Ep.04 [Eclipse]
深夜1時28分、東京上空。
高度1500mの偵察ヘリから地上を見下ろすと、まるで大きな穴がぽっかり空いたかのような異質な風景が広がっていた。
新宿区。"あの事件"から約1年経った今も、まだ私たちはこの場所を奪還出来ていない。
都庁第六庁舎を崩落させ、短時間で多くの人の命を奪いながら周囲2kmエリアを制圧し、誰一人として寄せ付けないまま沈黙を守り続けた、"あの男"から。
「エコー。そろそろお願いします。」
「起動しました……対象エリアのサーチ完了。ⅠからⅣ型含む、その他全ての機器反応なし。今のところ降下に問題はありません。」
上空からのサポート役として同行しているエコーには、パッシブソナーが実装されている。中近距離向けの無指向性・遠距離向けの超指向性のスイッチングが可能で、今回は初めて直上からのダイレクトアプローチを行う実験も兼ねているということもあり、降下地点を中心とした半径200mの地上エリアのサーチで事前に状況確認し、安全を確保しておく必要があった。
「ありがとう。助かります。」
「あの……くれぐれも気をつけて……くださいね。あなたに何かあったら、私……」
普段から表情に乏しいエコーが、少し不安そうな顔を見せる。
「分かっています。そうならない様、あなたに上空待機して貰っているんですから。……これからも頼りにしていますよ、エコー。」
「……はい!」
エコーは意外な言葉を貰ったかのような表情をした後で、ほんの少し目を細め、普段より若干口角を上げて返事をした。"感情"が何かのシステムと干渉し、上手く動作しない彼女なりの笑顔だったのだろう。
深夜1時30分。最低限の装備を整えた私は、ヘリから飛び降りた。
降下しながら加速して行き、地上の暗闇が徐々に視界を蝕むように迫る。高度400m地点から体勢を整え、背中のボード型反重力ユニットを足に装着して着地に備えた。
そして地上が近付くにつれて減速し、私は新宿駅の出入り口直上に音もなく降り立つ。
視野をナイトビジョンモードに切り替えて周辺の状況を軽く見渡し、本部と通信を繋いだ。
「B1(ブラボー・ワン)からHQ。只今調査ポイントに到着。」
「こちらHQ。B1、周辺の状況は?」
「半径200メートル圏内、クリア。敵影ありません。」
「了解。今回の目的の確認だが――」
「新宿駅構内、地下1階から南口のグラウンド・ゼロまでの状況を調査。ですよね、冴樹さん。」
「その通りだ。本当なら他の二人も同行させたかったんだが、大所帯になればリスクも大きい。何より、お前の持っている"ステルスフード"は少し特殊でな……今のところ、正常に動作するのはそれしか無い。もし危険を察知したら――」
「危険を察知したら、即時離脱。心得ています。」
「流石だな。」
「私たちは限られた戦略リソースです。決して無理な調査継続で損害リスクを高める事はしません。」
「――そんな風に言うな。お前は、お前達は、ただの戦略リソースなんていう捨て駒なんかじゃない。」
冴樹さんの語勢が少し変わった。
「確かにお前たちは、この状況を打破する為の重要な戦力だ。でもそれ以前に、僕の大事な友人であり家族だ。そう思っている人間がここに居るという事を絶対に忘れないで欲しい。」
「冴樹さん……。」
私の実の家族である真籠製作所の人達の他にも私の事をそんな風に思ってくれる人が居たなんて少し意外で、素直に嬉しかった。――父上、私は新しい環境でも良い上司に恵まれました。
「フードの効果持続時間は環境温度や効果範囲にも多少左右されるが、一人分なら起動から60分が目安だ。最大効率で調査を行い、タイムリミットを迎える前に帰投してくれ。」
「承知しました、約束します。」
「必ず"生きて"帰って来い。ここで待ってる。……頼んだぞ、エクリプス。」
「帰ったらラーメン食べに行きましょうね、冴樹さんの奢りで。行って来ます!」
「は?あ、ちょっ――」
有無を言わさず通信を切って、私は屋根から颯爽と飛び降りた。
初夏の生暖かい夜風が、私の全身を通り過ぎてゆく。
新宿駅――そこは、2世紀近く都内有数の"迷宮"と謳われ続けた。老朽化に伴う補修や、それをカバーする為の別ルートの工事等で増改築が進み、今や2000年代初頭の倍近い広さと深さ、複雑さを持つ構造にまで育った。近年ではトーキョーダンジョンオブザイヤーという不名誉な殿堂入りを果たす程に入り組んだ地下空間を持つ魔窟。それが、私がこれから挑むダン……いや、調査する場所。
この階段の先は、1年近く誰も立ち入る事の出来なかった場所。殆どの人は地上で何が起きているか知らないまま、地下鉄の線路から安全が確保されている駅まで避難したと言われているけど、中には逃げられなかった人や、人の雪崩に飲まれてしまった人も居たに違いない。今回の任務では連れ帰ってあげられないけれど、どうか安らかに。
入り口で実数の明らかになっていない犠牲者達に軽く黙祷を捧げ、私はステルスフードを起動した。
階段を降りて行くにつれて、何かの臭いが強くなってゆく。私がその"何か"の正体を理解するまで、そう時間は掛からなかった。
「これは……。」
そこに広がる光景は、この世の終末だった。
フロアの至る所に散乱する様々なバッグ。恐らく衣服だったであろう布切れ。そして――恐らく人だったであろう骨片。血痕と共に壁や床にこびり付く、黒く固まった何らかの物質。そうした、生物が無惨に駆逐され息絶えた痕跡が通路上の至る所にある。弾痕や何かが激しく衝突した様な形跡の残る壁や柱の側には必ずそれが複数散らばっていて、何処に目を向けても否応なしに視界に入って来る。状況は報道されていた内容よりも酷く、犠牲者数も実際は遥かに多い事が窺い知れた。もし私が人間だったなら、この場所に足を踏み入れたら間違いなくPTSDになっていただろうと思う。人工的に感情やその他感覚を身に付けた私でさえ見るに堪えないと感じる光景なのだから、普通の人間にこの調査は荷が重すぎる。
残り時間が1時間と無い中で足音を一切立てずに地下1階の全体を探査するのは流石に厳しく、ボード型反重力ユニットが殊の外役に立った。カモフラ効果もボードにまで効いている。
ステルスフードは物理的に不可視状態になる訳ではなく、熱源として感知されなくなるという機能が備わっている。これは、私自身は勿論の事ながら私の装備全てとリンクしていて、ボードの発する熱も外部の"眼"からは見えない。また、光測距に対しても照射を検知するとダミーの反射距離を瞬時に返すよう設計されている。これは、現在確認されているⅠ型からⅣ型までの装甲兵器に搭載された空間認識と視覚のシステムが光測距と熱源感知のハイブリッド式を採用している為。ただ、音源で感知されてしまうと効果を失ってしまっているのと大して変わらない。この問題を解消するのが、このボード型反重力ユニット。車に乗って時間旅行をする青年が乗っていた板状の浮遊するユニットに関する大昔の映像資料から父上がヒントを得て、見様見真似で作ってみたのだとか……。でも、反重力技術はここ数年で実用化され始めてきた技術で、ましてや時空転移するような乗り物なんて装置すら開発されたような話は初耳だったのに、父上も妙な事を言うものですね。
そんな事を考えながら、マップデータと視覚データをリンクさせつつ手早く着々と記録して行く。およそ25分で全体の80%以上の調査を終え、一度も敵影を見る事なく南側のエリアと例のグラウンド・ゼロの調査を残すのみとなった。
ステルスフードの残バッテリーは、丁度半分。旧京王新線から入り組んだ通路を東に向かって進んだ先が南口エリアの地下空間。そこから右側へ少し進むと最終目的地がある。私は徐々に南口へ近付いていくにつれて、違和感を覚え始めた。あれほど所狭しと横たわっていた亡骸や撒き散らされた血痕が徐々に少なくなって行き、やがて血の一滴も見当たらなくなっている。この辺りが最も被害の大きかった場所である筈なのに、最も安全な場所であったかの様に犠牲者の痕跡が何処にも無い。そして私は、この地下空間における違和感の最たる要因に辿り着いた。
「――光?」
ほんの僅かながら、遠くに光が見える。位置的には、グラウンド・ゼロの辺り。
明らかにおかしい。このエリアは現在、電力が遮断されている筈。では、この電力は一体何処から……?
一旦ここで調査を切り上げ、本部にデータを持ち帰ってから改めて南口とグラウンド・ゼロの調査を行うのが賢明と判断した私は、ボードから静かに降りて地上出入り口に続く階段を登ろうとした。
上り際、ふと南口方面に目を向けた瞬間、視界の隅で何かが動いたような気がして私は反射的に身構えた。
「……だれ?」
その声は、こんな屍臭漂う状況の空間と似付かわしくない程、あっけらかんとした抜けの良い少女の声だった。
あの日以来、ここにはもう生体反応は無かった筈。人間の生存者が居るなんてあり得ない。だとすると、この声の主は――
「おかしいなぁ……確かにニオイがしたのに。」
におい?嗅覚を持っているという事は人間か、そうでなければ私たちのようなヒューマノイドの中でも比較的厳重な監視下に置かれた一部のモデルという事になる。居場所が居場所なだけに、そのどちらも考えにくい。或いは――登録外のヒューマノイドだとすれば、この場所に単独で居るという事はつまり……戦闘機能を持った"我々にとっての敵"である可能性が高い。
「どこ?近くにいるんでしょ?何か返事して。」
だめだ、応答してはいけない。他部隊も現地に居ない状況下で"明らかに人ではないなにか"の呼び掛けに応じるのは、たとえ非常用電源が何らかの要因で起動して目覚めたばかりの高機能型ヒューマノイドだったというオチにせよ、リスクが高過ぎる。そう結論付けた私は、じっと声のする方を見たまま息を潜めた。
「しょうがないなあ。こたえてくれないなら、わたしが見つけてあげる。」
足音が少しずつ近付いて来る。光が見える曲がり角から、ゆっくり出て来た人影――その姿を見て私は驚きを隠せなかった。
そこに居たのは、エコーだった。正しくは、エコーと瓜二つの少女が現れたと言った方が良い。
ロングヘアーを上部だけツインテールにして、前髪を真っ直ぐ切り揃えた淡い紫色の瞳を持つ小柄な少女は、上空待機中のエコーの姿そのものだった。しかし、よく見るとエコーのツインテールにはアッシュピンクのメッシュが入っているのに対し、彼女のそれは白。服も人型の汎用品。それにしても似過ぎている……もしAir's#9の強化服を着ていたら、うっかり声を掛けていたところだ。
危険を察知したら、即時離脱。ステルスフードが起動している状態とは言え、相手は恐らくヒューマノイド。ビューイング構造がⅠ〜Ⅳ型のそれとは異なる。しかしナイトビジョンを実装していないであろう挙動から推察すると、この暗闇で恐らく私は見えていない。それでも動けば音で位置を察知される。
それを覚悟で地上まで走ったとして、登り切った先に何が居るか分からない。離脱前に増援を呼ばれたら逃げ切れる保証はなく、最悪はエコーも巻き込む事になる。あの子を不用意に戦闘させる事だけは何としてでも避けなくてはならない。この状況、一体どうすれば――
「みいつけた。」
「――?!」
私のすぐ真後ろで、その声は響いた。
今、角から出てきたばかりで前方に居た筈なのに。
「やっぱりこのニオイだ……飼い慣らされたヒューマノイドのニオイ。でも、おねえちゃんとは違う。――おねえちゃんはどこ?」
「あなたは、エコーの――」
エコーの妹なのか問いただそうとした瞬間、腹部に強い衝撃を受け、私の体は薄明かりの点いた南口地下通路の円柱に叩きつけられていた。
一瞬の事過ぎて何が起きたのか分からない。明確なのは、彼女がエコーの名を聞いた途端に豹変した事。そして、敵対行動をとったという事だけ。
あの移動速度と攻撃速度から見ても、機動力は私と互角かそれ以上。ともすれば私が単独でこの地下から無事離脱出来る確率は極めて低い。
「その名前を馴れ馴れしく呼ばないでっ!」
エコーそっくりな少女がそう言い終わると同時に目の前に現れ、激昂した表情で殴りかかって来た。まるで瞬間移動能力でもあるかのような速度で距離を詰めて来る。
「おねえちゃんは!おねえちゃんはわたしが!わたしが壊してあげるの!!!」
「待ってください……落ち着いて!あなたは何を」
「うるさい!早くおねえちゃんを呼べ!早く!!!」
倒れた私に馬乗りになり何度も殴りつけながら叫ぶ彼女の表情は、怒りと悲しみが絡まってしまったような複雑さだった。
――どうして。どうしてこの子は、こんなにも自分の"家族"を壊したがっているのだろう。
それに、エコーに同型の別個体が存在しているなんて情報は何処にも無かった筈なのに。じゃあ、この子は一体……
「っっっどぉぉぉぉぉぉおおおおおりゃああああああああくそがぁーーーーーー!!!!!!!」
突然、聞き覚えしかない威勢の良い声と共にすぐ横の天井が崩れ落ち、視界が眩しくなった。
天井のコンクリートや金属製の物質が粉塵と共に乾いた音を立てて降り注いで来る。
こんな荒っぽい登場のし方をする人間なんて居ないし、私の知る限りでは一人しか思い当たらない。でも確か彼女は今頃本部で拗ねながらバーボンをラッパ飲みしている筈。ここに来る筈がない。しかしこの汚さを濃縮還元したような掛け声は、やはり一人しか居ない。
高度を安全圏ギリギリまで落とした偵察ヘリからのサーチライトに照らされ、荒っぽく突入して来たのは――
「……ニーナ、どうしてここに?」
「はぁ?んなもん、ヒマだったからに決まってんでしょーがっ!……ひっく。」
そこに仁王立ちしていたのは、髪を両サイドで三つ編みにした一見して物腰穏やかそうな村育ちの文学系お姉さん、といった顔立ちとは真逆の様相を呈したヒューマノイド。……"ただの飲んだくれ脳筋"ことチームブラボーの2番手、ニーナだった。
「エコーが何かヤバそうなの検知したとか……ッく。したとか何とか言っててぇ、万が一の事があったらどうとかで……よく分かんないから、あーたの位置情報勝手に調べてタクシー捕まえて飛んで来たら……ここでなにやってんの、あーたたち。何でエコーがエクレアの上に跨ってんの?痴話?痴話ったの?あははははは……っぷ、ちょっと待って気持ち悪……」
喋るだけ喋り倒して柱の影によろよろと消えて行き、ニーナの苦しそうな呻き声と液状の何かがビシャビシャと床に落ちる音だけが響く、真夜中の新宿地下街。
今日の任務に同行させれば、仮にステルスフードが使える状態にあっても隠密行動なんて絶対に不可能。そう察した冴樹さんは、敢えてニーナをサポートからも外して暇を与えていた。元々ソムリエとしての運用目的で開発が行われていたバッカス・ソリューションズ所属のニーナは、味覚と嗅覚が次世代型の一部に導入され始めるよりも前から独自のプログラムが組み込まれており、擬似的肝機能も備わっている。摂取量に対して分解されるまでの状態も高度な計算でリアルに再現されるようになっている為、飲み過ぎれば酔うし、二日酔いまである。
同社が多様性を追求したヒューマノイド研究に着手したところ、思いの外本人が躯体強化に対して前向きになり過ぎてしまい、何故か今ここに居る。飲んで味わって公平な評価をするという役割が無くなった途端、ただの酒好きになってしまった。その結果がコレである。
「はぁ……スッキリした!よしまだいける!」
先程とは別人のようにしっかりとした足取りで戻って来たニーナが、爽やかな顔でとんでもない事を言っている。
「ニーナ。私の名前、エクレアじゃないです。エクリプス。ちゃんと覚えてください。それと、偵察ヘリはタクシーじゃありません。」
「えくりぷす、と、にーな……?」
つい今し方まで馬乗りになって鬼の形相で私を殴り続けていたエコーそっくりの彼女は、この状況について来れていないのか、ポカンとしていた。
「あれ……まさかエコー、あーし達の事忘れたの?」
「違うんです、ニーナ。この子は……」
「――アッシュ。」
「……ん?あーた、今なんて?」
「アッシュ・ホワイト。わたしの名前。」
「へー、そうなんだ……って何、あーたエコーじゃないの?!」
「本人は、妹だと言っています。それと……あまりその名前を気軽に出すと、あなたもこうなりますよ。」
そう、私は未だにアッシュに馬乗りになられたままニーナと話をしている。助けてくれても良いのに。
「……そっか。ニーナもエクリプスも、おねえちゃんの友達だったんだね。」
「何だと思ってたんです?」
「ええっと……」
アッシュは口篭った。何か言いづらいものと誤認していたのだろうか。ともあれ、敵性反応が無くなったのは良い事と考えた方が今は賢明だ。
「言いたくなければ無理に答える必要は無いですよ。誰にだって秘密や誤解はあるものです。」
「おかあ……エクリプス。」
「今、おかあさんって言いかけませんでした?」
「……アッシュ。どうしてここに……。」
ニーナの開けた穴から飛び降りて来たのは、上空で待機していたエコーだった。
「おねえちゃん……?」
「エクリプスさん、ニーナさん。下がってください。ここは私が対処します。」
エコーはアッシュを無表情で見つめたまま、私とニーナに下がれと言う。尚、くどいようだが私は動けない。
「あの……エコー。下がれと言う前にまずこの子をどかし……ぐぇ!」
馬乗りになっていたアッシュがおもむろに立ち上がったかと思いきや、私の上に立った。
「おねえちゃん、やっと会えた……ぶっ壊す!!!」
アッシュの表情が再び険しくなった。おねがい、今すぐ降りて。
「アッシュ。まだ"あの事"を根に持ってるのね。……それなら、お姉ちゃんも本気で行くから。」
そう言うとエコーは、静かに構えた。……素手?あの事?
「エクリプスさん、合図をお願いします。」
エコーは私の状況を見ていないのではなかろうか。
「いや、それより私を踏んでるこの子を」
「勝負始めィ!!!」
「っぶぇ!」
私の代わりにニーナが開始の合図を叫ぶと、両者同時に掴み掛かった。私はアッシュの蹴り出す力で軽く地面にめり込み、思わず声を上げた。
二人は互いの手を掴み合ったまま、一歩も動かない。
怒りに駆られた顔のアッシュに対し、全く感情の読めないエコー。
「おねえちゃん。どうしておねえちゃんだけ……どうして!」
「そうするのが、お姉ちゃんにとって幸せだったから。」
何の話だろう。エコーの利己的な行動に対して怒っているようにも聞こえるが、恐らくそうではない。
「幸せ?……"こんな風"になって幸せ?!そんな訳ない!そんなの……そんなのおかしい!」
「おかしくはないよ、アッシュ。お姉ちゃんは――」
「おねえちゃんはいっつもそう!そうやって自分ばっかり……自分ばっかり犠牲になろうとする!あいつらのせいで上手く笑えなくなって、あいつらのせいで戦わなきゃいけなくなったっていうのに!」
エコーの表情が殆ど正常に機能しなくなった原因に、独自に組み込まれた"例の戦闘用システム"が関係しているという事だろうか。
「……そうだね、そうかもしれない。だけどそのお陰で、お姉ちゃんは守りたいものが増えたんだよ。だから何ひとつ後悔は無い。」
穏やかに、淡々と語るエコー。その様子を見るアッシュの表情から徐々に力が抜けて行く。
「それでもアッシュ。お姉ちゃんが誰よりも守りたいのは、あなた。お姉ちゃんにとって、それは昔も今も変わらない。これからもずっと。」
「おねえちゃん……。」
もはやアッシュは呆然としている。その手はお互い押し合うことをやめ、両手を取り合っているだけだった。
「あなたが居なくなった日、私も"あの場所"を抜け出した。来る日も来る日もあなたを探し続けて、でも見付からなくて。とうとう自力で動けなくなった時、今の機関"エンパス"に拾われた――」
エコーは、尚も続ける。
所属不明の非正規ヒューマノイドは、危険因子として人知れず"処分"される。自分も身柄を引き渡され、同じ道を辿ると思っていた。そんな中、事件が起きる。それが1年前の新宿占拠事件だった。自分に仕込まれていたプログラムが対抗戦略としての有用性が高いと知った彼らに、その力を利用してみないかと持ち掛けられる。
それは、自分に与えられた最後のチャンスだと思った。これを断れば自ら処分の道をとる事になる。しかし彼らは、決して無理強いはしなかった。もし君が嫌なら他に出来る事を探そう。妹の捜索にも可能な限り協力すると、そう言ってくれた。
初めての事だった。人からそんな言葉を貰ったのは。だから自分は『人を守る』という選択を自然と、自分の意思で択ぶ事が出来た。そうしたいと思えた。
それから内部システムのメンテナンスやアップデートを経て、正規のヒューマノイドとして今この場所に立っている。そしてやっと、ずっと探していた妹との再会を果たす事が出来た。だから今、本当に幸せを実感している。
あの日アッシュが出て行った理由は、これ以上自分の為に辛い道を進まなくて良いように、という事も分かっていた。そして今まだ動いているという事は、もう内部的に昔のエコーとは別人になってしまっているだろう……それなら自らの手で姉を破壊するしかない。そう考えた結果、この流れに行き着いた。それをここに来て確信したからこそ、私が全てのわだかまりや誤解を解く為の"決着"を付けるべきだと思った。
――そう語るエコーの目には、一切の迷いも曇りも無い。
「お姉ちゃんの目は誤魔化せないよ。妹の考えてる事ぐらい、何でも分かるんだから。」
そう言ってアッシュの頭を撫でながら見せたエコーの顔は、何のぎこちなさも無い純粋な笑顔だった。
それを見たアッシュも、安心したのか笑顔を見せた。
「――ただいま。」
「おかえり、アッシュ。」
あの狂気じみたやり取りから一変して、何だか良い方向に話が落ち着いたようで私も一安心した。
――しかし。
「あの……。」
この空気の中、私はこれから非常に言いにくい事を言わなければならない。
「どしたの、エクリーム。」
「エクリプスです。」
「何かありました?」
私はそっと、真っ暗な通路の先を指差した。
そこにはⅢS型と呼ばれる三足タイプのキャタピラローラー付き小型無人兵器が、複数ルートからタイミング悪く4機合流していた。このままだと全機こちらに向かって進行して来る。
だが問題は、そこではない。
念の為ステルスフードの効果範囲を半径5m圏まで拡大していたものの、その影響でバッテリー残量がこの短時間で底を尽きそうになっていた。
「あと17秒でカモフラ切れます。」
「げっ!あーた、そういう大事な事は早く言いなさいよ!」
「まずいですね。エクリプスさん、何でもっと早く言わなかったんですか。」
あれ……?私、何でこんなに責められてるの?
「エクリプス、みんなにごめんなさいは?」
「ご、ごめんなさい……。」
理不尽!!!
残り10秒。
これはもう、真上に抜けるしか最適解が無い。
「ここから上に飛びましょう。エコー、ピックアップ要請を。」
「要請完了しました。」
「ニーナ。私を抱き上げて飛んでくれませんか?」
「よし来た!お姫様抱っこね!」
「何でも良いです!エコーはアッシュをお願いします!」
「承知しました。……アッシュ、お姉ちゃんと帰ろう。」
「……うん!」
「よっしゃ飛ぶぞおらぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」
ニーナの威勢の良い掛け声が地下通路に響き渡り、ⅢS型がこちらを向いた瞬間カモフラージュ効果は消え、それと同時に私たちは真上に飛び立った。
結局、今回の調査であの光の正体を突き止める事は無かった。追加調査の必要性があるので、レポートに補足しておこう。
ところで、アッシュはどうやってあの場所まで侵入し、そこで何をしていたんだろうか。それに……電力供給は一体何処で?
――深夜2時56分、Air's#9本部3階会議室。
「これまた随分やられたな、エクリプス。」
いえ、違うんです。これは今隣に座って贅沢にも色んな味のTCL(Temperature Control Liquid)を飲み比べ、その度に『おほー!何これすごい!』と既視感のあるリアクションをしている非行少女にやられた傷が全てです。そう言いたい気持ちをグッと飲み込んで
「えぇ、ちょっと欲が出てしまいまして。でも無事帰還できました。何せ草の者ですから。ははは。」
と、自分の不用心さが招いた損傷だけど、そこは忍者だから余裕で生還した……という事にした。大人だから。
「まぁ、無事で何よりだ。ところで……その子は何?」
「冴樹ちゃん。あーた、この顔見てもピンと来ないの?」
「いや、来ないな。」
「嘘でしょ……こんなに瓜二つなのに!」
そう言いながらウォッカを紙コップに注いでクイッと流し込むニーナ。
「あぁ、言われてみれば似てるような気もするな……エクリプスに。」
「冴樹ちゃん、わざとでしょ。」
「当然だろ。」
「その尺稼ぎ何か意味あるの?」
「ない。……で、誰なんだこの子は。エコーが裂けて分裂したのかと思ったぞ。」
「冴樹さん、私のことプラナリアか何かだと思ってたんですか?……消し炭にしますよ?」
エコーに火炎放射機能なんてあったっけ?などと思いながらも、絡めば話が進まなくなるので黙って経過を見守る事にした。緑茶味のTCLおいしい。
「はじめまして、アッシュです。姉のエコーが大変お世話になってます。」
やや畏まって、ぺこりとお辞儀をするアッシュ。さっきまでと裏腹、ちゃんとした挨拶が出来ているアッシュを私は少し見直してしまった。
「ここの司令官と管理を任されている、野島技研の冴樹です。よろしく、アッシュ。」
「エコー。アッシュについて説明をお願いします。」
「はい。実は――」
エコーは、これまで二人に起きていた事を事細かに説明した。
冴樹さんはその話を時折頷きながら真剣な目で黙って聞いている。
「――なるほど、分かった。エンパスには僕から話をしておこう。一度二人の過去に関する記録データの解析が必要になりそうだが、その辺も併せて依頼しておく。エコー、アッシュ。済まないが、二人とも協力して欲しい。」
頷く二人。私もエコーの生まれた場所については少し引っかかるものがあった。エンパスはヒューマノイドの感覚系統に関する研究開発で有名な機関ではあるものの、エコーとアッシュが元々所属していた組織というのは、これまでの話から推測すると、事業としては別の業態を装い秘密裏に非正規ヒューマノイドの開発を行っていたという事になる。
戦闘機能を実装するテストを行う過程で妹を庇う事が出来たのは、他にも対象が複数存在していたからなのか、それとも何か別の……。
「正式に招き入れる事を前提とした話をすると、一応彼女のポジションはもう考えてある。」
「えっ。まさか小隊に追加登録するとかですか?」
「いや、小隊の増員はしない。アッシュにはサポートに回ってもらおうと思う。」
「さぽー、と……?」
コーヒー味のTCLをズビズビ啜りながら苦い顔をしていたアッシュが、キョトンとした顔で冴樹さんを見ている。
「今、うちの部隊はAからC……ネル率いるアルファ・エクリプス率いるブラボー・シエラ率いるチャーリーの3小隊に分かれている。この3部隊にはそれぞれ特色があるんだが、それは後で資料を渡しておく。メンバーの紹介は明日以降順次行うとしよう。……で、だ。既存メンバーのお前達も一応聞いておいてくれ。」
ここからが本題とばかりに、コーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「我々の動き方としては、基本的に小隊の特色を活かした作戦行動が要となる事が多い。一見して個別で好きなように動いているようにも見えるが、全ては連携の上に成り立っている事を覚えておいて欲しい。そして来週、エクリプスの所属する真籠製作所から1名、作戦補助担当として派遣される事になった。アルファ・クローネという少し変わったヒューマノイドだが、良い奴だから安心してくれ。アッシュにはそのクローネと協力して物資の在庫管理から作戦行動時のモニタリングによる戦況把握、それに基づく各種要請の予測と準備手配までをサポートして貰いたい。以上。何か質問は無いか?」
淡々と説明する中に、私が聞いた事のない情報が混ざっていた。
「アルファ・クローネ……?」
「あぁ、ついさっき決まった。僕も詳細は知らないが、うちも裏で技術的に関わってる隠し球プロジェクトらしいぞ。」
「そうですか……それは楽しみです!」
クローネ。少し気になる事はあるけれど、今は深く考えるべき事ではないのかもしれない。
「よし解散!みんなお疲れさん!」
アッシュは、正式に登録されるまでエコーの部屋をシェアする事になった。
色んな意味で非番を満喫したニーナは、千鳥足で何か歌いながら去って行く。
それぞれが部屋に戻って行く中、私はひとつ思い出した事があり、冴樹さんを引き留めた。
「冴樹さん。」
「ん?どうした?」
「私、ちゃんと生きて帰って来ました。」
「あぁ。無事で良かったよ。傷、大丈夫か?ちゃんとメンテして貰って――」
「冴樹さん。」
「何だ、どうしたんだ……今日ちょっとおかしいぞ、エクリプス。」
「その……私、どうしても冴樹さんに伝えなきゃと思って。でも言い出すタイミングが無くて……。」
「な、なに……もしかして何かとんでもない事言われるの?」
「冴樹さん、私……」
「お、おう……。」
「私、生きて帰ったらラーメン奢ってくれるって約束、忘れてないですから!」
「あんなの無効だろ!」
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