Ep.03 [Dir]
Air's#9本部宿舎、午後6時。
2階のコネクトルームに入り、今日の模擬戦のフィードバックデータをアップロードする。
私たちの行動に関する記録のような機密性の高い情報は、イントラサーバーに蓄積・集約され、各システムの機能向上や改善検討などの参考データとして共有される。
このプロジェクトに参画している各企業や研究機関の間には、いわゆる"組織の壁"というものが存在しない。
凄く簡単に言うと『良いもの、導入すべきものはみんなで教え合って常にチームとして最高のパフォーマンスが発揮できる状態を保ちましょう。』という方針が徹底されている。
私たちの基本構造は各社共通であるものの、そこから特定の機能や技能に特化させる為の技術についてはこれまで重要機密として扱われて来た。企業にとって大抵の独自性は大きな強みっスから。
例えば私の場合だと、100kgを超える重量物でも紙同然の感覚で扱える強化内骨格技術なんかが"元・機密情報"に該当しているっスね。
それらをオープンにする事で、全体の均整化とブラッシュアップによる底上げを図る事が目的。
ここ最近は各種ユニットの共同開発も積極的に行なっているんだとか。
アップロードが完了して、隣のリフレッシュルームで経口式の温度調整液を飲んで一息。
[TCL(Temperature Control Liquid)]と呼ばれているこれは、内部温度を一定に調整する効果のある液体で、パフォーマンスに影響の出る可能性がある高温・低温箇所に作用するんだとか。確か人間も、飲み会の前とか後に似たようなものを飲んでいたような……多分、あんな感じっス。
先月"味覚"と"嗅覚”を実装したタイミングで緑茶・紅茶・コーヒー・オレンジなど、全部で9種類の味が付いたTCLを置くようになって、私たちの訓練や任務後の楽しみがひとつ増えた。
私はいちご味がお気に入り。口の中に広がる甘みと程よい酸味が……もう、たまらないっス。
至福のひとときに頬が緩む私の元へ、小休止しに入室した冴樹さんが歩み寄ってきた。
「随分幸せそうだな、ディール。……美味いのか?それ。」
「んふふ、とても美味しいっス。美味し過ぎて何杯でも飲めるっス。」
「無害だからってあまり飲みすぎるなよ。どうだ、あの二人とは上手くやれてるか?」
「全然大丈夫っスよ。ネル先輩は優しいし、ミア先輩は……何というか、相変わらずサボり方のクセが強いけど、それ含めて見てて面白いっス。」
「そ、そうか……それなら良かった。」
冴樹さんは、私たちをよく気にかけてくれる。
ヒューマノイドに"感情"というロジックを正式に搭載した、最初の世代だからかな。
何だっけ。定期的な、メンタル……ケア?っていうのが大事らしいっス。
「ちなみに、あいつ最近いつサボってた?」
「さっき対物ライフルの長距離射撃訓練しながら寝てたっスね。」
「またか……。」
「でも寝ながらリズミカルに全弾命中させてました。」
「変なスキル身に付けやがって。凄いな……今度見かけたら教えてくれ。一緒に観察しよう。」
怒るどころか興味を持つなんて、この人の感覚どうなってるんだろう。
研究熱心のベクトルが私の知らない方向へ突き抜けてるようにしか見えない……いや、だからこそ私たちの管理と指揮を任されたのかな。
「そういえば冴樹さん。」
「どうした?」
「ミア先輩たちって、いつから感情インストールしてるんスか?」
「それは……分からん。」
「えっ?」
「初めてうちに来た時から既にナチュラルに笑ったり泣いたりしてたから、しばらくは人間だと思ってた。」
「そうなんすか。……ん?"来た"???あの二人は野島技研生まれじゃないって事スか?」
何それ聞いてない。
「あぁ、聞いてなかったのか。ネルとミアは製造元不明だ。正直ヒューマノイドなのかすら分からんが、機能的にその枠に分類されるっていうだけで内部機構も謎しかない。」
「OSは?まさかNexus Neuron(ネクサスニューロン)入ってないのにあのパフォーマンスなんて言わないっスよね?!」
「うーん、表現力や思考・判断のロジックもNNの標準仕様とは違うし、他のどのマイナーOSとも一致しないんだよなぁ。」
Nexus Neuronは、私達次世代型ヒューマノイドには必ず標準搭載されているOSなんス。
高度演算処理をしてもCPUに一定以上の負荷が掛からず、オーバーヒートしないんでヒートシンクを小型化出来るのが最大のメリット。
私にもNN Ver.2.16と、"AEGIS(イージス)"と呼ばれる超高性能CPUが標準搭載されてるっスけど……。
「つまり、公開されていない独自のOSを持ってる……?」
「それすら分からんのよ。通信回路が組み込まれていて、その仕組みは分かってるんだが……それ以外の技術が先進的過ぎる。味覚・嗅覚も既にあったし、一般食品も普通に食べる。」
「食べる?!ありえない……中身どうなってるんスかそれ。」
――次から次へと知らなかった事が明かされていく。
ネル先輩とミア先輩のデータだけいつも冴樹さんの分析記録だった理由は、リンクの規格やファイル形式が不明で誰にも引き出せなかったからか……。
「内部はプロテクトがかかっていて分からんものの、表面上は排泄器官や生殖器官もあるし、どこからどう見ても"ただの人間"なんだが……。」
「生殖……え、冴樹さん。まさか、み、見たんスか?」
「ん?あぁ、そりゃそうだろ。」
「……えっち!変態!!!」
「べ、別に変なコトは考えてないぞ!」
「ミア先輩、脱ぐと結構ありますよね。」
「そうだな。意外にあったな。」
「ほらぁー!やっぱそういうこと考えてるんだ!冴樹さんのえっちー!!!」
「ちょ……!何言ってるんだやめろ騒ぐな!同意がてら率直な感想を述べただけだ!」
そう言いながら狼狽える冴樹さんの目が若干泳いでいるのを私は見逃さなかった。
「それ……ヒューマノイドなんスか?」
「こっちが教えて欲しいぐらいだ。何せ2000年以上動いてるんだしな。」
「あぁ、2000年以上前じゃ冴樹さんにも分からないっスね。……今、なんて?」
2000年以上前から今の最新スペックを凌ぐ"何か"を積んでるなんて、そんなのもう地球上のものですらないじゃないスか……。
三嶋社長。私はとんでもない二人と分隊を組んでしまったみたいです。
「生きたオーパーツ。それが現代工学の出せる唯一の答えだな。」
「要は、誰にも分かんないんスね。」
「そういう事。とにかく、仲良くやってるみたいで安心したよ。」
「みんな良い人っスから。」
「他に何か心配な事は無いか?……って、ひとつあるよな。」
「はい……。」
私が心配してる事は、ただひとつ。
私の装備である自社製高機能シールドユニット"LSS"が全く言う事を聞かない件。
その事を三嶋社長に報告しても『あの子は気難しいからなぁ!だが悪い子じゃないぞ!お前さんなら必ず通じ合える時が来る!寄り添え!』と言って笑うばかり。
寄り添うどころか、未だにしがみ付くのが精一杯なんス。
LSSって一体何なんスか……。
「よし、じゃあ3人で模擬戦だ!」
冴樹さんが突拍子もない事を言い出した。
「模擬戦?いつやるんスか?明日?来週?」
「今からだ。」
「あぁ、今からか……えぇ?!」
午後6時45分。
私とネル先輩達は、本部地下3階のシミュレーションブースのある部屋のリフトから更に2フロア降りた所にある、地下5階のオペレーションホールに入った。
ここのシミュレーション空間は普段使っているシミュレーションブースの拡張版。構造物や地形のデータを読み込ませる事で、建物や高低差まで物理的に再現してくれるらしいっス。
読み込みからたったの30秒ほどで実際の構造物と同等の硬度を持ったフィールドになる、限りなく実戦に近い環境での模擬戦が可能な小隊向けスペースなんだとか。
個別訓練用ブースとの違いは、床やそれに連動して建物などが動かない事ぐらい。投影によるカラーリングは従来通り松江光学製のメタグラム・ビジョンを使っている。
Qb(キューブ)という小さな立方体のチップが一時的に結合して環境を構築しているだけだから、使い終わったら一瞬で整列して壁や床に戻り、何度でも再利用可能!環境に優しいのが売りだ、って資料には書いてあったっスけど、こんな箱使うの私たちぐらいなもんだと思うんスよね……というか、うちの社長Qbどんだけ生産したんだろう。
「広っ!ねえさま!いつものブースと全然違う!しんじゅくだココ!」
部屋に入った瞬間から目の前に広がる誰も居ない新宿駅東口の風景に、まるで四畳半のボロアパートから5LDK庭付きの新築マイホームへ引っ越した初日のようなテンションではしゃぐミア先輩。
「先週完成したばかりなのよねぇ。もしかして一番乗りかしら!」
そんなミア先輩を母親のような優しい目で見つめながらも、ワクワク感が抑えられない様子のネル先輩。
私の事情に巻き込んでしまったのが申し訳なかったけど、二人共楽しそうで良かった。
それにしても……昼間の東口、再現度高っ!
「よし、集まったな。今回は2対1で戦って貰う。」
ホールを見渡せる隣室の分厚い窓越しに話す冴樹さんの声が、ホールに設置されたスピーカーから聞こえてきた。
「2対1って……まさか、私がミア先輩達と戦うんスか?」
「いや、少し違う。開始の合図から3分間、ミアをネルから守ってくれ。」
「ミア先輩を守る?!」
「あら……手加減しない方が良いのかしら。」
ネル先輩、ちょっと嬉しそう。
「しっかりあたしを守ってね、おディーちゃん!」
おじいちゃんみたいに言わないでミア先輩。
普通のダミー機を相手にした団体戦じゃないだろうとは思ってたけど、この展開は想定してなかった。
「大丈夫だとは思うが、一応念の為ネルのレイドバックは刃先をダミーに換えてある。だから遠慮なく首を獲りに行って良い。」
冴樹さん怖っ!
「初期配置だが、ネルとディールは30m離れてくれ。ミアはその中間地点に座ってるだけで良い。」
「やった!ねえさまの観戦特等席だ!」
「ミア先輩、今回その"ねえさま"に首獲られる役っスよ……。」
「ん?だいじょぶだよ。あたしはおディーちゃんのこと信じてるから!」
あっけらかんと笑うミア先輩。
くっ、可愛い……この笑顔、死んでも守る!死ぬのは嫌!
「あれ……冴樹さん。私のシールドが無いんスけど。」
「今回はLSSを使わない。代わりに同じサイズの強化アクリルシールドを用意した。ディール、お前自身がLSSだと思ってミアを守り切ってくれ。」
背後にドスン!という大きな音と共に、普段使っているLSSを模した透明なシールドが降って来た。一体何処から……?
それに、私がLSS?それってどういう意味なんだろう。
「なるほど、そういう事……冴樹君、考えたわね。」
何かに気付いたネル先輩が、ニヤリと笑う。
「どういう事っスか?」
「きっと、やってみれば分かるわ。もしあなたが狂け……LSSだったら、ミアちゃんをどうやって守るかを考えながら動いてごらんなさい。」
「……やってみるっス!それと今、私のLSSを"狂犬"って言いかけなかったっスか?」
「気のせいよ。」
ひとつ咳払いをして、冴樹さんが今回の訓練概要を話し始めた。
「概要を説明する。今回は、不利な戦況で援護が来るまでの現状維持を想定した訓練だ。ディールは動けなくなった仲間を敵の追撃から守り切れ。3分以内にネルの刃先がミアの首に掛かった時点で失敗、制限時間一杯までディールがミアに対するネルからのアタックを完封・完全阻止出来ればミッション成功となる。以上だ。」
――今まではLSSの次の動きを読みながらシンクロさせて行く訓練ばかりだったけど、今日は私がLSSになり切る訓練。
これまでと何が違うのか、分からない。
「全員、準備は良いか?模擬戦開始10秒前!」
初動が遅れたら一瞬でゲームセット。
動けないミア先輩まで、距離は互いに15m。
ネル先輩のアタックレンジを半径1.5mとすると、ミア先輩まで13.5mで到達してしまう。
それに対し、ノックバックも考慮したら私の方が先に16m地点で待ち構えていないと、初動の攻撃を完全に防ぐ事は難しい。
まずはブースターで一気に距離を詰めるしか……!
「……3、2、1、始め!」
合図と同時に脚部ブースターユニットを最大出力で点火。私は地面を抉って勢い良く飛び出した。
ネル先輩も急加速で詰め寄る。
とにかく最初の一撃は確実に押さえないと……!
正面に迫るネル先輩が振りかぶった瞬間、私の視界から消えた。
同時に、左から微かに風を切る音。
ネル先輩は左側からミア先輩を狙いに来ている。
私は右足を踏み込んで左斜め後方にバックステップし、左へ90度回転しながらシールドを構えた。
バァン!という音と共に、激しい衝撃が腕から全身へ抜けて行く。
「ぐ……っ!!!」
「あら、バレちゃったわね。」
ネル先輩の目は、笑ってるのに凍り付く程冷たい。
――この人、本気だ。
押し込む力が尋常じゃない。
強化内骨格でも押し戻せない程の力なんて、この人は一体何で出来てるんだろう。
すぐ後ろにはミア先輩。
動きを止めるのが精一杯で、この後どう動けば良いか思考が追い付かない。
――いや、違う。
こんな時、LSSなら私にどう動いて欲しいか考えなきゃ……。
「さぁ、ここからどう切り返す?"LSS"。防御だけで3分もつかしら?」
ネル先輩が不敵に笑う。まるで、死神のように。
私がLSSなら、私に求める次の行動は――
私は瞬時に姿勢を落とし、シールドの隙間から足払いを入れた。
「っ……?!」
体勢を崩してよろめいたネル先輩に、シールドを内側から蹴り上げて追撃を仕掛ける。
撥ね上げられ、そのままビルに激突するネル先輩。
衝撃で壁面が音を立てて崩れ落ちた。
「ねえさま!!!」
ミア先輩も流石に心配そうな声を上げた。
これは、やり過ぎちゃったっスかね……。
「――まだよ。」
「え……。」
「その程度じゃ、まだLSSの性能を引き出せないって言ってるのよ!」
今まで聞いたことのない程強い語調でそう言い放つと、瓦礫の中から立ち上がったネル先輩が上空にジャンプした。
上から来ると思った私は咄嗟に下がり、防御体勢をとる。
「あなたはまだ、自分が可愛いのね。」
「?!」
ネル先輩は私の上を通り越し、私たちの真後ろに着地した。
――しまった。
「読みが甘過ぎるわ。誰も守れないわよ!」
ネル先輩の大鎌が真横から風を切って迫る。
「うわっ!」
刃先を弾いて辛うじて攻撃を防いだものの、すぐさま左右から交互に連撃が襲いかかった。
ネル先輩は表情ひとつ変えずに全力で叩きつけてくる。
――怖い。
強い衝撃が来る度に、強化アクリルシールドが大きく撓んで身体ごと持って行かれそうになる。
こわい。
今まで感じた事のない"恐怖"が全身を支配する。
でもこのままじゃ、私が押し負けたら、ミア先輩が……!
LSS、君ならこんな時どうする?
……きみなら、どうやって守る?
「退屈よ。そろそろ終わりにしましょう。」
下から片手で振り上げられた大鎌にシールドが弾き飛ばされ、大きく宙を舞った。
呆然とする私の横を素通りして、真っ直ぐミア先輩の所へ歩いて行くネル先輩。
こんなあっけなく負けるなんて。
「ごめんね、ミアちゃん。ちょっとだけ痛くするかも。」
「ねえ、さま……?」
――待って。
ネル先輩の様子がおかしい。
明らかに訓練の域を越えようとしてる。
まさか本気でミア先輩の首を……?
だめだ、この距離じゃシールドを拾ってたら間に合わない。
ダミーの刃先とは言え、あんなスピードで直撃すればミア先輩もタダじゃ済まない。
……守りたい。
私がどうなっても、ミア先輩だけは絶対に!
「ミアせんぱあぁぁぁぁぁぁぁああああい!!!」
私は力一杯叫びながら夢中で走って、ミア先輩を庇うように抱きしめた。
その直後、背後でドォーン!と重い音が鳴り響き、振り向くとそこには見慣れた灰色の盾が地面に突き刺さっていた。
「――LSS……どうして?」
「盾ちゃん、もう見てられないってさ。」
ミア先輩が、やれやれといった表情でLSSを見ている。
さっきのアクリルシールドと言い……この子、一体どこから?
「カウンターストップ。現在、1分45秒だ。ここからはLSSを使って凌いでみてくれ。……ディール、全力で行け!」
モニタールームの窓越しに、冴樹さんがにやりと笑った。
「はい!」
LSSに手をかけると、今までと違う感覚を覚えた。
上手く表現出来ないけど、私が動くのを待ってくれてるような。
これまでの私は、ただ先輩達に迷惑かけないようにしながら目の前の敵を無力化する事に夢中で。
でも本当は、しがみ付いてるのがやっとで、LSSがどんどん前に出て行くのが少し怖くて。
きっと、信じてなかった。LSSを、何より私が私を。
味方との連携とか、誰かを守るとか、そういう大切な要素に目を向ける余裕が私自身になかった。
だけどそれは、甘かったんだと思う。
自分のことしか考えてなかったんだと思う。
それをこの子は、必死に教えようとしてくれてたのかもしれない。
滅茶苦茶な動きをしてるようでいて、終わった時いつも私は無傷だった。
きっと先輩達の事も守れるような動き方をしてたんだろうな。
……すごいんだ、この子は。
――寄り添え。
いつか三嶋社長が私に笑いながら言ったあの言葉。
本当の意味を私は今、見つけた気がする。
だから。
「いままでごめんね。……行くよ、LSS。一緒に守ろう。」
私たちは、ひとりじゃない。
「では、再開!」
冴樹さんの合図が響く。
「私も本気を出させてもらうわね。」
ネル先輩の眼光が一層鋭くなった。
「……来い!」
超高速で右サイドに回り込むネル先輩。
「4時方向バックステップ!」
その言葉に応えるように、LSSがシールドの一部を勢い良く延伸射出し、地面を突いて移動を補助してくれた。
体が軽い。ちゃんと意思が通じている。
――寄り添うって、こういう事だったんだ。
しかし、私が体をひねって走り込んだ時にはもうネル先輩は大きく回り込み、逆側から振りかぶって突進して来ていた。
まずい。でも……これならまだ間に合う!
「反転!」
LSSのレフトサイドブースターが起動し、初速を維持したまま旋回した。次は……。
「展開!」
センターフレームのロックが解除され、中央から射出された真っ赤な細長いインサイドパネルが幾重にも重なりながら放射状に大きく広がり、防御範囲を拡大する。
『Living Units』と名付けられた、このシールドを"生き物"と言わしめるものの正体。
それは、まるでガーベラの花のように美しく"咲いた"。
真正面から激突する、ネル先輩と私。
「やるわね。」
「先輩たちのおかげっス!……LSS、引き剥がすよ。ブースト!」
展開したシールドの内側、左右のブースターが角度を変えながら轟音を上げて、前方への推進力を上げた。
押し戻している確かな感触。
「脚部ブースターユニット出力全開!このまま突っ込め!」
前方にスライドしながら徐々に加速して行く。
ここで引き剥がせれば勝機は――
「あちっ!……うぇっぷ!げほげほ!」
「……あ。」
嫌な予感がして振り向くと、巻き上がる粉塵の中で座ったままうとうとしていたミア先輩が、色々吸い込んで咽せている姿が遠ざかって行くのがうっすら見える。
えっと……さーせんス。
私とネル先輩は轟音を響かせながらガードレールを吹き飛ばし、商業ビルのショーウィンドウを突き破り、壁に激突して止まった。
「……っ、これは流石に痛いわ。」
「あっ。ご、ごめんなさい!」
「良いのよ、私も本気だったし。……息ぴったりだったわよ、あなた"達"。」
ネル先輩がフッと笑った。
その顔はさっきまでの冷徹なそれとは違って、とても穏やかで優しい、いつものネル先輩だった。
私はそれまで張り詰めていた緊張の糸が切れたように力が抜けて、胸の奥が締め付けられる感覚に襲われた。
「先輩……私、わたし……っ!」
喉が締まって上手く言葉が出て来ない。
「よく頑張ったわね。偉いわ、ディールちゃん。」
頬に優しく触れる、ネル先輩の手。
様々な"感情"がこんがらがって、何も上手く表現できない。
ただただ、理由も分からないまま泣きそうになっている私がそこに居た。
「残り30秒!」
突然、冴樹さんの空気を読まない声が響き渡った。
凄く良い話っぽい流れでタイムアップかと思ってたら……それならば。
「ネル先輩。」
「何?」
「あと30秒らしいっス。」
「そうみたいね。でもあなたはもう十分成長して――」
「そろそろ"うちの狂犬"、暴れさせて良いっスか?」
「……へ?」
「攻撃は最大の防御なり。大昔の偉い人の言葉らしいっス。そしてそれは、このLSSの設計理念でもあるんス。」
「ディールちゃん?」
ネル先輩が怪訝そうな顔をしている。
「LSS。狂犬の真の恐ろしさ、見せてやるっスよ!」
カシャンカシャンとLSSが変形しながら、全体が光を帯びて何かがチャージされるような甲高い音がする。
すみませんネル先輩。もう終わりで良い雰囲気だったのに空気を読まない冴樹さんが悪いんス。
今まであざっした。骨は拾ってあげるっスよ……南無さん!
私は目を閉じ、そっと手を合わせた。
「え、ちょ、ちょっと……ちょっと待っ」
「行け!ワンちゃん!!!」
「はいそこまで!そこまでー試合終了!やめろ馬鹿!」
低いブザーが鳴り響いて、3分間の防衛戦が終わった。
私は危うく、何か取り返しのつかない事をするところだったのかもしれない。
「ふぅ……あんなのゼロ距離で食らったら流石のネルも危ない所だったぞ。やり過ぎだ。」
そして案の定、冴樹さんに怒られた。
「おディーちゃん……あたし前髪ちょっと焦げた。けほっ。」
真っ白な粉塵が頭に降り積もったミア先輩が、喋る度に粉を噴きながら近づいて来る。怖っ。
「ようやくLSSと分かり合えたようで良かった。――でも守り方には少し課題が残ったみたいですね、ディールさん。」
「あれ、エクリプス。どうしてここに居るっスか?」
真っ白なミア先輩の後ろからひょっこり顔を出したのは、Air's #9 チームB(ブラボー)の前衛担当、真籠製作所のエクリプス。
アホ毛の立った茶色のショートヘアーに深紫の瞳、ステルス機能を備えた試作品の黒いフード。
そして……出るトコ出てるこの感じ。
設計担当者の好みが余す所なく反映されてそうな見た目。
何でだろう。無性に悔しいっス!
三嶋社長!私もあれ位欲しいっス!
そうだ、部屋に戻ったら嘆願書を書こう。
LSSを投げ入れたのはエクリプスだった。
元々冴樹さんから頼まれて、私たちが集合する前からLSSとアクリルシールドを抱えてスタンバイしてたらしいっス。
「ネルさん達、演技が迫真過ぎるんですよ。物陰から見てて何度かヒヤヒヤしたんですから。」
「……演技?あれが?!」
「あら?やり過ぎちゃったかしら……ごめんねディールちゃん。ちょっとスイッチ入っちゃったみたい。」
「でもねえさま、さっき笑うの堪えてたよね。何で?」
"妖怪粉塵まみれ"こと、ミア先輩がとんでもない暴露をし始めた。
「確かにミアさんに話し掛けた時、ネルさん笑い堪えてましたね。私の位置からもバッチリ見えました。」
私がシールド弾き飛ばされた時っスね。
「もう真面目にやってるディールさんが可哀想になる位の顔してましたよ。ミアさん抱きしめてる時のディールさん、もう半泣きだったじゃないですか。でも可愛かったなぁ……。」
やめて何か恥ずかしい。全部芝居だったって分かってからのプレイバックは勘弁して。
「だってもう、ミアちゃん飽きて半分寝てるんだもの。それがもう……おかしくて……ぷふっ。」
「は?!!」
寝てた、だと……?
「あの『ねえ、さま……?』が、寝起きだったなんてそんなの認めないっス!」
「そうだそうだぁ!あたしも認めないぞぅ!」
まだ白い粉をバフバフさせながら、ミア先輩も抗議する。
何かの見間違いっス。あの状況で寝るなんてそんな――
「ミアさんは認めるべきですね。」
「はい、間違いありません。ちゃんと寝起きでした。」
あっさり容疑認めたー!
「まぁ、ここまで追い詰めて掴めたものがあるなら結果オーライって事で良いんじゃないですか?それに……最後かっこ良かったですよ、ディールさん。」
話の軌道をしっかり戻して来るエクリプス。恐ろしい子……!
「LSSと初めて呼吸が合ったっていうか、守る為に攻めるって事の意味がようやく自分の中で理解出来たんス。そしたら……」
「ちゃんと応えてくれたんですよね、この子が。」
「そう、このワンちゃんが……」
「……ですよねっ。」
「な、何じゃこりゃああああああ?!!」
さっきまで横に置いてあった筈のLSSが無くなってると思ったら、既視感の凄い素材で出来た灰色の小型犬が行儀良く座り、尻尾を振ってこっちを見ていた。
「なななな何、何この子?!私のLSSは?!あの荒ぶる盾は何処?!」
「何言ってるんですかディールさん。そこに行儀良くお座りしてるじゃないですか。可愛いねー。君、お名前は?」
盾が小型犬に変形するのなんて世界の常識だろうぐらいのトーンで、この怪現象をナチュラルに受け入れているエクリプス。尚も恐ろしい子……!
「こんな可愛くなったんだから、名前もLSSじゃなくて別の名前付けてあげた方が良いんじゃないかしら。……よしよーし。お手。」
元々無視していた質量保存の法則を更に無視したコンパクトサイズになった、狂犬とは程遠い愛くるしさを持つ私の盾に早くも芸を仕込もうとするネル先輩。
「あれは?渋谷のレジェンドドッグ。ハムだっけ。」
ミア先輩にしてはインテリ回答寄り!でも惜しい!
「……Fend。」
「ふぇんど?」
「この子の名前っス。守る事を意味する"Defend"の短縮形。どうっスか?」
何故か分からないけど、名前がすんなり出て来た。
こんなあり得ない事が起きてるのに、私も逞しくなったもんスね……。
「良いと思います!」
「この子にピッタリの名前ね。」
「かっこいい!おディーちゃんと一緒にこれからもあたし達を守ってね、ふぇんど!」
ミア先輩の周りを嬉しそうにピョコピョコ跳ね回っている、LSS改めフェンド。
これ、ちゃんと元の形に戻るんだろうか。
「――でも、何で突然犬の形になったんスか?」
「それは、あれだ……」
暫く空気と同化していた冴樹さんが久し振りに口を開いた。
「それは……?」
「それは、お前らが犬って言い過ぎたせいだろ。」
そんな理由?!
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