五、『白い沙漠に白い雪』その5
「――やっぱり、そうか」
降り始めた雨の中、リベカは俯いて言った。
「そうだよね、彼なら間違いなくそれを選択する。生きる事に不器用だから、どうしてもそういう選択になってしまう。もっと器用に生きれば、楽な筈なのに」
「でもそれは、アイツじゃあないよ。涼しい顔して一杯一杯なのが、アイツらしいんだから」
来良が無理矢理笑ってみせると、それに合わせてリベカも顔を上げて愛想笑いを浮かべる。
「で、何しに来たの? 聞いたよ、あなたにはタイムマシンの適性がないんでしょ? つまり、今こうして此所に居るって事は裏技を使ったという事。マトモじゃあない方法を使ってまで此所へ来たという事は、何かとても大事な用があるんじゃあない?」
「来て欲しい、わたしの世界へ」
はっきりとした口調に、来良は思わず眼を見開いた。
「それって人質・・・・・・いや、あの――」
来良の脳裏に浮かぶのは、先日の機械仕掛けの天使。確かネフィリムと、言ったか。機械と融合した醜悪な姿が己に重なった。
「エリアはそのつもり。彼に完全な絶望を与える為に、ネフィリムと化したあなたを彼へぶつけようとしている。でも、わたしは違う。別の目的で、あなたを迎えに来た」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
来良はリベカを見据えたまま、ゆっくりと深呼吸をする。
「救いたいんだね、アイツを。わたしを使って」
「これは、分の悪い賭け」
震える唇で、リベカは掠れた声を紡ぐ。彼女の右手には薬液で満たされた注射器が握られていた。
「この液体の中には、あなたの身体をネフィリムへ適合させる為に調整されたナノマシンが入っている。通常のネフィリムと違って人の姿を保つ設計だから、この世界には二度と戻っては来られない」
「構わないよ、別に。じゃあ、行こうか」
「どうして!」
あっさりと承諾した来良に対し、リベカは叫ぶ。
「わたしは、あなたを利用しようとしているんだよ!? どうしてそんな簡単に信用出来る訳!? それだけじゃあない。どれだけわたしがあなたに酷い事をしようとしているか、分かっている!? もう二度とこの時代には戻れないし、人間にさえ戻れない!! こうは考えなかったの、あなた。彼を奪われた事に対する、意趣返しだって。わたしはそんなに良い子じゃあない。そのぐらいの事は、簡単に思い付いて実行出来るんだ」
「・・・・・・良い子じゃあない、か。この前、似たような言葉を聞いたな。何でそう、優等生みたいな連中は悪ぶるんだか」
捲し立てるリベカに対し、来良は柔和な笑みを浮かべた。
「悪い子は、そもそも手の内を明かさないよ。それだけでも信用に値するんだ、わたしにとっては」
それに、と来良は袖が揺れる右肩へ視線を向ける。
「このまま行っても、わたしは足手纏い。間違いなく、この戦争は敗北する。二度目の敗北の屈辱に塗れるより、分の悪い賭けでも乗った方がマシなんだよ」
語る東風瑞 来良の双眼は、覚悟の色に彩られていた。その気迫に、思わずリベカはたじろぐ。本当に、彼女は自分と同じ歳の人間なのだろうか。彼女のような覚悟が、自分にはない。注射器を構えた右腕が震え、細い足が竦んだ。
「・・・・・・騙しているかも、しれないよ? 騙して連れて行って、あなたをただの傀儡に改造するかも」
「それでも、アイツの不利になるような事はしないでしょ? 分かるよ。いや、ちょっと前までは分からなかったかな。アイツの事を本当に好きなんだなって、その貌で分かる。そんな人が、そんな事はしないよ」
リベカは満身創痍だった。適正のない人間にとって時間を渡る事がどれだけ身体に負荷が掛かるものなのか、彼女の姿が如実に現していた。
もう彼女の命は長くない。その最期の灯火を最愛の人間の為に燃やすのだ。そこに邪な思想が這入り込む余地はない。
「でも、図らずとも、そうなる可能性だって――」
「だったら、改造する時わたしにリモコンでも付けておいてよ。そうすれば、少なくともあなたが居れば、わたしは彼の足手纏いにはならないからさ」
「――――――――――――」
歯を見せて笑う来良に、リベカの頬に一筋の涙が伝う。
それは、何よりの敗北の証しであった。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。何でもないから」
リベカは涙を払うと懐からトーチを取り出し、起動する。
「じゃあ行ってらっしゃい、向こうのわたしによろしく。これはわたしの意地悪なんだから、ゴメンねなんて絶対言わない」
「恋敵なんだから、別にそれで良いよ」
レンズから宙空へ映し出されるホログラムに現在位置と未来位置の座標が表示され、半径数メートル一帯を満たすエーテルが活発化した。まだこの時代では明かされぬ、物理法則。それが来良を光で包み込み、黙示録にさえ記載されぬ終焉の世界へと誘った。
罰も罰も、甘んじて受けよう。
だからどうか、神様。
あの二人にだけは、最後の祝福を――――
◇
「な――――――――」
一瞬、一閃。
光刃が振るわれたと同時、柄野久 午兎を取り囲んでいたネフィリム四体は破壊され地面へ残骸を晒した。それは人間の視認速度を遥かに凌駕し、破壊された結果だけをまざまざと周囲の人間に突き付ける。
「馬鹿な、ネフィリムの暴走・・・・・・だと!?」
「暴走なんかあじゃない。わたしのコンディションは、常にグリーンだッ!!」
無表情であった白いネフィリムの貌に色が帯び、聞き慣れた声が空間へ響いた。
「あ・・・・・・・・・・・・ああ――――」
あの声は二度と聞けないと、思っていた。
もう二度と会う事はないと思っていた。
東風瑞 来良が、姿を変えてそこに居る――
「裏切ったというのか、リベカ!!」
「そっちでしょ、先に裏切ったのは」
螺旋階段へ叫び声を上げるエリアに対し、残響するリベカの返答。
「大義をこじつけて焚き付けて、本当にやりたかったのはこんな茶番。血と罪で汚された両手の分、きっちり償って貰うから」
「巫山戯るなァッ!!」
銃声。
「・・・・・・どっちだよ、巫山戯ているのは」
硝煙揺らぐ銃口をエリアへ向け、午兎は剣呑な視線を穿つ。
「お前が僕を殺したいように、僕はお前を殺したいんだ。なあ、ちゃんと眼を向けろよ。敵である、この僕に」
「形勢が逆転したと、ぬか喜びしたようだな」
嘲りを含んだ口元を釣り上げると、エリアは手を翻す。
連絡通路の入り口から現れたのは、数十体に及ぶネフィリムと生き残った〝
「元より、貴様を逃がす気は毛頭ない。たかがネフィリム一機、くれてやる。安心しろ、睦言を宣う時間程度ぐらい与えてやろう。見ててやるから、精々人形相手に腰でも振っていろ」
「随分と下品な慈悲だね」来良は光刃の切っ先をエリアへ向ける。「
「人形の分際で、よく喋る」
侮蔑の一瞥をくれると、エリアは翻した手を振り下ろす。須臾、ネフィリム達が背部から光を噴き出し、来良へ向けて肉薄した。
駆動音が響き渡る。
関節が曲がり、カーボン・セルロイド製の人工筋肉が膨張した。
一体のネフィリムが振り上げた大剣が、来良が虚空を蹴ったと同時に腕ごと切断される。機械へ置き換わった双眼でも、来良を捉えるのは不可能であった。次、また次と流れる速度でネフィリムの機能が停止し、腸の代わりにパイプとケーブルを散乱させ、血溜まりを産み出す。
リベカが東風瑞 来良へ施した改造は、老人達が延命用に施されるサイバネティックス手術と大差はない。ネフィリムのように人間を兵器へ組み込んだのではなく、全身を構成する肉体の有機インプラントへの置き換えである。武装と呼べるモノは、本人の強い希望で搭載された右腕のレーザーブレードのみ。総合的なスペックでは彼女を取り巻くネフィリムの方に軍配が上がる。
だが事実、ネフィリム達は疎か戦闘経験で勝る〝
彼女の、強さ。
生きる事への執着は元より、愛しき者を護り抜くという執念。我欲の極致とも呼べるそれは、スペック上の彼女の身体能力を何倍へも膨張させ、精神を極限まで強化する。
「――――――――――」
思い返す、手術中。彼女は何度も心停止を起こしショック状態になりながら、それでも手術台の上で筆舌に尽くしがたい苦痛に耐えてみせた。人工呼吸器のマスクを血で汚そうとも、無影灯を見つめる双眼から光が失せようとも、彼女は一切後悔の言葉も呪詛も口にしなかった。
朦朧とする意識の中で彼女が発した言葉は、ただ一つ。
――わたしをさっさと動けるようにしろ。
餓えた獣の如き、銀色の眼。その視線に射竦められ、機器を操作する両手が躊躇に揺らぐ。死の淵に於いて人間でなくなろうとしている
「勝てないな・・・・・・やっぱり」
螺旋階段から彼女の八面六臂の活躍を見つめながら、リベカはぽつりと呟いた。自分の全てを捧げてまで、愛しき人を護り抜く――口にするのは容易いが、それを実行するのは難しい。恋する乙女が無敵であるのは、所詮お伽噺の中だけなのだから。
ただ終わりを待ち続けていた、自分には出来ない。
叶わないならばいっそ壊してしまえばいいと、悪意を抱いて彼女をこの世界へ誘った、咎人の自分には――
「何、呆けているんだ」
竜の如き.45ACPの咆吼。
エリアが銃を繰り出すよりも早く、午兎は次弾を叩き込む。
「僕を絶望させたいお前が、絶望してるんじゃあないよ」
「エーテルプラントを護り抜け!! アレがあればタイムマシンを使って、この事象を取り消す事が――」
「・・・・・・悪いが、そいつは無理だ」
壁にもたれ掛かり、イサクは言った。ナノパッチを貼ってはいるが、その傷は深く完全に修復はされていない。
「タイムマシンを使っても、事象を取り消す事は出来ない。あくまでも
「巫山戯るなよッ!! ならば、何故、あの老人共は――」
「だからだよ。だから虚しくなって、止めたのさ。どんな時代に移住しようとも、元になった世界の自分は滅びちまうんだから」
終わりってのは、そういうものだ。
「あああああああああああああああああああああああああァッ!!」
イサクの言葉が結ばれると同時、エリアは悲痛な雄叫びを上げた。怨嗟が鐘となって打ち鳴らす、慟哭。不協和音は悍ましく空間をねじ曲げ、幽鬼が音となって周囲の人間の耳へ取り憑くように這入り込む。
恨み嫉み続けた、人生。既に彼は人ではなく、一つの怨念としてこの空間に存在していた。見開かれた双眼からは鮮血が滴り、叫び声を上げた喉は無残に潰れている。
「それにな、お前等がウダウダやっている間にエーテルプラントは俺が暴走させておいた。ネットワーク権限を俺に集中させ過ぎだぜ? もうじき、臨界点を突破して大爆発が起きる。そういう意味でも、お前はもう終わりだ」
親指を背後に向ける。通路の奥底で小さく、光が収束する様子が見えた。
「イサク、何故だイサク!! 君は私の、同志だった筈だろう!?」
「俺はただ、ぐっすりと眠りたいんだ。だから寝覚めの悪い結末は、どうにも苦手でね」
イサクは午兎へ視線を向ける。午兎は無言で頷くとリリースボタンを押して
「――決着を付けるぞ、エリア。人類最後の決闘だ」
凄味のある午兎の言葉に、エリアは思わず周囲を見渡す。しかしネフィリムは疎か彼の同志たる〝
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
観念したエリアは着込んだアルバを脱ぎ捨て、ホルスターから愛銃たるグロック社製のモデル38を引き抜き、慣れた手付きでそれを構えた。
互いの間合いを見計らい、じりじりと躙り寄る二人。その双眼は互いしか写さず、その耳は互いの息遣いしか聞こえない。
「――――――――」
午兎が力を込めると
刹那。
踏み込んだ二つの靴音が、重なる瞬間。
二つの銃声が、響き渡る。
黄金色の薬莢が二つ、地面へ着地するよりも早く、眉間を撃ち抜かれたエリアはのけぞり仰向けになって果てる。
「勝負は決した!! 爆発に巻き込まれたくなかったら、早くハイヴから脱出しろ!!」
イサクの言葉に来良は頷くと、背部スラスターを展開させ光の翼をはためかせる。右手で午兎を抱き抱えると、左手をイサクへ差し出した。
「あ――――」
その近くには、リベカの姿。来良は交互に、左手と二人を見比べる。一つの手では、一人しか救えない。
「・・・・・・良いんだよ、初めからそのつもりで来たんだから」
リベカは来良に微笑むと、ゆっくりと首を横に振った。
「あなたをその姿にした時から、その罪を償う覚悟は出来ていた。だから、これで良いんだ」
「でも――――」
「ありがとう。シフォンケーキ、美味しかったよ」
はにかむように笑うリベカの肩に、イサクの右手が添えられる。
「俺もこのままで良い、このまま満足に眠りたいんだ」
早く行け、そう二人に急かされても、戸惑う来良は動き出す事は出来なかった。
地響きが、連絡口から噴き出す。もう時間はない。
「・・・・・・あのね、来良」
途端。リベカが螺旋階段で近づいていき、来良へ耳打ちした。彼女の言葉に、来良は耳まで紅潮する。
「うん、だからね。決して終わりじゃあないんだよ、あなた達は」
じゃあね、と小さく手を上げてイサクが待つ場所へと螺旋階段を降りていった。
二人が手を取り合った瞬間、火柱が噴き上がる。
「――――――――」
来良はスラスターの出力を上げ、上昇した。爆発の余波と炎が来良と午兎を呑み込もうと顎を上げる。螺旋階段は崩れて崩壊し、外壁には大きな亀裂が入った。
数世紀に渡り増改築と延命を続けてきたハイヴが、今終わろうとしていた。崩れていく、人類最後の楽園。怨嗟の籠められた建造物が白い世界に飲み込まれて消えていく。白い沙漠に白い瓦礫が埋もれて逝く様は、この世の物とは思えぬ程に美しかった。
見渡せば、他のハイヴも似たように朽ち果てていた。廃墟と廃墟と廃墟。この世界に人類という生物が居た痕跡を僅かに残し、静かに時間を停めている。
終わった世界に、しんしんと降り続く雪。白い沙漠に降り積もり、境界線さえ曖昧に溶けていく。
「綺麗だね・・・・・・とても」
僅かに色を帯びた灰色のビルの残骸へ着陸し、来良は呟いた。
「終わって死んで逝く世界なのに、どうしてこんなにも綺麗なんだろう」
「僕は・・・・・・そうは思えない」
午兎は来良の腕から逃れるように離れ、下界を見つめながら絞り出すように口を開く。
「この世界は、死んでいる。僕らもきっと、そう遠くない未来にこの世界のように朽ち果てるだろう。僕は――」
歯を軋ませ、午兎は苦悶に満ちた表情で言った。
「君をこんな世界に、連れて行きたくはなかった。君をそんな姿にしたくはなかった。守りたかったんだよ、僕はッ! 君と、君が暮らすあの世界を!! けれど、その結果がこれだ。どう君に顔向けすれば良いのか、僕は分からない」
俯き白い息と共に吐露する彼は、来良が見たどの柄野久 午兎よりも華奢で弱々しかった。彼の横顔が余りにも儚過ぎて、このまま世界に溶けていきそうに思えた。
この世界と同じ、白の中へと。
「・・・・・・あのさ、午兎君」
ガラス細工のような細い身体を後ろから抱き締めて、来良は柔らかい声で言った。
「後悔していないと言ったら、嘘になる。それでもわたしはそれを選んだ。だからこうして此所に居て、あなたの側にわたしが居る」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
抱き締められたカーボン・セルロイド製の身体からは、柔らかさも温もりは感じられない。それでも何故か、温かい。あの好きだった匂いが、鼻腔を
自分を抱き締めた来良の両手を解くように触れ、午兎は彼女と向かい合って一筋の涙を零す。
「それでも僕は、守りたかったんだ」
「知っている」
「君の前だからこそ、格好付けたかったんだ」
「分かってる」
でもね、と来良は笑う。笑いながら、泣いていた。
「わたしだって、午兎君の事を守りたかったんだよ?」
白い沙漠に白い雪が降り積もる。
ハイヴも、
旧時代のビルも、
朽ち果てた戦車や戦闘機も、
何もかも白に溶けて、
それでも二人だけは、色を帯びて確かに世界に存在した。
終わった世界に、
その灯火がどんなに儚くとも、二人は確かに生きていた。
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