ。」

 「言い訳するな!」

 「何が?」

 「貴様……飲まされたいのか!このおいちいおちゃけを!」

 「おい、ニーナ。」

 「何だぁ冴樹!」

 「お前、戻って来るまでに飲んだろ。何本だ?」

 「5本だ!さては飲んでないな貴様!シラフの罪で逮捕するぞぅ!」

 冴樹が呆れた顔で、財布から高額紙幣を1枚ぺろりと差し出した。

 「……これやるから好きなの買ってこい。あと、適当に焼き鳥も頼むわ。」

 「わぁい。」

 

 あーしは、言われるがまま再び酒屋へ駆け込み、隣の焼き鳥屋で適当に注文して、焼けるのを待っている間も缶ビールを飲み続けた。待ちながら飲んでいたら少し減ってしまったので、寂しくなって買い足した後、昼下がりの商店街を音速で駆け抜け425号室に帰って来た。ビバ青春。


 「動くな!Air's#9だ!」

 もはや開くまで待つのも面倒なので、部屋の自動スライドドアを手動でスパーン!と開け放ち、決め台詞と共に突入した。

 「ウケた手応えもなく天丼狙おうとするな。」

 「おちゃけと焼き鳥買ってきた。んふふ。」

 「どんだけ買ってきたんだお前は。」

 「各30本。」

 「多過ぎだろ。お前も食えよ。……おい。"各"って何だ?」

 「あーしは飲み専だから食べ専呼ぶ。……エクちゃーん、425号室おいでー。それとエコーも連れといでー。」

 「そんなしょうもない事で無線使うな。それと各30本ってどういう意味だ。お釣りは?」

 「あーしの計算力を侮ってもらっちゃあ困るわ。本日のお会計、予算ピッタリのツケ無しでありました!」

 「ふざけんなお前。」

 程なくして、エクリプスがエコーを連れて訪ねて来た。

 「何か食べるんですね。」

 「相変わらず察しが良いな。心でも読めるの?」

 「心は読めませんが、ニーナに呼ばれるという事は、何か食べさせられるか会計を立て替えさせられるかの2択なので。」

 「関係がドライ過ぎるだろ。あと普通に正面から入って来い。何でお前らはわざわざダクトから来たんだ。曲者か。」

 見上げた先では、天井裏からエクリプスとエコーが揃って覗き込んでいる。

 何処から見ても異様な光景なのに冴樹ちゃんは特に驚きもせず、当たり前のようにツッコミを入れている。

 この男は変なトコで肝据わってんね……と、あーしは思う。

 

 「今更ながら忍者っぽい事も出来るんだよアピールです。どうですか、冴樹さん。」

 「この時代、天井から登場するような奴なんてエクリプスかB級ホラー映画の触手生えたクリーチャーぐらいのもんだろうな。早く降りて来い。怖いから。」

 

 ――買って来た大量の焼き鳥を大皿に盛り付け、これまた大量の様々なお酒をテーブルに並べ、宴という名の合戦場の準備が整った。ここからは、先に潰れた方が負ける。これぞ弱肉強食。

 「準備はよいか。総員、激鉄起こせ!」

 「誰なんだお前は。あとステイオンタブを激鉄と訳すな。」

 内部にアルコール分解構造を持たないエコーとエクリプスは、TCLのボトルをコップに注いでいる。

 「エクちゃん、今日はとことん飲むから後はよろしく。À votre Santé!(あなたの健康に)かんぱぁーい!」

 「ぼーとる……なんて?……か、乾杯!」

 

 それは『酒は百薬の長。今日は健康の為、意識に翼を授かるまで飲む。』そう心に誓って(この部屋での)今日最初の一杯に口を付けた直後に起きた――

 

 「さえき!さえき!大変!」

 チームアルファのミアが、血相を変えて駆け込んで来た。

 「どうした、ミア。」

 そして次の言葉で、部屋に緊張が走った。

 「東のバリケードが突破された!53!」

 「いつの事だ!被害状況は?」

 「たった今!亀裂が入ったバリケードの換装要請で目を離した隙にやられたって……怪我人は無し。だけど他にも危ない区画が南側で1箇所見付かってる!もうみんな準備始めてるから急いで!」

 「……ニーナ、すまない。宴会はおあずけだ。こっちは情報をまとめる。出撃準備が完了次第、新宿方面へ向かってくれ。各分隊配置の詳細は現地到着までに無線で伝える。以上だ!」

 本部が突然慌ただしくなる。

 強化ユニフォームに袖を通したあーしの内心は、決して穏やかではなかった。

 

 楽しみにしていた飲み会。

 昼間から飲んだくれて、騒いで、はしゃいで、裸踊りなんかしちゃって、散々暴れてエクリプスに引きずられながら帰って台所で吐き散らかして寝る。そして次の日みんなに合わせる顔がない。

 そんな休日を謳歌する筈だったのに。

 

 「――HQより各員。」

 現地に急行するヘリの中、冴樹君からの無線が入る。

 現場は新宿防衛線東部の第53区画。度重なる攻撃で崩壊の恐れがあった移動式バリケードの1枚が、一瞬の隙をついて突破された。

 追加で突破の恐れがあるのは南部の第81区画。警戒区域の終端、"最終防衛線"を越えたら渋谷が目と鼻の先にある。

 現在、多砲式4足歩行兵器[Ⅳ型]2機と、単砲身の高機動3足兵器[Ⅲ型]1機が国道20号線を四谷方面に向かって進行中。

 チームA(アルファ)はバリケード換装の完了まで第53区画の防衛、チームC(チャーリー)は第81区画で換装のサポート。そしてチームB(ブラボー)は――


 「ブラボーの3名は、奴らが最終防衛線である3km地点へ到達する前に何としてでも食い止めてくれ。その先は完全な規制外区域だ。越えられたら犠牲者が出ることにもなり得る。――頼んだぞ。」

 「B3承知しました。」

 「B1了解。」

 もうすぐ目標地点上空に到着する。

 この戦いが始まる前に、どうしても確認しておきたいことがあった。

 「……冴樹ちゃん。ひとつ訊いていい?」

 「何か気になる事でもあるのか、ニーナ。」

 「この任務が終わったら……一杯だけ付き合ってくれる?」

 「……あぁ、勿論だ。帰ったら何杯でも付き合ってやる。だから思いっきり暴れて来い!」

 その言葉が聞きたかった。

 こういう時に躊躇いなく欲しい言葉をくれるのが、冴樹ちゃんの良いトコだと思う。

 

 「へへ。言ったな?呑み潰れて後悔するなよっ!」

 

 「チャーリー、第81区画到着。対象周辺の警戒を始めます。」

 「アルファ、第53区画に到着。状況開始。」

 各チームの防衛準備が整った。あとは突破したターゲットが各方面へ散開する前に叩くだけだ。

 「目標、捕捉しました。」

 エコーが国道を東へ移動する3機を捉えた。幸いにも、まだ固まって動いている。

 「エコー、ニーナ。私たちも行きましょう。」

 「おーらい!」

 ヘリから飛び降りた3人はそのまま一直線に国道20号線の四谷駅前交差点へ降り立ち、ターゲットの進路を塞ぐ形で待ち構えた。

 「……40秒後にコンタクト。」

 パッシブソナーで探知中のエコーの様子が少しおかしい。こんな時なのに正面ではなく、空を見ている。

 「エクリプスさん。私、どうしても許せないものがあって。」

 「何です?」

 「それは……」

 エコーの瞳が、淡い紫色から真紅に染まってゆく。

 「大事な人を傷付け、悲しませるもの全てです。」

 「……そうですね。許せません、絶対に。」

 「そシて、我々ノ安息を奪ウものスべてヲ……」

 いよいよエコーから唯ならぬ空気が漂い始めた。

 「あぁ、これはちょっと展開としてマズいですね。あと20秒で収まってくれれば良いんですが……無理か。」

 "嫌な予感"を察したエクリプスが、正面を見据えながらも若干ハラハラしている。

 自分の為に怒ってくれるのは嬉しいけど、何事も節度というものがある。せめて本人より先に激昂してはいけない。エコーは、その優しさ故に感情が爆発すると恐ろしい。

 だからこそ分かる。この状況でエコーを止められるのは、もはや奇跡だよな、と。それでも試しに落ち着かせようと試みた。

 「だ、大丈夫だから。あーしは帰ったらみんなと飲み会の続きを――」

 「許さナい許さなイゆルサナい許サなイ許サナイ」

 無理っぽかった。

 「エコー、落ち着いてください。今回はあなたじゃありません。ニーナに見せ場を譲っ――」

 

 「全部ぶッ壊してやル!!!!!!!!!!!」


 「あ、ちょっ……エコーってば待ちなさいって!」

 カッと目を見開いて笑いながらターゲット群に猛スピードで突っ込んで行くエコー。

 こうなるともう、あーし達の手に負えない。

 いや、誰の手にも負えるわけがない。

 「ほどほどの活躍でお願いします!このままでは……このままではニーナがアル中全自動ゲロ吐き機という事実確認をしただけで終わってしまいます!」

 どさくさに紛れて、エクリプスが何か酷いことを言った気がする。

 「エクちゃん。いま、何て?」

 「空耳です。行きましょう、ニーナ!」

 気のせいだったらしい。

 「あいよ!」

 そう言って、エコーとは別のターゲットに向かって走り出す二人。

 時間効率を考えてという理由も無くはないが、主な理由はそこじゃない。

 一緒に行くと逆に危ないという事を知っている者だけが下せる賢明な判断だと言って欲しい。


 覚醒したエコーが一斉掃射を左右に躱しながらⅣ型の前に飛び出すと、両手の袖から先端に錘の付いた特殊鋼鉄線を前側左右脚部関節へ射出して巻き付け、そのまま本体下部を走り抜けた。

 それと同時に何かが悲鳴を上げるような高い音が鳴り響いた直後、関節を切断されたⅣ型が大きく前傾して崩れ、主砲塔がアスファルトに突き刺さる。

 「――無様ナ鉄屑が。」

 鋼鉄線を引き戻す瞬間を突いて後方側面の機銃が最後の抵抗を試みるも、エコーがひと振りした腕から発生した衝撃波がⅣ型のコアユニットを正確に押し潰し、完全に停止した。

 「次ハ誰ダ……お前カ?ひヒっ。」

 口元は笑っているのに目は微塵も笑っていなかった。仮に今この状況から見始めた人が居たとして、きっとエコーの方が悪く見えるに違いない。もはや構図としては、制止を試みて返り討ちに遭った軍事兵器と、それを一瞬で完膚なきまでに叩き壊して嗤う犯人にしか見えない。こんなの中継されたら別の問題が生まれそうである。

 

 「怖っ!エクさんや……エコーの手から何か凄いの出てた。軽く手を払っただけなのにえげつない抉れ方したんだけど。何あれ。」

 「何言ってるんですか。そんなの今に始まった事ではないでしょう。」

 「それもそうか。」

 ちゃんと意識して見てた事って今までなかったけど、言われてみれば確かに戦う時のエコーはこんな感じだった気がする。

 深く考えるのは性に合わないので、目の前の殲滅対象へ集中することにした。

 「ほいじゃあ、いつものよろしく!」

 「了解!」


 エクリプスが"いつもの"を取り出した。

 19世紀に開発された対戦車用の特攻兵器に、刺突爆雷というものがある。これをハンドサイズにまで小型化し、電磁パルスを発生させるEMPグレネードと組み合わせ、貫通力を持たせたもの。それが、この忍者御用達でお馴染みの苦無……の型をした爆発物。エクリプスはこれを大層気に入っているが、あまり使い過ぎると比較的財布の紐が緩い冴樹でさえ思わず苦い顔をするぐらいはコスパが悪い。


 「それじゃあいきます、よっ!」

 

 エクリプスが真上に飛んで、苦無型のEMP発生式刺突爆雷をⅣ型に連続で打ち込み、鈍い金属音を響かせながら内部へと突き刺さる。

 「5秒後です、ニーナ!」

 「まかせんしゃい!」

 爆発と共に上部の砲身が吹き飛び、電磁パルスによってⅣ型の制御システムが止まった。この隙を狙ってトドメを刺すのが、大型タイプを相手にする時の常套手段。

 「あーしの大事なハイパーおちゃけタイムを返せ……こんっっっの、くそったれがぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」

 地面を強く蹴って、思いの丈を叫んだ。こいつらのせいで楽しいだけの筈だった休日を少しでも潰されたのかと思うと、どうしても叫ばずにいられなかった。

 

 ――世の中には、自分の理解を超越した何かというものが沢山ある。

 覚醒したエコーの腕から発せられたそれも、あーしには何がなんだかよく分からない。よくわからないけど凄い。

 原理が分かったところで、やっぱり『凄い』という感想以上の言葉も恐らく見当たらないと思う。

 それでいいし、それがいい。

 

 そんでもって今のあーしが為すべき事は、分かり切っている。


 「Qu'elle repose en paix (安らかに眠れ)……エィメェェェェェェエン!」

 

 ――目の前の、休日の楽しみを邪魔した奴を思いっきりぶん殴って葬る。それだけ。


 エコーに倣って中央のコアユニットに一点集中で叩き込んだ一撃はⅣ型の重厚な本体を叩き割り、四谷駅前の交差点に小さなクレーターを作った。

 

 「逃がサない。」

 少し遠くに、最終防衛線に向けて移動しながらⅢ型が放つ砲撃をゆらゆらと避けるエコーの姿が見える。

 徐々にⅢ型との距離が離れてゆく――しかし次の瞬間にはもう、真下にまで潜り込んでいた。テレポートでもしたかのような素早さでゼロ距離にまで詰め寄り、そして――

 「――チェックメイト。」

 エコーが右手を振り上げ指を弾いた直後、Ⅲ型が綺麗に6つに裂けて爆散、あっけなく崩壊して行く。

 この時のことを振り返って、結局動きも言葉も表情も全てが狂人的なのに、やっている事に関してはべらぼうにクールだったと気付いたのは、そこそこ後になってからだった。

 

 エコーの壊れた嗤い声が響く昼間の四谷に最後の粉塵が舞い上がり、あーし達は特に苦戦することもなく任務を完遂する。

 時を同じくして、アルファとチャーリーの防衛任務も無事完了したとの連絡が入った。

 

 

 ――辺りが静寂に包まれ、つい先程までⅢ型を形成していたスクラップの中、エコーは空を見て立ち尽くしている。

 瞳の色は淡い紫に戻り、表情もいつも通りの全く心が読めない顔に戻っていた。

 「エコー!大丈夫ですか?」

 エクリプスが足早に駆け寄る。

 「私は……また、やってしまったのでしょうか。」

 空を見たまま、エコーが誰にするでもない問い掛けを呟いた。

 「お手柄だったよ、エコー。あーた最っっっ高に、かっこよかった!」

 「迷惑、かけなかったですか?」

 「大丈夫、あなたは素晴らしい戦いぶりでした。次も頼りにしていますよ。」

 「……よかった。」

 先程までよりは普通に、でもぎこちなく、エコーは笑って見せた。

 最初に居た機関のエンジニアは、この子に一体どんなプログラムを仕込んだのだろうか。

 エンパスも何故、エコーの内部を"このまま"にする結論を択んだのだろうか。

 答えを持たない疑問しかないのは、疑問がないのと大して変わらない。

 あーしは、深く考えるのをやめた。そんな事より酒である。

 

 「帰りましょう。冴樹さんが、みんなが待っています。」

 

 Air's#9 本部宿舎棟 425号室。

 緊急出動から戻ったあーしは、すぐさま冴樹ちゃんを捕まえて無理矢理部屋に連れ戻した。

 「それじゃあ仕切り直しといこうか。……で、何か人増えてないか?」

 「あら、気のせいじゃないかしら。」

 「そうっスよ、元々この人数っス。」

 「細かいこと気にしてたら禿げるよ、さえき。」

 「さっきまで居なかったのが明らかに混ざってるぞ。」

 たまたま廊下で鉢合わせたアルファのメンバーに折角だからと声を掛けた結果、思った以上に部屋が狭くなってしまった。

 「まぁ、良いじゃないですか。沢山居るに越したことないですよ。ね、エコー。」

 「あまりこういうの慣れてないですけど……何か、賑やかで良いですね。」

 「そーいうわけだから冴樹ちゃん、気にせず飲むぞぅ!よぉーし総員、激鉄起こせ!かんっっっぱぁーーーーい!」

 「だからステイオンタブだろうが!」


 

 ――こうして、あーし達は夕方から夜中までしこたま飲み続けた。


 

 視界がゆっくり回りながら歪む。

 あらゆる音が頭の中で反響し、不快なノイズを生成している。

 こんな朝は何度目だろうか。

 

 昨夜、なにがあった?

 何処で何をしていた?

 どうやってここまで戻って来た?

 ――分からない。

 なにひとつ、おもいだせない。


「うーーーーーーーーー……きもちわる。」


 そう。

 あーしはまた、二日酔いの朝を迎えるのである。



 「エクちゃん……あの薬ちょうだい。」

 

 「もう無いです。」



 酒は飲んでも、飲まれるな。

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