Ep.02 [MiA]

 宿舎棟と本部のある研究棟を繋ぐ真っ白な長い渡り廊下をぽつぽつと歩いて、セキュリティゲートを通る。

 ふっくらした警備員さんの柔らかいお腹に挨拶して、左側2つ目のドアの奥角を曲がった突き当たりにある専用エレベーターから、地下3階へ。

 エレベーターホールに出てすぐ正面の、いかにも挟まれたら痛そうな厚い自動ドアの先に進む。すると、内装が間に合わなかったのか予算的に諦めたのか、様々な配管が剥き出しになった天井の高い無骨な空間に出る。

 この前見た無駄に大きな白い水槽のような部屋と言い、ここの地下は元々何をする為のフロアとして作られたんだろう……。

 その部屋を円く囲むように、あたしたちの遊……じゃなくて、個別訓練用の黒い円筒型シミュレーションブースが等間隔に並んでいた。


 ここでは、これまでの実戦データや偵察で収集・蓄積した情報を基に"半仮想空間"と呼ばれる環境で模擬戦を行うことが出来る。

 半仮想空間は、その名の通り半分現実で半分バーチャル。ブース内の空間に実物の硬度と体積に近いダミーを形成する、小さな立方体の形をした無数の可変型特殊合金『Qb(キューブ)』と、専用のアイウェアを使わずに実際のディテールと遜色ない程忠実に物質や環境を再現可能な全方位立体投影技術『メタグラム・ビジョン(MgV)』を組み合わせ、"質量を持った映像"という形で現実の環境に限りなく近付ける仮想空間形成方式を採用している。これにより、様々な場所や状況下における接敵状態をブース内に作り出し、ホログラム映像でありながら物理的に接触可能な敵機を相手にした模擬戦を実現しているのが、このブース最大の特徴。

 それだけに止まらず、Qbの高度な可変性と制御システムを応用して開発された、ブース中央に立った動体の移動速度や距離に連動して全方向に動く床『M'v(ムーヴ)』を組み込む事で、限られた空間リソースを仮想的に拡大。どんなに走り回っても初期位置から殆どずれる事無く、自由に交戦距離を変えられる。

 Qbは内壁面に敷き詰められていて、M'vの動きに合わせて個体として壁面から実体化したり、距離を取れば壁面に戻る。これにより、中型以上の複数機を全方向から同時且つ部分的に実体化させて出現させる事を可能にした。

 内壁面を構成するQbの質量が部分的に減少しても即時全体で均され、一定量のQbが壁面を離れると下部から自動で上昇して補充、固体化していたQbが壁面に戻れば再び補充分が下部に降下するという仕組み。このあまりに高度で特殊過ぎる床とQbは、ディールの"実家"である三嶋重研の協力で設計から開発までが超短期間の内に行われた。

 こういう需要の限られた『勝手に動く変な物』を作らせたら、向こう1世紀は彼らの右に出るものなんて現れそうにない。

 おもちゃ産業に参入すれば、かつてないヒット商品がいくらでも生まれそうな程の高いポテンシャルを持っているのに。

 

 ――ところで。

 ねえさま……つまり姉のネルは、あれからあまり元気がない。

 毎日ブースに篭っては、"Ⅳ型"と呼ばれる四足歩行の中型高機動装甲兵器を相手に凄く怖い顔で大鎌を振り回している。

 そんな姿を心配に思ったあたしは、毎日こうして向かいのブース横にある観葉植物の陰に身を潜め、ねえさまのブース出入り口の上に付いているモニターを見守る事にした。

 サボっている訳ではない。観葉植物を隠れ蓑にして凄く真剣に見守っているんだから、サボりじゃないし認めない。

 時々誰かに見られている気がするけど、あたしと観葉植物の一体感はこの上なく完璧だった。そんな簡単にバレる訳がないのだ。

 

 一週間前の"規制線越え"の時、ねえさまに新しく配備された黒い鎌。これまで使っていた武器と全く違う射程のそれを、姉はこの世の終わりみたいな顔で見つめてた。

 でも背中の黒い反重力ユニットとの相性も良くて意外と似合ってるし、何より死神っぽくて可愛いとあたしは思う。

 あれなら今期の死にかわコーデ界隈で覇権を獲得出来るって断言しても良い。

 

 隣に突き立てるだけでも可愛い。大きく振りかぶっても可愛い。そのまま鎌をどこかへ放り投げてしまっても、ねえさまは可愛い。

 こんな可愛さ、巷のファッション雑誌が放っておく訳ない。

 今度の休みは原宿の有名な橋の上に鎌持って立たせて、遠くからそっと見守りたい。

 だめだ、新宿から2kmはギリギリ規制区域内だった。民間人いないや……じゃあ巣鴨でもいい。あそこはもうひとつの原宿だって聞いた事あるから。

 でも規制区域外は武装禁止なんだった。じゃあ一体、一体どうすれば……っ!

 "あん畜生"のせいで、ねえさまの原宿系ファッション誌読モデビュー計画が遠のくなんて到底受け入れ難い。

 いつか見つけ出して、とげぬき抜き地蔵に縛り付けてやる。

 

 ともかく……ずっと浮かない顔をしている姉が心配で仕方ない。

 

 朝、歯を磨く時も。

 ご飯を食べる時も。

 お風呂に入る時も。

 何かを考えるかのように、眉間に皺を寄せてずっと難しい顔をしている。


 でも、いつものようにこっそりリンクして思考解析してみても、何か特別に難しい事を考えてるといった訳でもなさそう。

 なんなら、ほぼ何も考えてない。無。

 そして朝から眠る時まで、外出時以外は片時も大鎌を手放さない我が姉。

 

 ――おかしい。

 行動自体はどう見ても好き過ぎるそれなのに、やっている事と表情の乖離が凄い。

 好きになるため我慢しているのだろうか。それとも、愛と憎しみは紙一重という事なのだろうか。

 愛、だと……?

 

 もやもやとした感覚を拭い去れないまま、観察は8日目を迎えた。

 あたしが見る限りでも、ねえさまは明らかに大鎌の取回しが上達しているし、技術も日に日に向上して来ている。

 初めはテイクバックとスイングの為だけに使ってたブースターも今は急速接近や離脱にも活用するようになって、ダメージリスクを最小限に抑えつつも撃破までの時間を短縮出来るようになって来た。あたしはベンチから試合を見守っているマネージャーなのだろうか。

 どんなに上手くなっても尚、ねえさまは全然嬉しくなさそうだ。

 かと思えば、酷くつまらなそうな表情なのに、いつも大事そうに大鎌を抱えている。

 あたしですら対物ライフル抱いて寝るなんてしないのに。座ったまま寝たらもう武士じゃん。

 これには流石にあたしも首を傾げた。

 

 少し前。

 区画奪還作戦で対特殊装甲用アサルトライフルを使ってた頃のねえさまは、標的に全然当たらないのに楽しそうだった。

 "戦ってる"というより"戯れてる"ように見えるその姿は妙に爽やかで美しく、一面に広がる草原の中を風と踊る無垢な少女のようですらある。

 あたしにも何度か、ねえさまの周りを優雅に駆け回る白い馬がうっすら見えた程。

 相手に一切被弾させず自分の跳弾もナチュラルに全弾躱す軽やかで高精度な身のこなしは、もはや芸術の領域に達していた。

 

 完璧に沼っているというのに、全弾外しているなんて微塵も感じさせない巧みなステップ。それでいて、あたし達の望む答えとは逆方向に卓越した技術。

 これこそが本当の"魅せるプレイ"であり"神エイム"なのかもしれない。

 結局あたしがタイミング見て遠距離から撃ち抜くか、勝手に動く自社製の変な盾にしがみついたディールが泣きながら突っ込んで倒してたんだけど……。


 

 どんなに戦っても撃破数ゼロ。

 なのに、あの頃のねえさまは楽しそうにしてた。

 それが今や、斬鉄剣かっていうぐらい切れ味の鋭い大鎌を握って笑顔ひとつ見せずに目の前のダミー機を片っ端からバラバラにしている。

 一撃必中でも、つまらぬものを斬ってしまったような顔を崩さない。


 あたしは、ねえさまにはどんな時も笑っていて欲しい。

 その為なら何だってする。

 

 もし、冴樹が壊したアレをあたしが直せれば……。

 そうすれば、また笑ってくれるだろうか。

 意を決したあたしは観葉植物に扮して続けていた観察を中断し、この上なくハードボイルドな劇画調の面持ちで冴樹の居そうな場所、リフレッシュルームへ歩き出した。

 尚、その表情に深い意味など無いのである。

 

 

 「はぁ?……あの特注品を直す?ミアが?」


 リフレッシュルームでコーヒーを啜りながら、冴樹は訝しげに横目であたしを見た。

 まるで『お前に出来る訳ないだろう』とでも言わんばかりの表情だ。

 あたしは少しムッとした。

 見縊らないでよ。ねえさまが壊した家電製品を何千回も修理しようとしたのも、結局その度に量販店へ買い直しに行ったのも、全部あたしなんだから。

 ポイントすっごい貯まったんだから!

 

 ……み、見縊らないでよね!

 

 「ねえさま、あれ凄く気に入ってたの。あたしが直して使えるようにすれば、ねえさまきっと喜んでくれる!だから今度こそ直すの!」

 

 「まぁ、確かにそれはそうなんだが……お前も知ってるだろ。ネルが中距離以上の飛び道具を使いこなすのは、そもそも無理なんだよ。それとお前いま『今度こそ』って言った?」

 

 冴樹が珍しく渋い顔で現実を突き付けて来た。

 なんだこいつ。いや分かるけど。なんなの。淹れたてのホットコーヒーぶっかけられたいの?


 「分かるよ、さえき。あたしもそれは知ってる……身をもって。」


 そう。

 実際のところ、全て冴樹の言う通り。

 ねえさまは絶望的なまでにコントロールが悪い。

 

 ボール、フリスビー、ブーメラン。

 手元から離れた瞬間、全ての物質は慣性の法則を無視したかのようなありえない方向へ飛んで行く。

 後ろに居るあたしの顔面に直撃するなんて、よくある事だ。

 20世紀の終わり頃、ボーリング場で何度もあたしに目掛けて球が飛んで来て死にそうになったのは良い思い出。

 その時の恐怖に比べたら、大抵の事は些細なものだと思える。

 戦場で音速を優に超えた16ポンドの球が頭目掛けて飛んで来るなんて事、まずないでしょ?

 この時代に中世風の攻城戦か海戦でもしようっていうなら話は違うけど。

 

 『もし彼女達を全滅させたくない気持ちがあるのなら、あの黒い翼の子にはスモークグレネードを含む投擲物の一切を取り扱いさせないでくれ。勿論ナイフもだ。』

 と、ブースが完成するまでの間通っていた駐屯地の戦闘訓練で、血の気が引くような危なっかしい場面を何度も目の当たりにした教官が、青ざめながら冴樹に耳打ちしたぐらい危ない。

 あのグレネードが訓練用じゃなかったら今頃生存者は居なかったぞ、とまで言われたらしい。

 だからアサルトライフルが割り当てられた時は、いよいよあたしもここまでかなと思った。


 投げなければ、射出口が特定の方向を向いているようなものであれば流石に大丈夫だと教官は考えたんだろうけど、うちのねえさまはそんな甘くない。

 いつだって当たり前のように奇跡を起こす。

 

 それは一緒に行った温泉街の射的コーナーで、取らせる気のない景品と跳弾したコルクの恐ろしさを体験したからこそ言える。

 ボーリング場に続いて、あれがもし実弾だったら私は今頃ここに居ない。

 その割り当てが本気だと知ってからというもの、あたしは敵を掠めて超音速で飛んでくる流れ弾をひたすら避けるっていう特殊訓練をさせられてたっけ……実戦で。


 だけど、あれがもう無くなると思うと少し寂しい。

 ねえさまが撃てば、必ずと言って良い程私に向かって弾が飛んで来る。

 意図せず私を殺しにかかる、彷徨える弾丸。

 でもそれが、ねえさまと一緒に戦ってる確かな実感をくれる要素だったから。



 ……ところで。

 この回想、ちょっと長くない?



 「分かるよ、さえき。あたしもそれは知ってる……身をもって。」


 「何で二度言った?」


 「仕切り直そうと思って。」


 「……何が?」


 「気にしないで。」

 

 「まあいい……とにかくネルには悪いが、この作戦を最小限の被害で成功に導くには、アレを持たせるべきじゃないんだ。」


 「確かにあそこまで芸術点の高いクソエイムは、あたしも初めて見たよ。」


 「ごく自然に辛辣な事言ってるぞ。」

 

 「……でもね、さえき。」


 「何だ?」


 「命中させる事ってそんなに大事?」


 「何を言ってるんだお前。」


 「さえき!」

 

 私はガタッと勢い良く立ち上がった。

 やはり特に深い意味はない。


 「ど、どうした?」


 まだコーヒーの入ったカップを落としそうになりながら、ブラインドを抜けて差し込む西陽で逆光になったあたしを少し眩しそうに見上げる冴樹。

 

 「あたしは!」

 

 「……ん?」

 

 「あたしは……ねえさまが笑っていてくれる方が何倍も大事なの!」

 

 「ミア、お前……。」

 

 冴樹が少し驚いた顔で、あたしを見つめた。

 

 「なあに?」


 「お前まさか……バカなのか?」


 「えひひ。」

 

 「微塵も褒めてないんだが。」


 冴樹は結局、直せなくなった対特殊装甲用アサルトライフルを渡してくれなかった。

 ネジ2本も余らせたくせに。

 あたしなら1本余るぐらいで済むのに!

 

 

 ――本部研究棟の屋上。

 嫌な事があると、あたしはここに来て風を浴びながら空を見る。

 

 地平線が茜色に染まる頃の空は少し寂しくて、どこか優しい。

 生暖かい初夏の風が頬を撫でて、通り過ぎて行く。

 いつかねえさまと夕飯の買い物をして、手を繋いで帰った道で見上げた空も、こんな色だったなぁ。

 

 また、あの頃の暮らしに戻りたい。

 何も起きないけど穏やかだった、あの頃に。

 

 そんな事を思いながらスッと大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。

 

 もう一度大きく息を吸い込んで前を向く。そしておもむろに……

 

 「さえきのばぁーーーーーか!!!ぶぁーーーーーかゔぁーーげほげほ!」

 

 夕陽に向かってソウルシャウトしたら、むせた。全部冴樹のせいだ。

 咳き込み過ぎて涙目になっていると、誰かがゆっくりと階段を上って上って来る音がした。

 冴樹だったらコーヒーぶっかけて追い返そう。……あれ、持ってなかった。


 

 「今日は随分とご機嫌斜めだな、ミアちゃん。」

 

 「おヒゲの所長……。」

 

 「今まで私がヒゲを生やしてた事なんて一度も無かったと思うよ。」

 

 扉を開けて歩いて来たのは冴樹ではなく野島技研の所長、野島アキラだった。

 この人は、少し変わっている。

 普通のシャツに作業着という汎用的な姿なのに、佇まいや立ち振る舞いから余す所なくダンディズムが沸騰させた煮汁のように溢れ出ている。

 多分うちの所長は、まだ地球上で発見されていない"Da (ダンディズム)"とかいう元素を体内生成出来る希少種に違いない。

 今にも『人生は束の間のフェスティバル』などと言い出しそうな澱みない口髭が、あたしにはハッキリと見える。


 「近々こっちに顔を出すって言ってたけど、今日だったんだ。」

 

 「あぁ。本当は来週の予定だったんだが、つい君たちの顔がいち早く見たくなってね。……また冴樹君と揉めたんだって?」


 所長は完璧なタイミングで2本ある缶コーヒーの片方を差し出し、自分も一口ぐびっと飲みながら本題を切り出した。

 

 「うん、さえきに揉まれた。」

 

 「だいぶ意味変わっちゃうね。」

 

 所長はダンディーなだけでは飽き足らず、地獄耳だ。

 何か問題が起きると然りげなく現れて、サラリと解決して去って行く。

 今日こそ先に問題解決して、あたしの方から去ってやりたい。

 

 あたしは、さっき起きた事を全て話した。

 

 「なるほどな……ミアちゃん。冴樹君はどうしてあの銃を分解したと思う?」

 

 「わかんない。知的好奇心がどうとか言ってたから、構造に興味があったんじゃない?」

 

 「ふむ……しかし彼はああ見えて優秀な技術者だ。そんな彼が、自分で分解したものを本当に元通りに出来なかったと思うかい?」

 

 所長のメガネが、鋭く光った気がした。裸眼だけど。

 そして後半の言葉は、何故かあたしの心を軽く抉った。

 

 「それって、さえきが私達に嘘をついたって事?」

 

 「まぁ、平たく言えばそういう事になるな。……だがそれも、彼なりの考えがあっての事だよ。」

 

 「考え?」

 

 所長は、子供に優しく諭すように話を続けた。

 "おとうさん"って、こういう感じなのかな。

 

 「冴樹君は長い間、君達をずっと見て来た。そして他の誰よりも、君達が無事に作戦エリアから帰って来て欲しいと強く願っている。それは分かるね?」

 

 「……うん。」

 

 冴樹は、なんやかんや言っても優しい。

 研究対象として好奇の目で見られがちなあたし達なのに、普通の人間と同じように接してくれるし、信頼も出来る。

 けど、今回は……。


 「ミアちゃんも知っての通り、ネルちゃんは絶望的なまでに銃火器を扱うセンスが無い。動きは素晴らしいが、対象に一発も着弾したためしがないのは今や本部内では周知の事実だ。」

 

 所長はにこやかに思っている事をハッキリ言う。こんなの、ねえさまには聞かせられない。

 

 「その事に冴樹君はいち早く気が付いていたんだ。」

 

 あたしは冴樹が気付く以前に、割り当て決まった瞬間から腹括ってました所長!

 

 「だったら……だったらもっと早く伝えれば良かったのに!」

 

 あたしはつい語気を強めてしまった。

 それでも所長は穏やかに話を続けた。

 

 「そうだね、本当はそうすべきだったかもしれない。でもね、ミアちゃん。冴樹君は言わなかったんじゃなく、言えなかったんだよ。」

 

 「言えなかった……?」

 

 「あんなボロボロのスコアでも楽しそうにしている彼女に、具体的な代替案も無いまま近接武器にシフトしてくれなんて無責任な事は、どうしても言えなかった。それが最適解であるという確証が何処にも無かったからね。」

 

 冴樹の真面目さは、あたしが思ってた以上だった。

 

 「だが今のままでは危険過ぎるのも分かっていた。だから彼は、模擬戦でのネルちゃんの動きを徹底的に観察し、研究し続けた。そして辿り着いた最適解が、あの大鎌"レイドバック"だよ。あれは設計から製造、テストまで全て冴樹君が監修したネルちゃん専用の特注品だ。」

 

 「え……。」


 そこまでして冴樹は、ねえさまとあたし達を……。

 

 「ネルちゃんも、その意図に気付いたんだろうなぁ。自分なりに期待に応えようと毎日シミュレーションブースで立ち回りを研究している。君も見ただろう?私はあんな真剣な顔をした彼女を初めて見たよ。」


 そう言って野島所長は、地平線に沈みかけた太陽を見ながらコーヒーを一口飲み込んで、目を細める。

 その横顔は、まるで娘の成長を喜ばしくも少し寂しく思う、父親のようだ。

 

 ――この人は、この人の周りの人たちは、今までのどんな研究機関の人とも違う。

 ヒトもヒューマノイドも、そして正体が何なのか自分でも分からないあたし達でさえ、平等に仲間として、家族として見てくれる。

 もし、あたしが普通の人間だったなら。

 こんなお父さんが欲しい。


 そしてあたしはようやく、ここまでの全てを理解した。

 冴樹は、あたし達の無事を最優先して辛い選択をした。

 嫌われるかもしれないのを覚悟で。

 ねえさまは、そんな冴樹の想いに応えたくて必死に頑張ってたんだ。


 「所長、あたし……。」

 

 「分かってくれたかな?」

 

 野島所長は優しく微笑んだ。

 

 「あたし、さえきに謝らなきゃ!所長ありがと!来世は絶対所長の娘に生まれるから!」

 


 「――そうか、楽しみにしておくよ。だが……君達は、まだまだ生きなさい。」



 階段を駆け下りて専用エレベーターで地下3階まで降り、正面のドアを急いで開ける。

 すると、シミュレーションブース前のスペースで冴樹が誰かと話をしていた。

 それは、訓練を終えたねえさまだった。

 内容は聞こえなかったけど、ねえさまは凄く嬉しそうに何か話している。


 あたしは、思い違いをしてたんだ。

 冴樹の気持ちも、ねえさまの気持ちも、ちっとも分かってなかった。


 「あら、ミアちゃん。」


 「おぉ、どうした?随分急いで来たみたいだが、何かあったのか?」

 

 「……ねえさま、さえき……。」


 二人の名前を口にした瞬間、ポロポロと大粒の涙が滾れ落ちた。

 それと、泣き過ぎたら塗装剥げて青くなったロボットの漫画を昔読んだ事を急に思い出して、そっちも心配で泣いた。

 今思えば、途中からはそっちが主な理由で泣いてたような気がする。


 「……えっ、何で?何で泣いてるの?大丈夫?お腹空いちゃった?それとも怖い夢でも見た?」

 

 「ごめんなさい。あたし、あたし……何も分かってなくて……っ!」

 

 「ミアが最初から何かを正しく理解してた事の方が少ないだけに、一体どの事を言ってるのかさっぱり分からんのだが。」

 

 「思い当たる節が沢山あるのね、冴樹君。」

 

 「まぁ、そういうの含めてミアの個性だと思ってるし、よく分からんが今更そんなの気にするな。あとさりげなく人の白衣で鼻水かむな。」

 

 二人ともバカ優しくて、温かくて胸が苦しい。

 所長やみんなも、この戦いで誰も死なせたくない。

 

 きっと守ってみせる。あたしが。

 

 

 「……あっ、私分かったかも。」

 

 ねえさまが、なるほど!といった具合に手のひらをポンと叩いた。

 それは、およそ2世紀振りに見る懐かしい動きだった。


 「え?」

 

 「ミアちゃん、私が近接戦闘にシフトしてから集中力爆上げしてるの見て、つまらなそうに見えたんでしょ。」

 

 「うん、すごい面白くなさそうだった。」

 

 「あはは、違うのよ。その逆。」


 笑いながら軽く前に出した手のひらをスッと下に向ける姉。

 昔住んでたアパートの大家さんに『今日も可愛いね!』と言ったら『あらやだ上手ねこの子は』と照れ笑いしながら必ずやっていた動きと同じだ。

 いっぱいお菓子をくれる、いい人だったなぁ。

 ……違う、そうじゃない。

 

 「逆?」

 

 「確かに私も最初は憂鬱だったんだけど、帰って試しに使ってみたらびっくりする程クリーンヒットするから楽しくなっちゃって、つい真剣になってただけ。」


 「……は?」


 あれ……?

 

 あんなに嫌そうな顔してたのに?


 まさか初日から気に入ってたの?

 

 何が何だか分からないあたしをよそに、冴樹が話し出す。

 

 「観察してる内に草野球で打率10割だった事をふと思い出して、あの精度の高さなら余裕でイケると思ったんだ。お前、ピッチングはダメだがバッティングは神だからな。」

 

 しかも着眼点そこなんだ。

 すっかり忘れてたけど、確かにうちの姉は最強とも言える程のスラッガー(強打者)だった。

 もしねえさまが人間だったら、各球団が放っておく訳ない程の逸材だと思う。

 

 「どうだ、ネル。装備変えて良かったろ?」

 

 「えぇ。控えめに言って……最っ高。」


 爆笑する二人。


 その間に挟まれてポカンとする、あたし。

 

 これか。

 これを取り越し苦労と言うのか。

 でも、ひとつ謎が残ってる。


 「じゃあ、ずっと難しい顔してたのは?」


 「あぁ、アレね。別にいつも通りでも良いんだけど、実戦の時に強そうな顔してた方がそれっぽいでしょ?だから練習してたのよ。」


 「れんしゅう……?表情作る練習?!」

 

 どうりで思考が何も読み取れなかったわけだ。

 あたしの姉ネルは、この一週間ちょっとの間ずっと渋い表情を作ってるだけで、本当に"無"だった。

 でも、兵器相手に顔作って何かが変わるのだろうか。

 

 ……周りのテンションかな。

 


 「ミアちゃんは沢山心配してくれたのよね。その気持ちが何より嬉しいわ。ありがとう。」

 

 ねえさまが、あたしの頭を優しく撫でた。

 空回りばっかりしてるあたしを全て受け止めてくれる、温かい手。


 ねえさま。

 ねえさまは忘れちゃったかもしれないけど

 初めて出会った時から、あなたは何も変わらない笑顔をくれる。

 あたしはそれが、たまらなく嬉しいんだ。

 

 だから、ねえさま。

 あたしの方こそありがと。

 

 「……えひひ。」


 

 ――それにしても。

 

 早とちりする癖、いくら直そうとしてもネジ1本余っちゃうんだよなぁ。

 

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